第二章 十七話 戦友としての役目、メイドの役割
天地をかき回すかのような轟音と振動が収まるや否や、アリスは待避壕から飛び出した。
彼女をまず最初に出迎えたのは鼻につくにおいであった。
土が焼けるにおいである。
アリスにとっては懐かしのにおいだった。
そのにおいはまさしく戦場そのものであったから。
そんな戦後には似つかわしくない空気を、アリスは切り裂くようにして走る。
物見櫓を構成していた木材が転がり、爆風によって地面の表層が空気と攪拌され、足下はひどく不安定。
それでも構わず彼女は駆けた。
目的であった生体兵器の討伐の可否を確かめずに走り続ける。
アリスにとっては策が成功したか否かなんて、取りに足らない些細な出来事であるから。
目指す場所は言うまでもない。
ウィリアムが逃げ込んでいるはずのシェルターである。
アリスはいち早く彼の無事を確認したかった。
そうでないと気が狂ってしまいそうだから。
とは言え、そこへたどり着いたとてアリスが望む現実が待っているとは限らない。
待避が間に合わず爆風に巻き込まれ、残骸と化したウィリアムがそこにあるかもしれない。
そんな悪い予想が何度も頭を過るも、アリスはその度必死になってそれを否定した。
そんなはずはない。
ウィリアムはきちんと逃げおおせてくれたはずだ、と。
何度も何度も否定した。
強化魔法を使えないだけあって、その地にたどり着くまで時間がかかった。
幾度も強化魔法が苦手な自分を呪いつつも、ようやく彼女は目的の場所に着くことができた。
元々荒涼としていた大地は、爆心地から近いこともあって、さらに荒廃が進んでいた。
土が焼けるにおいもより強い。
袖口で鼻を覆いつつ、アリスは右に左にと首を振る。
近くにウィリアムが倒れていないか、まずそれを確認した。
何度も何度も首を振る。
目をせわしなく動かす。
幸いなことに人影と思しき異物は大地に転がってはいないようだ。
一安心したアリスが次に探すは、シェルターの入り口。
正確には穴を塞ぐ蓋を探していた。
中に居る人物を確実に守らなければならない都合上、周囲の地面と比して強度というか硬さが違うというか、兎に角何処か雰囲気が浮いたものになっているはず。
だから、アリスはその違和感を見つけ出そうと、地面の隅々まで見渡した。
が、どういうことだろう。
じっくりとしっかりと探し続けても。
そんな周りとは浮ついた雰囲気を湛える地面なんて、どこにも見当たらなかった。
「まさか」
嫌な予感が、彼女の胸に満ちる。
衝撃にシェルターが耐えることが出来ず、天井が崩落してしまったのでないか。
そのせいで周囲の地面と半ば一体化してしまい、見分けが付かなくなってしまったのではないか。
もしそうだとしたら。
ウィリアムの無事はとてもではないが――
「っ。ウィリアムさん!! 何処にいらっしゃいますか!!??」
大声を出す。
ウィリアムを探すために。
自分の最悪な予感を拭い去るために。
しばしアリスは沈黙する。
返答を聞くために。
もし、近くにウィリアムが居るのならば、返答なり何らかのアクションを取るはず。
些細な変化を絶対に感じ取るために押し黙る。
が、彼女の問いかけに呼応するような変化は感じ取れず。
ますます不安を強くしたアリスが、もう一度大声を張り上げようとした、その時であった。
音がした。
短い音だ。
地中から何かが出ようと試みているような、そんな音。
「ウィリアムさん!!?? ウィリアムさんでしょうか!!??」
何がその音を生んだのか、今のアリスには判別できない。
だが、音がしたタイミングから考えてウィリアムの返事かもしれない。
だから彼女はもう一度大声で問いかけた。
アリスにとって都合の良い可能性を、確実なものにするために。
果たして。
耳を澄ます。
音がした。
先よりも明らかに短く、そして力強い音がした。
故にアリスは確信した。
彼は少なくともまだ生きている、と。
意識を集中させたこともあり、音がどこから鳴っているのか。
アリスはそれをすぐさま突き止めて駆け寄る。
こつりとにわかに足音が変わる。
接地感も明確に変わる。
土粒を踏みしめるざらりとした感覚から、石の上を歩くかのような感覚になった。
間違いない。
これはヘッセニアの魔道具が作り上げたものだ。
この下にウィリアムが居る。
こうして叩いて音を出しているところを見るに、どうやら内からこの蓋を開けるのは困難なようである。
「ウィリアムさん! 天井からお離れ下さい! お伏せ下さい! 私がこじ開けます!」
ならば外からこじ開けるのみ、とアリスは魔法を行使した。
用いるのは風の魔法。
激しい風を叩き付けて、この石の蓋を削り取ろうという魂胆である。
魔力を使って、現象をイメージ。
そうして生まれた風の渦を足下に遠慮無くぶつける。
ごりごりと音がする。
石臼で粉を挽いているかのような音だ。
もっとも、只今挽いているのは穀物ではなく、石そのものであるが。
細かい砂粒をまき散らしながら、石の蓋はみるみるその厚さを減らしていく。
随分と分厚い石ではある。
が、並の術者とは隔絶した実力を持つアリスからすれば、目の前の石もいい加減に焼けたクッキーも同然。
さしたる苦労もなく、あっさりと穴を穿つ。
「ウィリアムさん!? ご無事ですか!?」
穴が開いて、間髪入れずに中を覗き込む。
天井を叩くことが出来たけれど、もしかしたならば、何処かに怪我を負ってるやも知れぬ。
それを心配しての行動であったのだが、さて、ウィリアムは果たして。
居た。
先のアリスの忠告通り、穴の底に身を小さくしてへばりついていた。
