第三章 十五話 そして狼煙は上がる
取り立ててやることもなく、書斎で古本を開いていたある日のことだ。
屋敷にフィリップス大佐からの使いがやって来た。
レナの件を含む、最近ゾクリュで発生している失踪事件について話があるそうで、隊舎に来て欲しいとのことであった。
戦友の行方について何か判明したのかも知れない。
そんな期待を胸に、ヘッセニアが脱走をしでしかた時同様に、守備隊所有のクーペに乗り込んだのだ。
馬車の外から見える街の様子は、ヘッセニアの時と大分異なっていた。
出歩く人々、轍に沿って走る幾多の馬車、線路を走る鉄道馬車……と大都市の日常的な風景が広がっていた。
目に見える光景は、本当にありふれていて、心の底から平和の感じさせるもの。
だが、このゾクリュの日常的な風景の何処かには、先鋭化した種族主義者が紛れているかもしれないのだ。
そう思うと、世界はまだ真に平和になっていないことを、まざまざと見せつけられたようである。
おかげで気分が沈む。
じっと外を見ていると、気が滅入りそうだった。
だから目を閉じて、馬車が隊舎に到着するその時を待つ。
目を閉じたままの時間は、そこまで長く続かなかった。
眠気を感じる遙か手前の頃合い、馬車は減速を始める。
減速に重心が背中に移ったのを認めて、目を開く。
既に馬車は隊舎の敷地の内に入っていた。
窓の外にはもうすっかりとお馴染みとなった、ゾクリュ守備隊の隊舎が堂々と屹立していた。
降車。
何度も足を運んでいるため、隊舎の間取りはもう頭に入ってしまった。
降車するや、案内なしに歩みを進め、寄り道を一切せずにフィリップス大佐の執務室へ。
「フィリップス大佐。スウィンバーンです。お待たせいたしました」
「どうぞ。入ってください」
ノックの後に、扉越しにてお約束のやり取りを経て入室。
大佐はいつも通りの位置、整頓しきれない机上の書類の山の向こう側に居た。
俺の入室を認めるや、執務椅子から腰を上げ、申し訳程度に備え付けられている応接テーブルに案内した。
「急に呼んじゃってすみませんね。しかもお茶も出せなくて。ちょーっと予算の関係でね。節約しなくちゃいけなくなっちゃったんですよ」
「いえ、気にしておりませんよ。それで……」
「ええ。レナさんの件、ですね」
挨拶をそこそこに切り上げることにする。
乙種騒動と、生体兵器事件。そのダブルパンチで、守備隊の資質が恐ろしい勢いで増えてしまったらしい。
その件を自嘲する表情を見せていた大佐であるが、本題に入ろうとするや否や、にわかに真面目な顔付きを作り上げた。
「現状ではまだ発見には至っておりません。が、恐らく彼女が囚われているだろうと思しき場所は、特定することが出来ました」
「と、すると……やはりレナは種族主義者に?」
「ええ。その通り。攫われたのは間違いないようです」
大佐がもたらした情報に、俺は顔をしかめざるをえなかった。
先日この部屋で大佐とギルトベルト、そしてムウニスと一緒にそうであってくれるな、と願っていたことが、そうであったしまったのだ。
人が人を迫害する。
そんな救いようのない未来が見えてしまったようで、さらに落ち込む羽目となる。
「……その情報は。確かなものなのでしょうか」
そしてなおも往生際が悪く、大佐に問いかける。
その情報は間違いではないのか。
ガセネタではないのか、と。
「残念ながら信憑性は極めて高いんですよ。これが。実は先日異種族を攫おうとしていた、下手人を捕らえましてね。そいつから引き出した情報なので」
「……そうですか。すみません。疑ってしまって」
「いえ。僕もその気持ち、理解できますよ」
事実を受け入れがたい気持ちは、大佐も十分に理解できるらしい。
だが、しかし誘拐を敢行しようとした下手人から得た情報であれば、もはや情報の信憑性を疑う真似など出来まい。
俺がどんなに望まなくとも、種族主義者がレナを筆頭にして数多の人々を攫おうとしたのは、認めねばならない事実であるようだ。
「質問、よろしいですか?」
「どうぞ。僕に答えられることならば」
「彼らは。種族主義者は。何を目的に人攫いなんて真似をしたのでしょうか」
「狼煙らしいですよ。彼らに言わせればね」
「狼煙?」
人を、異種族を攫うこと。
それがどうして狼煙に繋がるのか。
いまいちその関連性が見いだせなくて、俺は首を傾げた。
