第七章 二十六話 不退転の二人
エリーの言葉を疑う者は居なかった。
あまりの大風呂敷への失笑が聞こえてこなかったからだ。
目の前の赤毛の少女が邪神の王である、というあまりにも馬鹿げた告白。
なんとも奇妙なことにこれがすんなりと受け入れられてしまった。
告白を受け入れたとはいえ、どう反応したらよいのか。
それを悩んでいるかのような沈黙が辺りに訪れた。
「質問。いくつか、聞きたい」
「どうぞ。レミィ」
沈黙を切り裂いたのはレミィであった。
声色はいつもどおり平坦で、感情の起伏を感じさせないもの。
表情もまた然り。
さきほどまで浮かべていたはずの後悔の残り香、これが影も形もなくなっており、今、彼女がなにを思っているのか、それを顔からうかがうことができなくなっていた。
そんなレミィの姿に俺は一抹の不安を覚えた。
レミィとの付き合いが長いとはいえ、彼女はご覧の通り感情をあまり表に出さない人間である。
だからこその恐怖がある。
それが真顔のまま激怒し、真顔のまま暴挙にでるというレミィの癖だ。
顔があまり変わらないから、彼女が怒っているかどうか、それを摑む手がかりがないのだ。
急に怒り出したり、急に暴れ出してしまう危うさを彼女は持っている。
エリーが告げた衝撃的な事実は少なからずレミィにも動揺を与えているはず。
その動揺のせいで彼女が衝動的な行動をしてしまう可能性は否めない。
仲間に疑いの目を向けるのは心苦しいけれど。
いつでも彼女が暴走してもいいように、レミィに注意を払う必要があるだろう。
ほんのわずかだけ、重心をレミィの方へと傾ける。
いつでも彼女を止めるため、飛び出せるように。
「王。お前は自分を、邪神の王のようなもの、と言った。ならばお前は。私たちが去年あの最奥部で戦ったはずの。私たちが言うところのグランドマザーだったのか?」
「ええ。そうよ。それがどうしたの?」
「忘却。あの戦いの記憶だけ、不気味なことに私たちは綺麗に忘れてしまっている。これはお前の仕業か?」
「それもそう。私がやった」
「健在。ならばお前がこうして生きている以上――私たちはあの時の戦いで。倒すべき敵を倒せてはいなかった、ということか? 私たちは戦いに、お前に勝ったと思っていたけれど。それは私たちの思い込みであった、ということか?」
「その通り」
「……成程。そうか。つまり」
「レミィさん!」
アリスの悲鳴、響く。
その原因はレミィの右腕がにわかに動いたからだ。
拳銃を握りしめた右手が上がって、その銃口がエリーへと向けられたからだ。
「邪神。今度こそ奴らをこの世から消し去るためには――」
レミィの眼光、極めて鋭利になる。
それだけで人を刺し殺せそうなほどに。
彼女は撃つ気だ。
エリーを。
身体が、動いた。
レミィの前に躍り出た。
射線を遮った。
周囲がざわめく。
当然だろう。
なにせ傍から見れば今のレミィは。
俺に銃を向けているとしか見えないのだから。
「邪魔。どけ、ウィリアム。今のやりとり。聞いただろう?」
「うん。きちんと」
「任務。私たちはこれを一年越しに達成すべきだ。今度こそ戦争を終わらせるために。そこの敵を討つべきだ。違うか?」
「いまさらやる必要があるのかい? もう戦争は終わったじゃないか? 今更、これ以上命のやり取りをするなんて、とてもナンセンスだよ」
「否。おかしいのはお前だ、ウィリアム。あの姿がために情でも移ったか? ヤツは言っているではないか。私はグランドマザーだ、と」
一瞬、レミィの手中にあるリボルバーが小さく揺れた。
五指がわずかに銃をより締め付ける。
力を入れ直したのだろう。
いや、そうしたジェスチャーを見せることで、彼女は俺に伝えたかったのかもしれない。
私は銃をこうして保持し続ける。
引き金を絞る意思は撤回しない、と。
なにがなんでもエリーを撃つ、と。
けれども意思がかたいのは俺もおなじこと。
レミィが銃を少し揺らしたのと同様に俺もジェスチャー。
より一層ぴんと背筋を伸ばして不退転の決意を示した。
「理由。いいか、ウィリアム? 討つべき理由しかないではないか。討たない理由がないではないか。何度でも言う。そこをどけ」
「どけないね。君は信じるのか? 彼女の言い分を? どう見ても人間じゃないか」
「笑止。これまでの生活で、お前はヤツの言うことをほとんど無条件に聞いてきたではないか。そんな人間に素性の知れぬ旅人の戯言だ。聞き流せ、と言われても、だ。説得力、これがまるでない」
たしかにレミィの言うとおりであった。
以前、ヘッセニアに言われたことを思い出す。
素性の知れない旅人の言うことをそのまま受け入れるのは危険だ。
裏があるかもしれないから、気をつけろ、と。
それを言われたときの俺は自分でもわからないけれど、とても意固地になってしまった。
どうしていたいけな少女を疑う真似をしなければならないのか?
