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第三章 エピローグ・2 真意は何処に

 陽光の高度が下がり、つられて気温も徐々に下がってきた。

 光度もゆったりと落ちてゆく。

 世界が次第に闇に染まっていく。

 自然と家路につきたくなる時間がやってきた。


 しかし、ナイジェルとジムは橋の上に留まり続けた。


 ただいまの二人には言葉がない。

 いや、言葉が奪われた、と言うべきか。

 おかげで、しんとした静寂が二人の間に横たわっていた。


 二人の言葉を奪ったものは何か。

 その正体は、先ほどジムがナイジェルに手渡した書類だ。


 "公式記録上のウィリアム・スウィンバーンについて"。


 そんな飾り気のない実務的な表題が与えられたものが、それである。


 多方面への聞き込みと、元・国憲局の立場を生かした公式記録へのアクセス。

 書類はそれらの結果を列挙し、こう締めくくられていた。


 ウィリアム・スウィンバーンは、記録上流刑に処された形跡がない、と。


 これは衝撃の事実と表現してもよかろう。

 言葉を奪うほどの衝撃をもって然りであろう。


 ウィリアムがゾクリュへの流刑が決定した際、その情報は陸軍省を通して、クリュ守備隊に達せられていたのだ。


 真偽があっさり覆る噂話とはわけが違う。

 正規ルートを通って情報がもたらされたのだ。


 正規な伝達である以上、確実な情報でなければならない。

 にも関わらず、こうしてその情報が真にあらず、との結論が出たということはだ。


「……国家ぐるみで。なーんか妙なこと考えてるってことかねえ」


 欄干に頬杖をつきながらナイジェルが呟く。


 国からもたらされた情報が、覆っているというこの事実。

 やはりどう甘く見積もっても、先の呟き通り、国が何かを企んでると睨まざるをえないだろう。


「しかし、ナイジェル。先ほどお前は"やっぱり"と言っていたな。つまり、この調査結果を薄々予想していたということだ。その予想の真偽を確かめるために、俺に調査を依頼した。そういうことなんだな」


「うん。その通り。悪い予想ってさ、事実がどうかを調べないとずっともやもやして、スッキリとしないじゃん。それじゃ疲れちゃうからさ。だから頼んだわけ」


「しかし良く気がつけたものだな。さっきも言った通り、俺はこの事実にたどり着いたとき、思わず調査をミスったのではないのかと思ってしまった。それくらいにショッキングだったのだが……一体、なにを根拠にそんな予測にたどり着けたのだ?」


「そう思わせるだけの材料はいくつかあったんだけどね。そもそも、流刑という罰を選んだこと自体がおかしいんだよ」


 報告書を隅々まで読んだからか。

 ナイジェルは封筒を欄干の上に置いた。

 風で飛ばぬよう、レモネードのビンで重しにして。


 そして自由になった左の人差し指をピンと突き立てた。

 違和感、第一点、と示して見せた。


「脱走と反乱のリスクが極めて高い流刑を取るよりさ。本気で彼を罰したいのならば、刑務所に放り込めばいいだけの話なんだよ。そりゃ、ロクに刑務所がなかった三、四百年くらい前なら話は別だけどさ」


「それは彼の功績に報いるためではないのか? 流石に英雄と呼ぶべき活躍をした者に、ムショ暮らしを強要するのも目覚めが悪いだろうし」


「いや、それだったら、なおのこと刑務所に入れるべきだよ。共和国と違って、王国にはまだ貴族身分が存在してるんだ。三食後の紅茶と使用人が付いてくる貴族用の房。そこに入れれば快適な刑務所ライフを提供できたはずじゃない? しかも彼の動向を管理しやすいんだから、本来入れない選択肢なんて存在しないはずだ」


 そう言われると、そうか。

 得心いったと言わんばかりに、ジムが頷く。


 そんな彼を見つつも、ナイジェルは覚えた違和感を披瀝することをやめようとしなかった。


 人差し指指に続き、中指を突き立てる。

 二本指。

 第二の違和感、表明。


「第二点は……まあ刑務所の件は僕らの想像に及ばぬ不都合があって、使うことが出来なかったとしよう。で、その代替として流刑を選択したとして……ねえ、ジム。どうしてその流刑先にゾクリュが選ばれたんだろうね?」