「そうです。このゾクリュは王国の中でも、特に統合主義の気が強い街であることは知ってますね?」
「ええ。七十年前のゾクリュの奇跡以降、この街には常に人類連合軍が居座ってましたからね」
「そう。七十年も四人類が肩を並べて街を歩いている光景を見続ければ、統合主義が思想の主流となるのは、当然の帰結と言えるでしょう。ってことはです。種族主義にかぶれた人たちからすれば、これほど住みにくい街はないわけです」
大佐とヘッセニアと一緒に、炊き出しの場に行ったときのことを思い出す。
種族主義者の難民が種族主義を声高に主張したけれど、周囲の賛同はまったくもって得られなかった。
それどころか、あの種族主義者には冷たい目が遠慮無く注がれていた。
この人は何を言ってるのだろう。
あの場に居た全員はそう言いたげな顔であった。
あれがゾクリュのスタンダードであるならば、だ。
たしかに種族主義者からすれば、この街は極めて住みにくい街でしかないだろう。
自らの芯となる思想を表明すれば、住民から白眼視されるのだ。
下手をすれば、ゾクリュの住民コミュニティから爪弾きされかねない。
と、なれば彼らは息を潜めて日々を生きなければならなくなる。
潜伏を余儀なくされる。
そんな生活の最中、街で種族主義的な事件が多発しているという噂を聞きつければ――
なるほど。
「種族主義的な行動を取れば。ゾクリュにて息を殺している種族主義者を奮起させることが出来るかもしれない。同志よ。我はここに居る。力を合わせて、声高に種族主義を主張するは今ぞ……と告げるための狼煙ってことですか」
「その通りです」
「厄介ですね。もし、彼らの望み通りの展開になってしまったならば……大佐。現状はどうなのですか? この街の種族主義者の動きは?」
「うん? いや。爆死。ちょー大爆死。人攫い以外にはぜーんぜん種族主義的な動きがなくてね。見事に呼応者ゼロ」
「あらら」
現在のゾクリュの状況を聞いて、少しほっとした。
「しかし、安心しました。頭数が揃えられない以上、種族主義者が大暴動を起こす。なんてことはなさそうですね。これならレナを救出するのも、それほど難しいことではないでしょう」
彼女が拘束されている場所が解っている以上、近いうちに救出作戦が展開されるに違いない。
そして、わざわざ人攫いをしてまで、ゾクリュに存在する潜在的な種族主義者の決起を促したところ見るに、彼らには暴動を起こせるに足る人手は居ないと見るべきだろう。
だとするならば、守備隊が数の暴力を用いれば、そこまで解決に難しい案件ではないだろう。
俺はそう思った。
だがしかし、その推測はいささか甘いものであったか。
大佐はにわかに渋っ面を作り出した。
「……何か。警戒しなければならない要素がある、ということですか?」
「ええ。まあ」
彼の表情を渋くさせた要素とやらは、随分と重たい代物であるらしい。
ここにきて急にフィリップス大佐が言い淀む。
両太ももに組んだ両手を動かし、しばらく見つめて、彼は間を作った。
その仕草から、わざわざ間を作らなければ話し出せないほどに、話すのにしんどい案件だということが解った。
「……ハドリー・ロングフェローについてです」
ふうと、一息を付いた後に、大佐は一人の豪商の名をあげた。
その者は先日のゾクリュの劇場にて、皇国人のレナに対して憎悪の視線を投げかけていたという。
だから、守備隊は彼に探りを入れていたらしいのだが……
この大佐の反応からすると恐らく。
「クロでした」
やはりか。
深くため息をつく。
ソファに背を預けて隊舎の天井を仰ぎ見る。
大佐はタバコを吸わない人であるのか。
天井はヤニの汚れ一つ無く、真っ白なままであった。
「さらに都合が悪いことにですね。どうにも、最近ゾクリュで悪さしている種族主義者たち。その親玉は彼であるようなのです」
「統合主義が強いゾクリュで急に、種族主義者が現れ始めたところを鑑みるに……そいつらはロングフェローと共に、別の地からここゾクリュにやってきた?」
「ええ、そうです。実はですね。種族主義者たちがここゾクリュに流入しているという情報は、以前より王都からもたらされていたのです。だから、貴方の監視を少し緩くしてまで、街に入ってくる人々のチェックを厳にしていたのですが……」
「……防ぐことが出来なかった、と」
「お恥ずかしいことに」
