第四章 二十四話 無粋な訪問者
建物の屋上から、建物の屋上へ。
強化魔法を用いてひたすら飛び乗っている最中、眼下ではちょっと変わった光景が広がっていた。
それは平時では見られないものだった。
普段であれば、器具を手に持った点火夫が、街灯の一つ一つに灯りを入れていくはずであった。
だが、現在ゾクリュは邪神騒ぎで大混乱中。
事態は少しずつ終息に向かいつつあるも、未だ民間人の避難は解除されてはいない。
当然、点火夫も避難対象に含まれており、いつもの仕事をこなすことが叶わない。
とはいえ、いくら緊急事態とはいえ、これから夜に向かうゾクリュを、真っ暗闇の底に叩き落とすのも考え物。
だから、下っ端のレッドコートが街灯の管理会社から急遽徴発した、点火器を持って街中を駆け回る次第となったのだ。
非日常の象徴たる軍人が、日常の象徴であるガス灯に灯を点していくのは、なんだかとてもシュールであった。
しかし、そんな光景も次第に姿を消していく。
建物から建物へと飛び乗る俺が、本日限定の点火夫たちを追い抜いたからだ。
ただいま、俺は、街灯の灯っていない上空に居た。
夜の帳が大分降りた上空は、目をこらさなければ、前がよく見えないほど。
下手を打てば着地に失敗して、踏み外して、かたい石畳に墜落してしまうかもしれない。
そんなちょっとした恐怖が顔をのぞかせ始めた。
けれども、踏み切る力は一切緩めなかった。
恐怖に屈しはしなかった。
目指す場所に、いち早く到着せねばならない使命があったからだ。
「……まさか種族主義者たちが。そこまでの狂気を抱いていたとは」
たった一人、曇天の空の中にて呟く。
物見櫓からの報告のあと、大佐はこの騒動の顛末を、俺に教えてくれた。
種族主義団体に潜入している、国憲局員が居ること。
その者によると、方法は不明だが、種族主義者らが邪神を捕らえていて、街に放とうとしていること。
邪神を閉じ込めているその場所を、大佐に伝えてきたこと。
アジトの露払いをするので、突入してほしいとまで先方は要求したらしい。
「しかし、大佐との接触があったタイミングでのこの騒ぎ。北以外に邪神の拘束場所を知らされていなかったことを見ると、その人は泳がされていたんだな。計画をおじゃんにされる前に、強引に実行したのが今回の騒ぎか」
そして、報告があった北のみ邪神が出ていないことを鑑みれば。
大佐と接触した者は、なんらかのアクションを起こすことには成功したのだろう。
だが、トラブルに巻き込まれてしまっている可能性は高い。
北以外の開放を止められなかったのが、その証拠だ。
北のアジトでなにかあった。
そう見るべきだろう。
情報提供者には生きてもらいたい。
だから、間に合わないのかもしれないが、救出に向かって欲しい。
そして邪神の始末を手伝って欲しい。
俺が北のアジトに急行しているのは、そういった次第があってのことだ。
「あそこか」
しばらく飛び続けて、大佐が教えてくれた住所へと近付く。
目的の場所は目をこらさずとも見つけることができた。
ほとんど廃屋になりかけの家屋が立ち並ぶ、とある一角に、ぽつん、ぽつんと男が二人居た。
民間人は避難しているはずなのに、二人そろって立ちんぼ中。
レッドコートは着ていない。
軍人ではない。
避難勧告を無視して集まっているということは、つまり――
「種族主義者、か」
一層力を込めて加速。
瞬きを一度する合間に、間合いを詰める。
怪しい二人の前に着地する。
急に人が空から降ってきた。
普通に暮らしていれば、まず体験し得ない異常な事態。
だから、二人はほとんど同時に目を丸めて、驚きを表現して。
そして、きっと睨んで。
「誰だ! きさっ――」
汝、何者か、と片割れが怒号とともに俺の正体を問うも。
だがしかし、答える義理は俺にない。
一人の男が言い切る前に。
強化。
ステップ。
男の背中に回って。
「がっ」
延髄に一撃。
意識を奈落の底へ叩き落とす。
しばしのおねんねを楽しんでいただく。
「な、なに? おい! お前、また気を……」
目の前に居た俺が消えた直後に、隣に居た同胞が倒れた。
残る一人は、その事実に大きい驚く。
当然彼にも夢の世界へ旅立ってもらおう。
「げっ」
