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第七章 二十七話 稀代の卑怯者

 レミィに啖呵を切ったまではいい。

 どうやって肩へと突きつけられているデリンジャーから身を守るか。

 これが大きな問題であった。


 俺はレミィにエリーを撃たせたくない。

 それは標的と見なされてしまっているエリーのためのみならず、レミィのためでもあった。

 もし、ここで彼女がエリーを撃ってしまったら、だ。

 いくら理屈でもってエリーを撃ってもいい理由を作り上げても、少女を撃ち殺してしまった、という事実は、いつまでもレミィの心にしこりとして残ることだろう。


 そしてその手のしこりというのは、ふとした瞬間、その宿主にこんな疑問を投げかけるものだ。


 はて、あのときの決断は果たして本当に正解だったのか? と。


 誰かの生き死にがかかっていたのならばなおさらだ。

 殺さなくても良かったのではないか、あのときの自分はただ人を殺したくてあんな決断を下してしまったのではないか――

 畢生、そのような苦悩に苛むことになるのだ。


 戦友として俺はそんな傷を負ってほしくはなかった。


 だから、なにがなんでも彼女を止める必要がある。


 そのためには弾丸を躱さないとならないのだけど――


(できるか? 相手はレミィだぞ? 躱せる撃ち方をしてくると思うか?)


 レミィの弾を絶対に躱せるという算段が俺にはなかった。

 凡百の射手ならば引き金を絞るために見せる、言うなれば予備動作めいた、ほんのわずかな腕の筋肉の動き。

 これを読み取ってしまえば、撃鉄が雷管を叩くより前に一歩を踏み出せる。

 銃が火を吹く前に相手を取り押さえることができる。


 だが相手はレミィだ。 

 人類最高のガンスリンガーだ。

 果たしてそう易々と読み取れる動きを見せてくれるかどうか。

 これがまるっきりわからなかった。

 見せてくれたなら躱せるけれど、見せなかったら――


 生唾を飲み込みたくなる衝動を必死に堪える。

 喉を動かしてしまえば、レミィがそれを隙とみて銃を放ってきそうだから。


 対峙するレミィも動かない。

 鋭い眼光で俺を刺してくる。

 俺の一挙手一投足を見逃さないためか。

 瞬き一つすらしていなかった。

 俺の隙をうかがっている感じ。

 彼女もないのだろう。

 俺を絶対に撃ち抜くという自信が。


 躱せるか。

 撃ち抜けるか。

 躱せるか。

 撃ち抜けるか。


 俺とレミィでは落としどころがまったく見つからないにらみ合い。


 ありがたいことにそこに、冷や水をぶっかけてくれる者がレミィの背後から一歩、二歩。


「はいはい。にらめっこはしまいだ、しまい」


 クロードだ。

 姉弟喧嘩を止める母親のような声色を伴いながら現れた。

 彼はするりと俺とレミィの間に入って、左右の手をそれぞれの肩にぽんと置いた。


「ウィリアム、レミィ。二人とも暴走すんのはそこまでにしとけ」


「拡大。ウィリアムの楽観的な意見が、クロードにまで伝染したか?」


「そうじゃねえ。お前ら俺の部下の癖して、なんで重要な判断を自分のおつむで考えようとしてんだ? まず上官に指示を仰ぐのが基礎中の基礎だ。違うか?」


 俺もレミィもすでに退役済み。

 しかもその上、独立精鋭遊撃分隊はもう解散しているのだ。

 クロードに絶対に従わねばならないとか、報告の義務とかのしがらみは、すでに俺たちに存在していない。


 だから実のところ今のクロードの発言に妥当性はまったくない。

 聞き入れる必要はないのだ。


 けれども、しかし。

 人という生き物は自分一人で責任を負いたくないと考えてしまうものか。

 重要な判断を独自で下すことに忌避感を抱くのか。


 レミィも、そして俺も。

 退役済みを理由に彼の意見を突っぱねる真似をしようとはしなかった。


「……疑問。お前はきちんと下せるというのか。冷静な判断が。どっちに転ぼうとも」


「できるように教えられてきたからな。士官学校で。だから。任せな」


 それどころか今のやり取りによって、レミィがその身に纏っていた剣呑な雰囲気。

 これがみるみる内にその鋭さが失われていった。

 やはり心のどこかでは少女を撃ち殺すことへの嫌悪感は抱いていたようだ。

 デリンジャーを握る手の力も心なしか抜けたようにも見えた。


 本心では嫌だけど、けれども誰かが負わなければならない判断の責任。

 これをクロードが負ってくれるというのだ。

 なら、彼に任せてしまってもいいのではないか?

 頼ってもいいのではないか?


