第二章 五話 気まずい沈黙と爆発
この時代に生まれてきてしまった者には、共通の特技が備わっているはずだ。
例え煩悶を抱こうとも、それを長く引きずらず、さっさと立ち直ってしまえるというものである。
一年前まで、毎日、毎分、毎秒、何かしらの悲劇が、次々襲いかかってくるような環境であったのだ。
訪れたの悲劇にずっと心を痛めていたのであれば、とてもではないが日々を過ごすことなんて出来やしない。
何せ、傷心の時でも悲劇は空気を読まずにやって来るのだ。
一度吹っ切ることに失敗してしまえば、次々と心の重荷が積み重なってしまい、いずれは潰れて壊れて、最悪再起不能となる。
言うなれば、その特技は、人々が壊れないために、即ち自衛のために身についたものである。
嫌が応にもそれを要求される時代真っ只中に生まれた、俺とアリスは当然会得済みであった。
二人揃って、最後の戦いを覚えていないことの不安をやりすごすことに、楽々と成功していた。
だからそれ以降の生活に影を落とさず、何とか穏やかな日々を送ることができていたのだ。
しかし、最近困ったことが一つ発生している。
その困り事の原因とは、他ならぬ、その穏やかさにあった。
あまりにも穏やかすぎて、時間がだだ余りしているのだ。
最初の内は時間を屋敷や、庭の保全作業に当てていたのだが、最近、その作業もやり尽くしてしまった。
次の花の植え替えのシーズンまでは、特に大きな作業は予定されていない。
庭の植物の世話を終えれば、午前中にはやることがなくなってしまうのだ。
あまりにも暇すぎて突風が吹いて、どこかの壁に穴でも空かないかな、と不埒なことを考えてしまう始末だ。
よって最近では、書斎に籠もって本を読むか、何かしら画題を見つけてお絵かきに勤しむか、丘の下の小川で釣りをしてぼーっとするかの日々。
これが老後であれば、誰もが羨む理想の生活ではある。
俺もジジイになったら、こんな生活をしたい。
が、如何せん二十代前半には、少しばかり早すぎる理想生活であるのも確かだった。
さて、本日も、そんな理想の退屈生活を送っている。
長い長い自由時間を、絵を描くことで潰すことにしたため、今は庭にて椅子に腰掛け、画板と向き合っている。
肉眼で見た屋敷の絵だったり、カメラ・ルシダを使って描いた風景だったり、庭からむしってきた植物の絵だったり。
この間買ってきたスケッチブックには、統一性のない絵たちがひしめき合っている。
兎に角目に付いたものを、ただただ紙に書き写している感が否めない。
今日はそんなカオスをより深淵なものにするために、風景画を描くべく鉛筆を動かしていた。
「ウィリアムさん、何をしているのです?」
俺を呼ぶ声。
アリス、にしては大分声が幼い、アンジェリカだ。
「うん。今日も暇つぶしに、絵を」
俺よりさらに若くて、体感する一日がもっと長いであろう、彼女にとっては、最近の無限に続くと思わせてしまう、平坦な時間の日々はとても苦痛らしい。
何かに付けてアリスの仕事を手伝うようになり、今ではメイド見習いとなりかけていた。
とは言え、アリスも本格的に手伝わせる気はないようだ。
大体の場合、すぐに仕事が終わってしまい、結局、アンジェリカも暇を持て余してしまうことが多い。
今日もそのようであった。
手持ち無沙汰な彼女は、俺が向き合う画板を覗き込んで来た。
「何を描いているんです?」
が、紙の上の線画では、いまいち何を描いているのかが把握出来なかったのか。
今日の画題は如何に、と尋ねてきた。
答えとして目の前に広がる、丘の下の光景を鉛筆の先で指し示してやる。
地平線がある。
とても、とても寂しげな地平線だ。
荒地一歩手前、と称しても過言ではない。
人の生活のにおいはおろか、生命の営みすらも停滞してしまったのか、と思わせる病的に静かな光景である。
唯一繁茂する背の低い下草を従えただけの、どこまでも続くような真っ平ら土地。
それがひらすらにが広がっていた。
「今日は風景画かな。ほら、ここから見える、あの平原を」
「……また、とても殺風景なのを画題に選びましたね。描きごたえなさそう」
