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第四章 十六話 マッチポンプ

 雲に覆われたが故に、月のない夜半。

 光源に乏しく、本来であれば外を出歩くことすら難儀する夜のことであった。


 街路灯のない、ゾクリュの外れ。

 スラムというか、廃墟群というか。

 その判別に困る、寝静まった街並みに、わずかながら動きがあった。


 立ち並ぶ荒廃が進行した建物の中で、一等くたびれた木造バラック。

 そこの扉がわずかに開いて、内から大小二つの人影、ぬるりと外へ。

 そして廃屋通りから、街の中心部へ抜けて――という真似はせずに、そのままバラックの裏手へと歩む。

 

 裏手には正真正銘、文字通りの裏口があった。

 世間一般の裏口と異なる点は、歩哨のつもりなのか。

 堅気ではない気配を漂わせる、体格のいい男が、扉を守るように立っていたことであろう。


 二人は、歩哨もどきの男に軽く挨拶。

 歩哨は通しても問題ない、と判断したらしい。

 大柄な見た目に違わぬ鈍重な動きで、扉への道筋を開放した。


 耳障りな音をたてて、おんぼろな扉は開け放たれ、二人はその内側へと歩む。


 かび臭さが二人を出迎えた。


 けれども、二人が知覚できたのはそれだけであった。

 扉の先には照明がなく、真っ暗闇であったのだ。


 だから男が持つ魔法着火式のカンテラに火が入れられるまで、裏口の先がどのような場所になっているのか、それをうかがうことができなかった。


「地下。あるんだ」


 ぱっとカンテラの暖色光が灯ったことの一言は、小さな影、エルフのレミィのものであった。

 光が照らす先にあったのは、土を突き固めただけの簡単な下り階段。


 随分と長く続いているらしい。

 カンテラの光が届かない先にまで、階段は伸びているようであった。


 先の見えない暗闇を行くというのは、やはり勇気が要るシチュエーション。

 しかし男は逡巡の様子を、一切見せず、あっさりと第一歩を踏み出し階段を下ってゆく。


 その様子から鑑みるに、男にとってここは、勝手知ったる自分の庭であるらしい。


 なら、道案内を任せても大丈夫だろう。

 そう言わんばかりにレミィもまた、躊躇いのない足運びでもって、男に追従した。


 こつりこつり。


 粗い掘り跡目立つ下り階段に、二人分の足音、響く。

 それ以外に音はなく、まさに閑寂、と呼んで差し支えないほどの静寂であった。


 しかし、その閑寂は長くは続きはしなかった。

 レミィの前を行く男が、芝居がかった口ぶりで、言葉を紡ぎ始めたからだ。


「ここは幹部のそのまた幹部。つまり、組織の一握りしか立ち入ることが許されていない場所さ。粛々としていて、身が引き締まるだろう? まるで神殿に居るような気分だ」


「皮肉。社会を、そして世界を混乱のるつぼに叩き落とそうとしている悪党の私たちが、神聖だなんて」


「ところが、それは皮肉でもなんでもないのだよ」


 背中越しではあるが、男が得意げな笑みを浮かべたことが、レミィにはわかった。


「なあ。人が宗教に傾倒する条件とは、なんだと思う?」


「生憎。私は神学と宗教学には詳しくない。とんと見当がつかない」


「答えはね。理不尽に遭遇したときだよ」


「理不尽?」


「そう。理不尽。ヒトという生物はね、知性が発達してしまっている。だからこそ、よろず分析したがるのさ。嬉しいこと、楽しいこと、頭にきたこと、悲しいこと――それらの理由を分析せざるをえない、そんな業を背負っているのさ」


「不可解。その業が宗教にどう関係すると? それが理不尽にどう繋がると?」


「ヒトは理不尽な目にあったときでも、その知性で分析しようとする。ところが、だ。理不尽なことに、原因は存在しない。だから、いくら分析したころで、理由も原因も突き止められない。だが、そうだとしても、人間ってやつはその事実を認めたがらない。すると……どうなると思う?」


 さて、見当もつかないね。

 未だ底の見えぬ階段を歩みながら、思い切り肩をすくめて、レミィはジェスチャーで意思表明。


 当然、それは男の背中での出来事で、本来彼は知り得るはずもない。


 だが、先のレミィと同様、彼女の表情を雰囲気で感じ取ったらしい。

 どこか満足げな鼻息を一つ漏らして、男は話を再開させた。


「二つのパターンに分かれる。一つは、荒唐無稽だと自覚しつつも、与太話に妥当性を見出し、それに傾倒する。神の怒りがその最たる例だ。だから、原因の求めようもない大災害に見舞われたあとでは、敬虔な人間があちらこちらに誕生する。宗教が躍進する」


