第二章 九話 悪党の所業
殺風景な面会室を後にすれば、そのまま屋敷へ帰る――ことはしなかった。
記録員の役を担っていた例の看守に導かれて、やはりひどく味気のない木の扉の内へ行く。
「どうだった?」
出迎えるのは問いかけの声。
聞き慣れた、クロードの声であった。
その他、幾人かの視線も面会室から帰ってきた俺を歓迎した。
「相も変わらず、あの日起こったことはだんまりで」
肩をすくめて、意思表示。
結果は芳しくなかった。
やや大げさなジェスチャーを受けて、場の空気は落胆の色が濃くなった。
「やはり、駄目でしたか」
音が聞こえてきそうな程に肩を落としながら、この部屋の主であるフィリップス大佐は半ば独りごちた。
屋敷で抱いた印象通り、やはりこの人は片付けが苦手な性格らしい。
頬杖を付いている執務机は、あちらこちらに書類が散乱。
見るも無惨な様を見せていた。
そう。今俺が入った部屋とは、ゾクリュ守備隊の隊長に宛がわれた部屋だ。
以前、アンジェリカを預かって貰った部屋よりかはやや狭い。
そんな決して広くはない部屋に男女合わせて五人も詰めているのだから、見ているだけでも一種の圧迫感すら覚えてしまった。
「ですけれども全くの無収穫、というわけではありませんでしたよ」
「と、言いますと?」
「少なくとも、あの爆発は軽はずみに起こしたわけではない。そのことは解りました。彼女の内面深くに関わる問題であるようです」
まあ、それも面会記録に記されてある、と伝えるためにちらと時同じくして入室した看守を見る。
大佐はその目の動きを見逃さなかった。
記録をこっちへと一言かけて、書類を受け取り目を左右に動かす。
俺と彼女のやり取りを読み込んでいく。
目の反復運動が終わると同時に、顔を上げてぽつり一言。
「宿命、ですか」
と。
「宿命?」
その一言だけでは、当然面会室で何があったのか推測することは出来ない。
だから大佐の傍に佇むソフィーが上げた声も、また至極当然のことだ。
そんな彼女の疑問に答えるために、大佐は読み終えた書類をソフィーに回した。
指が紙をめくる軽い音が間欠にて静かに鳴り始める。
「戦争中、私は一度だけ彼女から告げられたのです。自身が必ずや成せねばならぬ、そんなどうしようもなく重たい宿命があると。どうやらその宿命とやらが、戦争中では果たせず、未だ彼女を縛っているようです」
ソフィーが記録に目を落とす最中、先の会話を覗いただけでは得ることの出来ない情報を口頭で補足する。
「しかし……だからと言って、あのような爆発を起こす必要はないのではないか? それに折角あの戦争を生き抜いたのだ。そんな重苦しい宿命など捨てて、自由に生きれば良いのに……」
記録と補足。
その二つでもって最低限の理解を得たソフィーは、なおも解せぬといった面持ちでそう漏らした。
確かに全くの部外者から見ればその通りだ。
ふとした事で命を落とす時代は終わり、ようやく平穏で自由な時を過ごせるようになったのだ。
そんな中、自らを縛る真似は不可解と言ってもいい。
だが俺は知っていた。
ソフィーにヘッセニアがどれだけ本気で宿命に立ち向かっているのか、それを悟らせる言葉を。
もっともそれは、あの時にヘッセニアにかけた言葉の使い回しであったが。
「まあ、俺らから見れば、そう思ってしまうのは仕方がないことなのかもしれない。でも、彼女にとっては宿命の達成の是非こそが、自身の存在価値を定義してしまうような、そこまで強烈なものなんだ。貴族が貴族たる信念、ノブレス・オブリージュに近い、と言ってもいいだろう」
「む」
ノブレス・オブリージュ。
その言葉を受けて、ソフィーの視線がほんの一瞬だけ佩いた剣の柄尻に伸びた。
彼女の家の紋章か、あるいは彼女自身の紋章か。
その判別は付かなかったけど、貴族以外ではまず持つことのないレリーフがそこにあった。
「……なるほど」
得心の声と共に、彼女の目が再び上がる。
もはや彼女がこれは不可解だ、と訝しんでいるようなにおいは、これっぽっちも感じさせなかった。
「しかしそんな極めて真剣な悩みを、あのヘッセニアが、ね。隊長の俺にはそんなこと、一切言ってこなかったぞ」
俺と彼女の会話の記録は、今はクロードの手の中にあった。
決して上質とは言えない、紙とにらめっこする彼の声は何だか苦々しげなものを感じる。
きっと生真面目な彼は気にしているのだろう。
自分は分隊長であったのに、隊員が悩みを一切伝えてこなかったことを。
自分は人の上に立つには、何かが不足していたのでは、と。
