名実108 {136単独}(326~327 大島の遺言2)
「あんなモノは、昨年(2001年)に郵貯の財政投融資が廃止された時点で、最早ほとんど無意味な議論だ。郵便事業は、日本のロクに採算も取れないような田舎でも提供される、国民全体にとって必要不可欠なインフラで、そもそも採算など目的ではない! 高松の郵政民営化のライフワークとやらは、ただの自己満足に過ぎん!」
大島は即座に切って捨てた。
「しかし、他の運輸業も全国津々浦々に展開されている訳ですから、その言い訳は通用しないのでは? それに郵政民営化でも、全国均一のサービスも維持するとしているはずですが?」
西田はマスコミで伝えられている論理を持ち出した。
「馬鹿げている。設定されている料金が違う。国民にとって必要不可欠な業務を安く提供するという、当たり前の国による事業であって、そもそも利益を前提とする必要すらない。それに均一サービスの維持も、郵便事業の将来的見通しを考えれば、残念だがそう甘くはないだろう。年賀状という一大行事や手紙類の事業は、全てとは言わないが、いずれ電子メールのようなモノに粗方駆逐される運命だろう。郵貯などはともかく郵便においては、相当の値上げか一部地方からの撤退などは、将来十分に考え得る。それだけ地方の過疎化の進行は急激だ」
大島は逐一否定してみせた。
「その不当に安い値段が正当な競争を阻害し、民業を圧迫しているという新聞記事を見ましたが? これまでは郵貯などの利益を持ってくることで誤魔化していたそうですが?」
尚も西田は食い下がった。
「高い値段で、国民の生活の根幹に関わるサービスを任せること自体が、既に問題だという考えに至らず、ただ民間事業を圧迫するという発想を無条件に良しとしてしまっている前提からして、まず間違いであることに気付かなくてはならない! 世の中のすべての行為が、利益を前提に行われるはずもない。その上で、公務員的な思考では出てこない新規事業や新規産業をどう育成するか、そこは別途適切にやれば良い。国や地方自治体が、国民の生活の為に最低限提供すべき行政サービスと、利益優先の民間事業をただ混同し、どちらがより効率的に儲かるかという平面でのみ判断すること自体が、まさに愚の骨頂なのだ! そもそもその論理を追求すれば、夜警国家以外の政府など必要なくなるではないか! そのうちアメリカの様に自分で武装すれば、極論として警察や軍隊すら要らんということになるかもしれない。それはまさに、リバタリアニズムとアナキズムの融合である究極的自己責任形態だ」
大島は拳を強く握りしめつつ息巻いた。だが主張が強すぎたと反省したか、
「何度も言うが、確かに公務員が関与することで、そこに無駄があったり必要もない規制が絡んでいる部分はある。そこは見直せば良い。しかし、間違っても事の本質を見誤ってはならん。国民が広く享受べき必要不可欠な利益の分配は、最終的に国が責任を持つべきなのだ。そして高松は、どうもその区別が付いていないように見える」
と、トーンを落として語った。
「そうは言っても、現状に不満の国民は、それでは納得しませんよ」
吉村は相変わらず不満げだった。
「実は、それが私が最も危惧していることだ」
大島は嘆息しながらしばらく沈黙した。だが、気を取り直したように重い口を開く。
「今、私から見て、世論に大きく違和感があるのは、国民が納得出来るかどうかと、それが本質的に正しいかどうかが、同一平面で語られていることだ。無論、納得出来ることが正しいことに直結する場合も多々ある。そして、国民世論と実際の政治に乖離において、世論を疑問視することで、現実の政治を正当化するという、ある種の欺瞞も政治や行政側から行われてきた事実もあるだろう。但し間違いなく両者は全く同一ではない。今は特に、国民も政治家もそれが最大の問題だということを理解していない。無論、民主主義である以上は国民の理解や同意は必要だが、それが悪用されれば、政治家が国民を騙しておかしい政治をすることも正しいとされるし、逆に国民が暴走しても、誰もストップを掛けられないことになる。それは民主主義の本質ではない」
「そこについては、自分のレベルでもわからんことはないですね。最近の政治や民意とやらは、勢いに押され、やや思慮に欠ける部分はあるかもしれないです」
西田はそこは同意せざるを得なかった。
「国民は、あのバブル崩壊以降、鬱屈したものを抱え続けているのではないかな。ジャパン・アズ・ナンバーワンとすら呼ばれ、一流だったはずの日本経済が、バブル崩壊でジワジワと衰退する中、阪神大震災に金融危機が続き、学生は就職難に喘ぎ国民は所得の伸びもない、不安な生活を強いられてきたことは事実だ」
