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第七章 二十三話 無音の音

 当たれ当たれ当たれ。

 願う願う願う。


 たった今、蹴り飛ばした石が宙に浮かぶ翼竜級に直撃してくれと。

 叶うならば、あの大口を開ける竜を撃ち落としてくれと。

 ひたすらに、ひたむきに願い続けた。


 そして俺の願いは、きっとこの場に居るすべての人たちのそれと同じであったはずだ。

 現にほら。

 親衛隊を指揮するチェンバレン中尉だって。


「当たれ! 当たれ! 当たれ!」


 それは俺が飛ばした石が当たるのを期待してか、それとも別の物が直撃するのを願ってか、いや、きっとその二つが命中するのを望んでだろう。

 恐慌しきったことをうかがわせる、ヒステリックに震えた大声を張り上げて。

 地上の邪神は後回し。

 撃針銃を大空へと向けて、やはり俺と同じく翼竜級乙種に狙いを定め、引き金を絞っていた。

 血の気がすっかり失せてしまった、真っ青な顔でもって中尉は撃ち続けていた。


 中尉がああも焦るのも当然だ。

 なぜなら翼竜級の乙種がなにかに狙いを定めながら、大口を開けるそのときとは。

 その口から怪音波がほとばしるときであるのだから。

 耳には聞こえないが、しかし極めて密な音波を放って。

 物体を破壊しようと試みたときであるのだから。


 そしてそんな物騒極まりない銃口が、殿下が乗る荷車に向いているのだ。

 しかもヤツはわざわざ土をかけてから急上昇してみせた。

 土がもつ質量を音波にかさましすることで、確実に対象を破壊しようと企んでいるのだ。


 その上ご丁寧にもレミィの銃眼では死角の位置に浮いているときた。

 すなわちそれは、人類最高精度の援護射撃が期待できない、ということで。


 だから。

 だから。

 だから!

 

 何としてでも俺たちで。

 俺たちでヤツを撃墜せねばならなかった。

 荷車が壊される前に、あの大空から有翼のトカゲを引きずり下ろさねばならないのだ。


 だから俺は石を。

 チェンバレン中尉は弾でもって撃墜を試みたのだ。

 護るべき物を護るために。


 当たれ。

 当たれ。

 当たれ!

 固唾を呑んで空中の翼竜級を睨み、睨み、睨み。


 そして翼竜級の腹が大きく膨らんで、たっぷりと空気を吸い込み。。

 その腹がへこみはじめて、()()()()が発せられたその瞬間。

 実際に音が届いたのか。ばたばたと荷車にかけられた土が共鳴し始めた、すわそのとき。


 ばつん。

 鈍い音が響いた。

 瞬間、乙種ご自慢の翼に。

 右の翼の根元に真っ赤な血華が開花した。

 生臭い華は重力に逆らえず、花弁はすぐさま落ちていき。

 そして身体に残るは、がくではなく大きな風穴。

 穴からは翼竜級の身体で遮られて見えないはずの、清々しい青空がちらちらとのぞいていた。

 椎の実型の撃針銃では到底作ることができない傷跡。

 すなわち命中したのは、俺が蹴った小石か。


 身体の一部に風穴があいた影響はすぐに現れた。

 まずは痛みによるものか。

 大きく開かれた口は、一度がぶりと空を噛む。


 筋か神経のどちらかを断てたようだ。

 その証拠に穴のすぐ隣にある右の翼はまったく動かなくなった。

 瞬く間に右に左に、あっちにこっちに、ふらふらとバランスを崩す。

 墜ちてたまるかとばかりに、無事な左の翼で必死に羽ばたく。浮沈を繰り返す。

 けれども、そうすればそうするほど左右のバランスは悪くなって。


 やがて決壊。

 決定的にバランスが崩れ、身体が宙でぐるりと一回転。

 次いで身体がきりもみし始めて。

 そして翼竜級は、空いた風穴から漏れ出す血液で、彗星めいた尾を作りながら落ちてゆく。


「いっっっっ! っよし!」


 大きな歓声、耳に届く。

 合唱めいたやつ。

 今の次第を見守っていたチェンバレン中尉を中心とした、親衛隊員たちのものであった。


 目標達成。

 一安心。

 かくして殿下が坐す荷車は護られた!

