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第四章 三話 思わぬ目撃者

 地表にへばりつく、すべての構造物を吸い上げるトルネード。

 目の前で起こったことを表現すればそうなる。


 その比喩だけ捉えてみれば、まったくもって暴力的な光景。

 だが、現実はそこまで恐ろしいものではない。

 むしろ平和的と呼ぶべき代物であった。


 トルネードの正体は少女であった。

 先ほどテーブルの下に隠れ、こっそり料理をつまんでいた、あの赤毛の少女だ。


 俺たちへの敵意もないし、腹を空かせているのは明白。

 だから隠れてではなく、堂々と料理を食べなよ、と勧めてみたのだ。


 そうしたら、先の通りトルネードが発生したのである。

 もっとも吸い上げたのは、家屋をはじめとする構造物ではなく、皿の上の料理であったが。


 本当に、見事な健啖ぶりであった。

 テーブルの上にあった、決して少なくない量の料理。

 今では綺麗さっぱり跡形もなく、揃って仲良く少女の腹の中。


 相当腹を空かせていたらしい。

 料理が消え去って行く速度たるや凄まじく、フォークが食べ物を捉える瞬間が目に映らないほど。

 フォークがゆらりと皿の方へ行ったと思えば、瞬きの後には口に入っていた。


 その速さは俺を含め全員を唖然とさせるのに十分。

 だから、少女を除いた全員の顔はあんぐりとしたもので。

 俺も似たような顔付きになっているという自信があった。


「ああ。食べた、食べた。美味しかったよ。ごちそうさま」


「お、おおう。それは……よかった」


 実に満足げな少女の一言。

 戸惑いの色濃い声で答えてしまったが、本音を言えば彼女の言にほっとしていた。


 あまりの食いっぷりに、料理が足りないのでは?