普段は威厳とか重苦しい雰囲気と無縁なフィリップス大佐なれど、流石に今回は堪えたらしい。
悔しさを隠しきれない面持ちで、小さく呟いた。
「言い訳をするのであればですね。彼らちょっとした裏技を使ってきまして、ね。おかげでまんまと見過ごして、こんな事態に至るってわけなんですよ」
「裏技?」
「ええ。裏技です。それも衝撃的なやつ。そのせいで僕らのチェックを抜けて、彼らはまんまとゾクリュ入りを果たしてしまったのです」
「それはどのようなものなのですか?」
普段は気のない態度をとっているものの、フィリップス大佐は本質的には抜け目のない人間である。
そんな彼がまんまと裏をかかれてしまったというのだ。
衝撃的、と前置きしているところから察するに、彼がその手段に対して抱いたショックの大きさがうかがえよう。
さて、その衝撃的な手段とは。
「歌劇座です」
「歌劇座?」
「そう、歌劇座。彼らもまたクロでした」
「……は?」
間の抜けた声が、自然と口から漏れ出てしまった。
多分、口もぽかんとだらしなく開いてしまっていることだろう。
しかし、大佐が告げた衝撃的な裏技は、人の感情を一時的に奪ってしまうほどに威力のあるものであった。
「種族主義者に歌劇座のスタッフという身分を与えて、潜り込ませたんです。やられましたよ。僕もまさかあの世界的劇団が種族主義に傾倒していたなんて、想像だにしなかったもんですから」
「え……え? ちょ、ちょっと待ってください、大佐。歌劇座は……歌劇座は確か再結成にあたって、ロングフェローだけではなく、王家からも出資を受けていたはずです。王家と言えば……」
「そう。王国同様、どちらかと言えば統合主義的な立場を取っています。そこが落とし穴だったんです」
統合主義者から出資を受けた種族主義者が存在する。
この可能性に思い至った者が、一体この王国に何人居ただろうか。
もちろん、王室から出資を受けた際、彼らは自らの思想を口にしなかったことだろう。
で、なければ出資は受けられないだろうから。
しかし、このせいで俺らは一つの可能性を見落としたのだ。
歌劇座が種族主義に傾倒しているかもしれないという可能性を。
大佐がかなり衝撃的な、と言っただけはある。
現に次に大佐にかけるべき言葉が、一向に思い浮かんでこない。
出来たのは目の前にある応接机を、ぼうと眺めることだけ。
「しかも面倒なことに歌劇座はですね。種族主義者を運んできただけではなく、人攫いにも一枚噛んでるんですよ」
「そう……なんですか?」
「ええ。さきほどちょろっと言った、レナさんの所在。これは歌劇座が今、丸々貸し切っているホテルでしてね。彼らは宿舎としても、異種族を捕らえる牢としても使ってるみたいなんです」
攫った人々を放り込むための場所を提供している。
これはもう、彼らが協力に消極的であるとは言えないだろう。
歌劇座は種族主義に積極的に協力している。
心の底から賛同してしまっている。
そう見えた。
本来その演技でもって他人を喜ばせる人たちが。
他人を悲しませる所業に手を染めてしまっている。
それがどうしようもなく悲しかった。
「これから。どうなさるのですか」
「まずは攫われた人たちを助けねばなりません。だからまず、歌劇座が貸し切っているホテルに突入を――」
「失礼します! 大佐! 緊急事態です!」
今後の守備隊の動向。
それを問い、大佐が答えようとするも、しかしそれは半ばで途切れることとなる。
乱入者が現れたからだ。
その正体は、フィリップス大佐の副官である新米少尉、ソフィーであった。
緊急事態――
彼女はそう言っていた。
実際それに相応しく、ソフィーの顔色はとても悪いもの。
執務室になだれ込んでしばらくしてから、俺の存在に気がついたくらいだから、相当に慌てていたのに違いない。
「どうしたの、ソフィーちゃん。そんなに慌てて」
「し、し……種ぞ……種族……主義者が……」
隊舎を全力疾走して来たのか。
ソフィーの息は大いに荒れて、言葉を紡ぐのにも難儀。
呼吸音が盛大に言葉をぶつ切りにする。
まずは話すだけの余裕を取り戻さねば。
その結論に自ら至ったらしい。
ソフィーは一度言葉を切り上げ、二度、三度、いや四度深呼吸をして、そして。
「種族主義者が武装決起しました!」
額に浮かぶ脂汗。
彼女はそれを一切拭わずに、そう報告した。




