名実35 {63単独}(146~147 思わぬところから出た目撃談)
本橋は95年に、大阪拘置所での西田達による取り調べで、佐田実を常紋トンネル付近で殺害した後、北見の宿泊していた旅館に戻り、午後すぐに北見を発ったと証言していた。西田と竹下が、その際に本橋の佐田殺害の自供から得ていた感触からは、「自供では基本的にウソは言わないが、どうしても都合の悪い部分は言わないか上手く誤魔化す」というテクニックを使っていたように思えた。刑事との応酬を楽しみつつ、ヤクザ者として、言ってはいけないことは言わないという筋は通していたように思えた訳だ。
この点から考えても、少なくとも、明確に自供した部分については、その発言通りだった可能性が高い。勿論、他に何かやっていたとしても、それについては発言していない可能性も十分にあった。
そして、この鳴尾という記者の話は、本橋が殺害後、すぐに北見を発った日時と完全に一致していた。更に鳴尾の証言を、五十嵐からの伝聞で聞く限りは、殺害後から北見を発つまでの間の詳細な行動を、本橋が聴取で供述していなかったのは、彼が会っていた相手が中川秘書であるならば、むしろ当然のことと言えた。
何しろ大島海路の秘書と会っていたとすれば、自分から言う訳にはいかない。自分の真の依頼主を売り渡すことになるからだ。言うなれば、本橋は取り調べにおいて、殺害後北見をすぐ発ったという本当のことを述べつつ、その間にあった短時間での「重要な出来事」を省いて話したということになる。
そしてもう1つ、大変重要なことがあった。当時竹下がこだわっていた、「指示者」と「依頼者」を、本橋が明確に区別していたのではないかという指摘だ。
7年前の捜査では、結局のところ、伊坂大吉が佐田実殺害の首謀者であり、大島はそのために、所属派閥である箱崎派と葵一家とのパイプを利用し、殺し屋である本橋の北見への派遣を「要請」する形で、伊坂に「協力」したのではないかという結論にほぼなっていた。
しかし竹下は、本橋に対して直接取り調べをしてから、奴が終始、「依頼者」と「指示者」を明確に区別しているのではないかと捉えていた。本橋が「依頼者」という言葉を一切用いず、伊坂を「指示者」とだけ言って、警察側に「依頼者」自体が伊坂であると誤解を与えた上で、本当の依頼者の名前は、疑われることもなく、一切自白しないで済むことに成功したのではないかと考えていたわけだ。
しかも、指示者とした伊坂大吉は既に死亡しており、責任を負わせるのにはうってつけだった。息子の政光が真相を知っていたとしても、経営する伊坂組は大島海路との関係性を壊して得られるメリットはほぼ皆無で、大吉の名誉(と言っても、死亡しているとは言え、殺人犯であることはそもそも変わらない)より実利を取るのは当然だろう。
つまり、早い話が、本橋の性格や狡猾さから考えて、警察側に、殺害実行時に直接指示した伊坂大吉が依頼者自身でもあると勘違いさせ、裏に真の依頼者が存在して居ることを、上手くカムフラージュしたのではないか? という理屈だ。
そのことで、警察には嘘は言わずに自供しつつも、ヤクザとしての、大元の殺害依頼者の名前を出さないというプライドを、しっかり守っていたのではないかという、竹下の推理だった。後者については「職務上」当然だが、前者については、本橋なりのある種のゲームを楽しむルールのように、当時の竹下は推測していた。
他にも本橋は、殺害の成果を「指示者」である伊坂には、自分では一切報告しないまま北見を去ったと証言していた。それについては、実行の共犯である喜多川と篠田に任せたとも言っていた。
しかし、本橋は「依頼者に報告していない」とは、当時の自供で一言も言っていなかったことに西田は考えを向けた。真の依頼者の手先である中川秘書に、殺害を報告していたとすれば、「嘘は言わないが、都合の悪いことは言わないか誤魔化す」に見事に該当することになる。これらのことを前提にして、今回の五十嵐が話した、鳴尾の北見駅での目撃談を整理してみた。
そうすると、竹下の考えも含め、やはり本橋は、真の依頼者である大島の手先、つまり地元の番頭格秘書の中川に、佐田殺害の成功を北見駅できちんと報告していたと考えるのが妥当としか思えなかった。そしてその際に、成功報酬を直接中川から受け取っていたとも取れる節の行動(鳴尾が目撃したと言う、本橋がボストンバッグから取り出した、1万円札の入った紙袋)も2人は取っていたと考えておかしくはなかった。
