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第二章 十五話 死神の悪癖

 荒涼とした平原にはお似合いの冷たい風が、アリスの頬を撫でた。

 いや、撫でる、という表現は適当ではないのかもしれない。


 ただでさえ遮蔽物がなく、吹く風が弱まる要素がない場所だというのに、今のアリスは守備隊が急造した物見櫓に上がっている。

 従って地表よりも更に風が強く吹く。

 風を真っ正面に受ければ、身震いせずにはいられないほどに。


 とするならば、なるほど、確かに風が頬を撫でる、という穏当な表現は用いるべきではないだろう。


 事実、風の影響かだろうか。

 彼女の身体は冷え切っていた。


 しかし、いくら風を受けようとも、アリスは寒さに身を震わせることはなかった。

 風がもたらす寒さなぞ歯牙にもかけないほどの、強烈な憂慮をその胸に抱いていたからだ。


 その憂いの原因は、彼女の視線の先にある。

 何度も何度も突進を試みる巨大でグロテスクな生物と、そいつを挑発するようにひらひらと地面を駆け回る一つの影。


 その小さな影が彼女の胸の内を、今もなお焦がしていた。


 小さな影の正体はアリスの特別な戦友にして、傍に仕えるべき相手ウィリアム。


 彼は今、彼とアリスの戦友でもあるヘッセニアのために、危険を顧みずあの巨体と相対している。

 アリスは彼がそうしていることが、心配でならなかった。


 ウィリアムはおろか、並の邪神よりも一回りも二回りの大きなそれに踏み潰されてしまえば、いくら彼とて無事ではすまない。


 いや、それだけであるならばそこまでの心配を抱かなかったのかもしれない。

、戦時中は彼は、その危惧よりもずっとずっと危ういことをやってきたのだから。


 アリスが強い懸念を抱いているのは、今日彼が成すべき仕事そのものであった。


 平原に設置されたヘッセニアが作り上げた時限爆弾。

 その範囲内にあの生体兵器を誘導し、拘束し、そしてシェルターに避難するというこの一連の流れが、今日の彼の仕事である。


 避難先がきちんと用意されている点により、一見すればきちんと安全のための考慮が成されているかに思える。


 が、拘束から避難までに許されてマージンは決して余裕があるものではない。


 拘束具がどれだけ持つかが未知数である以上、より生体兵器の討伐する確率を上げるには、拘束から爆破までの時間を短くする必要があった。


 スケジュールのタイトさは折り紙付きである。

 途中で何かトラブルがあれば、ウィリアムが爆発に巻き込まれるリスクを無視できないほどに。


 これだけでも、アリスがこの策に反対する十分な理由になる。

 その上、彼の今の武装と言えば大きさだけは立派な鉄柱のみ。

 非拘束の状態で切断のダメージを受けると、逃亡されてしまう可能性を見込んでのことであった。


 危うい策に、いまいち頼りになるとは言い難い武装。

 だから彼女は、ウィリアム本人から策の詳細を聞かされた際、即座に反対の意を表明した。


 確かにそれらの要素によって討伐の可能性はあがるやもしれぬが、彼が危ない以上、アリスは一切譲る気はなかった。


 しかし結果としてはアリスの反対もむなしく、あっさりと押し切られてしまった。


 それも他の誰でもない。

 アリスが身を案じた当の本人の熱望によって。


(杞憂、であればいいのだけれども)


 アリスは戦友の役に立ちたいと望み、必死に自分を説得しようとするウィリアムの姿を思い出す。


 切望、庶幾、翹望。


 その様子は、それらの言葉でごてごてに飾り付けても、なお不足するほどに必死な様であった。


 アリスが押し切られてしまったのは、その熱意に圧倒されてしまったからだ。


 ただし熱意に感心したから、という意味ではない。

 悪い予感に襲われて言葉を失ってしまい、その沈黙を強引に同意と取られてしまったのだ。


 否定しようにも、早く街の危機を排除したいがため、元よりその気な守備隊によってその隙を潰され、あれよあれよの内に話がまとまってしまった。


 今でこそ、守備隊の面々に恨み言の一つや二つぶつけたいアリスであるが、当時はそんな余裕すらなかった。


 何故なら抱いた悪い予感というのが、とてつもなく大きかったからだ。

 誰かを恨む余裕が持てなかったのだ。


(また、あの人の悪い癖が……出てしまったというの?)


