第二章 七話 明るい爆発魔
「うん……ううん?」
「どうかなされたのですか? ウィリアムさん」
ゾクリュに向かうコーチの中でうんうん唸っていると、アリスが声をかけてきた。
何を悩んでいるのか、と。
「いや。さっき屋敷で大佐が言ってたことが引っかかって……アイツがしおらしいって評したことがさ」
そう告げると、アリスも納得した表情を作り出す。
彼女もまた、奴にそんな表現が似合うとはまったく思ってないようであった。
そう。これからゾクリュで面会する俺らの戦友は、その人となりを知っている者であれば、間違ってもしおらしい、なんて感想を抱かないはずだ。
それだけはっちゃけたことを、彼女は戦時中にやらかしてきたのだ。
俺はぼんやりながら、過去に奴がしでかした騒動を思い出すことにした。
◇◇◇
人伝てにその話を聞いて、ウィリアムはすぐさま駆けだした。
宿営地故に林立するテントと、一時の休息を外で過ごそうとする者たちを器用にすりぬけて、ひたすらに走り続けた。
まずい。
まずい。
彼女を止めなければ。
一種の焦燥感が彼を駆り立てる。
今、彼女は自らの欲望を満たすために、暴走している状態だ。
そしてその欲望が達成されてしまった時、この宿営地は混乱の坩堝にたたき落とされる。
それだけは絶対に避けなければ。
だからウィリアムは振り向かず、必死に走り続けた。
風景が変わる。
町のさながらにそこかしこ自立していたテントもその数を減らし、今や彼の視界は戦闘行為によって、すっかり荒れ果ててしまった地面が目立つほど。
それはもうすぐ、キャンプ地の終わりが近いことを意味していた。
思い思いに時を過ごす兵士達も姿を消して、未だ哨戒勤務に勤しむ同僚達を追い抜いて。
そうして、視界の先に人影を認めるようになる。
小さな背丈に長い灰色髪、そして軍服。
居た。見つけた。
とうとう彼は、止めねばならない対象たる、彼女を見つけた。
戦場との境界たる、有刺鉄線の内側に立って、何やらぼんやりと外側を見つめていた。
ウィリアムは足を止めて、短い間彼女を、いやその周りの光景を観察。
なんら変わり映えのしない、いつも通りの殺風景な、荒れた地面があるだけなのを確認して、ほうと安堵の一息。
良かった、間に合ったようだ!
だが、のんびりもしていられない。
瞬きをした後にも、彼女が事を起こしても不思議ではないのだから。
だから、その距離を一瞬で詰めるために。
ウィリアムはお得意の強化魔法で筋力を底上げ……しようとしたのだが。
「爆薬よ! 派手に爆ぜい! どかーん!」
彼が脚部に魔力を込めたのと、暴走中の彼女が有刺鉄線の外を指差しながら、子供っぽい大声を上げたのは全く同じであった。
僅かの間を置いて。
そして境界の外側が景色が鈍色に染まった。
耳をつんざき、内臓全てを激しく揺らす大爆音と共に。
目の前の風景が一変した。
爆音から少し遅れて、ばらばらと土塊と細やかな土粒が空から落ちてくる様は、只今は戦闘中かと錯覚するほど。
土煙ももうもうと上がって、なおさらそんな勘違いをしやすくさせた。
きっとその場になんら予備知識がないものが居たのならば、目の前で何が起きたのか、それを把握することすら困難になろう。
だが、ウィリアムは違った。
今、眼前にて何が起きたのか、それを瞬時に理解できた。
更にそれを引き起こした犯人が誰であるかも。
彼らの目の前で起きたこと。それは即ち爆発だ。
有刺鉄線の外側、しばらく歩いたところの地面が、なんの前触れもなく、吹き飛んだのだ。
そして、その爆発を引き起こした犯人とは。
有刺鉄線の傍で佇む、あの大声を上げた彼女であった。
