第三章 二十話 動かば、これだ
彼らが三々五々に逃げ出したのと、後続の守備隊らが現場に到着したのは同時であった。
彼らは騎乗のままで逃げ惑う似非ペスト医師らを追い詰め、次々と捕縛。
先日の乙種騒動でそれなりの経験を得たためか。
それとも向こうが素人だと知って安心しているからか。
はたまたその両方の理由でか。
まだぎこちなさが目立つものの、守備隊員のフレッシュさは大分薄くなっていた。
おかげで、その場でほとんどの下手人は逮捕。
残すは数名となった。
目の前の二人がそれである。
二人の逃げっぷりは実に鮮やかであった。
パニックに陥らず、冷静に退路を吟味し、次々と捕まる同志を尻目に現場からの脱走に成功していた。
経験がまだまだ不足している守備隊員では、この二人は逃がしかねない。
そう判断した大佐は、俺に協力を要請。
かくしてこの挟み撃ちが成功したというわけだ。
「いやあ。助かりましたよ。ウィリアムさん。貴方が居なかったら、もしかしたら二人を逃がしていたかもしれません」
「恐縮です」
強化魔法を用いて、一息に建物の屋根まで駆け上がり、彼らの動向を把握しながらの追跡。
今回俺がやったのはこれだ。
彼らの方向を、行き先を、魔道具を用いた発光信号で大佐に伝え、しかるべき場所で挟撃する――
大佐の狙いは見事に成功したわけである。
「さてさて、お二人さん」
フィリップス大佐が一歩を踏み出しながら、アナクロな格好をした二人に語りかける。
大佐に倣って、俺も一歩。
彼らが自由に出来る空間が狭くなる。
「大人しく投降してくれませんかね? 何、悪いようにはしませんよ」
ゆっくりと、言い聞かせるような口調で大佐は語る。
その間も歩みは止めなくて。
また一歩を刻む。
俺も彼の追随に追随する。
彼らは逃げる隙を窺っているのか。
頭を前に後ろにと忙しなく動かしていた。
「抵抗もしないで欲しいなあ。お互いそっちの方がいいでしょ? 僕も貴方がたも、痛い思いしないで済むし。ほら、全員ハッピーじゃないですか。だから、ねえ?」
これは大佐の心からの台詞だろう。
実力行使でもって、二人を捕まえるのは本意ではない。
穏やかすませたい。
彼の気持ちは痛いほどにわかった。
けれども、もしものとき。
決裂したときに備えて。
足並みそろえ一歩を進めて、また距離を詰める。
「捕まった後の取り調べですがね。何、そこまで厳しく詰めるつもりはありませんよ。僕はね、ハドリー・ロングフェローについて話を聞きたいんです。それさえ話していただければ、あとはなあなあで済ませるつもりですよ」
莫大な資産を持つ男、ハドリー・ロングフェロー。
彼が種族主義を実現させるために、金をばらまく真似をし始めたらば……
考えただけでも恐ろしい。
肌が粟立つ。
当然、その懸念を大佐も抱いている。
だからこそ今の台詞を吐いたのだ。
ロングフェローを止めるための手伝いを、情報さえくれたのならば。
それなりに報いるつもりであると。
しかし、彼らにその思いは伝わらなかったらしい。
もう一人の手を引いていたペストマスクが。
すっと、腰に下げた剣に手を伸ばしそうな気配を見せた。
「やめてください。そうするのは。剣を抜くのは」
今度は俺が言葉を投げかける。
やめてくれ、と。
「もし、貴方が抜いてしまったのであれば。戦わざるを得なくなる。それは嫌だ」
剣を抜こうしたこと。
それを見抜かれたことに、動揺したのかどうかはわからない。
けれども、剣を下げた一人は動きを止めた。
剣を抜こうとする気配は消えてなくなった。
ひとまずそれにほっとした。
「もし、大佐の言うとおり、素直に捕まってくれたのであれば。取り調べに協力的であったのならば。俺からも貴方がたの処遇を良くするために、微力ながら尽力しましょう。そうするだけのコネは、ある」
「あー……本音を言えばそれは止めて欲しいんですけどねえ……多分、ソフィーちゃん。まーたご機嫌斜めになるだろうからなあ」
ソフィーがお冠になる未来を想像してか。
フィリップス大佐は困ったように頭を掻いた。
その間にも歩みは絶やすことはない。
「ま、でもその人の言うことは、決して気休めではありませんよ。彼には王族とのコネがありますから。僕としては部下の反感があるから、あんまり使いたくはないんですけどね」
「す、すいません。出しゃばってしまって」
