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第二章 十四話 戦友のための闘い

 けたたましい半鐘の音が、殺風景な平原に響き渡った。


 その音に引き摺り出されるように、俺は懐かしの野営のテントを飛び出る。


 雲一つない、とても気持ちのいい青空が広がっていた。


 アリスお手製のサンドウィッチを持って、何処かに彼女と一緒に出かけられたら、どんなにいいことだろう。

 そんな平和な楽しみを夢想せずにはいられないほど、それはそれは素晴らしい空模様であった。


 しかし悲しいかな。

 そんな平和的な夢想とは真逆に、俺はこれから闘争をする必要があった。


 あらかじめ用意していた、洗練とはほど遠い様形の鉄柱を持つ。


 半鐘のアナクロな音を響かせ続ける、守備隊謹製の簡易な櫓を見る。


 櫓の上の物見役の守備隊員は東を必死に指す。

 目標は我が指の先なり、と、身振り手振り、全身を駆使してそれを俺に伝えようとしていた。 


 軽く手を上げて、了解の意を物見役に伝える。


 次いで示された東の地平線を睨む。

 目を細め、魔力で視力を水増しして。

 ――居た。


 先日闇夜で見た時よりも、一回り小さくなった異形の化け物が、のそりのそりとマイペースに歩を進めていた。


 ヤツを認めて俺は、まず無骨な鉄棒を肩に担いで。

 軽く息を吸って。

 吐くと同時に主に下半身を強化。

 そして地面を蹴って、前進。


 接近、開始。


 そう。

 本日俺の闘争、そのお相手とは。

 ヘッセニアにただならぬ縁のある、あの生体兵器であった。


 何故、ヘッセニアの宿命と俺が戦わなければならなくなったのか。

 それは俺がそう望んだからだ。


 彼女の宿命の成就のため力になりたいと告げた、ヘッセニアが再び捕らえられたあの日の夜を思い出す――


◇◇◇


 母の無念を晴らすために、生体兵器の討伐を自らの宿命と位置付けた――


 ヘッセニアの重々しい告白に場の空気も引っ張られたのだろう。

 オイルランプのお陰で明るい部屋とは対照的に、場の空気はすっかりと暗いものになってしまった。


「母の無念は相当なものだった。それもそのはず。アイツの身体を作り出すのに潰してしまった人々の遺体と、それを制御するための脳。それらの犠牲を丸々無駄にしてしまったのだから」


