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第四章 二十三話 状況、変化

 苦戦の報が次々と押し寄せているから、という理由もある。


 だが、しかし、守備隊司令室の空気はそれを考慮したとしても、なお、重々しかった。


 葬儀を連想させるほどに、ヘビィな空気の源はなにか。

 それはつい先ほど、伝声管から響いた、現場のとある報告、いや要請であった。


 ――これ以上の戦闘継続能わず。最終フェーズへの移行求む。


 司令室に詰める、みなが忌避する味方撃ち。

 それをしなければならなくなってしまった。

 これが沈鬱な空気の原因であった。


「……大佐」


 最も味方撃ちへの拒絶反応を示す、ソフィーの声。

 嫌だ。味方を撃つなんて絶対に嫌だ。

 下唇をきゅっと噛んだ彼女の表情からは、そんな内なる声が聞こえてきそうだ。


 だが、これも任務であれば感情を押し殺さなければならない。

 その軍人が義務がきちんとできているあたり、彼女はやはり優等生だ。


 ソフィーに呼ばれたナイジェルは改めてそう思った。


「なんだい」


「砲兵からの連絡です。砲撃準備完了。いつでも撃てるとのことです」


「そっか。ありがとう」


 慌ただしく仕事をこなしつつも、耳を傾けていたらしい。

 司令室中の視線が、自身に集まっていることを、ナイジェルは肌で感じていた。


 仕方がないとは重々承知しているけれど、どうにかならないものか。


 彼らの視線を言語化するのであれば、きっとこのようなものだろう。


 もう幾度もこのような状況を経験しているはずの、老兵たちもその手の目の色をしていた。


 そして、やはり軍人である以上、その思いはナイジェルとて同じ。

 今、このときにおいても、なにか解決策はないか。

 それを探すために、必死に頭を回転させ続けていた。


 だが、いくら考えても。

 状況を打開する起死回生の一手が浮かんでこなかった。


「……大佐」


 またしても、ソフィーの声。

 すがるような弱々しい声。

 なんとか頑張って、奇手を思いついてくれ。

 そう願っていることを、容易に想像させる、そんな声。


 だが、ナイジェルにとっても心苦しいことなのだが。

 彼女の声に応えることはできそうになかった。


「……時間切れ、だよ」


「っ」


 ナイジェルのため息とともに呟いたその一言。

 それは司令室の空気をさらに重たくするのには、十分な威力を持っていた。


 せめて、刑を執行するための綱は自分で引かねばならない。

 部下が抱くであろう罪悪感を少しでも和らげるために。

 ナイジェルは一歩を刻む。

 伝声管の方へ。

 自らの声でもって、砲撃開始を、殺害開始を告げるために。


「――砲兵隊に告ぐ。目標、南方展開部隊交戦地。直ちに砲撃を――」


「大佐! お待ちを! 発光信号きました!」


「何処から?」


「南方です! 解読します!」


 砲撃命令を下す、本当にその直前。

 屋上の物見櫓から声、届く。


 どうやら、砲撃を与えんとしていた、南方の部隊から報告がやってきたらしい。

 

 いま、まさに信号を解読しているのだろう。

 伝声管からの声は途絶えた。


 二拍、三拍、四拍。

 大した時間ではないはずなのに、非情な命令を下そうとしていたナイジェルには、その間はとても長いものに思えた。


 とても都合の良いことは自覚しているけれど。

 どうか、砲撃中止の要請であってくれ。


 心からそう願ったために、時間の感覚に狂いが生じたのだ。


「……内容は?」


 とうとうその間に耐えきれなくなったか。

 ナイジェルは自ら答えを求めるに至る。


 それでも伝声管の向こうは答えようとしなくて。

 待ちきれぬ、とばかり、ナイジェルが二言目を吹き込もうとしたその瞬間。


「お伝えします! 砲撃中止、当方邪神の撃滅に成功! 繰り返します! 砲撃中止、邪神の撃滅に成功!」


 一瞬の間。

 しんとした静寂。

 そののちに。


 司令室に歓喜の声が湧き上がった。

 全員の肩の力がすうと抜ける音もした。


 良かった。

 仲間を自らの手で殺さずに済んだのだ!


 望外の朗報に、一気に部屋そのものが明るくなった気がした。


「誤報ではないよね?」


「はっ! 何度も確認しましたが、誤りはありません!」


「そっか。そいつは良かった」


 誤報ではない。

 その言葉を聞いて、ようやくナイジェルの肩の荷も降りる。

 事態の打開があまりにも急すぎたのが、気になると言えば、気になるのだが、兎にも角にも良かった。


 だが、しかし、とナイジェルは気を引き締め直す。

 

 まだ、一方面の防衛を終えたばかり。

 戦闘は未だに続いているのだ。


 だからにわかに生じた、このちょっとしたお祝いムード。

 この空気を追い払うための一言を述べる、そのタイミングをうかがっているときであった。

 報告というよりも、伝声管が声を拾ってしまった、と考えるべきか。

 不吉な声が真鍮製の朝顔型のラッパから漏れ出てきた。


「おい……なんだあれは?」


 訝しみの声。

 なにか見慣れぬものを見てしまった。

 そんな体にあふれる声であった。


 計らずして、その声は弛緩した司令室を引き締め直す役割を果たした。

 