 アリスが慕うウィリアムには悪癖があった。


 その癖は問題児だらけの分隊に相応しく、クロードの頭を悩ませ、アリスの気を気でなくする非常にタチの悪いもの。

 そのタチの悪さは彼の生命を脅かすほどであるのだから、折り紙付きと言えよう。


 しかし彼女が献身し続けた甲斐あり、ウィリアムはその悪癖は終戦の少し前で克服出来た――はずだった。


 そう、そのはずだったのに。

 必死に説得するウィリアムの姿は、治したはずの癖を再発したようにしか、アリスには見えなかった。


 即ちそれが彼女の抱いた悪い予感の正体であった。

 ウィリアムの平穏と無事を誰よりも願うアリスにとって、それを壊しかねない悪癖の再発は、言葉をそして思考を奪うに値する衝撃であったのである。


(まだ、そうとは決まったわけじゃない)


 再発か否か。

 それを判断する材料は現段階においては少ない。


 だが、もし本当にぶり返してしまったのであれば。


(私は、また治療にお付き合いしますよ。何度でも。いつまでも。治りきるその時まで)


 長い時間をかける必要があるのかもしれない。

 だが、もう戦争は終わったのだ。

 あの頃のように時間に急いで生きる必要もない。

 癖の矯正に捧げる時間はたっぷりある。


 だから、そのためにも。

 目の前の危険な仕事を無事に切り抜けて貰わねば。


(必ず無事で帰ってきて下さい)


 歯がゆい思いをアリスは抱く。

 彼のために生きていこうと心に誓ったのに。

 今、この時においてはこうして祈ることが出来ないことがたまらなく悔しかった。


 ◇◇◇


 とっくのとうに両指で数え切れなくなったヤツの突進を、今まで通り身を翻して躱す。

 その度に目的の場所へと近付いていく。


 気持ちの悪いくらいに物事が上手く進んでいた。

 ヤツの進路が外れそうになれば、その都度鉄柱で打っ叩いて軌道修正。

 さながら鞭か何かで羊を追う、牧羊家の気分だ。

 ただ、追うのは愛嬌のある羊ではなく、邪神と同じベクトルで名状しがたき化け物であるのが残念であるが。


「まあ、でも。見た目が気持ち悪くて助かったかなっ。コイツに愛嬌あったらそれはそれでやり辛い」


 何せ、今、コイツは俺の思うがままに動いてくれている。

 人間は往々にして、自分の思い通りに動くものに好意を抱くもの。

 もし愛嬌があったのならば、ヤツに奇妙な好意を抱いてしまって、爆発で吹き飛ばすのを躊躇ってしまう可能性もなくはない。


 もっとも、たとえ躊躇ったところとて、ヤツの爆破を止めようとは思わないだろうが。


「さあさ。もうすぐだ。もうすぐ君たちはこの責め苦から解放されるから」


 その理由はこの間ヘッセニアが語ってくれた、あの生体兵器の成り立ちにあった。


 アレは数多の魔族の死体を用いて作られている。

 弔われずに隠されずに、未だその死を表在させ続けている。

 彼らは死してなお恥辱を味わい続けているのだ。


 だから俺は連れて行くのだ。

 文字通り、彼らを死地へ。

 