まあ、一見すればそうだろう。
ゾクリュを眺める方角を選べば、遠目に見える街並みという如何にもな風景が広がっているのだから。
こんな起伏に乏しく、あってもくぼみや段差程度の変化しかない光景よりも、そっちの方がよっぽど絵になるはずだ。
描きごたえがなさそう、というアンジェリカの素直な感想はもっともである。
だが、それでも、だ。
俺は一度はこの面白みのない風景を絵にしなければ、という使命感に駆られていた。
「いやあ、これがそうでもない。単純だからこそ難しい。誤魔化しが利かないからね。それに」
「それに?」
「あの平原の向こうには思い出と言うか、思うところがあるというか。それがあって」
「思い出? あの先に何かあるんですか? 見る限りだと、全然」
「そ。あそこよりずっとずっと先にはね。去年まで俺らが過ごしてきた、戦場があったから」
そう、あの殺風景な平原に姿は、かつての激戦の後遺症なのだ。
地平線の先には、かつては幾つかの街があった。
たくさんの人の生活があった。
それが百年前、邪神によって蹂躙されて消えてなくなった。
人々が居着く前の、原初の風景に帰されてしまった。
七十年ほど前にはまさしく、この地まで邪神の魔手は伸びてきた。
土地を取り戻すべく、ここを守るべく、そして生き残るべく、人類が土地を鉄と火薬と魔法で攪拌してた果てが、目の前の光景なのだ。
それをこうしてのんびりと眺めることが出来るのは、何だか感慨深い。
「きっと、これからこの平原は復興のために姿を変えるんだろう。それは間違いなくいいことだ。でも、変えてしまうその前に、何らかの形にして今の姿を残す。そうしないといけない気がしてね」
「それは……あの先で死んでいった人たちの、鎮魂のために?」
「そうかもしれない。あるいは、俺らが戦った証を残したい。後世に残したい。そんなエゴからかも」
「エゴ、ですか」
「そう、エゴ」
鎮魂ならともかく、もう一つの願望の方は自儘なものである。
その自覚がしかとあった。
「未来を見つめるためにも、戦争の悲惨な記憶なんて必要ない。さっさと薄くなるべきだ、と願っておきながら、でも一方で、あれだけたくさんの人が死んだんだ。ずっと忘れて欲しくないとも思ってる自分も居る。ワガママでしかない矛盾だよ。これは」
追憶が過ぎては、前に進めない。
だから、過去は過去と割り切って前を向くべきだ。
それが辛い時代の後の、人々のあるべき姿だと、俺は信じている。
でも、戦場で失ってきた命を、数え切れないほどに見てきた身としては。
戦争の記憶がすっかりと消え去ってしまうのは、そこで命散らした者たちの存在も消し去るような感じがするのだ。
だから願う。
過去に拘泥せずに、けれども過去を絶対に忘れないで欲しい、と。
それが矛盾した願望であることは十分承知している。
しかし、どうしてもそう思わざるを得ないものでもあった。
「あー……ええっと……ウィリアムさんって絵、上手いですよね。昔から良く描いてたんですか?」
少し、話が重くなってしまったためか。
居心地が悪そうな顔をしたアンジェリカが、露骨に話題を変えてききた。
「ありがとう。でも見る人が見れば粗だらけの絵さ。きちんとした描き方、中途半端にしか知らないもんで、所々我流でねえ。描くことは好きで、戦場でもちょこちょこ描いてたんだけど」
またそういうところに限って、自分でも納得のいく出来ではないのだ。
が、どうやって納得のいくものに修正していくか、その技法を知らないから、結局放置せざるを得なくなる。
問題点は解っているのに、どうすることも出来ない、そんな歯がゆい思いをしょっちゅうしていた。
「絵、習ってたんですか?」
「子供の時に途中まではね。戦争のせいで妙なところで、終わっちゃったけど」
「……もしかして貴族なんですか? ウィリアムさんは」
「まあ、それも子供の時までは」
気付かれたか。
別に隠す必要もなかったけど。
まあ、絵なんて習えるような環境で育ったなんて言えば、気付かれて当然か。
生家であるスウィンバーン家は確かに貴族であった。