「得心。では、もう一つのパターンとは?」


「敵を作ること。誰かのせいにすること、さ」


「八つ当たり」


「そうとも言える」


 身も蓋もない、レミィの言い草は男の歓心を買ったらしい。

 男はくつくつと喉を鳴らして低く笑った。


「君は知らないかもしれないがね。かつて多様人の間では、魔女狩りという集団ヒステリーがあった。戦乱、飢餓、伝染病。様々な社会不安を、魔女のせいと見なしてつるし上げていた、そんな負の歴史だ」


「野蛮」


「その通り。だが、その時代を生きていた彼らは、それで問題が解決すると信じていた。敵さえ居なくなれば、元の穏やかな暮らしに戻れる。そう、心の底から信じていた」


「不透明。なにが言いたいのか。それがまるっきり見えてこない」


「なに。魔女狩りの種は、今も生き延びているってことさ。世の中は平和になったとはいえ、だ。民草の間には未だ疑問がくすぶっている。どうして、私たちは邪神に襲われねばならなかったのか、とな」


 そう思っているから、どうなるというのだ。

 未だレミィは男の話に得心がいかなかった。


 たしか、この男も王国の貴族だったか。

 かつての上司、クロード・プリムローズもそうであったが、どうして王国貴族というのは、こうも話が回りくどいのだろうか。


 そんな苛立ちが、彼女の心に差し込んできた頃合いである。

 二人が階段を降り終えたのは。


 階段の下は、広く、そして天井の高い空間であった。

 食料の貯蔵庫として用いるには広すぎる。

 地下牢として使うのが適当だな、とレミィは思った。


 そしてどうにも、彼女のその推察は誤っているものではないらしい。


 階段を降り終えるや否や、カビとは別の生臭さが鼻をついた。

 戦場でありがちな、血が腐敗したにおいだ。

 そして、ちらと男の前方に太い鉄格子が見えることからも、なおレミィの感想に妥当性を補完した。


 なるほど。

 歌劇座の連中が捕らえた者共を、ここに移して潰したわけか。


 さらに考察を深めるレミィであったが、しかし――


「なっ」


 声を漏らして、思考を止めねばならない事態が、目の前に現れた。


 階段を降り始めて以来、ずっと背を向けて先を歩んでいた、彼女の同衾相手。

 彼が半身になってレミィを見たそのとき、彼女は見えてしまったのだ。


 男のその先にある太い鉄格子。

 そこに捕らわれているモノの正体を知ってしまったが故に。

 レミィは絶句せざるを得なくなったのだ。


 快哉と言わんばかりに男の顔が、にたりと歪む。

 レミィの表情の変化は、彼の悦に入ったようであった。


「そこで……私たちは民衆に教えてやるわけだ。邪神に襲われた理由を。統合が進んでしまっているからだ、と。過去例を見ないほどに、四人類が宥和しているこの世情下。さて、そんな与太話が流布し、事実、その通りに邪神の襲撃を受けたのならば……世界に再び魔女狩りの旋風を、巻き起こると思わないか?」


 鉄格子の内に捕らえられていたモノ。

 それは人類の天敵であった。

 邪神であった。


 翼を有した空駆けるヘビ、翼竜級。

 

 それが数体、ずるずると地べたを這い回って、頭を二人にむけて。

 そして鎌首をもたげて二人を、じろりと睨み付けた。

 だらだらと口から唾液を垂れ流しながら。


 邪神がただただ、この場に偶然出現した、と考えることは無理があろう。


 直前の男の言葉を鑑みるに、どのような手法を用いたか。

 その見当はレミィにつかなかったけれど、彼らが何処かから運んで、牢に放り入れたことは間違いないだろう。


 そして、翼竜級がこうして唾液を垂れ流して、二人を睨んでいることから、連中が空腹であることがうかがえた。


 邪神の食料とはなにか。


 それはつまり――


 レミィの頭蓋の内で、ようやく話が繋がった。


「家畜とは、なるほど、いい喩えだ。その通り。彼らは餌だ。こいつらを強く育むための、な」


 男の粘っこい笑声が地下牢に響く。


 その声は邪神の空腹中枢を刺激するものであったのか。

 地面を叩く尾に、翼竜級は一層の力を込めた。


 人類への野性的な害意は、鉄格子の内側に存在していた。

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