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第七章 二十四話 負うべき責任

 木が軋む音がする。

 辺りに響き渡る。

 音は道の周りの低木が折れるものではないようだ。

 音の質は生木にありがちな、湿り気を帯びていてスッキリとしない感じではない。

 すっかりからからに乾ききっている木が壊れる音であった。

 

 音がする方向は前方だ。

 麓へと通ずる踏み固められた道の上。

 本来木が生えるはずも、枯れ木さえも落ちていないはずの道。

 そんなところから音が生まれている理由とはたった一つ。

 さきほどまでそこに停まっていた、殿下たちが詰めているあの荷車。

 それが壊れ始めているということ。


 今も落ちゆく翼竜級乙種。

 ただしその大口から怪音波を垂れ流し続けている。

 そいつを荷車に浴びせかけながら。

 ヤツは真っ逆さまに地へと落ち行く。

 墜落してゆく。


 理解して、血が一層凍る。


「アリスっ! 殿下っ!」


 走る。

 ひたすらに。

 その目標は墜落中の翼竜級ではなく。

 みしみしと不気味に軋む荷車に向かって。


 急げ!

 急げ!

 急げ!


 急がないと致命的な崩壊が始まってしまう!

 あの音波のカーテンを突っ切るのは、俺もきっと無事では済まないだろうけれど。


 だけど今は必死に駆けて、とにかく急いで。

 突き飛ばすのでも蹴り飛ばすのでもなんでもいい!

 怪音波の範囲から彼女たちを外さねば!


 落下してゆく乙種を無視する。

 半ば捨て身で狙撃を試みるチェンバレン中尉たちに乙種を任せる。

 今すぐにでも殿下の下へ駆け寄り、その危機を救える人間は俺しか居ない。

 だから。

 だから!


 急げ!


 またしても自殺めいた強化を施し荷車へと急行。

 けれども、あの獅子級がもたらしたタイムロスは俺が考えている以上に深刻であった。


 距離を縮めて、縮めて、縮めて。

 そしてようやくあと五、六歩でたどり着くかといった頃合いであった。


「……っ! そんな! 殿下!」


 悲鳴が響く。

 それは落ち行く翼竜級を撃ち殺そうとしていた、チェンバレン中尉のもの。

 いや、もしかしたらそれを目撃してしまった、すべての者の悲嘆の合唱か。

 ともかく、誰一人として望んでいなかったことが、俺たちの眼前にて起きてしまった。


 無国籍亭の持ち物にして、今や重要人物を守る客車へと変身した荷車が。

 木材がねじ切れる音を伴いながら。

 見るも無惨。

 木片とささくれとおが屑の山となり果ててしまった。

 俺の目の前で!


「アリスっ! みんな!」


 腹の底からの絶叫。

 心からの悔恨。

 膝から力が抜けてゆく。

 指先、足先、とにかく身体の先端から血が引いていって、みるみると冷たくなっていく。

 まるで真冬で水仕事をしているときのような、ちくちくとした疼痛すら覚えた。

 呼吸も浅く、荒くなってゆく。


 荷車が潰れた。

 その事実に満足したのか。

 翼竜級は、幼いころにサーカスで見たライオン思い出す低いうめき声を発した。

 それは喜色に染まったものであった。

 当然だろう。

 ヤツは目標を狙い通りに壊せたのだから。

 大きなマットを地面に投げ落としたかのような、いかにも重たい音が響く。

 それは翼竜級が墜落した証。


 身体にすら作用するほどの重たい後悔が襲いかかってくる。

 しかしそれをも振り払って、俺はなおもそこに駆けることを止めなかった。


 邪神のちょっかいを乗り越える。

 道の真ん中に座す、すっかり変わり果てた荷車の下にたどり着く。

 そこはすっかりとゴミ捨て場の風情となってしまっていた。

 バラバラになってしまった木片が、山となって乱雑に積み重なっていた。


 一見すれば絶望的な光景だろう。

 人体よりもいくらかは頑丈な木材が、こうもバラバラに砕けてしまったのだから。

 けれども俺は、一縷の望みを捨てなかった。

 いや、それにすがった。


「アリスっ! みんな! 無事か!」 


 呼びかける。大声で。

 乗り込んでいた全員の無事を信じて。

 返事は、ない。

 聞こえるのはそこかしこから聞こえる、自衛のための発砲音のみ。

 