 ああ、ならば、先ほどの牧羊家かの如く、という感想は誤りであったか。

 死の運命にあるものを死の世界へと誘う、今の俺の役割。

 それは他でもなく死神そのものだ。


「なら、その役になりきって見せようか。彼らにとっての死神に」


 どれほど変質してしまおうとも、元々が人類である以上手にかけるのは抵抗がある。


 だが、今回に限って言えば彼らを放置してしまう方が罪悪となろう。


 その上生体壁の討伐が戦友の悲願ときたならば、そこに躊躇う理由なんてない。

 命を賭けるに値する大仕事だ。


 加えて数えきらないほどの突進を再び躱した頃合、それまでずっと同じようなのが続いていた風景に一つの変化が生じた。


 荒涼としてのっぺりとした地面に、明らかな異物がでんと鎮座していたのである。

 それがそこら中に存在していた。


 その異物は鈍色に、そしてぼんやりと光を照り返していた。

 金属が由来の光沢だ。


 正体は鎖であった。


 しかしただの鎖ではない。


 一目で気がつくのはサイズが桁外れに大きいことだ。

 一つの鎖素子が大の男の腰回りほどの大きな鎖。

 陸で生活している分には、まずお目にかからないほどに巨大である。


 それもそのはずだ。

 こいつは元々巨大な甲鉄艦を港に停泊させるための鎖であるのだから。

 そんな代物がどうして水気のない死にかけた平原に無造作に置かれているのか。


 俺はその理由を知っていた。

 つまりこれが今日の俺の商売道具なのだ。

 これがヤツを拘束するための道具なのだ。


 鎖の両端には錨が繋がれている。

 そのうち片方はすでに地中に埋められていて、しっかりと固定されている。

 つまりこいつでヤツを雁字搦めに縛ってしまえば、そう簡単にはここから逃げられなくなるということ。


「さて」


 物思いの間に鎖へとたどり着く。

 くるりと踵を返す。

 グロテスクな怪物が俺を仕留めようとするために追ってくる。


 どうやらここに連れてこられた意図も、すぐ背中にある鎖にも気がついていないようだ。

 本当に目論見通りに事態が動いてくれて助かる。


「戦争もいつもこんな風に行ってくれてたら。もうちょっと楽に勝てたんだけどなあ」


 そうであったのならば、魔族達もこんなとんでもない兵器を造らずに済んだことだろう。

 そもそも俺が従軍することもなかったのかもしれない。


 まったく、本当にままならない世の中だ。

 内心でそう小言を紡ぎつつも、大きく深く息を吐く。


 さて、始めようか。


 鉄棒を手放す。

 硬質的で重量感あふれる音が地面を揺らす。 


 踵を後ろにずらす。

 錨に引っかける。

 鎖を蹴り上げるために力を込める。


 尋常であれば機械か、大人数を動員して動かす代物だ。

 当然一人で扱うことなんて出来ず、鎖はびくともしないはず。


 だが、現実として起こったのはそうではなかった。

 耳を劈く怪音響かせながら、ふわりと人の丈ほどまで舞い上がった。

 自由落下を始めるか否かのタイミングで、頭上にて鎖の端の錨をつかみ取る。


 ずっしりとした重みが腕に伝わった。

 けれどもそれだけ。

 押しつぶされずにしゃんと二つの足でその場に立ち続ける。

 錨を肩に担ぎながら。


 そうだ。

 常識的に考えれば一人の人間が甲鉄艦のアンカーを駆使することなんて出来ないけれども

 俺であれば出来る。

 強化魔法を用いれば問題なく扱える。


「死神と言えば大鎌が得物だけど。でもまあっ!」


「――――!!!!」


 足を止めたこともあり、俺とヤツとの距離はこれ以上似ないほど接近。

 恐らくヤツとしては俺を討ったと思ったのだろう。

 勝利の雄叫びとも取れる大音声を上げながら、少しも勢いを緩めないで突っ込んできた。


 これを躱す。

 跳躍し、一足でヤツの左肩に乗り移る。

 向こうが突進のため大きく身体動かしていることもあって、足場は不安定。視界も上下に揺れる。


 しかしそれでも構わず俺は肩の上で一歩を踏み出す。

 目指すは対の肩へ。

 もちろん鎖を引き摺りながら。


「ふっ」


 右肩は移ろうとも足は止めない。

 次いで一足飛びにまた初めに飛び移った左へと戻る。

 先はうなじ側を通って。

 今度はヤツの顔の真ん前を通って。

 

 左に戻ろうともやはり足は止めない。

 今度は勢いそのままにその肩を蹴って地面へ飛び降りる。

 当然鎖を携えたまま。


 そんな動きを鎖を伴いながらしたのだ。

 必然鎖はヤツの首を巻き付いく。

 そして。


「――????!!!!」


 ぎちぎちと首の肉を巻き込む感覚が手に伝わる。


 直後、困惑と苦痛が合わさった叫びが平原に響いた。

 言うまでもなく、それはあの生体兵器のもの。

 きちんと鎖がヤツの肉体に食い込んだ証でもある。


 感触と絶叫を受けて錨を地面に突き刺す。


 拘束の第一段階はこれで完了。

 だが、安心はしていられない。

 むしろここからが本番だ。


 同じく地面に無造作に置かれた別の鎖を手に取る。

 間合いを詰めて右足を拘束。

 次いで左足、左手、そして右手に鎖を巻き付け自由を奪う。


 これにて拘束は完了。

 今やあの巨体は僅かに身を捩るほかすることは出来ない。


 スケジュールはタイトだ。

 爆発までそう時間が空いていない。

 まごまごしていると巻き込まれる。


 身を翻す。

 視線は一点に向ける。

 こちらもまた予め拵えておいたシェルター。

 そこに向けて走り出す。


 強化魔法を用いての疾走故、当然耳に入る音の大部分は風切り音。

 今、誰かが俺に話しかけても、余程の大声でなければ聞き取ることは出来ないはずだ。

 そこまでうるさいのに、風音のバリアを易々と貫く音が辺り一面に響いた。


 それこそヘッセニアの爆薬が、何らかの誤作動を起こして早々に爆発してしまったのか、と思わせるほどの音であった。


 音は背中から聞こえた。

 つまりヤツの方から聞こえた。


 まさかと思い後ろを見てみれば。

 ヤツを左手の拘束が外れていた。


 鎖素子に使われた鉄の質が悪かったのか。

 なんと破断してしまっていた。


「ちっ」


 足ならともかく、手が自由になってしまうのはマズい。

 他の無事な拘束を解かれかねない。


 幸いにして鎖は余分に用意してあった。

 そうであるならば、俺がやることは。


 足を止める。

 慣性によって身体が滑るも、より大きな力でそいつをねじ伏せて。


 そして踵を返して再び走り出す。

 拘束し直しに行くために。

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