一人目と同じ手順で、意識を奪う。
膝からがくり。
地に伏す。
「……すまないね。起きたとき、かなり痛むだろうけど。念のためだ。膝、外しておくよ」
しばらくは目が覚めないだろうけど、はやく起きられると面倒だ。
万一起きて、助けを呼ばれないためにも、二人の膝を外しておく。
眠っている相手にそれをするのは、拷問をするようで、後味はとても悪い。
整復が容易となるように、綺麗に外してはおいたが、所詮は俺の自己満足だろう。
「情報によれば。裏手に地下への入り口があるはず」
罪悪感を覚えつつも、邪神が封じられていると目される、地下へ通ずる階段。
こいつを見つけて、はやく地下に向かわねば。
そして邪神を片付け、トラブルに巻き込まれているかもしれない、国憲局員を救出しなければ。
幸い、入り口はすぐに見つかった。
バラックに相応しい、粗末な木製の扉。
押してやると、見た目に違わぬ耳障りな音を立てて、ガタつきながらも扉は開いた。
扉の向こうには、分厚い闇の緞帳が幾重にも折り重なっていた。
前が、見えない。
「本当に真っ暗だ」
目に魔力を流す。
視力を強化するというより、より敏感に光を捕らえるようにイメージ。
そういう風に工夫すれば、暗闇でも十分に視界を確保できる。
魔法の効果はてきめんだった。
松明を持っていないのにもかかわらず、視ることに不自由はしなくなった。
「ここは……あの噂の場所なのかな? その昔、脱走兵がらみの」
戦場に赴いた兵士、全員の士気が高いわけではない。
それは人類の存亡を賭けた、邪神戦争でも例外ではなかった。
どうしても生きて故郷に帰りたい。
そう願う兵たちが、度々脱走を企てて、発覚ののちに処罰されるのも、従軍生活の風物詩であった。
ゾクリュも例外ではない。
それも逃げ出すために数人が結託して、地下トンネルを掘っていたが見つかった―――
なんて噂話がさもありなん、と頷ける程度には、脱走兵は身近な話題であった。
「つるはしの跡が目立つし、足元だってでこぼこ。出来からみて軍命や民間によるものじゃなさそうだ。最近出来たものじゃなさそうだし、ますます噂話染みてきた」
カビのにおいと、文字通りのアンダーグラウンドな香りに満ちた階段を行く。
下に居る者に悟られないように、極力足音を殺しながら。
階段はずいぶんと長く続く。
神経を張って歩き続けて、疲労を覚える程度には。
いい加減、暗い道を行くことにうんざりしてきた頃合い、鼻が異臭を捉えた。
「腐敗臭」
ほとんど口の中でそう囁く。
しかもそのにおいは血液由来のもの。
底が近い。
気を引き締めないと。
一層注意深く歩みを進めて。
そして到着。
階段が終わり、右に折れる曲がり角。
この先が問題の場所だろう。
一気に躍り出るのではなく、一度階段の壁に背中を預けて。
そっと覗き込んでその先を確認。
二階建ての家屋ならば、すっぽり入ってしまいそうなほどに高い天井。
ひどく頑丈そうな鉄格子。
その内にで蠢く、邪神。
あれは翼竜級か。
なかなかに厄介な相手だ。
その他は身なりと体格の良い一人の男と。
その男に足蹴にされて、いたぶられる、一人の女。
二人とも、はじめのうちは、認識阻害の外套を着ていたらしい。
男女のすぐそばの地面には、くしゃくしゃになった二つの外套が転がっていた。
男の方はとんと見覚えはなかったけれど、女の方は初見とはまったく言い難かった。
むしろ――
「レミィ……!」
その逆、知己であった。
またしても、口の中で囁く。
独立精鋭遊撃分隊の戦友の名を。
そして直感で理解した。
今、足蹴にされているレミィが、きっと大佐に情報を渡した国憲局員で。
口元にニタニタ笑いを浮かべるこの男が、種族主義者であることを。
そうであるならば。
「誰だかはわからないが。随分と無粋じゃないのかね? 他人の領域を訪れるときは、ノッカーを使うこと。それが礼儀というものじゃないのかね?」
レミィを助けなければならない。
そう思って、脚に魔力を込めた瞬間と、男が嘯いたタイミングはまるっきり一緒であった。
男の言葉は間違いなく俺に向けられていて。
その補完、と言わんばかりに、ゆったり。
とても優雅な所作で男はこちらを振り向いた。




