第四章 五話 満腹のティータイム
いつもの通りの、片付けがあまり出来ていない大佐の執務室。
本日のティータイムが行われたのはそこであった。
どこかより調達した紅茶と、ゾクリュに上陸したばかりと話題のチョコレートケーキ。
楽しいティータイムを確約してくれる、素敵なコンビが卓上に広がっていた。
だがしかし、そうだというのに、俺はフォークを手に取ろうとは思わなかった。
甘い物が嫌いだとか、チョコレートが苦手だとかいうわけではない。
ただただ単純に、腹が膨れてとてもではないが、物を食べる気にはなれなかっただけだ。
なにせ中央公園から、寄り道せず真っ直ぐに守備隊の隊舎までやってきたのだ。
昼食を摂ったのは文字通りついさっき。
ティータイムに耽るにはいささか早すぎであった。
だが、よろず物事には例外はあるもの。
なんとも恐ろしいことに。
「美味い!」
信じられないことに。
「甘い!」
俺よりもずっとずっと多く食ったというのに。
「素晴らしい!」
ぱくぱく、ぱくぱく。
まさにがっつくという表現がぴたりと符合する様にて、ケーキを食らう者あり。
その人は俺の隣に居た。
応接のための革張りソファーに座す、エリーである。
公園でも見せたあの健啖振り。
それを今、再びこの場で存分で見せつけていた。
しかも彼女が今食べているケーキは、実は二個目である。
一個目は瞬く間に消えてなくなってしまった。
そのことを考えると、一瞬でなくならないあたり、二個目の今は、味わうためにゆったりと食べているようである。
もっとも、ゆったり、とは言ってもあくまで彼女比での話。
ケーキはフォークで削られていく速度はやっぱり早くて。
見る見る内にその姿は小さくなっていった。
「……いやあ。よく食べますねえ」
感心したような、呆れたような声で感想を紡ぐは、机を挟んで対面に座す、フィリップス大佐。
先ほど部下に買わせたチョコレートケーキは、当然彼の目の前にもあった。
ケーキは鋭角が僅かに欠けている。
皿にフォークを置かれているところを見るに、一旦食べるのを止めた、と見るべきか。
大佐も甘い物が好きだ。
デザートを前にすると、それはもうよく食べる。
人の話を聞かないくらいに夢中になって食べる。
それも結構速いペースで。
そんな彼のケーキを進める手を止めるくらいには、エリーの食べっぷりは目を奪われるものであるようだ。
「美味しい物は、より多く食べないと損じゃない! その土地毎に存在する多種多様な料理! これは人類の素晴らしい美点だと私は思うの! だから、旅してあちらこちら回ってるの!」
邂逅のときの盗み食いといい、どこかの街の食い逃げといい、ケーキにつられての翻意といい。
出会って以来、彼女の行動の根底には食い物の影があるな、と思ってはいた。
しかし、なるほど。
そもそも旅に出た一つの動機が食い物にあるのであれば、彼女の食い意地も納得できるというものだ。
しかし、彼女の旅の目的を知ることよりも、優先して知るべきことがある。
だから俺は、一度大佐に目を寄越して、暗に促す。
話を、あの暗殺事件についてのことの聞き取り。
今こそ再開すべきである、と。
その視線をしかと彼は受け取った。
一度、大佐は咳払いの後。
「ま、それはそうとしてですね。もう一度確認なんですが……」
ケーキが執務室に届く前にしていた、事件についての聞き取りを再開した。
「ん? ああ、下手人の顔のこと? 悪いけどやっぱりわからないなー。フードというか外套というか。それを頭からすっぽり被ってて、その人となりをうかがうこと、出来なかったから」
「その者が男性か、女性か。それもわからなかったのでしょうか? 他にも……例えば背丈はどうだったとか、太っているとか、痩せているとか」
「ほとんど全身を覆う外套だったからねー。性別まではなんとも。ああ、でも背丈と体型な……ら? あ、あれ?」
「どうしました?」
「ど、ど忘れ? きちんと見たはずなのに。それくらいはわかるとおもったのに。どうしてか思い出せない……」
事件発生が夜で薄暗かったこと。
フードで顔を隠していること。
この二つのせいで、下手人の面立ちを見ることが出来なかったというのは、お茶する前にやった聞き取りで明らかになったことだ。
だから今回大佐は、顔というミクロな情報でなく、体つきというマクロなものを問うたのだ。
いくら顔を隠そうと、体格はそう易々と隠せるものではないから。
だが、どうしたことか。
エリーはそんな大雑把な情報ですら覚えていないという。
暗殺が行われた現場は確かに見たけど、実行者がどのような人物であるか。
それはわからない。
エリーの供述を纏めるとこのようなものになる。
で、あれば、わざわざ彼女を隊舎まで連れてきたこと、意味がなかったのでは。
そう考える向きがあるのかもしれない。
守備隊からすれば、落胆して然りかもしれない。
「ご、ごめんなさい。まったく役に立てなくて」
「いえいえ。そんなことはありませんよ。きちんと情報は手に入りましたから。ありがとうございました」
しかし、彼女に協力してくれたことの謝意伝える、大佐のその言葉。
それは落胆の音色とはまったく程遠いものであった。
実際の感謝がこめられていた。
別に大佐は彼女を慮ったわけではない。
事実、たった今彼女の口から語られた目撃したことの子細。
