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第七章 二十一話 嘲笑

 違和感が胸一杯に満ちる。

 俺の経験は大声で理性に語りかける。

 これはおかしい。

 注意しろよ、と。


 違和感の源泉にして経験が警鐘を鳴らすその対象は、眼前の天敵だ。

 坂を駆け下りている最中に、文字通り横から割り込んできた猿人級の乙種。

 そいつと今、しのぎを削り合っている。


 乙種が四つ腕の内、右の一本を振りかぶる。

 俺を殴打で排除するのを企図した動き。

 次の瞬間には質量を伴った殺人的暴風が、俺を()っ叩かんと吹き荒れるだろう。


 されど、その向きを先読み出来れば恐るるに足らず。

 躱すに容易。

 猿人級は丸太さながらに太い腕を力任せにぶん回す。

 真横に、地面と平行にして振り回す。

 致死の一打を俺に贈ろうと試みる。


 だが、さきの通り、それは俺の読み通り。

 油断は命取りであるが、さりとて慌てる必要は毛ほどもなく。

 暴風を引き寄せて引き寄せて、すわ俺に直撃する寸前。

 ぐっと身を屈める。

 膝を曲げ、腰も曲げ、頭も下げて。

 身体を丸めてその一撃をやり過ごす。

 刹那頭上から空気を押しのける音。風の音。

 回避、成功。


 しからば今度は俺の番。

 剣の柄をきゅうと絞り込む。

 魔力で筋力を強化する。

 最大にまで強化して。

 そして屈めた膝を、縮こまった大腿を一気に引き延ばして。

 その動きで勢いをつけて。

 今は丸出しとなった猿人級の急所たる腹部目掛けて、一突きをお見舞いする――


 いくら乙種といえども、敵は理性が希薄な野獣だ。

 常に全力で人類を害そうと暴れ回り、それ故一撃さえ躱してしまえば、突くに容易い隙が生じる。

 そのタイミングに合わせて一撃を放てば、実にあっさりと勝敗は決する。

 勝利は我が手に転がってくる。

 そう、そのはずであったのに――


「また、か!」


 舌打ちと共に悪態。

 その瞬間切っ先からあのおぞましい感触は伝わってこなかった。

 なぜであるならば、ほら、問題の切っ先を見てごらん。


 本来刺さるべき軍剣の切っ先は。

 むき出しとなった猿人級の腹と一体になっていなければならないその切っ先は。


 今もきらり。

 鈍く、それでも眩しく。

 昼下がりの陽光を返していた。

 ひと突きがむなしく空気に刺さっていた。


 それは俺が間合いの目算を誤ったわけではなくて。

 敵が能動的に動いた結果であった。

 ヤツがぴょんと後ろ飛びをしたのだ。

 まどろっこしい言い方を抜きにするのであるならば、ヤツがこっちの一撃を躱した、ということ。


 「ちっ」


 また舌打ち。

 魔力で水増しした脚力でもって、ぴょんと後ろにひとっ飛び、間合い開け。

 またしても俺のものでも、そして猿人級のものでもない絶妙な間合いで、にらみ合い。


 さて普通の邪神なら、あるいは凡百の乙種なら他害本能によって、まっすぐ突進してくれるはずだけれど。

 やはり俺たちが進む道に割り込んできた時同様に。

 いやそれ以前に、丘の麓で初めて姿を現した時同様に。

 本当にどういう意図があるのかは、さっぱりとわからないけれど。

 その落ちくぼんだ双眸でもって、じっとこちらを眺めるのみ。


 アクションを、とってこない。

 敵は静観を選択。


「……本当に。なんなんだ、コイツは」


 再度の悪態。

 けれど今度は舌打ちと分離したやつ。


 奇妙だ。

 どうにも。

 奇妙だ。

 俺の経験がしつこいくらいに警鐘を鳴らしていた。

 やはりこの乙種、おかしいぞ、と。


「積極的に襲ってこないのもそう。攻撃を躱されることを前提とした、余力を残した一撃を繰り出してくるのもそう! わけわかんない! なんなんだい! 本当に!」


 じっとしてくれているのは、本心を述べるのであればありがたい。

 何故なら敵が動かなければ、攻撃を繰り出してこなければ、こちらが傷つかないからだ。