 なにか厄介事があったのか。

 急に口を閉ざした軍人たちの意識が、真鍮製の朝顔に集中した。


「どうした?」


「いや。南方から。なにかが飛んできて……こっちに、うわっ!」


「なにがあった? 報告を」


 そして緊張が走った。

 物見櫓の言葉が途絶えたそのときに聞こえた音。

 なにかが物見櫓に飛び込んできて、そのせいで兵が尻餅か、あるいは倒れ込んでしまった。

 そんな様子であった。

 

 穏やかな音ではない。

 アクシデントが発生したことを容易にうかがわせる音。


 もしや猿人級の最後っ屁の投石。

 これが直撃したのやもしれぬ。


 それを確かめるためにも、なにがあったのか。

 状況報告を求めるナイジェルの声に、物見は返答せず。

 

 二拍、三拍。

 無言の間が訪れて。

 そして。


「……お騒がせしました。そしてお待たせしました。スウィンバーンです。南方の加勢をしていましたら遅くなってしまいました」


 ようやく伝声管から流れてきた。

 司令室の空気は再度弛緩。


 なるほど、状況の好転が、あまりにもはやすぎた理由とはこれであったのか。


 もうなりふり構っていられぬ、と救援要請を請うた相手、ウィリアム・スウィンバーン。

 どうやら彼は、寸でのところで間に合って、敵を片付けてくれたようだ。


「いえ。謝罪なんてとんでもない。むしろ、こちらが感謝しなければなりませんよ。貴方が間に合ってくれたおかげで、僕は部下を自らの手で殺さずにすみました。ありがとう」


「礼を言われることは、なにも。それよりも、他の交戦地はどのような戦況でしょうか」


「西方はいいですよ。途中でプリムローズ大尉が加勢してくれましたから」


「クロードが、ですか。それは安心しました。彼は現場指揮官としてはとびきり優秀ですから」


「ええ。今、現場の指揮権は彼に譲渡しています。おかげで、あそこだけは優勢。敵の殲滅も時間の問題でしょう。しかし――」


 ナイジェルは言葉を句切る。

 そして語調を変える。

 これまで楽観が支配的であった口ぶりから。

 その主成分が一気に悲観へと急変。


「東はそうはいきません。現在フェーズスリーです。しかも、ここもいつ最終フェーズに移行してもおかしくはない程度には苦戦しています。申し訳ないですが、ウィリアムさん。今からひとっ飛びして――」


「ああ。それは多分必要ないでしょう。ヘッセニアを東に向かわせました。そろそろ現場に着いているころでしょうから、まもなく――」


 その次に続く言葉は、果たしてなにであったか。

 知り得る機会は永久に失われてしまった。


 まったく唐突に、雷にも似た地響きが発生。

 今の音は一体。

 きっと市井の人間であれば、そう思うことだろう。


 だが、しかし、ナイジェルは軍人であった。

 今の地響きの正体が爆発によるものだと、瞬時に理解した。


 音は……東の方角から聞こえた。

 ナイジェルは振り向いて東の窓見る。


 すると痩せた原野が広がる郊外には、地から天高くへと伸びる一筋の土ぼこり。

 砲撃によるものではない。

 大量の爆薬に発破を掛けたときに見られるものだ。


 そして、たった今知り得た情報から察するに。

 あれは――


「ヘッセニアさん。ですか」


「ええ。そうでしょう」


 半ばうんざりとした様子のウィリアムの相づち。

 はじめナイジェルは、ウィリアムがなぜ、呆れた声をあげたのか。

 それをまったく理解できなかった。


 だが、土煙があがった東をじっと見つめていると、その答えがおぼろげながらつかむことができた。


 土煙からぱらぱらとこぼれ落ちる、芥子粒様のなにか。

 あれはきっと、ヘッセニアが吹き飛ばした邪神の身体の一部なのだろう。


 普通、それはヘッセニアがきちんと討伐した証。

 むしろ喜ぶべきサイン。


 で、あるのだが――


「花火、みたいですね」


 自由落下に任せて真っ直ぐ落ちるはずの肉片。

 それがどういうわけか空中で突然跳ねて軌道を変えて、小さな爆発を起こして、さらに微細な破片となるのである。


 空中で発生する複数の爆発。

 その様はナイジェルが称したとおり、打ち上げ花火そのものであった。


「発光信号。敵、撃滅。しかし、ヘッセニアめ。さては、あいつ遊んでるな? 芸術点重視の爆発を起こしやがって……」


「僕としては十点満点を差し上げたいですけどね」


 さらにげんなりした声色をウィリアムは絞り出す。

 戦友がふざけて邪神に相対したことに、強い恥を感じているようであった。


 姿は見えないが、きっと、今、彼は頭を抱えていることだろうな、とナイジェルは思った。

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