 クロードに救いを見出したからこそ、レミィの態度が軟化したのだろう。


 でも。

 クロードに判断を任せてしまう、というのはつまり、すべての責任を彼に負わしてしまうということで。


 もし、彼が今のレミィと同じ判断を下してしまったときは――


「……でもクロード。それは……」


「気にすんな。それが士官の給料の内なんだからな。なら、わかったか? レミィ、銃を下ろせ。ウィリアム、そこをどけ。ここは俺の出番だ」


 けれどもクロードはそれでいいという。

 今、レミィが負おうとしたしこりを、背負ってもいいと言う。


 当然、俺はそれを飲み込まない。

 今度はクロードの行く手を塞ぐ。


 俺はとてもワガママな人間なのだ。

 エリーが殺されてしまうのも嫌だし、戦友が心の傷を負ってしまうのも嫌なのだ。

 行かせるわけにはいかなかった。


 俺の態度があまりにも強情であったせいか。

 クロードはやや渋みをにおわせる形で破顔した。


「なに、心配するな。たとえそうであったとしても、向こうにゃ交渉に応じる気配があるんだ。戦わずに済むのが兵法においての最上策なもんでな。だから」


 クロードはレミィに置いていた手を静かに剥がす。

 そして身体を俺に向き合わせて。

 がっしりとした造りの手を俺の両肩に置いて。

 曇り一つもない瞳を真っ直ぐ俺に向けてきた。


「そこをどいてくれ、な?」


 もしそうであったとしても、レミィと違って必ずしも討つべきだとは思っていない。

 戦わずにこの場を突破できるのならば、それでよい。

 彼の透明感のある目が、そのように語っていた。


 なら、任せてもいいのだろうか?

 クロードが誰も傷付かずにこの問題を処理したいと願っているならば。

 また、そうなるように全力を尽くすのであれば。

 ここをどくべきなのだろうか?

 逡巡する。


(でも……迷う必要は)


 躊躇いを抱いていたのは、ほんのわずかな間だけであった。


 クロードの気性を思い出せ、と自分に言い聞かせた。

 彼は貴族でありながら、腹芸がとびきり苦手な馬鹿正直者ではないか、と。


 そんな男が真っ直ぐな瞳で、戦わないに越したことはない、と訴えてきているのだ。

 本当に馬鹿正直に真っ正面から、誰も血を流さない道を探るに違いない。

 それに悔しいことに、身体を張ってレミィを止めたくせして俺には、血を見ずに済む結末へと導く自信がないときた。


 そうならば――


 俺は静かに肯じて。

 一歩。

 右に歩を刻んで、クロードの道を開けた。


 それでいい。

 クロードもそう言わんばかりに一度頷いて。

 しっかりとした足取りで、傍らに獅子級を侍らせるエリーの下へと歩んでいった。


「……提案。ウィリアム」


 クロードがエリーへと歩むその最中、レミィが小さな声をかけてきた。


「なに? レミィ?」


「最悪。最悪のケース。例えば、クロードが不意を打たれる形となったのならば。そうなったら私は撃つぞ? 頼むから止めるなよ?」


「……わかった。でも」


「でも?」


「そのときは。俺()撃つ」


 もし、クロードに危機が訪れたのであれば。

 俺は大っ嫌いなことをしなければならないだろう。


 それは命の選別だ。

 死んでもいい人間と駄目な人間を選ぶのだ。


 出会ってそう日を置いていない人間と、年単位での付き合いがある知己の命。

 これが天秤にかかり、どちらかを選ばねばならないのならば――

 苦渋の決断を下さないといけないだろう。

 クロードを救うために、エリーを撃つ選択をしなければならないだろう。


 エリーが邪神に操られているだけの、ただの人間であったとしても。

 エリーを撃たなければならない。

 それは嫌でも決意しなければならなかった。


「……大丈夫? それに耐えられるのか?」


「君だけにそれを背負わせるわけにはいかないんだよ」


 いいのか?

 子供を殺してしまう罪悪感に耐えられるのか?

 本当に?


 そんなレミィの気遣い。

 それへの返答はほとんど反射的に滑り出てしまったのだけれども、言い終えて数瞬経ったあとに、強烈な自己嫌悪に襲われた。


 ……罪をレミィだけに背負わせるわけにはいかない、だって?


 笑わせる。

 もし、本当にレミィに罪を背負わせるつもりがないのであるならば。

 俺は、俺()撃つなんて言わなければ良かったはずだ。

 俺()撃つと言うべきだった。

 俺が一人でこなすべきだったのだ。


 それなのに共犯者になる、と申し出たのは。

 俺が直感的に悟ってしまったからだろう。

 レミィの懸念通り、俺一人ではその罪悪感に耐えられないことを。


 レミィのためと口ではいいながら、本音では俺は自分のために共犯を持ちかけたのだ。


 なんて。

 なんて醜い。

 心の底からそう思った。

 断言できる。

 ウィリアム・スウィンバーンという男は。

 稀代の卑怯者である、と。

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