大島の発言を、西田と吉村もまた、世相を振り返りながら聞いていた。
「これは政治家としての我々、そして行政の責任が重大であることは、君らも内心よくわかっているだろうし、私も無論それを理解している。この間増税したり、景気が悪くなれば一転して歳出を拡大したりと、一貫性に欠ける政策を行った。当然、不景気に歳出拡大は大枠では間違いではないがね。ただ場当たり的過ぎた側面は否定出来ない。金融についても、公的資金を入れる入れないで右往左往して、結果を悪化させてしまった。結果的に閉塞感が更に高まった。そこに破壊的な改革を実行すると唱する高松が現れ、国民はそれに中身も確認せず救いを求め、大袈裟に言えば熱狂すらしている。報道でもないワイドショーですら政治が扱われ、それに敵対するものは、あたかも賊軍であるかのように見なされる。高松のような後ろ盾の無い人間にとって、民意とマスコミを味方に付けることが、最大の防御という訳だな」
この時の口調は冷静だったが、苦虫を噛み潰したような表情が、大島の内心を如実に表していたのだろう。
「やはり高松首相は嫌いですか?」
吉村がこの発言を受けて問う。すると
「私が嫌いなのは、高松の総理大臣としての手法だ。一政治家としての高松は、個人的にはそれ程嫌いではない。彼は3世の政治家だが、群れることを好まない男で、権力を目的に面従腹背で馴れ合うこの業界の中、そこに見どころがないとも言えない。しかし一個人の政治家としての主義主張を、そのまま直接国家の政治として実行することは、時に問題になり暴挙にもなる。それが今だと思っている。まあそれだけではないが……」
と、西田達が想定していたより案外淡々と答えた。
だが、すぐに表情を一変させ、
「私が生きてきた昭和初期、日本もまたそれより更に酷い閉塞感に見舞われていたことは、君らもわかっているだろう。そこで何が起きたか考えれば、その熱狂の危険性がわかる。時の首相・犬養毅が暗殺された515事件は、まさにその典型だ。政治や財界の腐敗に怒り狂った国民により、暗殺メンバーであった海軍青年将校や民間人には、助命嘆願署名が全部で100万以上も集まった。当時の日本の人口が6500万程度だったことを考えれば、実態は憂国の士ならぬテロリストの助命嘆願に、今なら200万人も署名したこととなる! 西田君、吉村君。今なら考えられるかね?」
突然そう問われた2人だったが、すぐに首を振った。それを見届けると、
「そうだろう。まして君らは、治安を預かる警察官だから尚更のはずだ。しかし、当時はまさに天誅という意識があり、国民はそれに喝采を送ったのだ。そしてその天誅思想と国民の悪しき寛容が、こちらは完全なクーデター未遂とも言える、4年後の226事件を引き起こしたとされているし、私もそう理解している」
と語った。
※※※※※※※作者注
本来この小説では、文中の歴史的な背景について、一々調べなくても読めるように、リンクや簡単にまとめたものをそのまま提示していますが、515事件、226事件については、ここで簡潔に説明しきれない部分があると共に、労力上非常に面倒ですので、よく知らない方は、あくまで大まかな流れについてのみ、リンク先でご参照下さい。まあ余り賛同出来ない部分もあるんですが、流れを把握するには十分でしょう。もしくは、これまた全てを信用出来るわけではありませんが、ここでもよく貼っているウィキペディアでも良いかと思います
http://bushoojapan.com/tomorrow/2014/02/25/15140
出来るなら半島一利の「昭和史」やら秦郁彦の「軍ファシズム運動史」辺りを読んだ方が良いかもしれませんが、私も全て読んでいる訳でもなく、それぞれに立脚している主義主張の微妙な違いもありますので、興味のある方は、色々とお調べになってはと思います
※※※※※※※
「それらの結果として、結果的に軍部が力を得て、日本は戦争へと突き進んで行ったんですよね?」
吉村が先回りするように、答え合わせを求めた。
