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第四章 十四話 現実逃避と現実

 湿り気をたっぷり帯びた水の香りに、生命感あふれる、青草の匂い。

 ガマが生え、スイレンは浮かび、親ガモと、独り立ち寸前の子ガモがゆったりと水面を滑る――


 そんな穏やかな池がそこにあった。


 もし、今もなお前線で戦う兵士がそれを見れば、きっと心安らぐことだろう。


 そして自らの生業に自信を持つことだろう。

 人によっては、涙を流すかもしれない。

 人類の未来を守るために、命をかけて戦うことが、無駄でなかったと知るからだ。


 今も激戦を繰り広げる最前線。

 その少し後方の、司令部近くにその池はあった。


 前線に赴けば、この手の類いの風景は一切見ることができない。


 雨あられと降り注ぐ砲弾によって、土地そのものが破壊されてしまっているからだ。


 この穏やかな池があるのは、前線で邪神の侵攻を抑えている証拠と言えよう。

 だから兵たちは、大きな感動を覚えるのだ。

 ちっぽけな平和は守れていると知るから。


 この平和な光景を、邪神に蹂躙されてはならぬ。

 こののどかな池を、荒れ地に変えてはいけない。

 もう一度この池を眺めるために。

 いつの日か、子供たちがこんな場所で、遊び回れる日を作るために。


 さあ、お前たち!

 一緒に、命をかけて戦おう!

 他でもない未来のために!