 心の底からそう確信している声の群れ。


 勿論俺の気持ちも同様。

 彼女たちの喜ばしい合唱に加わろうとした、その刹那。


「まだだ! しぶとい! もう一発! もう一発が必要だ!」


 にわかに抱いた一安心、それを吹っ飛ばすほどの兆候を、みるみると落ち行く翼竜級に見た。

 動かなくなった右翼。

 そのせいでバランスも揚力も失い、墜落する一方であった翼竜級。

 しかしそんな中でも、あの翼竜級はまこと憎たらしいことに、不撓不屈の精神を発揮したらしい。


 右の翼が動かないというハンデを抱きつつも。

 どうあがいても新たな揚力が得られなくなっても。

 なんとヤツはそれでもバランスを取る術を、このわずかな間で体得したらしい。


 落下こそ止められてはいないものの、なんということか。

 どうにかしてヤツはこれ以上のきりもみを食い止めて、逆さまなれど身体の正面は、ぴたりと荷車の方へと向けているではないか!


 身体の正面が向いているということは、つまり顔の真っ正面もその方へ向いているということ。

 その上閉ざされたはずの大口が再び開かれた。

 あの口先には荷車が――


 落ちながらも怪音波を吐き出すつもりか。


 俺の一声でチェンバレン中尉ら親衛隊も現状を確認。

 半ば勝ち鬨めいた歓声はぴたりと途切れる。

 しじまがにわかに訪れる。

 上気すらしていた各々の喜びに満ちた面持ちは、いちど固まって、そののちにみるみると青ざめていって。

 そして。


「くそっっっったれ!」


 とても汚く、そして強い調子の罵声が空に響いた。

 それはチェンバレン中尉のもの。

 軍隊の中でも特に気品を求められる近衛兵に、まったく似つかわしくない悪態だ。

 だが今このときにおいては、それを叱責する者は誰一人として居なかった。

 その理由は改めて言うまでもあるまい。

 今、この場は、それほどの余裕がないから。


「今、邪神と戦ってない者! 無責任な命令を許せ! 隙を突かれて、邪神にやられてもいい! 狙え! あの墜ちる翼竜級を! 殿下が危ない! 殿下のために死んでくれ!」


 自分の安全は顧みるな。

 親衛隊の名にかけて命を賭けてでも殿下を守れ――


 一種の玉砕命令にも等しい中尉の檄。

 しかしいくら未熟とはいえども、王族を守護する者としての誇りはしかとあるのか。


 ここで殿下を守れねば親衛隊の名折れそのもの。

 そう言わんばかりに親衛隊から、異を唱える者も、あからさまな悲壮感を醸し出して銃を取る者は一人も現れなかった。


 親衛隊は口々に了解を唱えながら、中尉の命令に従う。

 背中から邪神に襲われること覚悟で、彼女たちは撃針銃を問題の乙種へと向けて。

 そして次の瞬間には発砲音が次々と響く。いわゆる釣瓶撃ち。

 負けじと俺も石を蹴る。

 今度こそ仕留めてみせると心に誓いながら。

 

 殺到する。

 嵐の真っ只中にも似た横殴りの弾雨が。

 石が混ざった弾丸の群れが。

 墜落しゆく翼竜級へと突き進む。

 

 ビンゴ。

 直撃する。

 何発も何発も。

 翼竜級に。

 身体のあちらこちらから、血煙吹き出す。


 されどそのいずれも致命傷には至らず。

 チーズみたいにその身体は穴だらけになるけれど。

 絶妙にバランスを取っているからか、それともヤツの悪運が遺憾なく発揮しているのか、その判断はつかないけれども。

 弱点たる頭部には弾も石も、まったく当たらない。

 そのせいで、ヤツの人類への害意はいまだ健在なり。


 それどころか、今度こそは、と言わんばかりに。

 決意の眼光を伴いながら、またしても翼竜級の腹がゆったり、ふっくらと膨らんで行く。

 怪音波を発するための呼吸。


 石で間に合うか?

 いや。

 わからない。

 防げるかどうかが!


 そうであるならば!