「大丈夫か?! 返事を!」 


 もう一度叫ぶ。

 心に浮かんだ最悪の像、それを振り払うために。

 今度は盛大に声を裏返しながら、より大きな声で。


 けれども、すぐに返ってくる声はない。

 やはり耳に届くのは誰かが撃った銃の咆哮だけ。


 まさか、本当に。

 俺は認めざるを得ないのか?

 最悪の事態を。


 頭からどんどんと血の気が引いていく。

 そのせいで脳にきちんと血液が回りきらなくなったのだろうか。

 しっかり固まっていた地面が、どろどろになってしまったのかのような錯覚が俺を襲う。

 目眩を覚え、膝を折りたくなってしまった。


 けれども俺は自身に鞭を打つ。

 まだ諦めるべきではない、と奮起する。

 みんなはこの木片に埋もれてしまって、動けなくなっているだけかもしれないのだ。


 そうならば、俺がなんとかしてこの木ゴミの山を片付けなければなるまい。

 なんとか身体を動かす理由を見つける。

 あとは実行に移すのみ。

 いまだ怪しいままの足腰を叱咤。

 よろよろとした足取りで坂に根を下ろした木っ端の山へと近付いて、跪き、掘り返そうとした――


 ――の、だけれども。


「……ご安心を。ウィリアムさん」


「アリス!」


 ずいぶんと遅れて返事がやってきた。

 アリスの声。

 不意打ち気味で聞いてしまったから、その声がどこから聞こえてきたのか。

 その特定ができなかった。


 言うまでもなく今のアリスの声は、俺からすれば喜ばしいものではある。

 しかし彼女たちが今どこに居て、どのような状況に置かれているのか、それを声だけで推察するのは至難の業であった。


 はやく彼女たちを見つけなければ。

 さきとはやや趣を異とした焦燥に駆られる。

 一体どこに居るのか?


 それを問うべく、息を多めに吸って、声と一緒に吐き出そうとした。

 けれどもなんともありがたいことか。

 俺が声を出す前に答えは現れた。


 結論を先に言うのであれば、灯台もと暗しと言うべきか、アリスの声は俺の真っ正面からのものであったらしい。

 下から上へ、地面から空へ。

 目の前の破片の山が、自然界ではなかなかお目にかかれない方向に流れた風によって、一気に吹き飛ばされた。


 その正体は魔法の風だろう。

 ほとんど反射的にそんな推察をする。

 答え合わせの機会はすぐさまやってきた。

 あの木片の山の下は、偶然かそれとも理由があってか。

 折れた木材が柱と梁のようになったおかげで、ちょっとした隙間がうまれていた。

 人間がしゃがんだ上で肩を寄せ合えば、幾人かは身を隠せるくらいの。


 現にその隙間の中には人影があった。

 それも一人分ではなくて、数人分の。

 とは言えやはり十分な広さとは言えないようだ。

 案の定その人影たちは、額と額を突き合わせあうくらいにぎゅうぎゅう詰めとなっていた。

 