 池を眺めた兵たちは、その思いを合い言葉に戦場へと赴いていくのだ。

 士気を大いに上げて、勇気を胸一杯に抱いて、前線へと行進していくのだ。


 自分は死んでしまうかもしれないけれど。

 でも、自分の子が、誰かの子が。

 こんな風に穏やかな世界で、生きていけるならば――


 各々に、そんな勇敢で悲壮な覚悟を抱かせる、不思議なパワーに溢れる池。

 そういった意味では、この池は、人類の勇気の源泉、と言い換えるべきかもしれなかった。

 一種の神聖さすらかもし出してる、といえよう。


 しかしながら、不信心と言うべきか、なんと言うべきか。


 神聖さに感化された雰囲気。

 それが、これっぽっちも感じさせない瞳が二対あった。


 ガマが立ち並ぶ池のほとりの、その更に外側。 

 ヨシの原にて腹ばいになって、のんびりと泳ぐカモの親子に、奴らは熱視線を注いでいた。


 身を潜めているのは、男女のペアだ。


 男はくすんだ赤い髪を持った、人の良さそうな碧眼が印象的な、小柄な男。

 灰色の目を持つわけでもなく、背が低いのでもなく、耳が尖っているのでもない。


 きっと多様人であろう。


 対する栗色の髪を持つ女は、一目にしてわかる身体特徴を有していた。


 長く、尖った耳。

 そして、陶器人形を連想させる、整った相貌。

 間違いない。


 時に森の妖精たち、とも讃えられる、美しい人類。

 エルフであった。


「親が一羽に……子は六羽か」


「僥倖。まったくもって、都合がいい」


 ひそひそと男女のささやき声。

 息を殺しているのは、カモに気配を悟られぬためだろう。


 特にエルフの女の方は、どうにも感情の起伏が生来乏しいらしい。

 表情筋を一切動かさず、口元だけを動かして声を出していた。


 さて、二人の目の色は、とても俗っぽいものである。


 目の前の光景に感動しているとか、癒やされているとか、そんな様子は一切ない。

 ただただ血走った目でもって、カモを眺めていた。


 それは、そう。

 まるで獲物を狙う肉食獣にも似た、そんな剣呑なもの。


 さらに、なんとも情けないことに、である。


 その比喩は、まったくもって正鵠を得ているのだ。

 むしろ、比喩ですらなく、事実そのままなのである。


 その証拠とばかりに、彼らの手にあるのは、平穏な風景とはまさに対をなす、不穏な塊があった。


 ユナイテッド・アームズ・パーカッションリボルバー。

 正真正銘の凶器が、そこにあった。


 悠然と泳ぐカモを前に、銃器を握りしめ、息をひそめる人間の図――


 誰がどう見たって、そいつは狩猟のワンシーンであって。

 そして事実、彼らはカモ肉を腹に収めることを、心から所望していた。


「気付かれてないかな」


「大丈夫。気付かれてたら、もうちょっと急いで泳ぐ。最悪飛ぶ。でもカモは、呑気に泳いでる。それは気付かれていないことの、なによりの証明」


「そかそか。なら、もうちょっと、近付いてもいいわけだ」


「不要。これ以上だと気付かれるリスクがある。ここから撃った方が懸命」


「でも、ここからだと……有効射程ギリギリだぜ? ライフルなら余裕だけど、拳銃じゃあキツくないかね。レミィさんや」


「笑止。ウィリアム。まだ有効射程内。余裕。この程度で外すようじゃ、独立精鋭遊撃分隊の名折れもいいところ」


 おまけに、なお、救いようのないことに。


 彼ら二人は、兵士らの間で半ば戦場神話と化した功績を誇る、独立精鋭遊撃分隊の一員であるらしかった。


 彼らが戦場にやって来れば、生きて帰ることができる。

 この戦闘を勝つことができる。


 戦場において、兵らにそんな希望を抱かせる、彼ら独立精鋭遊撃分隊。

 自然発生的に成立した戦場神話の、その信仰対象である、彼ら独立精鋭遊撃分隊。

 人類の希望を背負い込む、彼ら独立精鋭遊撃分隊。


 ウィリアム・スウィンバーンも、"赤"の"読み手"の"レミィ"も、本人たちがあずかり知らぬところで、神の領域に近付いている。


 それだというのに、今の二人ときたら。


「俺は君と違って、最大射程内なら問題なく的を当てれるほど、上手くはないんだ。ま、有効射程内なら話は別だけど」


「既知。だから、今ここで片をつける。豊かな夕食のために。外さないで」


「ああ、外さないさ。もう硬パンだけの夕食は、うんざりだからね。君も、万一がないように気をつけて」


「心配御無用。我らエルフは狩猟の民。狙った獲物は逃さない。それが矜持。なにより、私も美味い肉が食べたい。死ぬ気で狙う。邪神を撃つ時よりも」


「そいつは心強い」


 食い意地に満ちあふれた目でカモを眺める始末。

 あるいは、邪神に対峙する時以上に、殺意みなぎる眼差しでカモを睨んでいた。


 もし、敬虔な彼らの信徒が居たとするならば、その信仰心は一気に霧散してしまうことだろう。

 そこまでの、とてもみっともない姿であった。


 しかし、件の二人は今もさらし続ける醜態を、一切気にせず。


 迷う素振り一切無く。ゆっくりと銃口を池へ、カモへと向けて。

 狙いを定める、その寸前。


 栗色の髪のエルフがぽそりと呟いた。


「提案。ウィリアム。あなたは親を撃って。子供は全部、私が」


「了解。六羽中、何羽打ち抜くつもりなんだい?」


「愚問。決まっている」


 狙いを定めている最中、これまで無表情を通してきたレミィの面持ちに変化が生じた。


 ほんわずかに、眉を上げて、口角をつり上げて。

 文字通りの微笑を作り出して、一声。


「六羽。全部」


「頼もしい」


 直後、銃声響く。


 取り立てて示し合わせた訳ではなかった。

 しかし、二人が引き金を引いたのは、ほとんど同時であった。


 ◇◇◇


「で、レミィは本当に宣告通り、六羽全部見事に打ち抜いてくれたんだ。まあ、そこまでは良かったんだけどさ。そのあと、ちょっとしたトラブルが起きちゃって。大変だったんだよ」


「トラブル、ですか?」


「そう。どうにも司令部に、そのカモの親子に餌付けしている人が居たらしくてさ。餌をやりに来ちゃったわけ。しかも、池にぷかぷか浮いてる、獲物を回収しているその時に!」