「うむ。まさにその流れだ。政治や財界に対する怒りが、政治力を弱めて結果として軍部の力が増した。だがそれだけではない。国民自身も日本の大陸や東南アジアへの支配拡張を世論として後押しし、国際連盟からの脱退にも熱烈に賛同を示した。国民が好戦的なマスコミの論調を好み、マスコミもそれに応じて好戦的な論調を垂れ流し、それがより好戦的な世論を生み出す悪循環だ。無論、初期には後期の軍部のマスコミへの圧力以前に、戦線拡大に批判的なマスコミに圧力を掛けたような在郷軍人会のような連中(作者注・信濃毎日不買運動・桐生悠々 参照 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%90%E7%94%9F%E6%82%A0%E3%80%85)もいた。軍部は自らだけではなく、その後は国民からも発言力を得るように仕向けられたのだ。それにしても、その思慮なき熱狂の結末が、国家予算の7割から9割弱が軍事費に占められ、国外の多数の犠牲者のみならず同胞だけでも300万人もが犠牲になる、有史以来の日本国最大の危機を招くとは、当時の彼らの大半……、それどころかほとんど全ての人間はまさか思っても見なかったろう。敗戦や犠牲の拡大を確信していた欣ちゃんですら、あの悲劇的結末を完全に予期していたかどうかは……。あれだけの予算が軍事以外に潤沢に回っていれば、確かに満州を失う危険性はあったが、違う道もあったのではないかと思う。時に正義や愛国と信じたモノですら、むしろ破滅を招くことすらある。それが政治の怖さ、民主主義の怖さだ」
激動の時代をその目で見て、自ら「経験」してきた大島らしく、一言一言の重みが、聞いている刑事達にもヒシヒシと伝わってきた。
「ただ、さすがにあそこまでの過ちが、高松の徹底再構築という改革案に含まれているとは思えないんですが? 戦前の流れは、言わば愛国主義やら軍国主義的な要素が背景に色濃くありましたから……」
西田はここに来て控え目に反論した。
「確かに、ファシズムを容認するような、如何にもストレートに危険な熱狂と、今の高松改革への熱狂が、平和な現代に生きる君らからして、一見別に思えることは仕方ないだろう。しかし高松の徹底再構築は、これまでのあらゆる利権を破壊していこうとする中、2つの隠れた大きな破壊を含有し、それらに別の要素が加わり、将来において大きな危機を生み出す可能性を危惧しているんだ私は」
大島は指を2本、Vサインのように立てて見せた。
「その2つの破壊とは?」
吉村が成り行き上当然の疑問を呈すると、
「1つは、小さな利権を潰した挙句、質の悪いことに、もっと大きな利権へと集約して、多くの国民生活を更に貧しくすること。2つ目は、我々が戦後築いてきた、国民生活の安全保障を破壊することだ」
と述べた。
「そこを具体的に」
西田も更なる説明を求めたが、おそらくこういう流れになることを、さっきの吉村の発言も含め、大島は計算した上でこういう話し方をしているのだろうと、少々「乗せられた」ことを悔しく思いながら西田は喋っていた。
「では、まず1つ目からだな。この説明には、高松の徹底再構築の具体論とは、現時点では、……あくまで現時点では直接的に関係はないが、考え方としてわかりやすい例なので、使わせてもらう。昨今は特に公共事業において、これまでより徹底して公正な競争入札が行われていることは、君らもよく知ったことだと思う。これまでは、公共事業は不正競争、つまり談合の温床としてよく語られてきた。そこには行政側が関与する、いわゆる官製談合なるものもあり、それを利用した天下り先の確保なども問題になってきた。私もそれらと無関係だった訳ではないし、それらが純粋に正しいやり方だったとも思わない。そこに様々な利権が存在していたのは事実だ。ただ、その汚い利権を壊すはずの競争の徹底が、その後一体何を招いたかということについてのきちんとした検証が、一般的なニュースではほとんど扱われていないのも事実だろう」
ここまで一気に喋ると、大島はペットボトルの茶に手を出した。西田も吉村も話が始まるのをただ黙って待っていた。大島はじっくりと茶を飲み、静かにペットボトルを机に置いた。
「待たせて済まない。……この年になると、どうにも口が渇いてしまってね……。それで話の続きだが、その公正な入札の結果、大いに価格競争が行われ、確かに公共事業のコストダウンが図れた。ここまでは万々歳だったろう。しかしながら、その表向きの公正さは別の問題を招いた。これまでは談合により、地元の中小ゼネコンなどが落札することが可能だったが、価格競争の徹底により、東京の大手ゼネコンなどが介入してきて、恐ろしく安い値段で落札するようなことが出て来た。いわゆるダンピングと言う奴だ。しかもそのまま地方のゼネコンや土建業者に、利益を中抜して丸投げするものだから、投げられた方は事業としてトントンか、酷い場合によっては赤字にすらなる企業も出て来た。とは言え、大手ゼネコンとの関係上、そうそう断ってもいられない。その結果、工事の質をわからないように下げたり、労働者への賃金・給与を下げたり、事業として立ち行かなくなってきた土建業者も出て来ている。一方の都市部の大手ゼネコンは、ただの丸投げで肥え太る。公共事業の目的を考えれば、地方が疲弊する上に、必ずしも万全ではない工事が行われているとすれば、まさに本末転倒ではないか!