 人影の先頭にさきほどの推察の答えが居た。

 軽くため息をして、いかにも一仕事をした風情を醸し出すアリスが居た。

 その一仕事ってのはさっきの木っ端をはね除けた風の魔法だろう。


「大丈夫?! 怪我は!」


「いいえ。ありませんよ。私も、殿下も。そして皆さんも」


「そう……! ならいい。ああ、良かった」


 アリスは立ち上がる。

 服をはたきながら。

 次いで二人の人影。

 アンジェリカとエリー。

 どうやらアリスがその身を盾にして、二人を守ってくれたようだ。 


 そんな様子をつぶさに観察する。

 狭いところに、それも地べたに腰を落とす形で縮こまっていたせいだろう。

 いつもは清潔な彼女のメイド服は、ほこりにまみれ、土汚れのせいでまだら模様となっていた。


 けれども幸いそれだけだ。

 赤黒い血糊はどこにも付着していないし、それは彼女の肌理の細かい地肌でも同じこと。

 そして彼女が身を挺して守ったアンジェリカとエリーの姿も、アリスとまったく同じものであった。


 アリスはどこにも怪我を負っていない。

 アンジェリカとエリーも。

 これは紛れもない事実。

 心の底からの安堵のため息、ほうと吐き出した。


「……私よりもまず、アリスの心配かい。使用人三人の心配かい。いや、別にそれでも構わないが……構わないのだが! ちぃっとだけ、王族の安否を気にすべきじゃないのかね? ウィリアム?」


「あとアレだ。土壇場まで定着魔法を頑張ってた、私もねぎらうべきなんじゃない? まったく……もう。すっごく、くたびれたんだから」


 非難の声。

 二人分の声。

 アリスに続いて隙間から這い出た、殿下とヘッセニアの。

 言い訳がましくなるが、決してアリスの安否があまりにも心配すぎて、その他の人たちのことをずっと忘れたわけではない。


 たしかにほんの一瞬だけ忘れていたような気がするが、それはきっと気のせいだろう。

 いや、気のせいにすることにした。

 だから二人の文句はまったく不適当。

 俺が反応すべきという理由はない。

 丁重にスルーすることにしよう。


 ……ちなみに二人の顔を直視できないのは、罪悪感からではない。

 今も心にかかっているもやもやは、一瞬でも二人への気遣いを忘れてしまったが故の気まずさではない。

 断じて。

 そのはずだ。


「殿下! よくぞご無事で! 全隊! 安心せよ! 殿下はご無事だ! さあ! 戦い続けるぞ!」


「おお……流石はチェンバレンだ。どっかの不忠者とは違って、ちゃんと私を気遣ってくれるとは……なんと素晴らしい。あとで勲章をやろう」


 俺が抱く気まずさをフォローするかのような、まったく素晴らしいタイミングで、チェンバレン中尉の殿下の無事を喜ぶ声が響く。

 それに追従して大きな歓声。

 中尉の部下たちである親衛隊員たちのもの。

 荷車が破壊されたとき、一気に下がってしまった彼女らの士気が、再び上昇へと転じたらしい。


 今度こそ殿下をこんな危うい目に遭わせてなるものか。

 それを合言葉にしたか。

 彼女たちの自らを奮い立たせる裂帛の声が、あちらこちらから上がりはじめた。


「おい! ムウニス! 死んでねえだろうな?! 生きてたら返事しろ! お前以上のコックを見つけるのがどれだけ骨かを知ってんのか?! だから、死んでても返事をしろ! すぐに生き返れ!」