 こちらがじりじりと後退すれば、安全に避退することも難しくないからだ。


 もし、こいつと昨年までに遭遇していたのならば、少しくらいなら邪神への信仰心を抱いてもいいと思えるくらいなのに。

 本来であるならば、そう思ってもいいくらいにやりやすい相手だというのに。


 今、このときにおいては、そんな真似をされるのがたまらなくキツかった。

 生命に関わるタイムリミットが迫っているが故に。

 急がなければならなかったから。

 かの乙種への憎しみは募る一方であった。


「ああ! もう! さっきも、言ったよね! 急いでいるって!」


 悪態を吐きながら。

 地を蹴る。

 間合いを詰める。

 天敵を仕留めるために。


 強化魔法の恩恵を十分に受けた足捌き。

 それによって一息に最高速に達して、瞬きをする間に俺の間合いにもっていって。

 今度こそ仕留めるために、今度は俺が敵に先んじて得物を振りかぶり、真横一直線に斬り払うも。


 俺の剣はまたしても空を斬る。

 俺に隙が生じる。

 もし俺がヤツの立場なら、喜んで逆襲するけれども。

 問題の乙種はぴょんと軽くバックステップを刻んで、距離をとって避退。

 やはり敵は構えようとせず。

 またしても俺との睨めっこを所望する始末であった。


「……本当に。腹立たしい!」


 事が思い通りにならぬフラストレーションと、未知との敵に遭遇するストレスと、着実に近付く拘束砲撃への焦りか。

 俺の頬につうと冷や汗が一筋つたった。


 本当にこの敵は見たことがないタイプだ。

 今のやりとりにしてもそうだ。

 一閃を外したそのとき、俺は一見隙だらけであるようなポーズをとってみせた。

 ヤツの一撃を誘うために。

 ほら、俺は今、ここまで隙だらけだぞ、と。

 あの乱暴な一撃を繰り出した直後の、ヤツのものまねをしていたのだ。


 だが猿人級は逆襲を選ばなかった。

 演技のにおいを敏感に感じ取ったからか、それとも、本気で俺たちを排除する目的はないのか。

 ぴょんと飛んで距離を取って、様子をうかがうといった、消極策を相も変わらず採ってきた。


 まったくもって腹立たしい!

 思うように行かなくて、むしゃくしゃする。

 いっそ自棄になって、ひたすらに猿人級に吶喊し続けたくなる欲求に駆られる。


(どうにも、頭に血が上ってしまってるかな)


 けれども、それは悪手だ。

 冷静さを失い短絡的行動に走ってしまえば、ロクでもない未来が訪れるのは戦争のおかげでよく知っている。


 だから、まずはこの腹立たしさをどうにか鎮めなければ。

 猿人級にバレないように慎重に、ゆっくり、しずかに息を吸って吐く。

 深呼吸。

 まずは現状を確認すべきだと自分に言い聞かせた。


背中(殿下たち)は大丈夫。ファリクとレミィが大活躍。おかげで親衛隊員への負担は少ない。今の調子が続くのであれば、まず邪神に遅れはとらないだろう)


 意識を研ぎ澄まさなくとも、耳に入るのは間断なく響く銃声。

 極めて間隔の狭い発砲音がたたたん、たたたんと律動的に響き続ける。

 単発の撃針銃では到底生み出せないそれは、リボルバーによるもの。それを得意とするレミィによるもの。

 それに野太いファリクの雄叫びが絡み合うことで、なんとも言えないハーモニーとなり、この場における主旋律となっていた。


 そして時々加わるのは、親衛隊の自棄の境地の喚声。

 恐怖を忘れたことにした感じの大声。

 それが耳に入るのを勘案すれば、まだ親衛隊にも被害は出ていないようだ。

 誰かが死んでしまったり傷付いてしまっていたりしたら、恐怖を忘れたフリなんて出来ないはずだから。


 今のところ危機的状況には程遠い。

 だから後ろは一安心。


 その事実に胸をなで下ろす。

 さて、次いで確認すべきはどうやってあの厄介な乙種を討ち倒すべきか、だろう。


 まずは現状の手札を確認する。 


(手に握り締めるはファリク印の軍剣。刃こぼれなく良好。次いで銃器。動くのに邪魔だから、殿下に撃針銃を渡してしまって持ってない。パーカッションリボルバーはあるけれど)


