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第三章 二十四話 後悔はしたくない

 本来であれば手首の骨を砕く必要はなかった。

 いくら強化を施してはないといえ、だ。

 全力で打突する必要はなかったはずだ。


 まだ抵抗を続けようしていた、ル・テリエ座長。

 彼の意識を奪った一撃を放った後、俺は今更すぎる後悔を抱いた。


 しかも八つ当たりしたはいいものの、気持ちはこれっぽっちも晴れていないときた。

 心持ちは未だもやもやとしたまま。


 イライラに身を任せるとロクなことにならない。

 改めてそう思った。


 自分の未熟さにまったく嫌になる。

 天を仰ぐ。

 そして長いため息を吐いた。


「お見事でした。ウィリアムさん」


「どうも。しかしやり過ぎてしまったかもしれません。もしかしたならば、彼の手首は元通りにならないかも」


「殺してなくて、それでいて口が動く身体であれば、僕は文句は言いませんよ。むしろ、この程度の怪我で済ませてくれて大感謝ですよ。腕か足の一本をぶった切らないと、彼を止められないと思ってたくらいですからね」


「腕の一本や、二本。ですか」


「ええ。きちんと応急処置さえすれば、人間それくらいじゃ死にませんからね」


 手足を斬り落とすよりは、ずっと軽傷だ。

 そう言っているのは、大佐なりの慰めなのだろうか。


 多分、そうなのだろう。

 だが言っていることがあまりに物騒だ。

 そんな台詞を、いつもの威厳のない笑顔で宣っているのである。


 言動と表情があまりにも一致しさなすぎて、ちょっとしたホラーであった。


「大佐っ! ここに居りましたか!」


 背後から若い声が響いた。

 次いで蹄音。

 どうやら守備隊員がこの場に到着したらしい。


 今の若い声には聞き覚えがあった。

 顔を声の方へと向ける。

 見覚えのある顔がそこにあった。


 あれは乙種騒動のときだ。

 乙種を倒すべく拝借して壊してしまったあの軍剣の持ち主。

 視線の先では、その彼が丁度下馬しているところであった。


 乙種と対峙して強い絶望を味わったためか。

 ひと皮むけたのだろう。

 彼は前よりもずっと精悍な顔つきとなっていた。


「うん。ウィリアムさんのおかげで、何とかね。一人また確保したから、連行する準備して欲しいな」


「はっ。ではそのように。すまない! 頼む!」


 彼はくるりと振り返る、大声を上げる。

 それを受けてバラバラと幾人の守備隊員が出現。

 駆け足で地に伏すル・テリエ氏の下へ。


 手首が砕かれているのを認めてか。

 手早く拘束をすませた彼らは、次には担架を要求して。

 そしてあっという間にル・テリエ座長は何処へと運んで行った。


 しかし、最初にこの場所に着いた、軍剣の彼はそれに追随せす。

 どうやら大佐に報告する案件があるようだ。

 その場に留まり続けた。


「大佐。ルネ・ファリエールについて報告が。指示通り彼女が宿泊するホテルに行って参りました」


 大佐はファリエール女史もこの暴動に参加している可能性。

 そいつも視野に入れていたらしい。


 歌劇座がクロである以上、確かに疑ってかかるべき立場に彼女はある。

 だから大佐の指示はまったく、適当なもの。


 だけれども、俺の胸中は複雑であった。

 僅かな時間とは言え、彼女と言葉を交わした仲であったから。

 知己が容疑者をとなるのは、なんとも気分がよくないものだ。


 そして祈る。

 どうか、彼女は関与していませんように、と。 


 さて、果たして。


「ん。それで? どうだった?」


「はっ。支配人の協力を得て、宿泊している部屋に踏み込みましたが……部屋には居ませんでした」


「んー。そっか。外出したのかもしれないね。誰か、ホテルの従業員で彼女が出掛けるのを見た人は?」


「それがですね。従業員らは今朝から彼女を一度も見たことがないそうです。しかし……」


「しかし?」


「ホテルから出る料理の残滓。こいつを漁りに来た乞食が、昼前にそれらしき女が裏口か出てくるのを目撃したようです。人の目を気にして、隠れるようであったらしいです」


「ふーん。隠れるように、ね。でも証言だけじゃあなあ。ちょっと弱いか。暴動に参加していると断定するにしても、否定するにしてもさ」


「ご安心を。なんとも都合のいいことにですね。丁度その瞬間を撮影した者が居るらしいのです。その者とすでに接触しております。売れない写真師でした」


「へえ。そいつはとっても都合がいいね。しかし、どうしてその人はそんな瞬間の写真を撮れたんだろうね」


「本人が言うには、新しいスタイルの小遣い稼ぎらしいですよ。なんでも有名人に付きまとって、スキャンダル写真を新聞社に売り込むと。これが結構な値段で売れるらしいのです」


