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第七章 二十八話 夢であるように

 秋が近づいているが故に、その両腕に抱える葉の色がくすみはじめている低木の群れ。

 その低木群を割る形でのびる踏み固められた道。

 坂道。

 丘の上と麓を繋ぐ道。

 屋敷と下界を繋ぐ唯一の道。

 丘の中腹よりやや下った辺りに俺たちは固まっていた。

 そして一体この場に何対あるのか。

 数え切れないほどの視線が、一カ所に、いや一人に向けられていた。

 胸を張って堂々と歩む、クロードが衆目を集めていた。


 クロードはただただ歩いているだけだ。

 それだというのに皆一様に、固唾を呑んでその歩みを見守っていた。

 ほとんどが緊張しきった面持ちで彼を見つめていた。

 その緊張具合たるや、その場に身を置くだけで皮膚がひりひりとした錯覚を得てしまいそうなほど。


 ただ一人の男が歩いているだけなのに、どうしてひりつくような緊張がここにあるのか。

 その理由は、言うまでもなくクロードが赴く先であるエリーにあった。

 いや、より正確に言えば、エリーが傍らに侍らせているモノにあった。


 香箱を作り、その頭をエリーの身体へと預ける異形の存在、獅子級。

 人類の天敵もそこに居た。

 つまり今のエリーに近付くということは、邪神の下へと歩み寄るのと同義。

 その上今のクロードは、腰のベルトにパーカッションリボルバーを差してはいるけれど、それ以外の武具を身に着けていないのだ。

 丸腰で邪神へと近付いているのに等しい状況。

 これを緊張しないで見られる理由が、一体この世のどこに存在するというのか。

 少なくとも俺には見つけることができなかった。


 しかしクロードは外野の緊張なんてどこ吹く風。

 緊張も恐怖も感じられない、散歩でもするかのような軽い歩調で一歩、二歩、三歩――みるみるとエリーとの距離を縮めてゆく。


 そしてついに。

 ぴたり。

 クロードの歩みが止まった。


 彼と赤毛の少女との距離が、手を伸ばせば互いの身体に触れられるほどにまでとなった。


「よう、エリー。俺からも聞きてえことがあるんだがよ。いいか?」


 話の口火を切ったのはクロードの方だった。

 その声色はそれまで見せていた歩調とまったく同じものであった。

 緊張も、堅苦しさもない。

 ただただ今日のお日柄を取りかかりに、世間話をするかのようなお気楽さであった。


 エリーの対応もクロードと似たり寄ったりだ。

 私は邪神の王である――

 そんな深刻な告白をしたというのに、シリアスさはこれっぽっちも感じさせない、とてもリラックスした様子であった。


 ともすれば、二人は本当にこのまま世間話すら始めてしまいそうであった。


「どうぞ?」


「俺はよ。覚えているんだよ。こいつらと違ってな」


「そう」


 告白。

 エリーに引き続きクロードも。

 ただし、周囲の反応は先んじたものとは異なる。

 驚きの色は薄い。

 ほとんどの者は首を傾げるのみ。

 覚えているだって?

 あの大尉殿は一体、なにを言っているのだろうか、てんでわからぬ。こんな感じ。


 けれども例外は居た。

 それが俺たち分隊員だ。

 例えば、俺のすぐ隣に居るレミィにちらと目を向けてみると――


 やはり、か。

 そう言いたげな、いかにもなにかが腑に落ちた風の顔を見せていた。


 そしてきっとレミィと似たような顔は俺も浮かべているはずだ。

 なぜなら俺もこう言いたかったから。

 やはり、と。

 やはりクロードは。

 クロードだけは。

 俺を含めた他の分隊員はすっかりと忘れてしまっていたけれど。

 最終戦闘のことを覚えていたのだな、と。


「だからわかるんだよ。お前の言い分のおかしさが。だって、もしお前が本当にグランドマザーであるならば……姿形が違いすぎる」


 クロードの記憶の中にあるグランドマザーの姿と、たったいまも目の前に居る自称グランドマザーの少女の姿は、まったく違っているらしい。

 たったいま彼が紡いだ否定の台詞には自信がみなぎっていた。


「……忘れられねえよ、あれは。本当におぞましい姿だった。どの邪神にも似ていなかった。蒸気機関のパイプのような人造的な管と血管のような有機的なチューブ。それらが絡まり合って、いずれもがどくんどくんと脈打って……形容できねえほどにおぞましいなりかたち。それがグランドマザーだった。だが――」