「ヘッセニア! 君はなんてことを!」
強化魔法で一足飛びに、手の届く距離まで詰め寄ったウィリアムは、怒鳴り声に近い声で、彼女を呼んだ。
その声量は大きく至近で聞けば、顔をしかめて耳を塞ぐほど。
ただしそれは平時の時であれば、だ。
近くで爆音を聞いたため、どうやら耳が一時的に馬鹿になっているらしい。
取り立てて表情に不快の色浮かべることなく、彼女はくるりとウィリアムと向き合った。
長い灰色髪がたなびく。
彼女の双眼がウィリアムを捉えた。
髪の色と同じく灰色に濁ったように見える瞳だった。
しかし彼女は、眼病を患っているわけではない。
生来よりこのような瞳の持ち主であるのだ。
そしてその特徴は、何も彼女固有のものではない。
彼女を含むとある人種――即ち魔族が共通して持つ、身体的特徴であった。
彼女の名前は、ヘッセニア・アルッフテル。
独立精鋭遊撃分隊の一員である。
「あらあら。ウィリアムじゃありませんか。どったの? 先生。そんな怖い顔しちゃって」
「どったの? じゃないだろう! 正気か!? 自軍陣地であんな爆発起こすなんて!」
二人の背中側にあるもの、つまりは駐留キャンプがにわかに騒がしくなった。
鐘がけたたましい音を延々と響かせ続ける。
それは、しばしの憩い時間が無情にも中断されてしまった事を意味しており、また、緊急事態発生を兵士全員に告げる鐘でもあった。
何を受けて、誰のせいで、そんな穏やかでない鐘が鳴る羽目となったのか。
今更考える必要もないだろう。
「正気も正気よ! むしろ、今は私はいいことをして気分がいいの! それより、なんだかキャンプが騒がしいけど、何かあった?」
ただし都合の悪いことに、騒ぎを起こした本人は全くもってその自覚がないようである。
ヘッセニアのマイペースぶりにウィリアムは目眩を覚え、頭を抱えたくなる衝動に駆られた。
「そりゃ、自軍キャンプの傍で爆発起きたら、敵襲かと思うのが普通だろう……」
「は? 何で? だって今の爆発、誰がどう聞いたって火薬による爆発じゃない。連中は火薬を使わない。ならば、これは人の手による、管理された爆発であるのは明白。よって騒ぐに値しないはずよ。だって安全な爆発だから」
「だとしても、くつろいでる時に爆発起きたら、誰だってびっくりして大騒ぎするものだよ。そもそも戦闘以外に爆発が起きたら、普通は事故だと思うけどな」
「ははっ! ナイスジョーク! 事故だって? 心配ご無用! 爆発のプロフェッショナルである私が作り上げたこの芸術的爆発。キャンプに被害が及ぶなんて、ほとんどないと考えた方がいい!」
「ほとんどない、なんだな。絶対ない、じゃなくて」
「物事には想定外が付きものだからね。そんなことが起きれば、そりゃ事故は起きるよ。事故を完全に防げるなんて私は思ってもないし、そこまで傲慢じゃない。遠慮深い性格でしょ?」
大惨事に繋がる可能性を孕んでいると理解できているのに、どうして軽はずみに爆発を起こしたのか。
全くもってウィリアムは理解できなかった。
そして遠慮深い性格を自認するならば、この爆発は他の休んでいる兵士達に多大なる迷惑をかけるのではないか? と思わなかったのか。
これもさっぱりウィリアムには理解できなかった。
「で、ウィリアムは何でここに来たの?」
「……君が、このあたりに掘る予定の塹壕の話を聞いて、にやけ面作って走り去っていったって情報を手に入れてね。急いで来たんだよ」
もっとも、それも間に合わなかった訳だが、と口の中で彼は呟く。
王女殿下の実力偏重主義の弊害か、分隊員は性格に何かしら問題を抱えている者が多い。
