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第三章 二十六話 Je suis un patriote!

 ファリエール女史は驚愕していた。

 目を大きく見開き、口はわずかに開き気味。

 そんな表情から彼女が、心の底から驚いていることがうかがえる。


 もっとも、彼女の驚きは無理からぬもの。


 ル・テリエ氏が決死の時間稼ぎを敢行したというのに。

 その足止めされているはずの人間が、先回りして自分の部屋に居たのだ。


 女史からすれば、瞬間移動でもされたような気分であるはずだ。

 だが、瞬間移動を実現する魔法も魔道具も、この世には存在していない。

 と、いうことは、俺と大佐が今、この場に居る理由は至極単純。


 つまりはただ女史を追い抜いただけなのだ。

 彼女とはまったく別の道を用いて。


「……お……おおー……僕らがここに居ることに驚いてますね……」


 十歳は老けたような、そんなしがわれ声で大佐が言う。

 その顔付きもまた声と同じく老け込んでいるようにも見えた。


 ル・テリエ氏との対峙からさほど時間が経っていない。

 それなのに、ここまで彼がくたびれてしまったのには、ちゃんと理由があった。


「く、空中散歩を……楽しんだ甲斐あって……なによりですよ」


「空中散歩? それが追いつかれた理由?」


 聞き慣れぬ単語に女史が聞き返す。

 その声量はとても控え目。

 半ば独り言染みた声であった。


 そんな彼女の独り言に答える。

 種明かしをする。

 女史より先にこのホテルにたどり着いたその理由。

 そいつを今、ここで詳らかにする。


「言葉通りの意味ですよ。空を飛んで来たんです。強化魔法を使ってね」


「……ぼ、僕は……ウィリアムさんに負ぶさってもらってね……その状態で建物の屋上を足場にひたすらジャンプ、ジャンプ、ジャンプ……」


「だから、貴女より一歩先んじてホテルに到着していた、ってわけです。上空(うえ)には曲がり角も行き止まりもない。直線距離で移動出来ますからね」


「で……でも……超怖かった……マジで死ぬかと思った……もう二度とやらない……」


 ついでに言えば、大佐がここまで老け込んだ理由も空中移動にある。

 強化魔法由来の速度と高度は、彼の心胆寒からしめるものであったらしい。

 飛ぶ度に、この世の終わりに直面したかのような叫び声を上げていたのだ。

 文字通り声をガラガラに枯らしてしまうまで。


 しかしそれはそうと、だ。


 先ほど、女史は聞き捨てならない台詞を吐いた。

 俺としては聞き間違いであって欲しい言葉を紡いだ。

 