 彼は言葉を一度区切って、瞼を落とした。

 きっとそのときに見たはずの姿を思い出すために。

 目を閉ざしたのとほとんど同時にクロードは身体をぶるり。

 戦慄。

 顔も少しだけ青みが走る。

 どうやら、グランドマザーの姿は正真正銘、彼の瞼の裏に焼き付いているようであった。


 一拍、二拍。

 クロードは目を閉じて会話の間を取って。

 そののちにゆっくりと開眼。


 そして彼は今一度見比べた。

 瞼に焼き付いてしまった記憶の中のグランドマザーと、眼前の赤毛の少女を。

 しげしげとエリーを見つめて。

 答えを得たのか。

 クロードは静かに息を漏らしながら、ゆったりと頷いて。


「だが、お前は違う。どう見ても人間だ」


 クロードは言い直す。

 断言し直す。

 同一の存在であるわけがないと。

 エリーのさきの告白は嘘であると。

 そう結論づけた。


 さて、そんな結論を叩き付けられたエリーの反応はいかに。

 嘘がバレて、しどろもどろとなるか?

 それとも嘘偽りなく告白していたのに、嘘つき呼ばわりされて、怒髪天を衝くか――?


 しかしそのいずれにもあらず。

 彼女はとりたてて特別な反応を示さなかった。

 目も、頬も、唇もぴくりとも動かない。

 真顔。

 表情が一切読み取れない。


 だから、エリーの表情によって今のクロードの言い分が的を射ているか否か。

 それがまったく判断できなかった。


「断言できるんだ。今、目の前で信じられないことが起きている、というのに?」


「たしかに邪神を手懐けるという、常識外れの力を持っているようだが……」


 エリーは傍らにおく獅子級の頭を軽く撫でながら、クロードに問うた。

 表情に倣った感情の起伏が感じられない声でもって。

 邪神を手懐けられる存在を、人間と認めていいのか? と。


 その問いはクロードにとって、答えるに難しいものではないようだ。

 彼はふっと鼻笑い。

 文字通りにエリーの言い分を一笑に付して。

 

 そしてちらり、俺とレミィを。

 いや、控えている分隊員すべての顔を眺めたのちに、彼はこう言った。


「生憎と俺はな。何人も部下に持っちまってるんだよ。常識外れな連中をな。どいつもこいつも、俺の胃をぶっ壊しにくるのが超迷惑だが」


 人智を超えた能力を持つ人間はたしかに珍しい存在かもしれない。

 だが、決してこの世に居ないわけではない。

 俺たち独立精鋭遊撃分隊こそがその好例である、と。


「この世界はバカみてえに広いんだ。お前のような人間が居てもおかしくはねえよ。だから自分は邪神の親玉である、なんて突飛な論法で異能を結論づける必要はねえさ。それは、お前の個性なんだから」


 どうやらクロードはエリーのさきの告白は、自身の異能を説明するために苦悩した果てのもの、とみなしたようだ。

 いや、それどころかクロードは彼女が年若くして旅人なんていう、危うい身の振り方をしているのも、その異能による苦悩が原因である、と見ているようだ。

 その証拠に今のクロードの声調はとても柔らかい。

 思い悩む友人を励ますかのような、思いやりに満ちたものであった。


 さて、思いやりの一言によって、ニュートラルな形状で固まってしまったエリーの顔をほぐすことができただろうか?

 心を動かすことができたか?


 果たしていまのエリーの顔は――


 変わらず。

 未だに素面のまま。

 感動の気配、毛ほどもなかった。

 真顔のまま。


 クロードになにか言いたいことがあるのか。

 エリーはゆっくりと口を開いた。


「クロードは。それでも私が人間だ、と?」


「ああ、そう――」


「――まず私は。首を刎ねた」


 エリー・ウィリアムスは人間であるのか?