その中でもヘッセニアの問題は特に深刻であった。
下手を打てば、他人に害を及ぼしかねないからだ。
明るく元気な爆発魔。
一言でヘッセニアを表現するのであれば、これ以上に適当な言葉はなかった。
理由はわからないが、彼女は爆発を愛していた。
それはもう、病的なほどに。
邪神を見つければ吹き飛ばしてもいい対象が見つかったと、喜々として爆殺しにかかった。
真っ平らな大地にかち合えば、こっそりと新しい爆薬の実験を試みようとして、クロードから鉄拳制裁を受けたこともあった。
爆発による調理は可能か、と真面目に考察し、結果見事に失敗。
分隊の夕食になるはずだった食材を、木っ端微塵にしてしまった前科もある。
極めつけに時間を持て余せば、暇潰しには爆発を眺めるに限る、と勝手に花火を打ち上げた暴挙に出たことすらある。
そんな何かにつけて爆発を起こそうとする女が、にやにやしながら何処へと走り去っていったと聞いてしまったのであれば、だ。
爆発欲に駆られ、よからぬ目論見を抱いたのでは、と疑りを抱くのは自然の流れと言えるだろう。
「そうそうそう! 聞いてよウィリアム! 私はまた一つ、爆発の歴史を変えることに成功したんだよ! これはまだ小さな一歩だけど、爆発の平和利用に繋がる大きな一歩に違いないよ!」
「……一応聞いておくけど、何をしようとこの爆発を引き起こしたんだ?」
「いやね、塹壕堀りって重労働じゃない? 結構なエネルギーを要求されるくせ、そこそこ時間のかかるしんどい作業じゃない? だから私は思った。そうだ。膨大なエネルギーを持つ爆発を使えば、一瞬にして、そして快適に目的は達成されるだろう、と」
「で、結果は?」
「見てよウィリアム! この光景を!」
ヘッセニアはそう口走りながら、大げさに腕を振って有刺鉄線の外を指し示す。
鉄線の向こう側は土煙が晴れて、遙か地平線まで見渡せるまでに視界が回復していた。
「大成功! デカい穴がぽっかりと空いてる! 塹壕にぴったりの穴が!」
「……塹壕にぴったりの穴、ね」
確かに有刺鉄線と平行して、壕状の細長い穴が大空に向けてその大口を開けている。
遠目にかつ薄目にして見れば、なるほど、塹壕に見えなくないかも知れない。
が、薄目に見ることをやめて、しっかりと目を見開いて見ればその認識が誤りであることが明らかとなる。
まず、その深さだ。
身を隠すのには不足はしていない。
問題は深く掘り下げすぎて、とてもではないが、塹壕から這い出ることはおろか、頭を出すことすら叶わないだろう。
ついで爆発によって、土と空気が丹念にかき回された結果だろう。
辺りの地面がふかふかになってしまっいて、特に穴の底を歩くのはひどく難儀しそうだ。
何処より土を持ってきて、穴の底上げをする必要があるだろう。
しかも底上げするためには、ふかふかになってしまった、空気たっぷりの土を処理する必要があった。
つまりは、突き固めをしなければならない。
しかもそうすると、必然土の体積は減り、余計に底上げのための土は必要となるのだ。
とてもではないが、ウィリアムは彼女の言に首肯することは出来ない。
むしろ余計な仕事を増やしてくれたな、としか思えなかった。
「……これ、アリスと一緒に来た方が良かったかな」
「どうして?」
「魔法で穴。埋めるために」
「なんでさ! 私の気遣いを、善行をなかったことにするつもり!?」
ヘッセニアは猛烈に抗議。
ぶんぶんと両の手を振って、抱いた感情そのまま表に出して、ウィリアムに食ってかかる。
その姿は彼女の身体の小ささも相まって、子供が癇癪を起こしたようにしか見えなかった。