 そんな懸念を抱き始めていたからだ。


 これで足りないと言われれば、その辺の野草を摘みなり、ヘビやカエルを捌くほかなかった。

 戦争中でもあるまいし、流石に突然のゲストにそいつらを振る舞うのは抵抗があった。

 だから、我満腹也、の一言に、本当に安心した。


「いやいや。本当に助かったよ。ちょっと色々あって、路銀が尽きちゃって。ここまで来たというのに、まさかの行き倒れの危機だったの」


「路銀? とすると君は」


「うん。まあ、ご覧の通り」


 そう言うや少女は軽く両手を広げてみせた。

 ほら、こんな感じ、と自らの服装を示すために。


 サイズの合っていない分厚いコートに、同じく厚手の長ズボン。


 一見すれば冬の出で立ちであるが、そうではない。

 単純に頑丈さ追求した結果、冬物に近くなってしまったような、そんな造りだ。


 さて、そんな頑丈さが自慢な彼女の衣服である。

 一見してわかるほどにまで、よれよれにくたびれてしまっていた。

 型崩れし、深緑色の生地が日にやけて、いくらか白んですらしまっている。


 聞こえの良い表現に変えるならば、十分に着慣らされた感じだ。

 悪い言い方をするならば、ずっとずっと、長い間着たきりである感じ。

 いずれにせよ、普通の生活を送ったのならばこうはなるまい。


 耐久性重視の造りの服をここまで使い込み、かつ、ずっと着たきりである、ということは。


「旅してるの。世界中、色んなところを歩き回っててね」


 それはつまり、彼女が旅人であることを意味していた。


「旅? 世界中を? その歳で?」


 思わず、といった体でそう彼女に聞いてしまったのはアンジェリカだ。


 アンジェリカの疑問は無理もないことだろう。

 少女の歳はアンジェリカより上であることは間違いなさそうだが、しかしそこまで離れていないように見えるからだ。


 旅人の少女の顔を改めて見返してみる。

 簡単に結ったくすんだ赤毛と、髪より鮮やかな赤の瞳。

 その二つが印象的なその顔は、まだ幼く、やはりどう見ても十四、五くらいにしか見えない。


 一人で旅をするにはまだ不安を覚える年頃だ。


 だから、この場の大人達は憂慮の視線を少女に注ぐ。

 一人で旅して大丈夫なのか。

 そんな心配を一様に抱いた。


「それは……危ないのではないのでしょうか?」


「だいじょぶ、だいじょぶ。確かに外見は幼齢のものだけどね。それ所以のトラブルに巻き込まれたことないから、平気だよ」


 アリスの心からの心配の声に、少女は実にお気楽な調子で答えた。

 けらけらと笑いながら答えた。


 どうにも根っからの楽天家らしい。

 ここまで無事に来れたことの幸運を、これからも続くと信じてやまない様子であった。


 だからこそ、俺はより一層心配になる。

 いくら戦争が終わって邪神の脅威がなくなったとはいえ、だ。


「でもだからって、一人旅は感心できないな。まだ世界には邪神の活動個体が存在しているんだ。もし、旅の途中で遭遇してしまったら――」


「うん? ああそっちは、なおのこと大丈夫だよ。だって、わかるもん、わたし。奴らが出てくる場所は。そういうところは避けて旅してるから、問題はないの」


「邪神の出てくる場所がわかるってねえ……そんなこと。君は……ええっと?」


「ああ。ごめん。まだ名前、言ってなかったね。わたしはエリー。エリー・ウィリアムズ。よろしくね」


ウィりアムズ(ウィリアムの子供)? おい、隠し子か? 言わレてみレば髪の色が同じだ」


 エリーの名字を、どういうわけか、そのまま母国語に翻訳してしまったらしい。

 レナは奇妙な納得をしてしまったようで、うんうんと何度も頷いていた。


「なんでそこに食いつくんだ……ロクに名字が決まってなかった、大昔じゃあるまいし。赤毛は別段珍しくもないないし、それに」


「それに?」


「俺がこの年頃の娘を持つには、一桁の歳でパパにならなきゃならんのだが」


「そレもそうか」


「ああ、そういうこと。だから、さ」


 珍しいレナのボケに対応せざるをえなくなる。

 極めて真面目な指摘をせざるをえなくなる。


 普通に考えれば今の指摘は助長なものだ。


 隠し子だとして逆算すると、俺が彼女の父となった年齢がとんでもないことになってしまう。


 深く考えなくとも、それはすぐにわかること。

 だから、すぐさま荒唐無稽、と切って捨てるべき戯言だというのに。


「……だから、不機嫌になるのは止めて下さいな」


「いいえ? 機嫌、悪くなってませんよ?」


 どうしたことか。

 戯言を真面目に受けてしまった人が俺のすぐそばに居たのだ。


 アリスだ。

 レナが隠し子云々言った直後から、不機嫌のオーラがアリスから迸ったのだ。


 だからその弁明のために、先の助長そのものな突っ込みをせざるをえなかったのだ。


「……あの?」


「はい?」


「どうしたら機嫌、直してくれますかね?」


「いいえ? ですから、不機嫌にはなっていません」


 アリスに必死のご機嫌取りをする俺の姿。

 それを傍から見れば、とても不思議なものであろう。

 事実、テーブルを囲む面々は、例外なく俺に好奇の視線を寄越してくる。


 それもそのはず。

 表面上アリスにこやかで穏やかで、不機嫌な素振りを見せていないのだから。


 だが、付き合いの長い俺にはわかる。

 今のアリスは間違いなく不機嫌だ。

 

 彼女は機嫌が悪くなったからって、表にそれを出すことはない。

 食事を作らないといった、嫌がらせに出ることもない。


 が、不機嫌の原因が俺にある場合、俺にだけわかる程度に、におわせてくるのだ。


 これがまあ、俺には効く。


 大人しいアリスのつむじを曲げてしまった罪悪感。

 そいつが鎌首をもたげて、俺の良心に襲いかかるのだ。


 だから、なんとかして彼女のご機嫌を取ろうと、かくも必死になるわけだ。


「あーあ。大変だねえ、ウィリアム。アリスのへそ曲げちゃって」


 ただ、エリーは俺がアリスの機嫌を損ねてしまったこと。

 このことをしかと察したらしい。

 意地の悪いにやけ面を作って、実に他人事な台詞を口ずさんだ。


 どうやら、彼女は勘は鋭いようだ。

 こうして初対面にも関わらず、アリスの巧妙な不機嫌の発露を――


 ……?