しかし、そうなると、何故わざわざ北見駅のホームという「公衆の面前」で、2人は取引もしくはやり取りをしていたのかということになる。ここで西田は、その行動にどんな意味があったか考え、推理した上で、「ある」とすれば、幾つか理由が思い浮かんでいた。
1つは、単純に時間が無かったということである。出来るだけ早い段階で、北見を離れることを優先すれば、列車待ちの本橋とホームで会話すれば節約になる。これについては、単に2人のスケジュールがそこしか合わなかった可能性も含む。ただこれは積極的な理由とは言えない。
2つ目は、会っていたのが駅のホームであること、そのものがメリットだということだ。公衆の面前というのは、人目に付く場所ではあるが、同時に余りに人が多いので、むしろ注目度合いは低くなるという傾向にある。まして、札幌への特急をホームで待っている人達は、そうそう他人の会話に耳をそばだてることもなかろう。
そして駅のホームというのは、特に北海道の場合には、やや特殊な理由が考えられた。基本的に、札幌を中心とした道央以外は、ディーゼルカーが鉄道車両の主流であり、そういうタイプの列車が、他のホームに入線もしくは発車待ちしていれば、かなりの轟音が駅構内に響いているものだ。まともに他人の会話など聞こえないということは、道民である西田自身が、これまでもよく経験していたことでもあった。それは鳴尾の話でも実際に挙げられていた。
運悪く、この時中川は、知人である鳴尾に見つかるという、想定していた「メリット」が「デメリット」になった部分こそあれ、駅の騒音が2人がどんな話をしていたかまでは、割と接近してからも「かき消して」把握出来なくさせたことは間違いなかろう。もしサングラスの相手が本橋であるとすれば、話の内容はかなりマズイ内容だったはずだから、それは彼の耳に入ってくれば当然記憶にあるはずだ。無論、隠語か何かで、終始誤魔化して会話していれば話は別だが、どうもそれ以前に、騒音問題があったことは事実と見て良いだろう。
やはり、少なくともメリットの片方は、作用した可能性が十分にある。そして、公衆の面前故に、知人に見つかったとしても、「そんなところで悪事に関する取引や会話があった」と言うことは、逆に想像すらしにくいはずだ。事実、今回の中川の逮捕劇と五十嵐からの鳴尾への情報提供があるまで、まさに鳴尾自身がその罠にハマっていたのは確かだとも言えた。
ここまで考えて、日時からしても、状況からしても、中川と相対していた男は本橋だったはずだとより強く思うようになった。そして西田は保留を解除した。
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「お待たせしました……。昔の話なんで、鳴尾さんという方のお話をきちんと聞いた上で、こちらも判断したいと思うんですが……。それでですね、是非参考人聴取させていただきたいんで……。こちらから捜査員派遣するのに、鳴尾さんのご都合も聞かないといけないわけで、鳴尾さんの電話番号……」
と言い掛けた西田の言葉を聞き終わる前に、
「それは全く構わないから、奴にはこちらから話して、西田さんに電話させますよ。後は2人で決めてくださいよ。ただ、その事実関係を判断するのは、もっと科学的に出来るはずでしょ?」
と、五十嵐に思わぬことを言われて、西田は首を傾げた。
「科学的と言われても……」
「あれ? さっき言いましたよね? ジュースこぼした時に、中川が濡れた切符を拭いたって話。そして万札に2人が触れたって……」
「これは失礼!!」
西田は、五十嵐の発言に対し、ある種の感動すら覚えていた。確かに、当時の経緯を証明する2つの「証拠」に、彼の話が事実であれば、1万円札には中川と本橋の、汚れた切符には、中川の指紋がついている可能性が十分にあった。しかも多数の人間が触る札も、状態がピン札かそれに近いというなら、触っている人間はそれ程多くない可能性が高い。そして五十嵐は、2人の指紋情報が警察にあることはわかった上でこの話をしたのだろう。