 意識を左腰の辺りに、ベルトのあたりに持っていく。

 ずしりと重たい黒鉄がそこにあった。

 現状、俺が唯一携行する銃器だけれども。

 今すぐ俺がこいつを抜いて振り回せない理由が残念ながら存在していた。


(替えのバレルは使い果たしてしまったからなあ。弾はまだまだあるから、装填すればいいのだけれども。流石に、なあ)


 間が悪いことに現在弾切れ中。

 引き金を引けども引けども弾が出てこない。

 一つでも多く手数が欲しい今では、なかなかに頭の痛い問題であった。

 いくらなんでも乙種の前で弾込めするのは、あまりにもおっかないし。


 だからヤットウで猿人級を討たねばならないのだけれども、その首尾は先の如し。

 それなりに先行き明るい展望を抱ける後方に対して、前方たる俺は随分とよろしくない状況にあると言わざるを得なかった。


 唯一いいように取れる要素といったら、なぜかは知らないが、乙種と相対している限りでは他の邪神が俺に襲いかかってこないことだろうか。


 おかげでこうしてウダウダと物思いできる余裕は失ってはいなかったけれども。

 しかしやれやれ、どうやったら目の前の乙種を速やかに倒せるというのか。

 それがとんと思い浮かばない。

 顔は勝手に苦笑いの形となる。


 そして気がつけば、自分でも信じられないことに。


「慎重深いなあ。まったく、君には恨み辛みしか出てこないよ。このにらみ合いで焦れて吶喊してくれたのならば。俺はとっくのとうに君を倒せているはずなのに」


 皮肉たっぷりの声色でもって、眼前の四本腕に語りかけてしまう始末。

 声をかけたことでこれを隙とみるか、あるいはパニックに陥ってこちらへ襲いかかってくるのを期待してのことだが、しかし期待は期待だけに終わる。

 せっかく俺が言葉を投げかけたというのに、猿人級は黙りこくる。

 首肯すらしてこない。

 なんともつれない。


「ねえ。人身御供を要求するくらいなんだから、言葉はわかるんでしょ? 待ちの一手が使えるくらいには頭いいんでしょ? だったらどいてくれないかな? 俺たちは今、とっても困ってるんだ」


 どうせ言葉は返してくれないだろうけれど、それでもなお声をかける。

 隙があることを演出するために、とんと軍剣を肩に担ぐ。

 ほらほら、隙だらけだぞ、と挑発する。


 でも、結果は変わらなかった。

 返事はなし。

 身じろぎもせず。

 俺の聴覚はただただ後ろからの発砲音と喚声を捉えるのみ。


 期待はしてなかったけれど、少しばかりは、もしかして、を無意識に願っていたのか。

 ほとんど不随意にため息がこぼれでた。


「やっぱだんまり、か。この場においては君たちが優勢だけど。でも大局的に見たら、君らはほとんど滅びかけの劣勢じゃない? おつむの出来がいいのであれば、対話ってのも一つの道だと思うよ」


「――ぐ。ぐぐ」


「うん?」


 返事にしては意味がこもっていなかったけれども。

 今、たしかに、あの猿人級は声を漏らした。

 とてもくぐもっていて、猫の喉鳴りにも似た音色だったけれど。

 たしかにヤツの喉から音が零れ出た。


 なぜ、このときになってヤツは声を出した?

 もしかして、対話というワードに反応したのか?

 答える気になったのか?


 わずかながら心臓が高鳴る。少しだけ動揺する。もちろん期待によって。


「なにか言おうとした? 聞き取れなかったからもう一度」


 そしてその動揺をおくびに出さぬよう努力しつつ、俺は(くだん)の猿人級の観察を続けた。

 声を出すという新たなアクションを示したのだ。

 また、なにか変わったことをするかもしれない。

 そのときに生じた隙や兆候を決して身逃がさぬために。

 目を皿にしてヤツを睨む。


 三拍、四拍。

 沈黙。

 なおもにらみ合い。

 銃声と喚声を背景にしながら。

 それでも動きに目新しいものは見当たらない。


 ならばあの声は、ただのイレギュラーな事態か。

 がっくりとした失望感が胸に広がる――その直前のことだ。

 諦めかけていたその瞬間。


 ちらり。

 じっと俺の動向をうかがうために、こちらを睨んでいた猿人級の視線が。

 ほんの一瞬、けれども確実に。

 わずかに右に逸れて、焦点が俺からズレた。

 一瞬ヤツの意識が俺から遠ざかった。


 それを認めた直後、いや、その瞬間に。

 俺は激烈な踏み込みで地をえぐっていた。

 一気に間合いを詰めた。


 歓喜、胸一杯に広がる。

 好機、それをようやく見いだせたから!