「いやあ、そっちの方がヘッセニアとしても良かったと思うな。だってさ」
「だって?」
しかし、ウィリアムは背中越し感じていた。
「慢性胃痛の持ち主が、目玉を三角にしてここにやってくるだろうからさ」
キャンプから猛烈な怒気を纏わせて、この場にやってくる一人の哀れな男の存在を。
「ヘッッッッセニアッッッッ!!!!」
先の爆音に負けないほどの怒声を張り上げ、ずんずんと大股で二人の下へと歩み寄る男が一人。
その人とはウィリアムの言うところの、慢性胃痛の持ち主であった。
二人の直接の上司である男、クロード・プリムローズその人である。
「ぐお! うるさいわ! もうちょっと、控え目な声で呼んでよ!」
爆音で麻痺しかけた聴覚が、元に戻りつつあるらしい。
ウィリアムの呼びかけとは正反対に、ヘッセニアは如何にも不快といった表情を浮かべ、クロードを非難した。
「うるせえ! お前こっちに来い! 今から俺と一緒に謝罪行脚しにいくぞ!」
「はあ!? なんでさ! なんで私がんなことやらなきゃいけないの!? それはあんたの仕事だし、第一私は謝罪するような悪い事を、何一つやってない!」
「黙れ! 爆弾狂!」
「爆弾狂じゃないわ! その辺のイカレポンチと同じにしないで! 私は爆発研究家だ! それを言ったら、世の中の研究者はどいつもこいつも狂ってることになるよ!」
「減らず口を叩くな! あれを見ろ!」
むんずとヘッセニアの襟首を摑みつつ、クロードは駐留キャンプを指し示す。
慌ただしさはいくらか薄くなっていた。
が、その代わりに何やら剣呑な空気を湛えつつあった。
「……戦闘配備に入りつつあるね、あれ」
その空気を肌で感じ取ったウィリアムは呟く。
あれは慣れ親しんだ戦場で、いつも嗅ぐ空気であると。
「マジか!? ってことは邪神!? 邪神が出たの!? 離してクロード! 人類のために! 一体でも多く私は邪神を爆殺しなきゃならないの! ついでに新しい爆薬の威力も邪神で試すために! 爆発が! 爆発が私を呼んでいる!」
「お前の爆発で、ああななってんだよ! バカ!」
ごんと鈍い音が響く。
クロードの拳骨が、ヘッセニアの頭を強かに打っ叩いた音だ。
「いった! 殴る事はないでしょう! 貴族が善良な市民をぶん殴ったなあ! ノブレス・オブリージュは何処に行った!?」
「口を噤みやがれ! 爆発フェチな市民を、俺は善良とは認めん! あと、俺の胃を虐める奴は、問答無用で悪党だ!」
「うっわ! 恣意的だ! 人治主義だ! 悪魔の所業だ! 誰か! 誰かこの悪い貴族に正義の鉄槌を! 日和って制裁を下さなかった奴は私が爆発で吹っ飛ばす!」
「口喧しいわ! 脅迫じゃねえか、そりゃ! おら! 行くぞ! 拒否権はねえ! 強制連行してやるからな!」
ひっつかんだ襟首を引っ張って、クロードは彼女を連れて行こうとする。
全く罪の自覚のないヘッセニアは、不当逮捕だと喚きながら、両足をぐっと踏ん張ってその場に留まろうとした。
が、悲しいかな。
性差以上に、体格差がありすぎた。
必死の抵抗むなしく、その身体はずるずるとキャンプに向けて引き摺られ始めた。
「弾圧反対! 自由を! 私に自由に爆発させる自由を!」
とうとう抵抗できないと悟ったか。
諦めて力を抜いたヘッセニアはクロードに引き摺られながら、そんなことを口走った。
「……アイツの言ってることは、やっぱり意味がわからないなあ」
ただし、聞く者にからすれば、その叫びは支離滅裂なものとしか捉えられなかった。
ウィリアムの独り言が、何よりの証拠であった。




