第四章 七話 ロクでもないプレゼント
他人の家にやって来た客というものは、普通、借り物の猫のように大人しいものだ。
いくらホストとゲストの関係が親しくても、だ。
家に足を踏み入れる第一歩は、どこか遠慮しがちなものとなる。
お邪魔します、と言って、心持ち肩幅を狭めて玄関をくぐるもの。
ただし、その普通ってやつは、あくまで傾向では、という話だ。
つまりはそんな態度にならない人間も、まったくゼロではないってこと。
より突っ込んで言えば、その傾向から外れている人間。
そいつが今、俺の目の前に居た。
屋敷の応接間にある、上質な黒革張りのソファー。
その人は遠慮する素振り一切見せず、それはそれは実に偉そうにソファーでふんぞり返っていた。
まるで、この屋敷の主は私である、と言わんばかりの態度である。
真っ当なホストであれば、何と無礼な、と眉をひそめかねない態度だ。
それどころか……
「なに!? この屋敷にはコーヒーがないだと!? アリス、ウィリアム! まーだ、紅茶だなんて、お高くとまったスカし汁なんぞ飲んどるのか! 刺激が足りんわ! もっと刺激のある人生を送れと、あれほど言い聞かせたというのに!」
この屋敷にないコーヒーを寄越せという、ワガママを言う始末。
もはや無礼ここに極まれりといったところ。
出て行けと追い出しても、多分許される悪行。
だが、しかし、追い出そうとはつゆほど思わなかった。
俺は無礼な態度だとも感じなかった。
何故であるならば、だ。
このワガママを宣う、とても偉そうなお客は、事実として本当に偉いお方なのだから。
ソファーにふんぞり返り、近衛兵に囲まれるこの人は。
その程度の自儘なぞ、あっさり許されるご身分なお方であるのだ。
そう、この癖のない栗色を持つご令嬢の正体。
勲章じゃらじゃらな陸軍のレッドコートに、特注のロングスカートを着こなす彼女のご身分は。
ただいま王国にて至尊の頂に在します、国王陛下の唯一遺った直子にして。
独立精鋭遊撃分隊の発起人して、戦時中の我らが上司。
王位継承権、第一位メアリー王女殿下であるのだから。
「ええい! 手間をかかせおって! おい! クロード! 聞こえるか!」
「……はっ」
「今すぐコーヒーを淹れるのだ! きちんと焙煎から始めるのだぞ! 良いな!?」
「お言葉ですが。この屋敷に豆がないのでは、どうしようもないのでは?」
「それは問題ない! おい! アレを!」
おつきの近衛兵に一声。
何を要求しているのか。
それをはっきりと言ったわけでもないのに、近衛兵はきちんと殿下の言わんとしたことをくみ取ったらしい。
淀みない動作で茶色い紙袋をどこからともなく取り出すや否や、すたすたとクロードに歩み寄って。
そしてその紙袋を手渡す。
紙袋がくしゃりとへたらないあたり、中はなにかがぎっしりと詰まっているらしい。
「コーヒー豆だ! ミルもその中に入っている! さあ、そいつをさっさと焙煎して、豆挽いて! 私に一杯を饗するのだ!」
「ええ……いかにもコーヒーを一から淹れたことのなさそうな、わたくしに命じますかね。それ」
「なにを言っておるのか! 今の面子をよく見ろ!」
殿下は両手を広げる大げさなジェスチャーで命じる。
この部屋にいる人間をよく観察せよと。
「どいつもこいつも女、女、女! 乙女にコーヒーミルを挽けというのかお前は! 力仕事をせよというのか!」
近衛兵は全員女性で固められていた。
殿下に四六時中ついて、その御身を守るためだ。
きちんと訓練を受けた兵なので、その一人一人にそれなりの腕力はある。
案外力仕事もこなせてしまう。
だから殿下のその配慮はやや不適当。
と、言うかそもそもコーヒーミルを挽く程度、本来力仕事ですらない。
なれば、つまり。
「いやいや……女ばかりって。ウィリアムが居るじゃあないですか」
「察しが悪いな! クロード! 席を外せってことじゃ! ほれ、さっさと豆炒ってこい! しっしっ!」
つまりは人払いの要求だ。
まるで殿下は纏わり付く羽虫を追い払うか手つきそのままの手払い。
いくら王族とはいえ、流石にこれはクロードの神経に障るものであったらしい。
クロードは一瞬唇の端をぴくりと歪める。
ただ、流石は我慢の人と言うべきか。
表在させた不愉快のサインはそれだけに留めた。
不承の態度を一切見せない、とても見事な敬礼を殿下に捧げて。
クロードはつかつかと足早に応接間を後にした。
「クロード。厨房の位置、わかるのかな?」
「それは心配せんでもいい。なにせお前がここに入る前、奴に散々下見させたからな。屋敷そのものには補修すべきところがなかったろう?」
「ああ、どおりで。庭や水車小屋がくたびれてた割には、やけに屋敷が綺麗すぎると思っていたのです」
「補修箇所のあぶり出しといった、細かなところまで目を行き届かせねばならん仕事はな。ああいう生真面目な奴に任せるのに限るのだ。チェック漏れがないからな」