 その問いに是、と答えようとしたクロードの言葉をエリーは遮った。


 ――首を刎ねた。


 唐突で、物騒で、かつ脈絡がまったくない言葉でもって、クロードの発言を上書きした。


 その発言はあまりにも突飛なものであった。

 特に示し合わせたわけではないのに、まったく同じタイミングで、俺はレミィと顔を見合わせてしまった。


 一体、エリーはなにを言いたいのだろう? わかる?

 さあ?


 レミィとの視線を媒介とした不言の問答。

 俺もレミィも、今のエリーの発言の意図がなにであるのか、いまいちそれをつかむことができなかった。


 だが、どうやらクロードは違うようである。

 驚きを露わにしていた。

 エリーのいまいち意図が読み取れない謎の一言を受けて。

 彼は大きく目を剥いていた。

 これまでの付き合いで見たこともないような、驚きの表情。

 なにかをエリーに問いたいのか。

 彼の抱いた驚愕は相当に大きいらしい。

 上手に言葉を紡げず、さながら打ち上げられた魚のようにぱくりぱくり。

 何度も、何度も、その口が音もなく空気に噛みついて――


「……は?」


 ようやく口から出た彼の声は、もはや言葉という体をなしていなかった。

 なんとか疑問のイントネーションを含ませるのに成功した音。

 そんな感じであった。


 情報量が極めて乏しい一音。


 けれどもエリーはクロードの言わんとしていたことをきちんと解したのか。

 それとも端っから彼の意思を汲む気は一切ないのか。


「次に逆上して突進したのを、捕まえて縊って折って。物陰に隠れたのを見逃さず、壁に叩き付けた。そして残るは三つ。その内の一つを貫こうとしたら、庇われた。倒す順番が変わってしまった」


 エリーはクロードに構わず台詞を紡ぎ続けた。

 相も変わらず言葉としての体裁は保っているけれど、その意味はとんと理解できない。


 しかし、クロードにとってはそうではなかったようだ。

 彼はさらなる驚きを覚えたようだ。

 その喫驚は表情筋のみならず、彼の全身に影響を及ぼした。


 それまでのクロードは、しゃんと自らの足で真っ直ぐ立っていたというのに。

 たった今のエリーの発言がどうやら足腰を粉砕したらしい。

 急に膝が笑い始め、一歩、二歩とふらふらと足踏み。


「う……あ」


 そしてとうとうがくり。

 膝と腰が完全に抜けてしまったのか。

 クロードは尻餅をついてしまった。


 彼の様子がおかしい。

 俺はクロードの下へと駆け寄った。 


「クロード?! どうした?! 大丈夫?! 立てる?!」


 クロードは憔悴しきっていた。

 顔色は青を通り越して白っぽくなっているし、その額や鼻先にはびっしりと脂汗がこびり付いていた。

 呼吸だってとても浅い。肩で息をしている。

 俯き加減のその双眸は、どこにも焦点があっていない。


 今の問答は、ここまでに彼を追い込むものであったのか。

 ほんの短い間でここまでクロードを疲弊させてしまうとは。


 一体、二人はどんな話をしていたのだろうか?

 自分だってそれらを聞いていたはずなのに、話の全体がこれっぽっちもつかめなかった。


「どうして……」


 まずはクロードを落ち着かせなければ。

 肩を貸して、この場からクロードを遠ざけようとしたそのとき、ぽつりと彼が呟いた。


 少なくとも、この言葉は俺に向けられたものではない。

 多分独り言の類いだろう。

 そう思って、何とか彼を立ち上がらせると。


 がばり。

 勢い甚だ激しい動きで、俯き加減であった面を上げて。

 とてもヒステリックな眼光。

 左右で異なる開き具合の両の目でクロードはエリーを睨んで。

 そして、吠えた。


「どうして……どうして、どうして! それを知っている! いや、違う……それを知ってるということは!」


「ええ、その通り。貴方が()()()()()()()と願ったことは。()()()()()()()ってこと」


「……馬鹿な。ならどうして。じゃあ、どうして! こんな……こんな幸福な今があるんだ! だって、だって。おかしいじゃないか! お前がそれを知っているということは……! あれは。あれは!」