 死をモノとして消費してしまう以上、必ずや計画を成功させ、成果を邪神への先兵としなければならない。

 その決意は、件の計画に携わった開発者達にとっては、悪行に対する麻酔薬として機能したはずだ。


 しかし、その前提が、その麻酔が途中で途切れてしまったらどうなるだろうか。


 当然、強烈な痛みが彼らの良心を襲うことになろう。

 その痛みとは、即ち悪行への罪悪感だ。


 それは想像を絶する痛みであっただろう。

 現に、ヘッセニアの母親はその痛みに身を蝕まれてしまい、苦しみ。

 そして死に至ってしまったのだから。


「母は病床でずっと謝っていたわ。ごめんなさい、死を無駄にしてしまって。葬るどころか、今もなお白日の下に、その死を晒してしまって、ごめんさいって」


 まるで母の良心の呵責を、そのまま引き継いだとしか思えないくらいに沈痛な面持ちで、ヘッセニアは語る。


 アレを産み出すにあたっての犠牲者に対する謝罪の言葉は、心からの謝意と後悔に満ちていた。

 まるで今、まさに犠牲者達に面と向かって謝っているのでは、と錯覚してしまうほどに。


 だからその姿は、そしてその声は傍から見ていてとても痛々しい。

 ヘッセニア本人は本来そう思うべき立場にないだけに、一層その労しさが目立つ形となった。


「だから、私はヤツをこの世から消さなければならない。それが母の遺言だったから。どんな手段を用いても、ね」


 それは静かに、しかし強い意志が籠もった語り口であった。


 無理矢理にでも成就させてやる。

 例え、どんな手を使ってでも――


 そんな一言に、ソフィーに緊張が走る。

 大佐が露骨に困った顔を作る。

 クロードはいい加減諦めてくれ、と言わんばかりの飽きれの表情を産み出す。


 三人の反応はもっともなものだろう。


 今のヘッセニアの発言は、時が来たらまた脱走する、と暗に言っているようなものであったから。


 彼らが思ったことに通底しているのは、きっと、もう頼むから騒ぎを作らないでくれ、といったところだろう。


 もちろん俺もまた、彼女の発言を受けて思うところがあった。

 もっとも、その趣は三人のそれとはいささか異なるものではあるが。


「手段を選ばない、ね」


 今の俺の声色は、大分暗いものであったのかもしれない。


 どうした? ウィリアム? と、クロードが訝しげな目を向けたきたことが、その証拠である。


 しかし、暗いものにならざるを得なかったのだ。

 今のヘッセニアの言葉で一つの確信を得てしまったのだから。


 そうであってくれるな、と思っていたそんな重たい疑念が確信に変わってしまい、苦々しい思いを抱いた。


 その疑念とは――


「だからアイツと心中しようと考えたのか」


 ぽつり紡いだその一言に、部屋にあった視線全てが俺に集中した。

 それらの目に伴っていたのは、判を押したように全てが同じもの。

 まさか、といった驚嘆であった。


 そう。

 ずっと胸に抱いていた懸念とは、即ち自爆の可能性であった。


「……気付いていたの?」


 絞り出すような調子で、ヘッセニアが俺に問う。


「まあね。そういう君は否定しないんだな」


 彼女の声に負けないくらいに渋い声色で答える。


 引き続き、ヘッセニアは目で問いかける。無言で俺に問いかける。

 何が切っ掛けで気付いたのだ、と。


 やや間を置いてから、彼女の要望に応えることにした。


「初めに捕まった時は怪我してなかったろう? だから、最初の爆発騒ぎの時は、君は遠隔地でヤツを葬ろうと試みたことが判明した。しかし、それは失敗に終わった。ならば次に君は、()()()()()()()()()()()()()()()()を試みるだろう、と思ってね。素面なら馬鹿げた策だけど、しかし最近の君は素面ではなかった。なら、その選択をしてもおかしくない」