「それは典礼に依ったからじゃないのか? 貴族や王族ってのは、病的なまでに伝統に固執するからな。ゾクリュが選ばれたことは、おかしくはないと思うが」


「そう。僕も最初はそう思ったんだよ。四百年前のえらく古いものではあるけど、まあ先例があるなら納得だってね。でもさ、あれ見てよ」


 そう言って、顎でしゃくる。


 ナイジェルが顎で示したその先には、転車台があった。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()がそこにあった。


 ジムは先刻よりじっとその場所を眺めていた。

 そのせいだろうか。


 彼はナイジェルが転車台を指示して、なにを言わんとしているのか。

 それがさっぱり解らないようで、不思議そうに首を傾げていた。


「ジム。歴史上流罪に処されたのって、どんな人たちだい?」


「大体が貴族やら政治家だな。政治犯罪を犯した」


「その通り。では、そんな彼らを遠くに流すその理由とは?」


「そりゃ、お前。王都から遠ざけるためだろ。政治の中心地である王都から、時間的、距離的に遠い僻地に飛ばして、罪人を社会的に孤立させ……る?」


「そう、その通り」


 質問に答える最中、どうやらジムはナイジェルが真に言わんとしていることを理解したらしい。


 一度はナイジェルに向けた視線を、急いで転車台へと戻す。


 先ほどまでの怪訝そうな顔はみるみる解けて。

 いまやあんぐり。

 たどり着いた答えに愕然とした顔。


 そんな彼を見て、ナイジェルは満足そうに頷いて。

 ジムが思わず唖然としてしまった答えを口に出す。


「今のゾクリュと王都は時間的には遠くない。むしろ近い。蒸気機関車に乗り込めば、半日で王都に戻れてしまう。そんな距離に罪人を流すことに、果たして意味はあるのかな?」


 王国屈指の工業都市でもある王都と、かつて王国の最前線であったゾクリュ。

 この二つの都市が鉄道で結ばれることは自然の成り行きであった。

 兵站の確保という観点からすれば必然であった。


 かくして、距離的にはともかく、この百年でゾクリュは時間的に僻地でなくなってしまったのだ。


 先例があったころのゾクリュと現在のゾクリュでは、まるっきり状況が違ってしまっているのである。


 いくら、王国のノーブルな面々が先例を尊ぶといっても、だ。

 危険視した存在を自らのすぐそばに流すという行動は、あまりにも不自然に過ぎる。

 合理性が一切ない。


 ナイジェルが抱いた二点目の違和感とは、つまりはそういうことであった。


「そして第三点」


 ナイジェルの披瀝は留まることを知らない。

 ついに彼は三本目の指を伸ばした。


「国がウィリアムさんを本気で監視しようとしている、その素振りがまったく見られない」


「……それは。どういう意味だ?」


「いやね。最近の騒動で僕は、積極的にウィリアムさんに協力を要請したわけ。結構な頻度で彼と接触してね。ま、結構仲良くなったんだよ」


「……あんまり仲良くしない方がいいんじゃないのか? ゾクリュ守備隊がスウィンバーンと結託して、ゾクリュ独立の野望を抱こうとしている――そんな流言をされたら、一巻の終わりじゃないか」


「そのリスクは重々承知していたよ。その内、お上から警告が来るだろうな、とすら思っていた。ところがだ。まったくその気配がなかったんだ。だから国は本気で彼を監視するつもりはないのでは? と思ってね。だから、ちょっと揺さぶりをかけることししたんだ」