「遠慮していたのだと思いますよ。ヘッセニアさん、クロードさんに感謝していましたから。爆発衝動の発散に伴う後始末を、いつもやってくれていることについて」
クロードとそしてヘッセニア、二人同時にフォローする器用な言葉を選んだのはアリスだ。
彼女も分隊の元同僚として、俺より先にヘッセニアと面会していた。
女同士、それも顔を見知った仲ならば案外気楽に話せるかも知れない、という期待から彼女も面会とすることとなったのだ。
ただし結局それは楽観的展望であった、と言わざるを得ない結末に終わってしまったが。
「……そんな気遣い出来るならよ。俺としては、頻繁に爆発騒動を起こすことを、自重してくれる気遣いが嬉しかったなあ……一番。そうすりゃ俺の胃は、もうちょっとだけ健やかに過ごせたというのに」
「ふふ。確かに」
今のクロードのぼやきは、心からのものなのだろう。
情感極まった声色に思わず吹き出してしまいつつも、俺は頷いて同意を示す。
「確かに無収穫ではなかったようですね。あとは、あの足跡持ち主と彼女の宿命を結びつけるような証拠が出れば万々歳。穏便に事件を処理出来そうです。そうなることを祈るばかりですが、しかし……」
一度大佐はここで息継ぎをした。
「同時に厄介な可能性も浮かび上がってしまいましたねえ」
「ええ。確かに」
俺も大佐に倣って、一度息継ぎをする。
次に口にする言葉を強調するために。
「彼女はまだ、満願成就したとは一言も言ってません」
俺は先ほど、彼女に今でも宿命を果たせばならないものか、と問うた。
その答えにヘッセニアはそうだと、ただ頷いただけだ。
そうした彼女には達成感も何も見られなかった。
ただただ無感情に頷いただけだった。
そうであるならば、だ。
まだ、彼女は宿命を達成していないと見るべきだろう。
いや、そうならば、彼女は大人しく捕まるはずがない。
宿命を遂げていないのに、さしたる抵抗もせずに捕まった。
彼女の動向から察するに――
「……彼女自身でも、いまいち確証持ててないんですかね。宿命とやらが達成できたか否かを」
「恐らくは」
ヘッセニアが大人しく捕まった理由としては、多分それであろう。
滅茶苦茶にあの場所を荒らしてしまい、宿命の達成した否かを自分でも掴めなくなってしまった。
だから、敢えて守備隊に捕まることにしたのだろう。
あれだけ派手に騒ぎを起こしてしまったのだ。
遠くない位置に街がある以上、嫌が応でも守備隊は動く。
あの足跡の存在もいずれ気付くことだろう。
そうなれば、守備隊は必死に足跡の主を調査せざるを得なくなる。
少なくとも現場は徹底的に調べられるのは間違いない。
彼女はその姿勢を利用することにしたのだ。
倒したにせよ、倒せていないにせよ、いずれせよ守備隊が結果を突き止めるはず。
守備隊に捕まっておけば、宿命が達成できたか否か、隊舎で拘束されている故、その情報がいち早く手に入れることが出来るはず――
俺には彼女は守備隊を、新聞代わりに利用することにしたとしか思えなかった。
「さあて、どう対応しようかねえ」
執務椅子の背もたれに思い切り寄りかかりながら、大佐は嘯いた。
新たに解った事実を受けて、どうこの件をあたるか。
それを考えているようであった。
そして彼は判断の材料探しを始めた。
「ソフィーちゃん、現場で何か新しい証拠見つけた? 馬鹿でかい生物の肉片があれば最高なのだけど」
「はい。いいえ。まだ捜索を続けていますが、何も発見出来ておりません。何分辺り一面、あるもの全てがきっちりと攪拌されてしまっております故。それに仮にあったとしても……」
「あー……見つけ出すの、とても苦労しそうだねえ」
遠慮なくヘッセニアが吹っ飛ばした現場は、相当に酷い状況にあるらしい。
捜し物をするのに一苦労であることが、ソフィーの声色から察せられた。
大佐はまたしても肩を落として、如何にもとった具合に気落ちした様子に露わにする。
そして彼の目は俺達元分隊の面々を見た。
「プリムローズ大尉。それとお二方にもお聞きしたいんですが……ヘッセニアさんは、目標を達成するために脱獄をやらかしそう人ですかね?」
「「「ええ。きっとやります」」」
「三人同時で、しかも即答ですか。いやあ。今の彼女は相当猫かぶってるんですなあ」
綺麗に揃った声に、大佐は苦笑いを浮かべた。
今の彼女の姿だけしか知らないのであれば、脱走なんて無茶をする人には確かに見えない。
だが、俺達三人は知っているのだ。
彼女の行動力と暴走力が如何に強いかを。
奴は目的を達成するためには、規律や常識を置いてけぼりする。