決して貧乏ではないが、大貴族とは言えない、そんなありふれた家格の貴族家であった。
そして、そんなありがちな貴族家は戦争中にこれまたありきたりな理由で、あっさりとこの世から消滅してしまっていた。
跡を継ぐべく男子が次々戦死し、ようやく跡取りの算段が付いたと思えば、今度はカントリーハウスが邪神の襲撃に巻き込まれて綺麗に一族が全滅。
その上、唯一の生き残りであった俺が訳あって全滅後、しばらくの間行方不明となってしまったのだ。
誰がどう見たって、お家が断絶したとしか思えない状況だ。
だから、相続人が居らず、宙に浮いていた家の資産は、少しでも戦費に充てるため王国が接収したのだ。
俺が下界に戻ってきたころには、スウィンバーン家は文字通り影も形もなくなってしまい、ちょっと困った時期もあったのだが、まあ、今ではいい思い出だろう。
「……何だか、ごめんなさい。さっきから、昔の傷跡をえぐるような話ばかりして」
「いいや。気にしてない。隠すことでもないしね」
人のデリケートな部分に触ったのではないかという懸念は、触れてしまった当人に深い後悔をもたらすもの。
それが、実際には触れていなくても、だ。
言ってしまった本人はとても気まずくなってしまうものだ。
そしてそういった気まずさを抱いた人にとって、沈黙というものは猛毒だ。
どんどん自己嫌悪の深海に潜ってしまい、恐ろしい勢いで気分も青くなってしまう。
だから、今のアンジェリカには沈黙より話題が必要だろう。
とは言え、話の流れは少し真面目であっただけに、ここでおちゃらけた話題を出してしまうのは良くないか。
彼女の下がったテンションが着いて来れないだろうから。
「アンジェリカ。正直に答えて欲しい。今目の前の光景をどう思う?」
「……はっきり言って……何もなくて退屈です」
「そうだね。多分、ずっと平和な世が続いてたのならば俺が見ても、この光景は退屈の象徴となっていたと思う。でも、今はあのロクでもない戦争を挟んだ後なんだ。だから」
一度、言葉を句切る。
一呼吸置いて。
「そういった過去がスパイスとなって、目の前にある光景が素晴らしく見えてこないか? だって、ほら。今はこんなに静かだ」
ほら、ごらん、と腕を伸ばして眼前の風景を指し示す。
生物の気配は殆どないけど、でも凪のように静かに広がる地平線は、穏やかさを感じるではないか、と。
「砲撃による爆音も、土煙も、天高く巻き上がる土砂もない。本当に静かで平和な光景だ。それはとても素晴らしいものに見えてこない?」
言葉を紡ぎ終えた瞬間のことだ。
ずっと遠くに見える、にわかに地平線が盛り上がった。
小さな火球も現れる。
何拍か遅れて、爆音も耳に届く。
されど、揺れは感じない。
安全圏とも言えるまでに、距離が離れているから。
どうやら、何かが爆発したようだった。
遠く離れた先には巻き上がった土砂が、ばらばらと重力に従って自由落下を始めていた。
当然、もうもうと土煙も上げている。
まるで砲撃でもあったかように。
……何が起こったのかは解らないが。
早々に俺が言ったことを否定するような出来事が起きるのは勘弁して欲しい。
「……」
「…………」
沈黙。
なんだろう、個人的には格好良く決めたつもりなんだけど。
あまりにぴったしのタイミングで、平和を否定する爆発が起こってしまったために、シュールな沈黙が訪れてしまった。
「静かで平和な光景……?」
ぼそりアンジェリカが呟く。
やめてほしい。
その呟きは、今の俺にはとても染みる。
「……なんか、爆発したんですけど」
「……アレかな。不発弾。爆弾、あの辺りにこっそり廃棄したって噂あったし。うん。こんな静かな風景でも、戦争の傷跡があって、それを忘れてはならないっていう教訓になる――」
格好付けてしまった手前、何とかして、キザに決めないと、サマにならない。
だから何とか頭を動かして、軌道修正を試みる。
が、またしても、どかーん。
今度は俺の台詞の終わりを待たずに、どかーん。
先ほどとほとんど同じ地点で、どかーん。
「……」
「…………」
再度の爆発。
