第七章 三十七話 責任の取り方
「すべてを終わらせにきた。だって?」
街へと繋がる古道。
それに背中を向けながら、俺たちの子供の体を使っているらしいエリーは頷いた。
「……百年遅い、って言われるかもしれないけれど。でも、この悲劇の連鎖を止められるのは。私、だけだから」
「同感。まったくだ。本当に百年遅い。その上で聞くが……どうして、今更になってそんな責任感を?」
態度が軟化したヘッセニアとは対照的に、より強硬になったのはレミィであった。
構えてこそはいないが、彼女の手はきちんと拳銃を握っている。
なにかがあればすぐさま手を上げて、狙いを定めることだろう。
レミィは銃弾を放つ準備を整えていた。
「……人間という存在が異次元を通じて、別の世界へと移るとき、一つの問題が生じるの」
「問題? それが、遅くなった責任感とどう関係がある?」
「その問題というのはね。魂は異次元の移動に耐えられても、肉体は耐えられないということ。異次元では元素は存在を維持できないの。だから世界を移動するときは、一度魂だけになる必要があるの。そうじゃないと異次元に行けないから。そして無事異次元を通り過ぎた後に、もう一度肉体を作らなければならない」
「返答。まったく返答になっていない。だから。それの。どこが理由なのだ?」
「魂は。人格は。肉体に引っ張られて変質してしまう、ということよ」
求める答えがなかなか出ないことに、苛立ちを募らせてゆくレミィ。
クールな見た目とは正反対に短気である彼女のことだ。
苛立ちが暴発して、万一エリーに銃口を向けたらとても困る。
だから、俺はエルフの戦友に注意を払う。
もし、そのときが来てしまったのならば、すぐさま飛びかかって彼女を止めるために。
しかし、どうにも俺の憂慮は杞憂に終わりそうだ。
とうとうエリーは、レミィの問いに対する核心を語り始めることにしたようだ。
それはレミィも感じ取れたのか。
彼女の体から香る苛立ちの気配が、ほんの少しだけ薄くなった。
「……私の願いを聞いてしまった神々は、私を過保護に扱った。だから、絶対に殺されないための、強さだけを求めた肉体を作り上げてしまった。結果、私は化け物に成り下がったの。体も、心も、すべて、ね」
「なーるほどね」
もっともはやくエリーの言わんとしていることを理解したのは、やはりと言うべきか、ヘッセニアであった。
この場にあるすべての視線がヘッセニアへと集まる。
衆目を集めたことを自覚してか、それとも自覚していないのか。
それは定かではないが、彼女は彼女自身の理解を口にした。
「つまり、理性的に物を考えられなくなってしまったんだ。ほとんど野獣のようになってしまったんだ。そして、今になって罪滅ぼしをしなきゃ、って思ったのは――」
「そう。この肉体を手に入れたから。この肉体のおかげで、心も体も、きちんと人間に戻ることができたから」
そしてヘッセニアの理解は、正確なものであったようだ。
エリーはヘッセニアの台詞に頷いた。
「莫大な犠牲によってヒトに戻れた私は考えた。何千、何万と屍を積み上げた罪をどう雪ぐかを。人知れず自害することも考えた。こんな命は、こんな私は。生きていても価値がない、と。でも、それだと……私がもっとも謝らなければならない人たちに、詫びることができなくなってしまう」
ちらり、ちらり。
エリーの赤い目がわずかに二回動く。
俺と、アリス。
この二人を見るために、彼女の目は動いた。
謝らなくてはならない人たちとやらは、俺たちを指しているのだろう。
「だから、私は協力を要請したの。私がきちんと謝れて、この世界に災厄をもたらした責任をとれるようになるために」
「協力? 誰の?」
「この国の一番偉い人と二番目に偉い人」
「……は?」
この国の席次でナンバーワン、ツーと言えば、もはや言及する必要もあるまい。
国王と、その右腕の宰相コンスタット・ケンジット。この二人である。
どのようにしてエリーは、あのお二方に接触できたのか。
そして二人と面会して、なにを話したのか。
みな、それが気になるのだろう。
低木群が産み出す、ほんのささやかな木漏れ日がさらさらと揺れる中、各々の意識はこれまで以上に赤毛の少女に集中した。
エリーはずいぶんと落ち着いてきたのだろう。
いつもの調子が戻ってきた声で、面会したそのときを語り始めた。
「王様と宰相。この二人は貴方の処遇をずいぶんと悩んでたみたい。人身御供を受けたのに、代償を払った形跡がない。ならば、後々取り立てにくるのだろうって考えていたらしいよ。板挟みになってた」
「板挟み?」
「野放しにするのは危険。けれども、立場上、功績は讃えなければならない……さて、どうしようか。こんな感じのやつ」
「まあ、ごもっとも。もし、王都に居た時に人身御供の対価を求められたのなら、って考えると……今更になって、ゾクリュに流した意味を理解したよ」
俺をゾクリュに流したのは典礼に依ったとは言いつつも、実のところそれは方便であろう。
もし彼らの懸念通りに、いつの日かグランドマザーが人身御供の対価として、俺の命を求めたとき。
かつての最前線であり、それが故に鉄道に恵まれたゾクリュで起きたのならば、王国各地の兵力を容易に集中できる。
ゾクリュならば万が一起きても、即応は十分にできる――これこそが、俺のゾクリュ配流が決定した最大の要因なのだろう。