そんな無茶を、俺らはすぐ近くで飽きるほど見てきたのだ。
だから、容易に想像できる。
もし、宿命が達成出来ていないと知ったその時。
躊躇いもせずに牢を破って外に出ようとする彼女の姿を。
「じゃあ、それを踏まえて聞きますけど。ウィリアムさん。今の彼女の拘束の仕方、これは十分なものですかね?」
「……言いにくいのですが、とてもではありませんが十分とは。奴は定着魔法のスペシャリストです。魔族であることを差し引いても、その腕は無双と呼ぶに相応しいほど。両手が使えてしまう現状は、彼女に牢の鍵を手渡しているに等しい、と言わざるを得ません」
フィリップス大佐の質問に、守備隊の面子を潰してしまうのでは、と躊躇いつつも、しかし正直に意見を述べることにした。
脱走を防ぐには足りないと。
四つの人類に備わる魔力には、それぞれ違った特性を備えている。
当然、魔力を燃料にして起こす現象である魔法も、それぞれが得意とするものも違っていた。
ヘッセニアを初めとする魔族が長けているのは、自らの魔力を触れたものに染みこませて魔道具化させる、定着魔法である。
彼らはその才能を生かし次々と便利な魔道具を創造し、流通させ、そして富を蓄えてきた歴史を持っていた。
そんな定着魔法には一家言、いや一種族言を持つような魔族の中でも、ヘッセニアの定着魔法を腕前は卓越していた。
もはや人類一と言っても過言ではないくらいに。
斯様な人間の両手を自由にしてしまっているということはだ。
自由に目に付くものを魔道具化しても構いません、と許可を与えているようなものだった。
「それについてはこちらも把握しています。牢は魔力を通さない加工が施されてるし、今の彼女の衣服はこちらが用意した物。牢とまったく同じ加工してる代物なんですけど……それでも不足ですかね?」
「はい。その気になれば、ヘッセニアは自分の身体を魔道具化出来ますから」
「定着魔法は自分の身体に干渉出来ないって聞いてますが……プリムローズ大尉?」
定着魔法には限界がある。
自らの身体に定着魔法をかけられないことがそれである。
この事実は周知のものであり、常識と言える代物。
一聴すれば俺が、荒唐無稽なことを口走っているように見えるからだろう。
彼、こんなこと言ってるけど、本当?
大佐がクロードに求めた確認とは、つまりはこういうことであった。
「はい、事実です。自分の身体であったもの、と言うべきでしょうか。より正確言えば、自身の身体で元より両義性……彼女曰く境界である部分で、かつ分離したものであれば、可能とのこと」
「両義性? 境界……自身の身体の話だから……つまり、自分の身体であって、自分の身体ではない部分? 外の世界と自分の身体の、その境となっている部分?」
「その通りです。髪がそれです。抜け落ちた髪を奴が見つけたとしましょう。それを手に取れば、彼女は簡単に魔道具に変えてしまいます。髪の一本二本じゃ、流石に牢は破る代物は作れないでしょうが」
「なんと……そんなことが」
「信じられないとお思いですが事実です。もっとも、本人曰く、奴以外でそれを出来た者は居ないようですが……」
しかし、ヘッセニアとて、独立精鋭遊撃分隊の一員。
実力において常識外れな面がなければ、その籍に名を記すことなど出来ない。
彼女は条件付きではあるが、自分から脱落した、かつて自分であったモノへの定着魔法の行使を成功させているのであった。
自分から脱落したモノ、先のクロードの例のように抜けた髪の毛であっても定着魔法を使うことが出来なかったのが常識であった。
それを彼女は覆したのである。
定着魔法が発見されてから、既に人類は千年以上の歴史を積み重ねている。
しかしその千年間、彼女と同じ事を成功した人物は誰一人としていない。
一つ問題があるとすれば、何分その現象はヘッセニアの天から与えられたセンスによる部分が多く、彼女以外に再現が不能である点であろうか。
が、それを差し引いても彼女の起こした奇跡は、魔法史に残る燦然たる功績。
ヘッセニア・アルッフテルは近いうち、魔法史の教科書に名を連ねる予定の偉人の一人に違いなかった。
「で、あれば。どうするのが得策かな?」
「……戦友からすれば心苦しいのですが。後ろ手にして両腕を拘束するのがよろしいかと」
「そっか。じゃあ、そうしよう。彼女には悪いけど、ね」
両腕を後ろ手で拘束してしまえば、何かものを取るにせよ、彼女は一度しゃがまざるか、不自然に振り返らざるを得なくなる。
それも手が後ろにあるから、狙ったものをひどく取りづらいのは自明。