当然、本橋の指紋が1万円札から検出出来なければ、相手が本橋だったかどうか証明出来ず、全く意味をなさないが、もし検出出来れば、それは中川が当時の佐田実を殺害した直後の本橋と会っていたことを示すのは間違いない。
言うまでもなく、「会っていた」だけで、罪状に問うのはまず無理かもしれないが、金銭の受け渡しなどが証明出来れば(これについては、中川本人の自供でもなければ、鳴尾も直接見ていない以上厳しいにせよ)、場合によっては、中川を殺人幇助で、まだなんとか時効の15年以内に間に合わせて立件出来るかもしれない。最低でも、鳴尾の証言や日記と「物証」を合わせれば、2人が事件直後、直接会っていたことを立証するのは十分可能だ。
中川の秘書キャリアから考えて、ひょっとしたら、佐田実の事件についても関わっていたという考えは、西田の頭の片隅の更に端にはあったが、今、鳴尾と五十嵐のおかげで、徐々にそれが具現化する目が見えてきた。
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五十嵐と必要事項の打ち合わせを済ませ、礼を言って電話を切った後すぐに、西田は15年前の、佐田行方不明時に捜査に関わった向坂に電話を掛けた。北見に居た新聞記者が、佐田実の行方不明事件について、リアルタイムで知らないことがあり得たか、一応確認してみようと思ったのだ。
それに対し向坂は、
「あの段階では、マスコミには情報は一切漏れてなかったはずだ。事件かどうかもわからないし、それに伊坂組の社長が絡んで、その後、東京の大島が圧力掛けたとなれば、警察も慎重にならざるを得なかったからな」
と答えた。そして、
「ところで、色々聞く限り、いよいよ大きく動き始めたようだが、最終的に勝算はあるのか?」
とボソッと遠慮がちに確認してきた。本来であれば、核心を聞き出したい本音はあるのだろうが、後輩刑事の状況も考え、このようなボカした言い方になったに違いない。
「わかりません。どこまでいけるか……。ただ、今年の北村の命日には、『完全に』良い報告を出来るようにしたいとは思ってます。一番大きな問題は、佐田(の事件の方)ですね……。ある意味、そっちまで解決してこそ、本当の完全な報告なのかもしれませんが……」
西田も断言したい願望と現実の間で、煮え切らない言い方になっていた。
「俺がとやかく言える立場じゃないが、少なくとも、病院銃撃事件だけは、絶対最後までしっかりやってくれ。色々超えないといけない壁はあると思うが、頼むぞ!」
決して強い口調ではなかったが、最後の「頼むぞ」という言葉に、向坂の思いが強くこもっているように西田は感じ取っていた。
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8月9日金曜日。この日は、長崎の原爆投下記念日(作者注・勘違いしている方も多いですが、記念日とは喜ばしい日という意味ではないので、念のため)だったが、中川、坂本、板垣3名の、8月12日以降の10日間の勾留延長請求が認められた。
伊坂についても、事前にはかなり延長が怪しいと見ていたが、皮肉だが、さすが警察に言いなりの裁判所ということもあったか、被害者側である重機会社の関係者からの取り調べが不十分ということで、そのまま有印私文書偽造容疑での、10日間のフルの勾留延長が認められていた。これには西田も少々驚いたが、捜査上有利になったことは当然喜んでもいた。顧問の松田弁護士は、伊坂の勾留延長に準抗告で対抗したが、それも棄却された。
そして、伊坂組の資材置き場から見つかった銃弾は、建設会社銃撃に使用されたモノの一部の銃弾と線状痕が一致し、坂本と板垣の2名が、そこで射撃を練習していたことはほぼ確実になった。2名への取り調べも、それを踏まえた上で、更に厳しい追及になることは自明だった。
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8月10日土曜。実質的な現場捜査責任者である、事件副主任官の西田が北見を離れ、直接東京へと聴取に行くわけにはいかなかったので、一連の事件についてよくわかっている吉村と相棒として黛が、朝から東京へと向かった。