「そ、それは……気まずいですね」


「気まずいってもんじゃなかったよ。その餌やりの彼が、そりゃもう、烈火の如く怒っちゃってね。俺たちのカモがー! って泣きながら追って来るんだから。おかげでレミィ抱えて、カモが入ったカゴを背負って。人間から逃げるために、強化魔法を使ってしまったよ」


 本来であれば朝食を終え、食後の紅茶を楽しむ時間。

 あるいは、真面目に今後のことを話し合うべき時間。


 兎にも角にも、建設的に時間を使うべきなのに、俺は話を飛躍させてしまっていた。


 "赤"の"読み手"の"レミィ"。


 アリスが分隊に入る前にあった、エルフの命名規則に従った、風変わりな名前の戦友との思い出話。


 気付けばそれを彼女に披露してしまっていた。


「ありゃ、傑作だったねー」


 ニタニタと嫌らしい笑みを隠そうともしない、ヘッセニアが言う。


「司令部には、カモの観察クラブってのが非公式に発足していたらしくてね。突然の凶報に打ちひしがれ、クラブ一同でカモの葬式すら開いた、って話を聞いたときのウィリアムの顔ったら、もう真っ青でねー」


「ああ。あれは顔を彼らに見られてなくて、本当に良かったよ……見られてたら、戦場で不幸な誤射をされかねなかった……」


「しかも、レミィがまた空気を読まなかったのが笑えたよな。葬式ならば遺骨が必要だろう、ってカモの骨を届けに行こうとしたんだから」


「美味しかった。ありがとう。って書かれたカードを添えてね。ほっんとサイコで最高だったわあ」


「あれも大変だったな……レミィ、頑固だから。なにがなんでも届けようとしてて。止めるのは本当に骨だった……」


「骨だけに?」


「……そういう意図はない。魔族の間じゃ、そんなギャグがポピュラーなのかい?」


 あの時を思い出して、ゲラゲラ笑うヘッセニアとクロード。

 むろん、必死にレミィを止めるその時も二人は、腹を抱えて笑っていた。


 俺が悲劇的なフレンドリィファイアを防ぐべく、必死に働いていたというのに、奴らときたら今も昔も、変わらずこうして人の不幸を楽しんでいやがる。


 本当ならば、彼らは俺に感謝しなければならないのに。

 クラブ会員は、一小隊を組めるほどの人数は居たとの話だ。


 怒り狂った彼らが、俺らの宿営地目掛けて大砲をぶっ放す、なんてことも、ない話ではなかったいうのに。


 そんな事態を未然に防いだ俺は、褒め称えるべき英雄であるはずだ。


「だが、しかし。まあ、今となっては、それも楽しい思い出ってやつじゃねえか」


 今のクロードの台詞は、何気なく言ったものだろう。

 言ったクロード本人も、笑声混じりだったし、そのことから深い意図はなかったことがうかがえる。


 本来だったら、取るに足らない台詞。

 まったくまったく、然り然り、と頷けばいいだけの台詞。


 そうだというのに、場はにわかに沈黙に包まれた。

 それも飛び切り気まずいやつ。


 理由はわかっている。

 現実に戻されてしまったからだ。


 そう、今の今まで俺たちが、思い出話に花を咲かせていた、その理由。

 ひとえにそれは、現実逃避をしていたからだ。


 どういうわけかは知らないが。

 レミィ本人はエルフだというのに。

 多種族との共存を認めない、種族主義に加担してしまっている。


 その可能性が濃厚となってしまった、現実に引き戻された気がして。

 それでも本心では現実を認めたくなくて。

 だから、みんなこうして押し黙ってしまっているのだ。


「……ホント。楽しかったのに、なあ」


 クロードの言葉の返事を、何拍も遅れた後にする。


 やはりというか、当然と言うべきか。


 俺の呟きに続く言葉は、やはりなかった。

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