 寿命を迎える前に成さねばならぬことがある、と覚悟を決めた人間にありがちなことがある。


 それは宿命を果たせるのであれば、あるいは果たせる見込みがあるのであれば、その過程で命を落としても構わないと考えてしまうことだ。


 ノブレス・オブリージュがまさにその好例だ。


 国を王を臣民を、そして誇りを守るために命が必要となれば、なんと安いものか、と王国貴族達は喜んで死んでいってしまう。


 先日夢で見た、あの夕暮れのヘッセニアとの語らいを思い出す。


 彼女は明らかに命を消費しつつも、見事に宿命を果たした貴族達に憧憬を抱いていた。

 きちんと宿命を成就出来てなんとうらやましいことか、と言わんばかりの表情だった。


 そんな人間が一度は討伐に失敗したのであれば。

 しかも彼の人が、もう手段を選ばないと決意したのであれば。


 自らの命は失われるだろうけど、しかし討伐の蓋然性の高い自爆を選ぶのはそれほど不自然なことではあるまい。


 実のところはその決意自体は、それほど悪いものには思えない。


 紆余曲折はあったものの、俺とて元王国貴族だ。

 命を賭しても成すべきことがある、という考えも十分に理解できる。

 故にこの手の問題はなるべく他人が介入すべきではない、とすら思っていた。


 ただし同時に俺はとても醜い()()()()()でもある。


 各々に課された宿命は、各々の手で果たすべきと思うのと同時に。


「ヘッセニア。俺に、いや俺達に。ヤツにトドメを刺すこと。その手伝いをさせてくれないか?」


 戦友をむざむざ死なせたくない。

 そんな強烈な思いを抱いていた。


◇◇◇


 そして強烈に反発するヘッセニアを、何とか説き伏せて今に至るのだ。

 もうまもなく魔族の戦友の宿命と、再び対峙することとなる。


 勿論、無策で挑むわけではない。


 生体兵器の出現を見逃さぬための櫓を始めとして、今度こそ確実に葬るための工夫をこの平原に拵えておいた。

 さらに守備隊の協力も取り付けることが出来て、討伐するに不足しない陣営が整ったのではなかろうか。


 ヤツは、邪神のような再生能力を持たない代わりに、一定のダメージを受けると皮の内側で、自らの身体を材料に新たな身体を作る能力を持っているらしい。


 故にヤツを倒すためには一瞬で全身を吹き飛ばす必要がある。

 それがヘッセニアが病的なまでに爆発を追求していた理由でもあった。


 しかし対邪神兵器として開発しただけあって、単純な防御力も極めて高い。


 爆発のエキスパートであるヘッセニアの渾身の一発を、威力の減衰が生じない位置で食らわせなければ、耐えられてしまうほどの鉄壁ぶりだ。


 先の爆発でのヤツの生存はヘッセニアが遠距離にて爆発をしかけために、正確な距離感が掴めなかったこと。

 そしてそもそも、ヤツに移動の自由を与えてしまったことが、し損じた原因であったらしい。


 それ故、必殺の位置とは大分ずれた位置で、爆発を浴びせてしまうに至り、結果ヤツに爆発を耐えられてしまったのだ。


 では、それを防ぐためにはどうしたらいいのか。


 単純な手段が二つあった。


 一つは必殺の距離を見誤らないために、起爆者が目標と至近の距離で爆発を引き起こすことだ。


 これはヘッセニアが先日試みようとしたこと、つまりは自爆だ。

 彼女を必死に宥め賺したことから解るように、今回この手は用いない。

 

 では、残る一つの手段とは何か。


 それは乱暴に言ってしまえば、ヤツを必殺の位置で縛ってしまえばいいのである。

 身動きを封じ、逃げられないようにした上で爆発を起こしてしまえば、あっさりとヤツを粉砕できるはずだ。


 今回採用するのは、こっちの手段である。


 予め爆発する地点を決めておき、ヤツをそこへ誘導。

 そして、その場に縛り付けて固定して爆発を引き起こして、その身を完膚なきまでに粉々にしてしまおう――


 これが、今回の策であった。


 俺がこの策で担う役は追い込み役だ。


 追われるにせよ、追うにせよ、起爆予定地までヤツを誘導しなければならない。


 さらに無事にその任を終えたら終えたらで、次には身動きをさせないために、拘束をしなければならないのだ。

 おまけに拘束を終えた時点で、ヘッセニアが産み出した時限爆弾が作動する手筈になっている。


 離れた場所に拵えたシェルターに潜り込まなければ、俺も爆発に巻き込まれてしまうのだが、起動から爆発までの猶予は短めに設定されている。


 もし、逃げている最中に躓いてしまえば安全を確保できるか不透明になる。

 その程度には、カツカツのスケジュールであった。

 何にせよやることが盛りだくさんで、結構忙しい。


「ま、それでも無茶振りじゃないだけ、大分気が楽なんだけどね」


 ますますヤツとの距離を詰めつつ、ぽつり独りごちる。


 確かに危険な役目だ。

 概要を伝えたとき、アリスが頑なに反対し続けたのも頷けるほどに。


 が、それでもあの戦争で、あの分隊で体験したことに比べればまだマシだ。


 敵はたった一体だけだし、目的も極めて明確。


 数えるに両手じゃ足りない敵を、取りあえず味方を逃がしきるまで足止めしろ、なんてふんわりした命令が常であった分隊時代よりはずっとマシだ。


 そんなロクでもない指令を達成し続けた実績が、今回の件は恐るるに足らず、という自信を俺に与えてくれていた。


「それに、もし上手くいかなかったところで」


 この策に何らかの不都合が起こって、失敗してしまったとしよう。

 例えば拘束が上手くいかなかったとか。


 しかし、そんな状況に陥ったとしても、俺には最終的な目標である生体兵器の討伐を達成させるためのアドリブを。

 それを入れられる自信もあった。


 もし、拘束が上手くいかなかったのであれば。


「俺が戦って足止めすればいい訳だし。爆発に巻き込まれるけど」


 そうなってしまえば、()()()()()()()()()()()()

 でも、俺一人の命を消費して戦友とその母と、そしてアイツを拵えるのに犠牲となった人たちの無念を晴らせるのであれば。


 それはとてもいい取引に違いないはずだから。


 出来ればそこそこ長く生きていたいけれど。

 でも、()()()()()()()()()()()()()


 それはそれで、いい人生ってやつではないだろうか? 


「遅いね。やっとお気づきかい?」


 目を細めずとも、ヤツの巨体を認められるようになったころ、ようやく本日の対戦相手が俺の存在に気付いた。


 ぐっと、重心を落として突撃の準備姿勢に入る。

 が、その動きは遅きに失していた。


 ヤツが突撃の準備を整え終えたころには。

 既に俺はヤツを間合いの内に入れていた。


 そうして俺は無骨な鉄骨を振りかぶる。


 戦友のための戦いが始まった。

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