「いえいえ。でも、実際魅力的な見返りですからね。受け入れてくれるか否かは――彼ら次第ですけど」
また最後一歩分距離を縮める。
さて、二人の様子は――
やはり、ペストマスクのせいで表情が読めない。
心が揺らいでいるかどうか、それがわからない。
でも、まったくもって心に響いていないわけではなさそうだ。
何故なら、追い詰めた直後では逃げる隙を窺うように、きょろきょろ辺りを見渡していたのが。
今ではまったく動かず、じっと俺の方を眺めているからだ。
この男、果たして信頼できるのかと。
それを見極めようとしているのかもしれない。
ならば。
今がたたみ掛ける頃合いか。
「大丈夫。約束します。必ず貴方がたに苛烈な罰が及ばないようにします。間違っても国家転覆罪に問われないようにします。貴方たちなら、まだ間に合う」
「ええ。そうですとも。ま、確かに暴動を起こしてくれましたがね。まだ、貴方がたは完全な悪党とはなっていないのが。そして墜ちきってないのが。僕らには解っちゃうんですよ。これが。何故ならば――」
「――貴方たち、人をまだ殺していないでしょう?」
ここにきて、ようやく彼らに反応があった。
まだ人を殺していない。
その指摘を受けて、ぴくりと身体を揺らした。
「相対してわかりました。俺に銃口を向けたそのとき、貴方がたは心底怖がっていた。敵が接近していたからではない。人に銃を向けること、そのことに恐怖していた。だから、狙いを定めることすら満足に出来なかった」
「遠目に見てもわかりましたよ。明らかに引き金を絞ることを躊躇っている。撃って、当たって人が死んでしまったら怖い。人を殺すのが怖い。こんな恐怖を抱いているのがね」
「それは人を殺したことのない人間が抱く恐怖だ。一人でも誰かを殺したことがあるのであれば。そんな恐怖は抱くことはなくなる。何故なら――」
「――一人でも殺してしまえば、あとは数の問題になりますからねえ。命の価値がね、暴落するんですよ。一人も二人も同じことだと。開き直れるようになる」
「貴方がたの中の命の価値は。少なくとも、消耗品と成り下がっていない。まだ、一般のそれだ。だから」
「引き返せる余地は、まだまだぜーんぜんあるって訳です。どうです? 大人しく捕まってくれませんかねえ?」
俺が、大佐が、俺が、大佐が、俺が、大佐が――
代わる代わる二人に語りかける。
たたみ掛けるように説得する。
当然、間合いを縮めながら。
代わる代わるの説得の効果は見て取ることができた。
剣を下げ、もう一人の手を握った方のペストマスク。
顔の向きが、気持ちうつむき加減になって。
握ったその手にきゅっと、力を入れて。
俺らの説得の答えるためか。
顔を上げて。
そして。
がたんと物音が狭い路地に響いた。
音は大佐と彼の間。
ペストマスクのすぐそば。
俺から見て左側の壁際から聞こえた。
視線をわずかにずらしてみると。
そこには。
「……ひっ」
少年がいた。
灰色の髪と灰色に濁ったように見える瞳。
魔族だ。
身なりを見るにきっと戦災孤児。
彼の正面には倒れたボロボロの板。
さきほどまでそれは、壁に立てかけられていた。
さっきまで彼はその裏に隠れていたのだろう。
これはまずい。
反射的にそう思った。
「大佐っ!」
「ええっ!」
俺と大佐はそれまでのゆったりとした動きを放棄。
一気に彼らとの距離を詰めんとする。
穏やかに確保するどころの話ではなくなってしまった。
俺らの必死の説得と、逃げることの出来ない状況の悪さ。
彼らが諦めようか、という姿を見せていたのは、この二点によるもの。
しかし、その内の一点でも欠けてしまったのであれば。
諦める必要がなくなる。
例えば――そう。
あの少年を人質に取られてしまえば。
「動くなっ!」
俺らに出来ることはなくなってしまう。
懸念通りにことが進んでしまった、今、このときのように。
剣を下げたペスト医師は、抜き身のそいつを怯える少年に突きつける。
そして、いかにも役者らしく剣を動かす。
言葉はないのにも関わらず。
堂に入ったその動きはを見ているだけなのに。
――動けば。これだ。
そんな言葉が頭蓋の内にて響き渡った。
その声なき声は、俺と大佐の動きを封じるのに十分な威力を持っていた。
ら……羅生門。
タイトルが実に。
羅生門……