(作者注・後述) 競争さえ起これば、そこに適切な結果が生まれるという、半ば競争神話が先行し、過当競争という問題が無視されているのが現状だ。小さな利権を叩いたが為、更なる利権の分散どころか、むしろ極一部へと利権が集約されてしまっている。これは利益の分配という、国民経済への最大の波及を考えれば、むしろ逆行する効果を産んでしまっているということだ。そして、高松の政策による国家や自治体の事業の民営化は、実はほとんどの場合において、最終的に極一部の企業や団体が牛耳ることとなり、効率化の名の下に、利益が局所に集約されるだろう。また、民営化された組織の民間労働者は、元々の公務員程の待遇は得られない場合が出て来る。それを一言で効率化と評価するのは結構だが、それで生み出された利益は、サービスを享受する側以上に、極一部の企業側や資本家へと吸収され、更に従業員や社会には利益還元されにくくなるだろう。最も経済や景気に与える影響のある分配とは、広く一般労働者への給与や賃金での還元なのだからな。逆に言えば、一部のエリート公務員が、天下りなどでまともな仕事もせずに高給を得る為、不採算事業や非効率事業が維持されていることへの批判は、まさにその特定の極一部の人間にしか利益配分がなかったことに起因する訳で、実は両者は構図として大差ないということに気付かなくてはならないはずだ。既得権益の破壊が、更なる歪な権益構造を生みかねないということだ」
大島はここまで一気にまくし立てると、再び茶を口に含んだ。
「なるほど。大体の言いたいことはわかりました。ただ近年で言えば、国鉄からJR、電電公社からNTT、専売公社からJTと、官から民への流れは、おおまかに言って成功してるんじゃないかと思うんですが?」
吉村は、これまでの実例から反論した。
「確かに、JRはともかく、JTとNTTは民営化の成功例と言ってほぼ間違いなかろう。JTは嫌煙という流れの逆境もありながら、タバコ以外の飲料・食品事業にも手を広げる多角化に活路を見出しているし、NTTにおいては、効率化と他社参入という競争原理の導入によって、特に長距離通話を中心として、電話料金は大幅に下がった。雇用も給与も減らさずに、サービス受給者である国民は利益も得たという事実がある。ここは民営化の大きな成果と言って良いかもしれない」
大島はここまで述べると、一度咳払いしたが、間を置かずに喋り出した。
「ただ、そもそも専売公社は、国民生活への利益や塩の安定供給というよりは、古代中国に遡る国家による塩の専売での利益確保(作者注・塩の専売史 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%A1%A9%E6%94%BF%E5%8F%B2)やタバコの専売など、元々が利益目的の組織だったのだから、民営化して当然だったとも言えるだろう。一方の電電公社においては、NTTへの民営化の時ですら、地方の設備維持の関係から、過疎地などでのサービスの低下が確かに心配されていたのも事実だ。しかし、携帯電話事業、最近ではインターネットの様なものやら新しい技術や需要が、それらを維持しても余りある利益を生み出したことで、今でも日本全国できちんとサービスが維持されているという側面もある。一方の郵便が、それと同じような状況や将来性に立っているとは、私は認識していない。民営化しても企業として十分にやっていける、そして国民全体が利益を得られるよう民営化なら、それは成功例と言えるだろうが、そうでないケースが業種ごとに出てくるだろうし、今現在だけではなく、将来的にどうなるかという視点が重要だ。何しろ、国民の高齢化が進み、地方は疲弊し、これまで発展途上だった他国が追い上げて来るという、徐々に斜陽化しつつある日本経済の現状を見れば、その視点を無視することは出来ない」
大島は丁寧に、吉村への反証の解説を交えつつ持論を並べた。そして、
「しかし本当に問題なのはJRだ。国鉄程、国民への公共サービスの長期的維持を無視し、政治の思惑に振り回された民営化はなかったと考えている」
と付け加えた。
※※※※※※※作者注・後述
東日本大震災以降、いわゆるゼネコンや中小土建業者まで、過去最高レベルの利益の拡大が続いていますが、これは2000年代初期の公共事業削減による土建業者の選別やそれに伴う土建業への人材の流入の低下が、その後の震災・五輪需要で一気にバブル化したものです。公共事業や建設業に関わる時代背景が違いますのでその点はご理解ください
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