再度の沈黙。
最初の爆発を、運の悪いアクシデントと思い込んで誤魔化す真似なんて、許してなるものかよ。
爆発自体がそういった意思をもったのではないだろうか。
そんな疑りを抱くほどに、今の爆発は突っ込みめいたタイミングで起きた。
さっきよりも、もっと気まずい沈黙が流れる。
「……爆音と、土煙と、天高く巻き上がる土砂って……ああいうのですか……?」
……先の台詞を再び口にしないで欲しい。
とても恥ずかしくなる。
「……本当にこれが、平和な光景なんですか……?」
「……ノーコメント」
おかしい。
今は平和なはずなのに、こんな風にしょっちゅうどかんどかん爆発があるのは、どう考えてもおかしい。
いや、先日街で似たようなの聞いたけどさ。
戦争が終わったのに、どうしてこうも簡単に日常が壊れていく音ばかり聞いてしまうのか。
おかげで、いつもは見向きもしない、陰謀論に手を染めたくなる気分だ。
「ウィリアムさん。今のは……」
遠くの爆発音を聞きつけて、アリスが急ぎ足で俺の下へやってきた。
俺は指で指し示して、爆発のあった地点をアリスに教えてあげた。
「ねえ、アリス」
「はい」
そして、アリスに問いかける。
「さっきの爆発どう思う? 何が由来だと思う?」
何によって、爆発が引き起きたのかを。
俺が聞いた限りでは、あれは火薬を用いた爆音だ。
ゾクリュで聞いたような、構造物がただただはじけ飛んだ音ではない。
と、すると、何者かが爆弾か大砲をぶっ放したから、と見るべきだろう。
だが、それは俺が遠距離で、しかも聞こえた限りの音を下とした推定である。
断定するには、いささか要素が欠けていた。
だから、アリスに問うのだ。
彼女は特別耳がいいわけではないけど、俺では捉えられない情報を捉えることが出来るから。
「あの爆発には、魔力の波を感じました。けれども、音の感じからすると間違いなく火薬によるものです。と、なると、爆薬に強化魔法を用いたものか、定着魔法で魔道具化させた爆薬によるものでしょう」
アリスは明らかにする。
俺が捉えることの出来なかった情報を基にした、自らの推測を。
熟練した魔法使いは、他者が魔法を行使した際のに生じる、魔力の動きを肌で感じ取られるようになる(魔法使いはこれを魔力の波と称しているらしい)。
そんな高位の魔法使いが、魔力の波を感じたというのだ。
彼女の推測の信憑度は高いと見るべきだろう。
自身の魔力をモノに定着させて、魔道具化させる魔法のことを、定着魔法と呼ぶ。
魔道具化したものは、設定された動作を行うだけで、強化魔法によるモノの強化をあっさり再現出来る便利な魔法だ。
特に火薬への定着魔法の行使は、爆発力の向上を促し、更には火薬の少量化をもたらした。
故に連合軍は定着魔法の使い手を優遇したのである。
だから、俺の戦友たちには定着魔法が得意なのが結構居た。
両手で数え切れなくなるくらいに。
にも関わらず。
「まさか」
もし、この爆発を起こした容疑者が、その戦友の内の誰かと考えたとき。
候補が数多く居るのにも関わらず、真っ先に俺の脳裏に浮かんだのは、たった一人の定着魔法の使い手だった。
しかもその才は他を隔絶するほどに高く、しかも特に火薬への魔力の定着を得意としていた。
なるほど火薬への定着魔法に長けている、という点から、真っ先に連想するのは無理のないことかもしれない。
だが、それ以上に何もない平地を突然吹っ飛ばすという、暴挙をやってもおかしくない、という妙な納得感によるところが大きかった。
「いや、まさか。いくら何でも、ねえ」
そう、奴ならば。
フラストレーションが溜まって、つい、と悪びれもせずに言い放つ姿が、簡単に予想できた。
ああ、奴ならば、本当にやりかねない。
だから、必死で願った。
そうであってくれるな、と。
戦時中もトラブルを散々引き起こしたのに、戦後も飽きずにトラブルを持ち込むのはやめてくれ、と。
そう、その奴とは。
人類連合軍独立精鋭遊撃分隊の一員であり、分隊での最大の問題児であり。
そして先日夢に出てきた、あの灰色髪の彼女であった。