 殺気、容赦なく敵に叩きつける。


 踏み込みの音を聞いてか。

 大急ぎで猿人級の意識が俺に向く。

 四つの腕を大きく広げ反撃体勢を整える。


 けれどももう遅い。

 すでに間合いは俺のそれ。

 必勝圏内。

 目一杯筋力を強化して、一閃を放てば。

 この手に勝利が転がり落ちるのは必至。


 狙うは左半身。

 左の一対の腕。

 そいつを落として、隙を作って。

 頭を落とせば俺の勝ち。


「――悪いね。俺は実は二枚舌(嫌味な王国人)なんだ。騙してナンボ。こと戦いに関しては、正々堂々なんて真似しないよ?」


 にいと唇を歪めてみせて。

 そして皮肉の音色たっぷりに猿人級へとささやいた。


 もし今の隙がさきの和解勧告によってもたらされたのであるならば。

 ヤツは勝負事での王国人のペテン師ぶりに騙されたこととなる。

 だから俺の心の奥底に眠る、ステレオタイプで意地悪な王国人の血がうずくのだ。

 騙されたモノを思いっきり煽ってしまえ! と。


 今回は俺はその血に抗わない。

 何故ならヤツには散々面倒をかけさせられたから。

 だから思いっきり煽ってやる!


 ヤツは俺をぺちゃんこにしようと、ようやく四つ腕を天高く振り上げた。

 けれども手遅れだ。

 すでに俺の剣は中空を走り始めていて。

 猿人級の左体側に生える二つの腕を斬り落とすために。

 剣の残光で弧を描くように。

 下から上へ。

 一閃。

 放つ。


 機先を制したこと。

 そして目一杯に筋力を強化したこと。

 この二つの要素によって、敵は一撃を防ぐに能わず。


 磁石で吸い寄せられるかのような滑らかさでもって。

 刃は天敵の腕に吸い込まれていった。


 ――そのはずなのに。

 戦いは間違いなく俺が制したはずなのに。

 なぜか、どういうわけか。

 これからその身を刻まれる猿人級の顔は間違いなく。 

 にい、と歪んでいた。


「同胞。翼持ちの同胞。あとは。頼んだ――」


 そんな一声とともに嘲笑っていた。俺を。間違いなく。

 まるで水中で発声したときのような、ごぼごぼとしたノイズだらけの声でもって。

 シーツを滅茶苦茶に丸めたかのような、皺だらけの醜い笑顔でもって。


 ……なぜだ?

 なぜ喋った?

 なぜこのタイミングで言葉を放った?

 なぜ俺を嘲笑った?


 いや、それよりも。

 同胞?

 頼んだ?

 どういう意味だ?


 俺の頭の中はそんなクエスションで一杯。

 それでも我が剣は構わず空を斬り、宿敵の肉体へと迫り、そしてついにはざくり。

 刃はぞっとする感触とともに、血肉を斬り進む。

 そしてがつんと、骨にぶち当たったその頃合い。


 唐突に、本当に唐突に。

 俺のすぐ左側面にて一陣の風が吹いた。


「天晴れだ。任せろ、同胞。この犠牲でもって救ってみせよう。必ずや我が。我らに傅く者を」


 それはついさっき猿人級の口からこぼれ出たのによく似た、ごぼごぼと聞くにたえないノイズだらけの声を伴った風だった。


 まさか。

 目を。

 瞳孔を。

 必死にぎょろりと精一杯左側に向けてみれば。

 一瞬だけど。

 見えた。

 中空を駆る翼竜級が。

 乙種が。

 俺には脇目も振らず。

 俺が護るべき荷車へとむかっているのが。


 悟った。

 猿人級が俺を嘲笑ったその理由を。

 ヤツが企図したことを。


「――釣りだ! 釣られた!」


 叫んだ。

 邪神に出し抜かれたことと。

 護るべき人たちに危機が近付いていることも知り。

 筆舌にし難い悔しさと。

 血肉を斬るおぞましい感触を伴いながら。

 血が凍るほとの激烈な焦燥感が俺の心を揺さぶった。

 

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