 いや、待った。

 今のやりとり。

 ちょっとおかしくはなかったか?


 確かに俺たちとエリーは初対面。

 さっき彼女が名乗るまで、俺たちはエリーという名すら知らなかった。

 それはつまり、お互い自己紹介をまだ済ませていなかったということ。


 彼女は先ほど名乗り上げた。

 だかしかし、俺らはさにあらず。

 そうだというのにエリーは――


「……どうして俺とアリスの名前、知ってるのかな? まだ名乗ってないはずだけど」


 緊張感に満ちた声で問う。

 何故俺らの名を知っているのか、と。


 名乗ってもないのにこちらの名を知っているということは、だ。

 はじめから名を知っていて、接触してきた、ということだろう。


 にも関わらず、わざわざ見ず知らずの風を装って接触してきたのだ。

 つまりそれは、初対面で近付く方が都合が良かったということ。

 真意を隠して接触したということ。


 俺らにとっては厄介事のにおいしか感じ取れない。


 だから彼女のボロを指摘して、態度が豹変するか否か。

 固唾を呑んで、彼女の反応を見極めることにした。


 さて、エリーの反応は。


 いたって普通。

 取り乱す事はなかった。


「うーん? だってずっとテーブルの下に居たんだよ? 会話は耳に入るし、誰の声が誰の名前なのか。そのあたりは嫌でもつくようになるよ。それにウィリアムはさっきのウィリアムソンの話もあったし。結構名前を知る機会はあったと思うけど?」


 言われてみれば、そうである。


 それどころかエリーは、テーブルの上で飛び交う会話に耳を傾け隙を窺い、料理をくすねる真似までしていたのだ。


 別段、名前を知っていたも不思議ではない、と見るべきか。

 と、なれば先ほど抱いた緊張感はまるっきり杞憂なもの。


 どうにもここしばらく妙な事件が続いているようで、神経が尖ってしまっているようだ。


「ごめん。ちょっと神経質になってたみたいだ。最近、色々あってさ」


「だいじょぶ、だいじょぶ。気にしてない。ま、疑心暗鬼にもなるよねえ。こーんな世の中だし。こないだもさー、とんでもない現場を目撃しちゃってさー。戦い終わったのに、今度は内輪揉め? 人類案外余裕あったんだなー、って思ったばかりでさー」


「内輪揉め?」


「そ。いやーびっくりしたよ。夜中、難民キャンプに潜り込もうかなーとしたらさあ。目の前に、マズルフラッシュと発砲音。でっぷり腹の男の眉間に風穴開いたところを見ちゃってさー。いやあ、あれには参ったよ」


 彼女のその言葉に、場はしんとした。


 こんな年端のいかぬ少女が、殺人現場に居合わせてしまったこと。

 それに対するやるせなさを抱いたからか。


 もちろんそれもある。

 だがしかし、それ以上に。


「……この間。難民キャンプ前で射殺さレたのって確か……」


「ああ、そうだ」


 レナの呟きに俺は頷く。

 そして言う。

 エリーが目撃した事件。

 その事件で誰が殺されてしまったのかを。


「ハドリー・ロングフェローだ」


 王国随一の長者であり、歌劇座のパトロン。

 そして、過激な種族主義者であった男。


 その暗殺事件の目撃者がにわかに現れた。


 即ち、この沈黙とは。

 目撃者が現れたことの、ショックが由来の沈黙であった。

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