「揺さぶり?」


「うん。ヴィリアーズ元帥から下った、彼の監視を厳にせよという命。これを無視したんだ。ウィリアムさんの監視を、それまでよりも緩くした」


「なっ」


 ジムは絶句した。


 当然だ。


 上意下達が絶対的であるはずの軍隊。

 そこで上からの指令を無視するような真似とは、それはつまり。


「お前っ! それは!」


「うん。ただの愚かな抗命でしかないね。これは」


 軍法会議にかけられるのは当然として、最悪銃殺刑に処されかねない。

 ナイジェルが取った行動は、それくらいに危うい暴挙だと言えた。


「当然僕が彼と深く接触して、そればかりか監視の目を緩めたことは、お偉方も承知している。だから、僕の下にこいつが届いたわけだけど……」


 がそごそと懐を探り始めるナイジェル。

 がさつな性分故、あらゆるものを、懐に突っ込んでいるためか。

 目的の品を見つけるのに一苦労。


 しばらくの苦戦の後、ナイジェルの懐から、一通の封書がぬるりと滑り出る。

 劣悪な保存条件故に、いくらかのしわが刻まれたそれを、ジムに差し出した。


 受け手であるジムは、封書に記された文字を眺めて。


 そして大きく目を剥いた。

 一歩、二歩。

 よろよろと後ずさる。


 その封書の正体が、あまりにも予想外だったがために。


「……表彰内示、だと?」


「そ。あらゆる方策を駆使して、早期にあの暴動を鎮圧したことを賞する、だってさ。おかしいよねえ。僕はあの厳戒指令を無視したというのに、どういうわけか褒められてしまっている」


 指令を無視したというのに、そのことを賞してやろうと認められてしまっている。

 ナイジェルがジムに手渡した、あの封書の意味とは、即ちそれだ。


 言うまでもなくそれは本来あり得ぬ事態である。


 職務を半ば放棄したというのに、そのことを賞するとは、なんと馬鹿げた真似か。


 おかしい。


 明らかに国が、政を司る上層部の行動があまりにおかしい。

 想像を超える事態に、ジムは大きなショックを抱いたらしい。


 それはもう、顔色を青白くさせるほどに。


「この三点の違和感。これをすっきりと説明できる理由とは何か。それを考えると、実はウィリアムさんは流刑に処されていないんじゃなのか。そう思うように――」


「……ナイジェル。聞いてもいいか?」


「おや。君が人の言葉を遮るとは珍しい。どうぞどうぞ。僕に答えられることなら、なんでもどうぞ」


「お前は……なにを考えている? 自分の身を危うくしてまで、お前の抱いた違和感の正体を確かめて、反逆と取られかねない行動までして。お前は一体なにをやろうとしているんだ?」


 そしてジムがショックを抱いたのは、国に対してだけではなかったようだ。

 目の前の友人、ナイジェル・フィリップスに対しても等しくショックを受けたようである。


 無理もない。


 なにせ彼は自身の違和感が気のせいであるか否か。

 それを確かめるために、軍人とはそうあれかし、と定められた理をあっさりと捨てしまったのだから。


 もはやジムからすればナイジェルも、正気を疑うべき存在で。

 なにを考えているのか。

 その見当がさっぱり着かなくなるのも当然だ。


 だからこうして問うたのだ。


 お前はなにを考えているのか、と。


 それに対して、さて、ナイジェルは。


「なにをって、決まってるじゃないか。治安維持だよ、治安維持。ゾクリュの平和を守る。つまりはお仕事の一環だね」


 いつも通りの様子だった。

 いつも通り、威厳のない顔付きのままで。

 いつも通り、気だるげに頭を掻いてみせて。

 いつも通り、ゆったりと調子で。


「僕は平和主義者だ。そのための努力は怠らないし、()()()()()()()つもりでいる。それだけさ」


 もし、国がしているこの一連の隠しごと。

 それが、ゾクリュの平穏を侵すものであるならば。

 ()()()()()()でもって、それを排除する。


 それが例え反逆と捉えられようとも。


 そんな強烈な意思を、相変わらずの気のない声色で表明した。


 その強い覚悟を受けて。

 友人であるジムは思わず生唾を飲み込んだ。


 橋の上に二人しか居ないせいか。

 唾を飲み込む音は嫌に大きく響いた。

これにて第三章はおしまいです。

ここまでお付き合いいただきありがとうございました。


ただいまは大変なご時世ではありますが、いまはじっと我慢して我慢して、なるたけ外に出ないで。

そして世の中を脅かすかのリスクがなくなったそのとき、たくさんお外に出て、楽しむとしましょう。


家の中で時を過ごすのは、あまりにも退屈で苦痛かもしれません。

本作がその退屈を紛らわせることのお手伝いができれば、これ以上に勝る喜びはございません。

この作品の矛盾点をつくという、そのような楽しみ方も全然オッケーでございます(笑)


……むろん、退屈を助長するだけになるかもしれないのが、非常に頭の痛いところですが(涙)


それにしても長ったらしいあとがきですね。


こんなくどい三木本と、第四章以降の本作とお付き合いいただけたら、幸いでございます。

それではどうかどうか、今後ともよろしくお願いします。m(_ _"m)


2020/3/30 三木本 敬

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