鳴尾への事実関係の聴取と、証拠物である1万円札と切符の提供を受ける目的だった。事実関係が記載されていた日記も取り敢えずコピーを取らせてもらった。事件の進展次第では、原本の提供を受けるかもしれないと本人に伝えていた。
そして、夕方の便でとんぼ返りしてきた2人は、報告も簡単に、すぐに2点の物証の検証を鑑識に依頼した。
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「今日はほんとお疲れさん。どうだった、あっちは暑かっただろ?」
西田に労われた2人だったが、
「いやあ、北見も暑い時は暑いですけど、今日は特に糞寒いでしょ(作者注・この日の北見は真夏にもかかわらず、最高気温が17度行かず、最低気温に至っては13度台と記録されていたようです)? それがあっちに着いたら30度超えてるわ、蒸し暑いわで参りました……。で今こっちに帰ってきて凍えてます。風邪引かないようにしないと」
と、発言内容の割に口も滑らかに黛は喋った。これで聴取が上手くいかなかったらまた違うのだろうが、ある意味心地よい疲れの範囲に収まっているように見えた。
「この日記のコピー見る限り、鳴尾という記者の話は本当のようだな」
2人が持ってきた資料を精査しながら、西田が感想を漏らすと、
「間違いないでしょう! 他の箇所も見せてもらいましたが、かなり詳細な日記で、信憑性は高いと思います。後は指紋ですね。9月26日の、北見から札幌までのオホーツク4号の指定券には、確かにシミも付いていて、水分が付着した際の紙の寄れも出てました。コーヒー付着は証言通りで間違いないと思いますよ」
と、吉村も自信ありげだった。
「そうか。中川の殺人事件関与を立証するには少々弱いが、少なくとも2人が、当時事件直後会っていたという方向性の立証は、指紋が採取出来ればいけそうだからな。そこから中川を揺さぶりにかけたいところだが……」
物証を確認してから、中川にはこの点を尋問することを、既に方針として決めており、現時点ではまだこの話を中川にはしていなかった。
「そこはどうでしょう……。中川をそれで落とすのは厳しいんじゃないですか? もし本橋の供述で出て来た、800万の成功報酬が、その北見駅のホームで受け渡しされていたことを、明確に立証出来ればいいんですがねえ。そこら辺の資金の流れは、大島や中川については出てないんですよね?」
吉村が確認した通り、今回の鳴尾の証言を得て、すぐに今出来る限りの中川周辺の金の流れを洗ったが、表向きそのような金が当時動いたとはわからなかった。
無論、15年という時間の壁が、現実問題として相当邪魔したことは言うまでもない。そもそも、民友党の大物国会議員とその懐刀ならば、表に出てこない金など、800万程度ならすぐに用意出来るはずだ。仮に15年前に洗った所で出てくるようなはずもなかったろう。
「ああ」
西田は短く返答したが、
「そこは諦めた方が良さそうですね。話としては大分見えてきてるんですが、相手をギャフンとねじ伏せられるだけの、直接的な証拠が欲しいなあ!」
と、最後には、吉村の願望を超えて、熱望というような咆哮に、聞いている側には聞こえた。
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初回勾留の最終日である8月11日日曜。午後になって鑑識より、切符から中川、1万円札から本橋と中川の指紋が検出されたという、待ちに待った吉報が入った。
鳴尾の証言は、物証的にも立証出来たわけだ。当然、捜査本部は、すぐに取り調べで中川にこの点を質した。15年前の話が、今になって露呈してくるとはさすがに思っても見なかったか、黙秘しているとは言え、この逮捕以降初めて、中川は本格的に動揺した姿を見せた。
会っていた日時が証言だけでなく、指定券からも証明出来たので、鳴尾の記憶違い、日記の書き違いによる日時のズレは言い訳には使えない。会っていたのは本橋だということは屁理屈で否定出来ない(つまり同時に1万円札に触ったわけではないという逃げ)こともないが、証言に真実味がかなりある以上は、常識的に無理だった。なんとか黙秘はしていたが、西田はかなりのボディーブローを食らわせたはずだという実感はあった。




