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第十二話 悪女エメリィ、初めての社交界へ②

 目の前の男はしばらく呆気に取られていた様子だったが、それもほんの数秒の話で、すぐに我を取り戻した様子で言った。


「失礼。少々貴女の美貌に見惚れてしまいました。ワタシはデュラン。この国の第五王子です」


「……第五王子殿下でいらっしゃいましたか。気付くのが遅れてしまい誠に申し訳ございません」


「エメリィ嬢、いや、アロッタ夫人、アロッタ公爵はどちらに?」


「本日はお忙しいとのことで残念ながらご一緒できませんでした」


 公爵家内の事情についてこの男に詳しく話す気はない。もしかしたら公爵側が王家に何か漏らしている可能性はあったが、構うものか。

 そもそも妻に追いやられて別邸に住まわされているなど屈辱だろうし、あの妙にプライドの高い公爵閣下が自分から言うとは思えなかったけれど……。


「ならばワタシに貴女のエスコートをさせていただけないだろうか。前に断った時のお詫びも兼ねて」


 などと考えているうちに、第五王子がとんでもないことを言い出している。

 社交に疎い私でもわかる。人妻を進んでエスコートしたがるような男、まともじゃない。

 ジルの時は一体どんな問答があって断られたのかは知らないが、私からすれば同類だった。私はジルと違って男遊びの趣味はない。


「あら、お誘いいただきありがとうございます。ですが殿下にはもっと相応しい方がいらっしゃいますでしょう。私、あちらのお菓子を食べに行くので失礼します」


 そう言い残して踵を返し、私は人波の中に走り込んだ。

 王家とのつながりを作っておくのは一考だが、あんな男に絡まれるのは嫌だ。私は私なりに、この夜会を堪能すると決めているのだから。


 まずは――。


「お菓子なんていつぶりでしょう。せっかくこんなにあるんですもの、たくさん食べても構いませんよね」


 色とりどりの茶菓子が並べられたテーブルの前に辿り着くと、私は思わず目を輝かせる。

 母が亡くなって以降フォンスト伯爵家ではクッキーの残りカスを何度かを口にしただけだったし、公爵家に嫁いでからの約一ヶ月間も肉をつけるのに必死で菓子を楽しんでいる暇なんてなかったので実に十年ぶりとなるだろう。

 一口含むだけで口の中に広がる甘味。久しぶりの感覚に私は歓喜し、狂ったように口に貪っていく。


(――ああ、美味しい)


 今まで食べられなかった分を取り返すかのように無心に食べ続ける私。

 きっと放っておいたらいつまでも食べていたに違いない。そんな私を我を取り戻させたのは、とある一人の令嬢の声だった。


「そんなに美味しそうにお菓子を頬張る方を初めて見ましたわ。お元気でいらっしゃるのね」


「あら、いつの間に」


 全然気づかなかったが、すぐ横に誰か来ていたようだ。

 私は顔を上げ、彼女の方をまじまじと見つめる。声をかけてきたのは、艶やかな黒髪に金色の瞳が特徴的な赤いドレスの女性――社交界に疎過ぎる私でも、一眼で上級貴族とわかる格好をしていた。


「あなたがアロッタ公爵の奥様なんですってね。ごきげんよう」


「よくご存知で。私はアロッタ公爵の妻のエメリィ・アロッタでございます。ところであなたは……?」


「まあ、以前にもお会いしたのですけれど、お忘れなのかしら? それならもう一度名乗らせていただきますわね。

 シェナ・フロー。フロー公爵家長女ですわ」


 フロー公爵家。

 そういえば、挨拶回りの時に寄った家の一つだった。確か筆頭公爵家で、この国では王族に次ぐ権力者だったか。


「そうでしたか。すみません、私としたことが」


「構いませんわ。エメリィ様は世渡りに長けていらっしゃいますものね。大勢の方とお付き合いしていたら仕方のないことですわ」


 これは遠回しな悪意と見て間違いないだろう、と私は思う。

 きっとジルが散々迷惑をかけていたに違いない。それは申し訳なく思うが、私的には謂れなき誹謗中傷でしかなかった。

 なので軽く嫌味を返しておく。


「私のような悪女にそんなお褒めの言葉はもったいないです」


「悪女だなんて、そんな。……エメリィ様、随分とお変わりになったような気がいたしますわね? やはり公爵夫人になったことで心境の変化でもございまして?」


「もちろん。天と地の差と言っても過言ではありません。アロッタ公爵家は本当にいいところです。公爵閣下に選んでいただけたなんて、我ながら世界一幸せな女だと思います」


「そうですのね。それは良かった。アロッタ公爵は女嫌いと有名な方でしたのに、意外ですわ」


 それからしばらく、私とシェナ・フロー公爵令嬢は表向きでは親しく会話しながら、こっそり悪意のやり取りをした。

 これが社交。能面のような笑顔の中に隠された感情に気づくのはなかなかに難しいが、いいトレーニングになる。隙あらば嫌味を混ぜ込んで話すのは少し楽しかった。


(社交界デビュー初日にしてはなかなかの出来ですね。この調子で行けばある程度の人脈を築くことができるでしょう)


 そんなことを考えながら、私は菓子をすっかり食べ終えるまで話し続けていた。

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― 新着の感想 ―
[一言] つよい(確信)
[一言] いずれ甘党夫人とか言われそう(;'∀')
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