 とても気が進まないけれど。

 今はそれを追及しなければ。


「……それよりも、今。()()()()()()、と言いましたね?」


「っ……」


 女史は、やってしまった、と言わんばかりの顔を見せた。

 余計なことを言ってしまって、誤魔化しが効かなくなってしまった。

 そのことを悔いるような顔でもあった。


 しかしそれも一瞬のこと。

 薄々逃げ切れる可能性は低いと感じていたらしい。


 優雅な所作で目を閉じて。

 ふうと一息吐いて。

 再びまぶたを開けたそのときには。

 その瞳には諦観の光を湛えていた。


「……その通りよ。座長さんが身を賭して逃がそうとしたもう一人。それは私よ」


 そして告白。

 俺と大佐が遭遇し、ル・テリエ氏が逃がそうとした、その人は自分であると。


「あの魔族の子供は……どうしたのです?」


「安心して。無事よ――おいで」


 彼女に抵抗の意思はまったく見られなかった。

 ゆったりとした動作で、来た方を振り向く。

 すると間を置かずゆらりと動く一つの影。


 影の主はあの魔族の少年であった。

 つま先から頭の天辺まで、一通り見渡しても怪我をしている様子はない。

 彼女の言葉通り、彼は無事であるようだ。


「行ってらっしゃい。あの二人の下へ。それで貴方は自由よ」


 そんな彼女の促しは、少年の困惑を誘ったのか。

 その幼い顔に迷いの表情を刻んだ。


 一拍、二拍。

 少年はしばらく間を置いて。

 そして控え目な様子で頷いた。

 何度も何度も彼女の方を振り返り、俺と大佐の下へと駆け寄ってきた。


 その間、彼女はまったく彼を害そうとする素振りは見せなくて。

 それどころか、広場で遊ぶ自らの子を見守るが如き、慈愛に満ちた視線を彼に注いでいた。


 これは矛盾の光景である。

 彼女は種族主義の暴動に参加しておきながら、異種族を慈しむかのような姿を見せること。

 これを矛盾と言わずに、なにを矛盾と言えばいいのだろうか。


「……やっぱりだ」


 その矛盾に俺は耐えきれなくなってしまった。

 感情が溢れ出る。

 先のル・テリエ氏のときと同じだ。

 悲しみと怒りがない交ぜになった激情。

 そいつが抑えられなくなってしまった。


「やっぱりだ! 貴女はわかってるじゃないかっ! 種族主義のおかしさ気付いているじゃないか!」


 もし彼女が心の隅々まで種族主義に染まっていたのであれば。

 人質にとった魔族の少年をここまで無事で連れてくるはずがない。

 無傷で俺らに引き渡すことなど、あるはずがない。


 にも関わらず、こうして無事に、無傷で彼を連れてきたということは。

 ルネ・ファリエールは種族主義に傾倒していなかったということだ。


「貴女は世界中を飛び回って公演している内に気付いたはずだ! 多様人だろうと! 魔族だろうと! エルフだろうと! ドワーフだろうと! 本質的には変わりがないことに! 差別や迫害……それがどんなに馬鹿らしいかってことに! 気がついているじゃないか! なのに……なのに! どうして!」


 だからこそわからなくなった。

 彼女がなにを思って、こんな馬鹿げた真似に力を貸そうとしたのかを。

 まったくもって理解できなかった。


「どうして! こんな間違ったことを! 間違った考えに賛同を!」


「間違っているのは、今の世界の方だ!」


 しかし、今の俺の台詞は彼女の感情に触れるものであったらしい。

 それまでは諦観に満ち、穏やかな空気すら醸していたというのに。

 彼女はぎろりと目を剥いて、そう吠えた。


 役者の面目躍如と言ったところか。

 その声量や凄まじい。

 窓ガラスを、ランプの傘を、びりびりと共鳴させるほどのもの。


「ええ、そうよ! とっくに気がついていたわよ! 私たちに文化の違いはあれども! すべての種族が心地良いと思うこと! 美しいと思うもの! それが共通であることに! 私たちと大きな差がないことに! 種族主義は狂人の思想であることに!」


「ならば! 何故!」


「今の世は! 統合主義者たちは! かつて先人たちが作り上げた各種族間の壁を! しこり取り除いて一つになろうとしている! それは結構! ええ、平和で素敵な世界でしょうよ! でも……でも! 一部の統合主義者はこうも言っているじゃない! 国境や国という区分、これさえも過去の遺物であると! なくすべき障壁であると! 平和と相互理解のためには不要だと!」


 そのまくし立ては本当に迫力があった。

 真に感情がこもったものであった。

 出かかった、激情に任せた言葉を、思わず飲み込んでしまうくらいに。


「そう! たしかにこの世界に居る人類すべてが同じ思想を抱けば! 同じ目標を抱けば! 完全に平和な世界を築けるかもしれない! 国や国境。それが原因で人類は争い続けてきた! そんな諍いの種を放棄すれば、綺麗な未来がやってくるのかもしれない! でも……でも! 私は! 私は!!」


 女史は頭を抱える。

 彼女の顔がくしゃりと歪む。

 あまりに強烈な表情故に、顔を見ても彼女が抱くその感情。

 そいつを読み取ることができなかった。


 モノローグはなおも続いた。


「私は嫌だ! 世界が一つになってしまうのは嫌だ! 共和国は共和国だ! 統合主義が浸透して、他の国と一緒くたになることは嫌だ! 無国籍な時代に生きるのは嫌だ! 何故なら……何故なら私は!」


 彼女がなにに対してここまで心を動かされているのか。

 なにに対して吠えているのか。

 その理由を推し量ることが出来ないというのに。


 どういうわけだろうか。


 今、俺は彼女の抱いているその感情。

 それを感覚的に理解してしまった。


 この感情は――


Je suis un(私は) patriote(共和国人だ!)! 王国人ではない! 小さな一つの世界の住民でもない! 私は共和国人だ! 私の故郷はたった一つだ!」


 望郷の念だ。

 失ってしまった故郷に帰りたいと願う。

 そんな悲しいくらいにひたむきな感情。


 どうして俺は彼女のそんな心持ちを悟ってしまったのだろうか。


 失ってしまった故郷に帰りたい。

 そんな心の傷とも願望と判別のつかない大きなしこりを。


 きっと俺も未だに持ち続けているからなのだろう、と漠然と思った。

 心のどこかでは、少しだけ彼女に共感しているのかもしれない。


 なんとなしにそう思った。

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