「だが、協力を引き出せたのか? 私が言っちゃあなんだか、父上とあの老いぼれは揃って意地が悪いし、ケチだし、頭も回る。よほど上手に交渉を持ちかけないと、向こうの要求を突きつけられるのみに終わってしまうぞ?」
「もちろんよ、王女様。私はそれを引き出せるに足る材料を持っていたからね」
「と、言うと?」
「あの日最奥部で、私が出した活動停止の命令。それを聞き入れず、いまだ活動を続ける邪神を止める術」
陽が、着実に西に傾き始めているからだろう。
徐々に徐々に東へと延びる影が長くなった丘の空気が、一気に緊張感を帯びたような気がした。
まさか、そんな都合のいい話、この世に存在するわけがない。
いや、でも、もしかしたら、もし、本当だったのならば――
その緊張感を言葉にすればこんな感じ。
それは優柔不断とも言えなくはない空気感であろう。
けれども、そんな明るいか暗いのか、その判別に困る空気を作り出してしまうのは、無理からぬことと言えよう。
だって、考えてみて欲しい。
邪神の組織的な侵攻は終わったとはいえ。
しかしこの世界には今もなお、散発的に人の世を荒らして回る邪神が存在しているのである。
人類滅亡の危機は免れたものの、依然として厄介な危機がそこにあり続けているのである。
そんな脅威から解放される方法がある、と聞いたのならば――
嫌が応にも期待してしまうのが人情というものであろう。
まして、実際エリーには邪神を手懐けられる特殊な能力を持っているのだ。
余人と比べれば、その言に説得力はある。
抱く期待が大きくなるのが道理。
そして、その期待感はどうやら、我が国のナンバーワンツーも抱いたようである。
その時を思い出すただいまのエリーの顔には、失望だとか怒りだとか、他人に自分の話を聞いて貰えなかったときに見せる感情、それを全然見いだせなかった。
「二人はね。それを教えたら快く協力してくれたよ。私が旅と称して、活動する邪神どもを片付けるための費えもくれたし、身分を詐称する書類も作ってくれた」
「なんと。信じられんな。あの吝嗇老人どもが、そんな大盤振る舞いを……」
「私にとっては、とっても話の通じる、優しいおじいちゃんたちだったけどね」
あんぐりと、王族らしい威厳、これが欠片もないアホ面を見せる殿下を目して、エリーはくすくすと笑い声を漏らした。
昨日までは飽きるほどその笑みを見ていたというのに、密度の濃い時間を朝から過ごしていたせいか。
ずいぶんと久しぶりに、エリーの年相応な笑顔を見た気がした。
「そうして各地を回れるようになった私は、行く先々で潜伏する邪神を始末していった。会って命じれば、私なら簡単に倒せるから。そして、あらかた片付いて、さて最後の仕上げに入ろう、と、ここに来たのだけれども……」
しかし、その笑顔も長くは続かなかった。
あっという間に彼女の顔は曇り、俯き加減になり、今朝より見慣れに見慣れた、浮かないものに変貌した。
その顔を見て俺は、いや、この場で話を聞いている人たち全員は。
ここゾクリュで彼女の目論見が外れてしまったことを、揃って悟ったはずだ。
「君が探知できなかった個体が、君の制御が完璧に聞かない個体が居たってわけか。それも――」
右に左に。
俺は首を振る。
みなの悟りを代弁しながら。
分隊、殿下、戦友、守備隊、そして親衛隊。
彼らを除いて目に入るのは。
邪神、邪神、邪神、邪神、邪神。
そう、ヤツらこそが。
エリーの目論見を破壊した。
彼女の制御がどうにも利かなくなりつつある個体どもだ。
そいつらが――
「――こんなにも。居たってわけだ」
エリーは俯いたまま静かに肯んじた。
「……きっと私の魂が、この肉体に順応し始めてしまったから、なんだと思う。一人の人間として戻りつつあるから、私の枷から外れたヤツらが、こんなにも出てしまったんだと思う。そうであるならば――」
エリーはふうと息を吐いた。
呆れや、失望のため息ではなかった。
どちらかというと仕切り直しのための、いや、なにかの覚悟を決めるための。
そんなため息であるように聞こえた。
彼女は面も上げる。
どうやら俺の推測は誤っていないようであった。
上げた少女の顔は、ぐずぐずとした泣きっ面でもなく、さっきみせた笑顔でもなくて。
口を真っ直ぐ横に結んで、きりりと強い意志に富んだ、決意の表情をたたえていた。
「もう、時間がない。今、ここで。この世界にしつこく潜伏する邪神。そいつらを消さなくちゃいけない。そのためには、ウィリアム。貴方の協力が必要なの」
「そういう協力なら、喜んでしよう。それで? 俺は一体なにをすればいいんだい?」
「とっても簡単だよ。今ここで、この場で――」
エリーはこの世界から邪神という災厄を取り除こうとしている。
その意思に嘘偽りはないと思う。
そうでなければ、こんなにも真っ直ぐで、決意に満ちた顔は作れまい。
だから俺は迷わず二つ返事をした。
この世界から邪神という悪夢を取り除くことに迷う道理はない。
だから俺は、改めてエリーを注目した。
この世界に残る邪神の滅ぼし方。
世界に本当の平穏をもたらすための、最後の作業。
これを聞き逃さぬようにしなければ。
気合いを入れて耳を傾ける。
そして俺の耳は捉えた。
「私を。殺して下さい」
ふわりと笑んだ顔でエリーが紡いだ。
とても簡単で、けれども困難な。
世界を真に救う方法とやらを。
俺は聞いてしまった。