「死んでたら返事できないでしょう……まったく。ギルは無理をおっしゃる」


 クロードたちとともに荷車の後背を守っていたギルトベルトたちも、今の騒ぎを見て急いでここまですっ飛んできたらしい。

 ムウニスへの安否を問う声には、その乱暴な主張とは裏腹に、よほど焦っていたのだろうか。

 その呼吸はひどく乱れていた。

 大きく肩で息をしていた。


 対してムウニスの方は案外気楽で、無茶苦茶なギルトベルトの問いかけを一笑に付すくらいの余裕を持っていた。


「ウィリアム」


 そして最後にきっとヘッセニアの魔法の成果だろう。

 木材が不自然に産んだ隙間から、レミィが這い出てきた。

 しかしその声色はこれまで出てきた人たちと比べると、ひどく暗かった。

 その上とても気まずそうに伏し目がち。

 悔しげに下唇を噛んですらいた。


「謝意。すまなかった」


「レミィ?」


「失敗。私は迫る乙種を撃ち落とせなかった。そのせいで、こんなところで足止めを食らってしまった。すまなかった」


「君だけの責任じゃない。そもそもの発端は俺が猿人級の罠にハマってしまったのが原因だ。なら、責められるのは俺だ」


「――おいおい。反省会は後にするべきではないか? それよりも、だ」


「ああ、ソフィーの言う通りだ。まずは前を向こうぜ。ちぃっとばかし厄介になっちまったからよ」


 レミィは乙種を撃墜し損ねたことを気にしていて、俺は乙種の突破を許してしまったことを気にしている。

 お互いにこの危機を招いてしまったという自覚があるだけに、俺とレミィを二人っきりにしてしまえば、どこまでも自己嫌悪の底なし沼に沈んでしまいそうであった。


 そんな泥沼の際で俺たちを引き留めたのは、ギルトベルトらから遅れて、事故現場にやってきたソフィーとクロードであった。

 彼女たちは後ろ向きになりつつあった、俺たちにこう問いかけた。


 今、起こってしまったことを悔いる余裕があると思っているのか? と。

 それよりも眼前に迫る危機を乗り越えるのが先ではないか? と。


 たしかに二人の言うとおりだ。

 辛うじて最悪を逃れたとは言え、決して楽な状況になったわけではない。

 人死にが出なかっただけだ。

 荷車が破壊され、殿下を安全に送り出す方法を失い、足止めを食らってしまった。

 今の状況とはこれだ。


 そして足止めのツケはすぐさま現れていた。

 ファリクが騎士級の注意を引いてくれているし、兵たちは迫る邪神を撃ち殺してはいるけれど。

 今や四方八方。

 首を右に左に、ついでに後ろに回しても視界に入るのは。

 邪神、邪神、邪神、邪神……

 囲まれてしまっていた。


 なるほど、たしかに。

 反省会なんてしている場合ではないようだ。


「これをどう突破するか、だね。さて、クロード? なにか案がある?」


「案もクソも、って感じだな。こうなっちまったんじゃなあ。さっきまでの馬鹿突進を継続するしかねえだろ」


「被害を顧みぬ突撃を再開、ね。殿下と子供たちを抱えながらやるのかい?」


「じゃあ、ウィリアム。お前に別案があるのか?」


「えっと……とにかく? 頑張る? 頑張って邪神を倒す?」


「おいおい」


 半ばヤケクソ染みたクロードの発案に突っ込みを入れてみるも、じゃあ自分が考えろと言われると、さて困った。

 起死回生の一手が思い浮かばない。

 結局クロードと似たり寄ったり、いや、どうみたって具体性がそれ以下の戦闘方針しか出てこない始末であった。


 もはや小首を傾げて誤魔化すしかない。

 クロードが呆れとため息をブレンドした一言を紡いでも、おっしゃるとおりで、としか言いようがなかった。


 護るべき人たちは無事だったこともあって、今は妙に落ち着いてはいるけれども、さて、状況はどうにも良くない。


「どうしたものかねえ」


「……もう、いいよ」


 自然と出たヤケクソの境地にある我が一言。

 そんな言葉への返事はなんとも予想外の方向から飛んできた。

 幼さが残る声。

 声の方へ目を向ける。

 エリーであった。


「もう、戦わなくてもいいよ」


「戦わなくていいって言われてもね。そいつはできない相談だ。君たちをこんな目に遭わせてしまったんだ。どうにかする義務が、俺たちにはある」


「いいえ。違う。どうにかする義務があるのは――」


 戦わなくていい。

 エリーの言。

 それは諦めろということか?

 ああ、なんてことだ。

 俺たちがあんまりにも不甲斐ないから、子供たちに諦めを抱かせてしまったか。


 これは気合いを入れ直さねば。

 まだ諦める気はない。

 生き残るための戦闘を続けてみせる。

 その意思を見せるために、ベルトに差した空っけつのパーカッションリボルバー。

 エリーとアンジェリカに見せつけるために、ややわざとらしい仕草で装填してみせた、そのとき。


 ひやり。

 冷や汗にじみ出る出来事が発生した。


「エリー?! なにをしている?! 下がって! 危ない!」


 エリーが一歩を踏み出したのだ。

 アリスを、そして俺やクロードを追い抜かして。

 邪神に向けて。

 一歩、二歩。

 歩を進めたのだ。

 ゆったり、のんびりと。

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