この情報はまったく役立たずのものではないのだから。
「さて、ウィリアムさん。どう思います」
「そうですね」
そして話が俺に振られる。
今のエリーの話を聞いてどう思ったか、と問われる。
「まず下手人の外套は魔道具でしょうね。目撃者の認識を阻害させる代物ではないでしょうか」
「ええ、僕もそう思います」
顔はまだしも、背丈、体型まで覚えていないというのは、いくらなんでも不自然だ。
その上、話しぶりから、彼女は当時パニックに陥っておらず、どうにも冷静であったように思える。
そんな人間が、怪しい人間のシルエットすら覚えていないというのだ。
不自然さ、ここに極まれりといったところである。
しかし、下手人が身につけていた外套が魔道具であるなら別だ。
話は一気に妥当性を帯びてくる。
認識阻害の魔道具の効果とは、しっかりと対象を認識出来なくなり、記憶もし辛くなるというもの。
即ち、今のエリーの証言のままの機能を有しているのだ。
まず、下手人がその手の魔道具を使っていたことは、間違いないだろう。
「へえ。そんな魔道具なんてあるんだ。あんまり見聞きしたことないけど」
「邪神と戦うための需要がなかったからね。戦場でそんなの使ったら、同士撃ちの危険がある。だから、ここ百年で一気にマイナーな魔道具になってしまったんだ」
「ふうん。でもその人がさ。本当に認識阻害の外套を使っていたとしてもだよ? その情報が特に役に立つとは思えないんだけど」
「いいや、大ありさ。わざわざそんなマイナーな魔道具を引っ張り出した、ってことはだ。それはつまり、なにがなんでも姿を見せたくない事情があった。そうは思えない?」
「誰かを殺すんだから当然じゃなくて? 人類は視覚情報に依存し気味なんだから、顔って情報はかなり重要じゃん。それだけで捕まるきっかけとなりえるほどに」
「それはそうだけどさ。でも顔を隠すだけならば別に、認識阻害の魔道具を使う必要は無い。仮面や覆面を使えば良いだけの話なんだから。特に犯行時間は夜だ。人混みならともかく、人気がないところで、認識阻害を使うのは、ちょっとオーバー。でも構わずに、そんな大仰な道具を使ったってことは、だ」
一度言葉を句切って息継ぐ。
そして右の人差し指と中指を立て、二本指。
魔道具を使うに値する二つのケースを口にする。
「顔見れば誰でもわかってしまう有名人か。あるいは顔は知られていないけど、見ただけで誰であるか。ある程度絞られてしまう身体的特徴を持っているかの二つだ」
「身体的特徴と言うと……例えば背がかなり低いとか、耳が尖っているとか、灰色髪とか。そういうの?」
「そう、まさにそれ。他種族がロングフェローを殺したという、そんな可能性が浮上してくるわけ」
「つまり……状況的に種族主義の口封じだと思ってたけれど。実は種族主義に恨みを持つのがやった可能性が出てきたってこと?」
「そういうこと」
そしてこの可能性は、捜査の方向性を大きく変えるうるものだ。
これまでずっとあの事件は、種族主義者の仕業と考えられてきた。
だから、他種族がロングフェローを殺したとは、つゆほど考えてもいなかったのだ。
もしかしたならば、今に至るまで見当違いな方向を向いて捜査していたのかもしれない。
その可能性を気付かせるきっかけとなっただけでも、今回の聞き取りは収穫があった、と言い切ってもいいだろう。
それを補完するようなタイミングで、一度大佐は頷いた。
「屋敷から関連資料の一切が消え去ってることから、未だに口封じの線は濃厚ですが。しかし、別の線でも捜査してみるべきかもしれませんね。いやあ、助かりましたよ。本当にいいタイミングでしたよ。まったく」
「いいタイミング?」
「ええ。まあ。ちょいと七日後にね。このゾクリュに政治の大物が視察に来るもんで……その人にここの現状を報告せねばならなかったんですよ」
大佐は唇を山形に歪めて、露骨な渋っ面を産み出した。
心底その大物と会うのが嫌であるらしい。
とはいえ、彼の気持ちは大いにわかる。
前線に居たころ、調子の乗った政治家が視察にやってきたときのことを思い出す。
不幸な誤射が起こってくれないかと思うくらいには、好ましくない出来事であった。
現場に出しゃばってくる、まったく無知のお偉方ほど、邪魔なものはない。
「大物の視察、ですか。それはなんとも嫌なイベントですね」
「でしょう? しかもその人って物凄くおっかないんですよねえ。直接の上司ではないとは言え、私的なにおいを感じさせない、あのおじいちゃんと向き合うのは。本当に胃に悪くて嫌なんですけどねえ」
……私的な部分を持たない、歳を食った大物。
それも政の世界で活躍する人間となると。
この王国において該当者は、たった一人しか居るまい。
「……まさか、その大物って」
「ま、ウィリアムさんのご想像通りの人だと思いますよ」
大佐は椅子の背もたれに体重を思い切りかけて、仰け反って。
天井を仰ぎながら、気だるげに頭の後ろで手を組んで。
その上わざとらしいため息もついた。
出来ればなにか事情があって、取りやめになってくれないかな。
そんな願望を容易に読み取ることが出来る、実に憂鬱な態度とため息の後に。
「冷血宰相。コンスタット・ケンジット。彼がこのゾクリュに来てしまうんですよ」
俺が思い至った、その大物の名前と、まったく同じ音を大佐の口は紡いだ。