目立つ動きで看守に、彼女が不穏な企みを抱いていることを告げ、その取りづらさが、看守に干渉する時間を与えてくれるはずだろう。
監視にはもってこいだ。
なるほど、クロードの案は全く良く出来たものであった。
ただし、本人も言っている通り、感情的には複雑なものがある。
自分の戦友が、そこまでガチガチに拘束されてしまうの姿を見るのは、あまりに忍びない。
感情のまま意見を言うことを許されるのであれば、是非ともやって欲しくはない案である。
例えそれがヘッセニアに、余計な罪を重ねることの防止策でもあると言えだ。
それはアリスも同じらしい。
彼女もまた、理性ではその必要性は理解できているものの、感情では納得はしていないようだ。
あのような提案をしたクロードに、そして頷いたフィリップス大佐に控え目ながらも非難の視線を浴びせていた。
「それじゃあ、先のプリムローズ大尉の案の通りにして。引き継ぎの時には、次の牢番に、ヘッセニアさんの一挙手一投足に集中するように伝えておいて欲しい」
「了解。ではそのように」
「ん、頼んだ。んで、ソフィーちゃんは引き続き、捜索に注力。さっきも言ったとおり、あの足跡の持ち主と思しき生き物の欠片でもいいから見つけて欲しい。もし彼女の宿命とやらが、あれの持ち主を倒すことであれば、それを見せた時点で委細を話してくれるだろうから」
「了解。ですが、もし生き延びていて、その上接触してしまったらいかがいたしましょう」
「全力で倒しちゃって。彼女にはもしかしたら恨まれるかもしれないけどね。ああ、でも危なくなったら逃げちゃっていいから」
「了解」
アリスの非難の視線に構わずに、大佐はまずは看守に、次いでソフィーに指示を与えていく。
早目にこの件を片付けるためには、兎にも角にも、あの足跡の正体を突き止めることが一番だと、彼は判断したようである。
早速与えられた命令をこなすためだろう。
彼と彼女は敬礼を大佐に捧げるや否や、さっさと退出していった。
「さて、ウィリアムさんとアリスさんにもお願いがあるんですけど……聞いてくれますかね? もちろんヘッセニアさんのためになることです」
「ええ。なんでしょうか?」
俺とアリスをしっかり見ながら言った大佐の言葉に、アリスが答えた。
「この件に関しては、いつもよりもウィリアムさんの外出申請が降りやすいようにしておきます。ですから、出来る限り多く面会してください。もしかしたら、気が変わって話してくれるかも」
「……あの様子だと、その……期待薄、のような。ウィリアムさんならともかく、私では」
「まあ、それはそうなんですが、全く駄目というわけではないでしょう。今回はウィリアムさんに胸の内を少し打ち明けたけど、次はアリスさんかもしれませんからね。何度も言いますが、一番は彼女がさっさと事件の詳細を語ってくれることだ。それがゾクリュを守ることと見なせるようだったら、僕は彼女の弁護に回りますよ」
「でも、どうしてそこまでヘッセニアさんに親身に? 勿論私の、そしてウィリアムさんのご戦友を救ってくれるのは嬉しいですけれども」
「あなた方もそうしょうが、僕だってやれることはやっておきたいんです。きちんと真実を追求したい性分なもんでねえ。適当に罪でっち上げられて、人が裁かれるところを見るのはご免なんですよ」
一度大佐は言葉をそこで切って。
そして、俺達の他に誰も居ないこと。
それを確認するように、右に左に視線を振って。
また、真っ直ぐにただただ俺を見て。
「――何故なら、それは悪党のやらかすことだからね」
ぽつり、そう言った。
その発言に、俺も、クロードも、そしてアリスも息を呑んだ。
罪をでっち上げられて、人を裁かれるところを見たくない。何故なら悪の所業だから――
そんなことを俺をじっと見ながら呟いたのに驚いたのだ。
そして彼の目はこうも語っていたのだ。
そう、あなたのような目に合う人を、僕は見たくはない、と。
彼は遠回しに非難したのだ。
そんな判決を下した者は即ち悪党に違いない、と。
つまり、これは――
王への批判だ。
「フィリップス大佐。それは――」
「ま、僕の立場上、本来は言えたことじゃないけどね。内緒ですよ? これ」
その発言はあまりに危うい、大丈夫か。
大佐が言葉を重ねて遮った先に続くはずだった、アリスの言葉はきっとこれであったはずだ。
その思いはアリスだけが抱いたものではない。
俺も、クロードも全く同じ事を目で問いかけていた。
大丈夫かと。
それに気付いたのか。
ふと苦笑いを浮かべながら、部下には内緒ですよ、大佐は俺らに念を押した。