「クロード?! なにを! なにを言ってるんだ?!」


 話が掴めない。

 エリーとクロードの間だけで完結してしまっている。


 今、なにを話しているんだい? とクロードに問いかけるも。

 肩を貸し、こんなにも近くに居るというのに、俺の言葉は彼に届いてはいない。

 クロードは荒い息を伴いながら、血走った目でじろりとエリーを睨んでいた。

 その目の色は、とてもではないが正気であるとは思えなかった。


「それを答えてもいいけれど」


 狂犬の咆哮。

 それを思わせるクロードの叫びを真っ正面から受けているというのに、エリーは落ち着きをまったく失っていなかった。

 大の大人の激情を遠慮なくぶつけられていたというのに、涼しい顔をしたままであった。


 そして落ち着いているのは、なにも外見だけの話ではないらしい。

 きちんと内面も平静を保っているようであった。

 エリーはちらとクロードから視線を外して。

 くい、と顎をあらぬ方向、いや、ゾクリュ守備隊が陣を構えている方へとしゃくってみせた。


「時間、ないんじゃない? 急いでるんじゃなかった?」


 拘束砲撃があるのでは?

 まごまごしていると、砲弾が雨あられと降ってくるのではないか。

 急いで丘を下りた方がいいのでは?


 エリーはそう言って、少なくともクロードよりも落ち着いた素振りを披露した。


 たしかにその通りだ。

 急いで丘から離れないと、味方の砲弾によって吹き飛ばされてしまうだろう。


 ただし、問題はある。

 俺はちらと見る。

 多分エリーによって大人しくなったこの邪神の群れを。

 これをどう突破するか、ということがそれだ。


 俺たちが丘を脱出するまで、ヤツらがじっとしてくれる保証なんてどこにもない。

 もっとも、本当にエリーがその異能によって連中を律していて、かつ彼女が協力してくれるのならば話は別であるが――


「大丈夫。ここからはもう邪神は襲ってこないから。そうしないように命じておくから。だから、ゆっくりと丘を下りようよ」


 邪神の群れへと向けた、俺の目の動きを見逃さなかったのか。

 俺が抱いた懸念は心配にあらず、とエリーは答えてきた。


 そして、さあさ、急ごう、と言わんばかりに。

 エリーはすたすたと足早に先陣を切る。

 一人で突っ込んでいく。

 少女が邪神の群れに歩み寄るなんて、本来であれば目を覆いたくなるほどに、恐ろしい光景。

 けれども先ほどの告白、そして邪神を控えさせた実績を見せつけられたせいか。

 エリーの動きを危惧する声はどこからも上がらなかった。


 実際、邪神どもは堂々と歩み寄るエリーに害意をぶつけようとしなかった。

 やはり手出ししてこなかった。

 それどころか、邪神の群れはステージの割り(どん)よろしくに、二つに割れてエリーが通る道を作る始末。


 異能にせよ、あるいは本当に邪神の王にせよ、これで鮮明になったことがある。

 それはエリーが本当に邪神を手懐けている、ということである。


「うん? みんな、着いてこないの? はやくしないといけないんじゃないの?」

 

 エリーは振り返り、心の底から不思議そうな顔を作りながらそう言った。


 しかし、みんなが一歩を踏み出せないのは当然だろう。

 これがクロードがそれとなくにおわせた、異能によるものであったのならば、まだいい。

 だが、もし本当にエリーがグランドマザーであったのならば、と考えてしまうと、これは罠ではないのか、といった疑念をどうしても抱いてしまうのだ。


 そして想像してしまうのだ。

 あの道に足一歩を踏み入れたら、横に退いていたはずの邪神がわっと襲ってくる光景を――


 みんなきょろきょろと、所在なさげに顔を見つめ合う。

 誰が行く?

 誰が先陣を切る?

 無言でそれを相談しているのだ。


 そうであるならば。


「……レミィ」


「応。なにか?」


「クロードを頼む」


「……了解。行くのか?」


「誰かが試して安全を確かめなきゃ」


 一番俺に近いレミィを呼ぶ。

 まだ足腰が怪しく、気が動転しているクロードを彼女に預けた。



 かくして身軽になる。

 これで万一の事態があっても対応できるはずだ。

 

 一歩を踏み出す。

 エリーが作った道に向かう。

 いくつもの視線が俺に集まる。

 

 さて。

 度胸試しだ。

 悪魔が出るか蛇が出るか。

 それとも――

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