エリーが言うことを信じてあげるべきだと反論した。
けれども今はどうか。
ヘッセニアと口喧嘩をやりかけたあのときと、今、俺の言っていることは、見事に矛盾しているではないか。
どうして、元旅人の与太話を真面目に聞いてしまうのか、とレミィに疑問を投げかけているではないか。
あのときは頑なに彼女の言うところを信じてみよう、と主張したくせに。
とてもひどい矛盾。
あまりにも露骨なダブルスタンダード。
それをしっかりと自覚しているけれど。
それでもなお、俺はレミィの声に頷こうとはしなかった。
「証拠。今のヤツの姿勢こそがなによりの証拠ではないか。見るからにヤツは獅子級を手懐けている。あの言葉は真実である、と見なすのに十分ではないか」
「……仮にあの言い分通りだったとしても。でも俺がこうして背中を見せているのに、エリーは邪神をけしかけようとしてこないよ? すでに敵意はないことの証拠じゃないのかな?」
「……大馬鹿者。お前は大馬鹿者だよウィリアム。どうしてもそこをどかないなら――」
戦争が始まって約百年、ついに人類は邪神を味方に引き入れることができなかった。
しかし、目の前の少女はそんな不可能を軽くしてのけている。
なら、当人の与太話、これを信じても然るべきではないか?
そんなレミィの説得力がある発言。
けれども俺は頷かない。
こんな俺の態度にとうとう焦れたか。
珍しくレミィは苛立ちげにわずかに眉尻を上げたのちに。
空であった左腕を動かした。
辺りには、複数の息を飲み込む声なき声。
それが大きく共鳴した。
どうしてか?
それは――
「怪我。してもらう。殺しはしないし、殺したくもないが……少なくとも痛い目には遭ってもらう」
彼女の強硬手段が、あまりにも強烈であったから。
同士撃ち。
そんな言葉が俺とレミィを見る人たちの脳裏に浮かんだはずだから。
レミィの動いた左腕には、きっと袖の中に暗器として忍ばせていたのだろう。
小さな小さな単発銃。
それが握りしめられていた。
その銃口は俺の肩へと向けられていた。
物騒な光をたたえた眼球はまっすぐ俺に向けられていた。
退かねば、撃つ。
その後にエリーを始末する。
眼光は不言にレミィのかたい決意を語っていた。
けれども頑固な意思を持っているのは俺とて同じこと。
たとえ戦友に撃つと言われても、ここを退く気はこれっぽっちもなかった。
レミィの行いが間違っていると確信しているから。
だってそうではないか。
子供を撃つなんて。
戦争が終わったのに、そんな非情な真似をするなんて!
そんなの絶対に間違っている!
だから。
だから俺は!
絶対にここをどかない!
レミィに倣って、俺も目で彼女に語りかける。
俺の強い意志を伝える。
彼女はきちんとそれを受け取ったか。
ふうと小さく息を吐き出して。
彼女の左手からわずかにぎちり。
金具がかみ合う音がした。
レミィのその細指に。
力が込められた。