「あらら。嫌だ嫌だ。プライベートまで誰かのお金にされるなんて、有名人にはなりたくはないねえ。それで? その写真は抑えているの?」


「勿論。これです。どうぞご覧下さい」


 あの若者は大佐とは違いきっちりとした性格であったか。

 懐から取り出した封筒には、皺一つなかった。


 受け取る大佐は、封筒の口をがさつに開く。

 写真を取り出して。

 そして食い入るように眺める。


 三十秒か、四十秒か。

 じっくり写真を眺めた大佐は、ふうとため息をついて。

 その写真を俺に突き出してきた。


「ウィリアムさんもどうぞ。ご覧下さい」


「ありがとうございます。拝見します」


 セピアの写真を受け取り、そして視線を落とす。

 硬質な紙に転写された画像。

 そこには確かに、辺りに注意を配るファリエール女史が居た。


 だが、この写真で重要なのはその事実ではない。

 写真の中で女史の服装が重要であった。

 悪趣味なマスクこそ着けてはいないものの。

 写真での彼女の服装は――


「ウィリアムさん。服。さっき逃げた人と同じものに見えません?」


「……ええ。そうですね」


 先ほどル・テリエ座長が逃がした、もう一人のペストマスクとぴたりと合致。

 彼女の服は見るからにオーダーメイドであった。

 つまり、世界に二つとない代物ということ。

 写真の服と、逃げた彼の者の服装が一致しているということは、だ。


「……彼女も、また。クロということなのでしょうか?」


 暗澹とした気持ちで呟く。

 世界的な女優が種族主義に傾倒している、という事実に打ちのめされたからではない。

 知己が容疑者になってしまったこと。

 それが由来であった。


「確定はしたわけではないですが……その線は濃厚になった、と見るべきですね」


 声色で俺の心持ちを悟ったか。

 大佐はクロであると明言はしなかった。

 とは言え、である。


「それじゃあ、彼女の宿泊しているホテルに網を張ろうか。逃走経路から考えるに、恐らくそこを目指しているはずだから。彼女が部屋に戻った時点で突入。確保といこう」


「はっ」


 部下に与えた指示を鑑みるに、すでに彼は女史をクロと断じて動くようである。

 当然だろう。

 ここまで疑わしき要素が出てしまったのならば、もはや野放しにはできまい。


「さて、ウィリアムさん」


「はい?」


「ここまで来れば僕らでも大丈夫でしょう。お疲れ様でした。馬車を迎えに来させるので、それで屋敷まで戻って下さい」


 あのカフェで二回も彼女と相席したこと。

 当然監視者たちから大佐に報告が行っているはずだ。

 そして、今の俺の様子と合わせてみれば、彼女と悪い関係を築かなかったことを想像するのは難くないだろう。


 つまりはこれは大佐の忖度だ。

 知り合いが捕まるシーンを見たくないという、俺の気持ちへの。

 その心遣いは本当にありがたい。


 だけれども、それに甘えるわけにはいかなかった。


「……いえ、乗りかかった舟です。最後までご一緒しましょう」


「しかし」


「いえ。心遣いはご無用です。それに……」


「それに?」


「……行かなければ。後悔しそうですので」


 自分が望む世界の実現ために、他人から非難される手段を用いてもいいものか。

 二回目の邂逅のときに、投げかけられた質問を思い返す。


 今にして思えば、あれは彼女の迷いであったのだろう。

 暴力的な手段を取るべきか否か。

 その判断の材料を俺の受け答えに求めたのだ。


 それに対し俺は何と答えたか。


 ()()その手段は取らない。

 だが魅力的な選択であることは認める。


 そう答えた。


 完全否定とは言い難い、中途半端な否定。

 しかもあくまで俺は否定するという言い回し。

 俺以外の誰かは肯定してもおかしくないとも取れる、優柔不断にすぎる発言だ。


 もし、彼女が俺の言葉を受けて、暴挙に参加する決意をしてしまったのであれば。 


 俺は責任を取らねばならないだろう。

 この手で彼女を止める。

 そんな責任を。


 だから、大佐の好意を受け入れるは出来ない。

 受け入れることは責任の逃避でしかないから。


「……そうですか」


 その責任感を感じ取ったか。

 大佐は静かにその言葉を呟いて。


 それを最後に帰宅勧告を口にすることはなくなった。


 やはりフィリップス大佐は気遣いが出来る人であるようであった。

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