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文学少女の革命舞台

 ※引用:太宰治著『おさん』より


 隣で本を読んでいたカズチーが突然語りだした。


「バスチーユのね、牢獄を攻撃してね、民衆がね、あちらからもこちらからも立ち上って、それ以来、フランスの、春高楼の花の宴が……」


 そんな彼女を私は茫然と見つめた。


「カズチー、急にどしたの?」

「『おさん』の一節だよ」

「おさんって、太宰治の?」

「うん。パルちゃんが知ってるなんて意外だね」

「太宰作品くらいは知ってるよ。一応、文芸部員だしな」


 私とカズチーは図書準備室にいた。二人とも文芸部に所属していて、毎日放課後になると、部室として使っているこの部屋で遊んでいたのだった。


「……で、なんで小説を音読?」


 尋ねると、カズチーは眼鏡を中指で押し上げた。


「書評を書くから作品理解の為に登場人物を真似てみたの」

「書評? 今年の高校ビブリオバトルは中止じゃん」

「引退祭で発表するって言ったでしょ」

「あ、そういえば言ってた」


 彼女が深い溜め息をついた時、入口の引き戸が開いた。


「おつー。やっと終わったよ」


 文芸部部長ことブチョが引退祭実行委員会議から戻ってきたのだった。

 彼女はマスクを整えながら勢いよく椅子に座り、さっそく報告を口にした。


「参加申請通ったよ。ただし、私達の尺は五分」


 カズチーが悲しげな目をする。


「五分かあ。それだと発表は一人だけだね……」


 引退祭とは、体育館で催される部活動の発表会だ。

 昨年までそんなイベントは存在していなかったのだが、私達の代は新型感染症の蔓延により、修学旅行、体育祭、そして文化祭といった、あらゆる行事が中止になってしまった為、急遽、有志生徒達の手によって、代替行事として催されることとなったのだ。


 この高校では、例年ならば六月に文化祭が開かれ、その際に後輩への引継ぎが行なわれて三年生は部活を引退する。その為、穴埋めとして催される発表会は引退祭と名付けられた。


 開催は六月最後の土曜日。約三週間後だ。


「書評の発表はカズチーがやりなよ」


 と、ブチョが言った。


「でも、文芸部最後の活動だよ?」


 カズチーの言う通り引退祭をもって文芸部は消滅する。

 文芸部には私を含む三年生女子しか在籍していない。一年生の時に三人で立ち上げ、部員が増えないまま現在に至るからだ。


 私はカズチーに笑顔を向けた。


「最後だからこそカズチーが良いんじゃね?」


 貫禄があるという理由からブチョが部長を務めてはいるが、最も熱心に活動していたのはカズチーだ。


 更に追い打ちをかける。


「文芸の素晴らしさを言語化するならカズチーが一番だ」


 カズチーは、噛み締めるように頷いた。






 太宰治の小説『おさん』は、浄瑠璃『心中天網島』をモチーフとした女性独白体の短編だ。恋と革命というキーワードを軸に、妻と夫の心のすれ違いが描かれている。

 正直、マイナー作品だろう。

 もっと有名な作品を題材にしたほうが良いのではと提案したが、カズチーは頑なに首を横に振り続けた。


「……本当は『斜陽』を題材にしたかったけど、あれは長編でしょ。だから似た雰囲気の『おさん』にしたの。みんなが書評を聞いて小説に興味を持った時、短編のほうが手に取り易いだろうから」


「それ、前も聞いたよ」


 そう言うと、カズチーは呆れたような顔をした。


「まだ話の途中だよ……それで、私のプレゼンを聞いてみてどうだった? 小説を読みたくなったかどうか教えて欲しいの」


 引退祭への参加が決定してから二週間が過ぎた。

 その間、好き勝手に駄文を書き連ねる私とブチョを横目に、カズチーは必死に書評の原稿を書いていた。そして、今日からはプレゼンの練習を始めたのだ。


 意見を求められてブチョが言う。


「読みたくなったよ。おさんも読みたくなったし、それ以外の太宰作品にも興味が湧いたかな」


 私は同意を示す為に首を何度も縦に振った。

 カズチーの書評には、作品の感想だけではなく、太宰の半生についても書かれていた。そもそも、おさんに登場する夫は太宰自身を投影したキャラだ。


 カズチーが顔を綻ばせる。


「それなら良かった。私ね、思ったの。この書評で小説愛好家が増えたら、私達の文芸部はなくなっちゃうけど、新しい文芸部を立ち上げてくれる一二年生が現れるかも知れないでしょ。だから、一生懸命書いたんだ」