一見する限り血をにじませている様子はない。
大きな怪我をしている様子はない。
「……と」
「と?」
地の底でぽつりとウィリアムが呟く。
言葉と言うよりも、音と言った方が適当で、意味を掬い取ることは困難であった。
だからアリスは待つ。
彼がきちんと言葉を紡ぐのを。
「……閉じ込められたまま出られなくて死ぬかと思った……地上の状況解らないから迂闊に蹴破れないし……ヘッセニアめ。頑丈に造ってくれるのは有り難いけど、出るときのことを考えて欲しかった……」
心底肝を冷やしたことをうかがわせる声色で彼は言う。
そして安堵のため息一つ吐いて、気だるげな動きで立ち上がる。
アリスはまじまじとウィリアムの頭の天辺からつま先まで、何度も何度も慎重に観察した。
シェルター由来の土汚れを除けば、彼に目立った汚れはなかった。
乾いた血糊もなければ、てらてら光を返す血がにじみ続ける傷口などもない。
彼は無傷のようである。
「よかった……」
それはアリスの心の奥底からの一言であった。
ウィリアムが転進して以来、ずっと心を支配してきた、彼の身に何かがあったら――
そんな不安がここに来てようやく綺麗に拭い去ることができた。
「アイツは……どうなった?」
「ご安心下さい。ほら」
ウィリアムの問いかけにアリスは爆心地を指しながら答える。
彼女の指先に視線を這わせてみれば、飴細工のようにあちらこちらがひん曲がった鎖が、一塊となって落ちていた。
目をこらしてみれば鎖は細かい消し炭に巻き付いているようにも見える。
あの消し炭の正体は……今更に言うまでもあるまい。
ヘッセニアの宿命である、あの生体兵器のなれの果てである。
「ああ。よかった」
安心しきった、と言わんばかりのため息をウィリアムは吐いた。
役目をきっちり果たせたこと、それに大きな安堵を抱いているようである。
つられてアリスまでほっとしてしまいそうになるが、ここで安心しきってはいけない、と彼女は気を引き締め直した。
アリスには確かめることが一つあったからだ。
ウィリアムの悪癖が復活しているか否かの判断。
自分の命を消耗品として見てしまっていないかどうかの見極め。
それをしなければならなかった。
「もう……無茶しすぎですよ……あの兵器に負けることはないにしても、爆発に巻き込まれてしまえば、いくらウィリアムさんでも無事では済まないのですから……」
「あー……うん。それについては、まっことに申し訳ない。流石に自分でも無茶しすぎたな、って結構後悔してる」
「……本当に後悔しています?」
「ほんと、ほんと。戦争終わったのに、戦死みたいな死に方するのは、流石に嫌な死に方でしかないからね」
アリスはじっとウィリアムの目を見て問う。
彼は真っ直ぐ彼女の目を見て言葉を返す。
彼の態度は、やりすぎてしまったことが原因だろうか。どこかバツが悪そうなもの。
声色に浮ついたところもないし、一見すれば心からの台詞を口にしているように見える。
今のところ観測し得る情報を整理すれば、ウィリアムは今回の行動を本当に後悔しているように見えた。
(私の気のせいであったの? そうであるならば……それに越したことないけれど)
ウィリアムに全幅の信頼をおいているアリスではあるが、今回に関しては即断することを避けた。
何せウィリアムの命に関わることなのだ。
判断にバイアスをかけてはならない。
自分にとって都合のいいその判断が、彼の危険を呼び込みかねないのだから。
慎重にならざるを得ない。
それに自分に囮役をやらせてくれ、と言い出したときの彼の顔付きは、正しく懇願という表現がこれ以上になく似合うものであった。
生きて帰れる保障もないのに是非やらせてくれ、と頼むなんて、自分の身の安否を端から考えていない証拠とも取れることができる。
今の彼の態度を信じるべきか、あの時の彼の顔を問題視するか。
これはアリスにとって極めて難しい二択であった。
「それにしても、随分と汚れてしまいましたね」
しかし、アリスはここで追及を切り上げた。
今の表情から判断する限り、ウィリアムは本当に反省しているように見える。
が、それはあくまで外見のみで判断しただけのこと。
彼の本心は彼にしか解らず、他人がいくら推測したところで、明らかになるものではない。
だが、ずっと傍に居ればそれとなくではあるが、きっと解るようになるはず。
時間だけはあるのだから、今は焦ることはない。
屋敷で一緒に長い時間を過ごして見極めればいいだけのことだ。
アリスはそう思った。
だから、今するべきことは。
「お風呂の準備をしなければなりませんね。帰りましょうか。お屋敷に」
彼女の主人の汚れを、いち早く綺麗にすること。
ウィリアムが戦友のために役目を果たしたように、今度はウィリアムのためにアリスがメイドとしての役割を果たさなければ。
アリスに遅れて守備隊の面々が、慌ただしい足音を響かせながらやってきた。
きっと彼らはこれから忙しくなるだろう。
あの生体兵器を討伐したこの場所の隅々まで調査を行わねばならないのだから。
「そうだね。帰ろっか。彼らには悪いけど、アンジェリカ待たすのもアレだし、大佐に頼んで早くあがらせて貰おう」
「はい。そうしましょう」
守備隊の人々とは対照的にゆったりと二人は歩き出す。
二人のつま先は街が、そして屋敷のある丘の方へ向く。
彼らを差し置いて自分たちだけ帰るのは、後ろ髪を引かれる思あるけれど。
でも、あれだけウィリアムが危ない目に遭ったのだ。
少しくらいのワガママは許されるだろう、とアリスは思った。