「もう! やるしか! これしか!」


「軍曹?! それは! 危険です!」


 強化した一歩を踏み出す。

 蹴った土をまき散らしながら、落ち行く翼竜級目掛けて走り出す。


 きっとファリクは今の一歩でもって、俺の意図を悟ったのだろう。

 やはり待ちの一手で時間稼ぎを試みる騎士級乙種と相まみえながら、それは危険だと制止の声を寄越してくる。


 しかし俺はそれを無視。

 本心を言えば俺だってやりたくはない。

 昔の俺ならばともかくとして。

 安全を顧みず、敵へと突っ込んでいく真似なんてしたくない。


 けれども、俺よりもずっとずっと戦場経験の薄い親衛隊員が、他の邪神に背を向けてでも、翼竜級を討とうと必死になっているのだ。

 文字通り命を賭けているのだ。


 そんな中、仮にもベテランと呼ぶべき戦歴を持つ俺が、どうして自分の安全を確保した中途半端な姿勢で戦うことが許されようか?


 だから俺は決めたのだ。

 あの落ち行く翼竜級に飛び乗って、強引に口を塞いでしまおうと。

 たとえこの身に何発の流れ弾を受けようとも。

 そうすれば少なくとも殿下が、アンジェリカたちや、いやアリスが居るあの荷車は壊れずに済むはずだから。


 俺はファリクの制止を聞かずに、ヤツへ飛び乗るための助走を続ける。


(間に合え! 間に合え! 間に合え!)


 限界まで、いや限界をいささか超えて筋力を強化する。

 細やかな血管か、あるいは筋繊維か。

 身体のあちこちからぷつりぷつりとなにかが切れる音がする。

 負荷がかかっている関節が、いや、もしかしたら骨そのものか。

 ぎしぎしと軋み音を上げている。


 それらはいつもなら耳にしないはずの身体の悲鳴。

 これ以上の強化は止めてくれという、肉体の要求。

 しかしこと今回にいたっては悲鳴を上げて当然だ。

 増強した筋力に耐えるために、骨や筋に施す強化でさえも、速力にあてているから。

 だからこれは後先をまったく考えない、捨て身の強化。


 しかしハイリスク、ハイリターンとはまさにこのこと。

 この速度を維持できたのならば、身体が保ってくれるのであれば、きっと間に合うはず。

 蝋燭の火のような頼りない希望の灯がちらちらと見えてきた、その頃合い――

 その灯火に無粋にも真横から息を吹きかける者が現れた。

 

 邪神だ。

 獅子級。

 乙種ではない。

 そいつが俺を食い殺そうと飛びかかってきた。

 


「邪魔っっっっ! するなっ!」


 自然と怒声が出る。

 腹の底からの。

 タイミングがあまりにも悪すぎた。

 絶妙すぎた。

 無視して通過することもできない。

 見なかったことにしてしまえば、その一撃を受ける羽目となる。

 自らの速度と邪神の剛力があわさるせいで、無事ではいられないだろう。

 応戦するしか、ない。


 けれども、応戦するには少しばかり速度を落とさねばならない。

 そうすると、描いた力尽くの解決策が――


「ああ! ああ!! 畜生! 畜生!!」


 過去ないほどに頭に血が上る。

 強化による無理と、たった今の憤りが合わさったせいだろう。

 ぱっと一瞬だけだけれども、目の前が真っ赤に染まった。


 不可避の自衛のために速度を落とす。

 ぐっと、身体が前に押し出される感覚。

 それを耐えて、横目でお邪魔虫を捉えて、拳を強化して、一気に腕を振り抜いて。

 飛びかかろうとした四つ足の化け物、その頭蓋を一息に打ち砕いた。始末した。


 今のやりとりで失ったのは、精々まばたきの一瞬よりも短い時間だろう。

 けれども、この極限状況においては、それすら致命のタイムロスとなりかねない。


 遅れを取り戻すべく、もう一度無謀な強化を施して。

 ちらと横に向けた黒目、駆け寄るべき車へと捉え直した――その瞬間のこと。


 みしり。あるいはめきめき。

 木材が軋み、潰れ始めるその物音。

 俺の聴覚はそれらを捉えてしまった。


 音の出所は――

 考えたくもなかった。

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