 改めて廃部という事実を突きつけられ、寂しい気持ちになる。


 私が黙り込むと、ブチョが一つ手を叩いた。


「では、そろそろ会議に行ってカズチーが何番目の出演か確認してこようかな」


 時計を見ると、まもなく実行委員会議の時間だった。

 ブチョの話によれば、今日、正式なプログラムが公開されるらしい。当初はもっと早くに公開の予定だったが、参加者が増えた為、本番近くになったそうだ。


 私はカズチーの肩に手を置いた。


「せっかくだから三人で行こ。トリかも知れないぞ」

「さすがにそれはないと思うよ」


 そうは言いながらも、カズチーは照れ臭そうに笑った。



 三人で会議室に向かう。

 座席に着くと、文芸部が最後の到着だったらしく、すぐさま実行委員長が話し始めた。


「えー、知っての通り、感染症の影響により、引退祭について保護者などから苦情が挙がってます。こんな状況だからこそ、対策を徹底することで僕達はやればできるんだと大人達に…………」


 長い演説の後、各団体に引退祭のプログラムが配布された。


 その内容を見てブチョが手をあげる。


「委員長。文芸部の名前がないんだけど」

「悪い、参加団体が増えたから外れて貰ったんだ」


 そのやり取りを聞き、私は口を挟んだ。


「先に申請したのにおかしいだろ」

「引退祭は三年生の意志を一二年に伝える場だ。文芸部には後輩がいないだろ」

「それでも伝えたい想いがあったんだ!」


 声を荒げると、近くに座る軽音部が愚痴を零した。


「うるせえよ文芸部」

「あ? なんか言ったか?」

「本の紹介なんて誰も聞きたくねえんだよ」


 私はそいつの胸倉を掴んだ。


「お前、謝れよ。生れてすみませんって謝れ!」


 するとカズチーが私のことを押さえた。


「パルちゃん、落ち着いて。もう良いから……」




 結局、プログラムは変更されなかった。

 たった五分とはいえ分刻みの予定に入る隙はない。開催反対派から監視されているので時間延長は言語道断。手の打ちようがなかった。


 無言で図書準備室に戻り、三人揃ってうなだれる。


 そんな中、カズチーが呟いた。


「女房の懐には鬼が棲むか蛇が棲むか……」


 それは、おさんの作中に登場する嘆きの歌だった。奔放な夫を咎められず、抑圧の中で苦しむ妻の心情を表したものだ。

 おそらくカズチーの心の内では、おさんの物語が渦巻いているのだろう。


 そんなことを思った時、ふと閃いた。


「おさんか……じゃあ革命だな」


 その言葉を聞いたブチョが顔を上げる。


「パル、何言ってんの?」


 私は二人に対して声を張った。


「革命を起こすんだよ! 舞台を乗っ取るんだ」







 プログラムを広げて最終確認をする。

 既に引退祭は始まっていて体育館から合唱部の歌声が聞こえてきている。


 予定ではトリは軽音部だ。仕掛けるのは、その時。


 今年の軽音部に所属するバンドは電子楽器を主体とするグループばかりだ。乗っ取るには丁度良い。


 頭の中で計画を反芻していると、ブチョが駆け寄ってきた。


「鍵、ゲットしたよ」


 彼女は用務室へ分電盤の鍵を借りに行っていたのだ。


「じゃあ始めっか」


 私は勢いよくスターターの紐を引いた。

 小型発電機が起動し、エンジン音が辺りに響く。


 今日に至るまでの間に準備は済ませてある。

 発電機の音が思いのほか大きかったので設置個所は校庭の隅にした。そこからドラムコードを伸ばし、体育館二階の窓にコンセントを隠してある。出力は千ワット。スポットライト一台ならば余裕で使える。