「適材適所、ってやつですね」
「その通り! これが人使いの妙ってやつよ!」
自らの采配がぴたりとはまったことが、余程気持ちいいのか。
門前に引き続き、殿下は再度呵々大笑。
とても豪快な笑い声を上げた。
「そ、それにしても、本当に突然のご来訪ですね。行幸の噂、街ではまったく聞かなかったものですから、本当に驚いてしまいました。宰相様のゾクリュ訪問は聞いておりましたが」
殿下の女性らしからぬ豪快な笑声を久しぶりに見たからか。
アリスが少したじろいだ様子でそう問うた。
たしかに、彼女の言うとおりだ。
宰相コンスタットがゾクリュ訪問することは、守備隊からの情報で知っていた。
だが、行幸の話はとんと聞くことはなかった。
護衛のために、間違いなくゾクリュ守備隊は動員されるはず。
なのに守備隊内はおろか、街での噂話すら聞かなかった。
王族の行幸はまさしく臣民にとっての一大イベント。
慰撫の効果も期待出来るが故に、必ず事前にアナウンスされるはず。
だから、改めて不思議に思うのだ。
メアリー殿下のゾクリュ行幸は、いつアナウンスされていたのかと。
「うむ。知らんで当然だ。なにせ公式には、一切アナウンスしておらんからな。ただ単純に部下の顔が見たくなっただけだ。部下思いじゃろう?」
「それは……街の方が大慌てだったのでは? お持てなしの準備、整えられなかったでしょうし」
「おお。まさに大慌てだったぞ。いやいや、実にあの光景は愉快であった。やはり人をからかうのは、一番の娯楽よ。最近は退屈な公務ばかりでな。ずっと王宮で缶詰だった分、誠に甘美な愉悦であったぞ」
大慌てする現場を見るのはが、さぞ心地良かったのだろう。
その瞬間を回想している殿下の表情は、まさに恍惚そのもの。
……流石は横紙破りの名人というか、破天荒王女の異名を欲しいままにする殿下と言うべきか。
前例もへったくれもなく、ただ部下に会いたくなったからふらっと来たという。
しかも、突然の訪問によって、パニックになる現場を観察して楽しむというおまけ付き。
相変わらず自分の悦楽に忠実なお方である。
「……なんというか。殿下の日々がお楽しそうでなによりです」
「うん? なんじゃ、ウィリアム。そう言うお前は楽しくないのか?」
「いやいや、結構楽しんでますよ。退屈のしない、素晴らしい日々を送ってます……傷付くことも、たまにありますが」
「ふむ、そうか。ならばそんないい日々を、よりよくするためにもだ。私がお前にプレゼントを進呈してやろう」
そう言ってぱちん。
殿下は指を鳴らす。
間髪入れずに、俺と殿下の間を隔てるテーブルに、近衛兵がおもむろに木箱を置く。
決して小さくはない木箱だ。
縦横高さ、共に分厚い本三冊分といったところか。
プレゼントと称した割には、箱には飾りっ気がない。
無垢の木のままで、ヤスリがけも適当なのか、ところどころささくれも目立つ。
まるで弾薬箱といった体だ。
「開けてみるがいい」
期待に満ちた声色で、殿下が告げる。
俺が喜ぶだろうという、そんな期待だ。
どうやらこの贈り物のチョイスに相当な自信があるらしい。
なにを贈られたのだろうか。
懐かしい雰囲気を醸す木箱を手に取って、蓋を開けて。
そして中を覗き込めば。
箱の底に黒鉄の鉄塊がそこにでんと鎮座していた。
ほのかに硝煙のにおいもぷんと巻き上がった。
拳銃のように見える代物がそこにあった。
うん……うん?
気のせいかな。
このプレゼント、とても見覚えがある気がする。
そしてとても物騒な代物なような気がする。
見間違いかな?
二度、三度。
目を揉み込んで、疲れを誤魔化して。
再び箱を覗き込む。
だが、結果は変わらず。
以前としてとても暴力的な贈り物は、そこに居座り続けた。
……いやいや、いくら殿下が破天荒でも、だ。
政治的に危ういから、流刑に処された奴に武器を送ること。
それがジョークで終わらないことは理解しているはずだ。
だから、うん。
これはきっとおもちゃの拳銃。
そのはずなんだ。
でも万が一ってことがある。
ここは念のため、殿下にこいつの正体を聞いた方がいいだろう。
「……殿下」
「なんじゃ?」
「気のせいですかね。これ、拳銃のように見えるんですけど。まさか本物じゃないですよね?」
「面白いこと言うな。見ての通りよ! 勿論、正真正銘の拳銃じゃ!」
だがしかし、現実は誠に非常也。
殿下は子供のようにはしゃぎながら、俺の甘い期待を打ち砕く。
ああ、なんということか。
このお方は、本当に本物の拳銃を俺に贈ってきやがった。
なんて危ういことをしてくれるのだろうか。
あまりのその破天荒振りに、俺はにわかに目眩を覚えて。
殿下の大笑い声をバックに。
テーブルに両肘をついて、がっくり、がっくし。
重たい頭を抱える羽目となってしまった。