 懐中電灯の点灯を確認。そして、私とブチョは歩き始めた。


 ところがカズチーがついてこない。


「どうしたんだよ」

「き、緊張しちゃって……」


 彼女は手元の原稿を握りしめた。


 通常、書評のプレゼンは暗唱で行なわれる。しかし、慌ただしかった為、カズチーは原稿を覚えきれていなかった。


「大丈夫だよ。大会じゃないんだから堂々と原稿を読めば良いだけだろ」


 そう宥めると、カズチーはようやく足を踏みだした。



 館内は賑わっていた。

 ただし、立ち見にもかかわらず、実行委員が目を光らせているお陰か、誰もがマスク着用の上で適度な距離を保っている。


 その生徒達の間を抜け、私達三人は各自所定の位置へと向かった。


 やがて、時間がやって来る。


 軽音部が登壇する直前、私は舞台袖にある分電盤を操作し、体育館全体の電気を落とした。


 突然の暗闇によって会場中が騒めく。


 それを気にせず、速やかに分電盤の扉を閉めて施錠する。それから懐中電灯を口に咥えて梯子を登り、二階ギャラリーにいるブチョの元へと向かう。

 ブチョは予定通り既にスポットライトの準備を終えていた。

 二人で目配せをしてから腕時計を確認。消灯からジャスト一分だ。


 ブチョは舞台を照らした。

 ところが、そこにいるはずのカズチーの姿がない。


 異変を察してブチョが客席を照らす。

 カズチーは、舞台の手前で立ち尽くしていた。


「ブチョ、照明を一旦消してくれ。様子を見てくる」


 暗闇に乗じて舞台にあがる手筈だった。

 何かトラブルがあったのだろうか。


 その答えは、カズチーの元に着いた時、すぐに判明した。原稿が床に散っていたのだ。暗くなった際に落としたのだろう、既に何人もの生徒に踏まれていて回収は難しそうだ。


 私はカズチーの肩を掴んだ。


「覚えているところまでで良い。舞台にあがれよ」

「む、無理だよ……」

「それなら何でも良いから演説をしよう。カズチーの目的は書評の発表じゃなくて小説の良さを広めることだろ」


 カズチーは何も言わない。私は振り絞るように訴えた。


「頼むよ。何も残せないなんて嫌なんだ……」


 二人の間に沈黙が漂う。


 もう駄目か。

 そう思った時、カズチーが駆けだした。


 私は咄嗟に叫んだ。


「照らせえ!」


 舞台に丸い光が描かれる。

 その中央でカズチーが、めいっぱい叫んだ。


「バスチーユのね!」


 皆の視線が舞台に集中する。カズチーは言葉を継ぐ。


「牢獄を攻撃してね」


 会場は静かになった。突如始まった舞台に誰もが興味を示しているのだろう。

 カズチーは慎重に、しかし力強く、更に言葉を紡いだ。


「民衆がね、あちらからもこちらからも立ち上って、それ以来、フランスの、春高楼の花の宴が永遠に、永遠にだよ、永遠に失われる事になったのだけどね、でも、破壊しなければいけなかったんだ、永遠に新秩序の、新道徳の再建が出来ない事が分かっていながらも、それでも、破壊しなければいけなかったんだ」


 彼女の目は濡れていた。


「革命未だ成らず、と孫文が言って死んだそうだけれども、革命の完成というものは、永遠に出来ない事かも知れない、しかし、それでも革命を起さなければいけないんだ、革命の本質というものはそんな具合に、悲しくて、美しいものなんだ、そんな事をしたって何になると言ったって、その悲しさと、美しさと」


 短く息を吸う音が聞こえる。


「それから、愛……」


 台詞を言い終えると、カズチーは背筋を伸ばした。


「太宰治作『おさん』の一節でした。ありがとうございました」


 そして、深く頭を下げた。


 ポツポツと手を叩く音がする。それは次第に伝播し、やがて会場を包み込む大きな拍手となった。

 私は知らずしらずのうちに泣いていた。

 思えば、引退祭自体が革命だったのだ。仕方のない事態だったとはいえ、誰もが抑圧を強制されてきた。そんな中、カズチーの言葉は心に刺さったのだろう。


 拍手は、いつまでも止まなかった。






 週が明け、先生達に長々と説教をされた。

 生徒の自主性を尊重して口出ししてこなかった先生達も、さすがに先日の騒動は無視できなかったようだ。



 職員室から解放され、いつものように図書準備室に集合する。

 いつものようにとはいっても、これが、最後の部活動だ。


 感慨に耽っていると、カズチーが突然語りだした。


「間違ったメッセージが伝わっちゃったかも。『おさん』は、破壊的な革命を推奨なんかしていない。革命っていうのは……」


 確かに『おさん』では、革命の本質は破壊という信念に従って情死する夫のことを、語り部の妻は、馬鹿々々しい、と一蹴する。

 そして物語は、革命とは楽しませるものだという主張でもって締め括られる。


 彼女の意を察し、私とブチョは声を揃えた。


「楽しくなかった?」


 すると、カズチーは中空を見つめて微笑んだ。


「とても楽しかった」


 その目は、受け継がれていく青春に想いを馳せているようだった。



 (了)

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― 新着の感想 ―
[一言] 読みながら、この時代の学生さんの貴重な数年間に想いを馳せました。 興味のない人にとっては、本なんかなんて思うかもしれないけど、大事にしてきたことを誰かに軽く扱われていいはずないよね……。 今…
[良い点] すげえじゃん、クソ最高でした。
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