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第七章 十九話 緊張、そして嚥下の合唱歌

 しかしながら、流石は歴戦の独立精鋭遊撃分隊か。

 陽が天頂からわずかに西に傾いた頃合い、立ち並ぶ砲の間をゆったりと歩むボリス・フィンチは素直に舌を巻いた。


 かの屋敷では払暁より邪神の襲撃を受けて、以降は休む間もなく籠城を続けてきたはず。

 絶え間なく押し寄せる邪神どもがもたらす緊張に常に晒されてきたはずだ。

 長時間の戦闘による疲労と邪神由来の緊張感。

 これら二つの要素によって、とっくに彼らの士気は限界までに底打ちし、いつ総崩れしてもおかしくはないというのにだ。


 しかしどうだろうか。

 遠目に見える丘からは銃声がいまだ鳴り止まない。今も元気に釣瓶撃ち。


 そして目を細めて丘の様子をよくよく観察してみても、丘の天辺にまで邪神が到達した様子は、これっぽっちも見いだせず。

 すなわちそれは、今も彼らが邪神と善戦していることの証明であった。


 あの屋敷に詰める人員はそう多くはない。

 戦中であったのならば、殿軍として活用するのにもなお不足するほどの頭数。

 にも関わらず、かくも完璧な防衛戦を繰り広げているとなると、ボリスも認めざるを得なかった。

 天晴れ。まこと勲章ものの奮戦ぶりだ、と。


 賞賛。

 それが心からのものであるのは、常に不満の形に歪んでいる彼の唇が、綺麗に釣り上がっていることからも明らかであった。

 神経質でヒステリックな気性のボリスにとっては、それらはとても珍しい反応であった。

 現にとても希少なボリスの笑みを目撃した部下たちは、そろって二度見や、目をまん丸にするといった、わかりやすい反応を見せていた。


 何故、不機嫌が名刺代わりのボリスがかくもご機嫌な姿を見せているのか。

 部下らは理由を聞きたくてたまらないのだろうが、本人に直接問おうとする者はついに現れなかった。

 下手な藪蛇を突いて、いつものボリスを呼び戻してしまうのを恐れているからであろう。


 そんな部下たちの内心を慮ってか。

 いや、彼の性格からはそれはあり得ぬのだろうが、しかしそうとしか思えないタイミングで、ボリスはご機嫌なその理由をぼそりと口にした。


「まこと、まこと。お見事、お見事。かくも邪神を拘束してくれるとは。賞賛、賞賛」


 その独り言を聞いてしまった兵は、まことに不幸であった。

 その一言によって兵らは改めて認識してしまったのである。

 ああ、自分たちは。

 これから、同胞である人類を吹き飛ばしてしまうのだ、と。

 

 秋も大分近付き、ほどよい陽気の中にある平原。

 本来であれば、パラソルとランチボックスを引っ提げてピクニックをするに相応しいお日柄の下。

 そうにも関わらず、自分たちが行っていることと言えば人殺しの準備だ。


 平穏であるべき陽気をまるっきり無視して。

 物騒極まりない行いをこれからしようとしている。

 実に憂鬱。

 兵らの気分は下を向く一方。


「ご無礼をお許しを! 僭越ながら、意見具申の許可を!」


 満足げにゆったりと歩を進めていたボリスの前に、兵が敬礼を伴いながら立ち塞がる。

 口を真横に結んで堅苦しい顔を作る彼は、老練と見るべきではないが、けれども若兵と呼ぶにも相応しくない年頃の男であった。

 どうやら戦場経験は積んでいるらしい。

 新品の輝きをとっくに失った軍曹の階級章が、彼が手練れであることを雄弁に語っていた。


 いくら現場においては神にも等しい下士官とはいえ、高級将校の道を遮り、あまつ意見具申を試みるとは。


 なんという身の程しらずか! なんという愚か者か!


 目を見事な三角にしたボリスの罵声が、このうららかな平原、空高くに響くだろう――


 この光景を見たいくらかの兵らは、きっとそんな未来を予想したに違いない。


 しかし、その想像は大きく外れることとなった。

 ボリスにしてはなんとも珍しくも、無礼を働いた軍曹を叱責する気配。

 これが欠片も見られなかったのである。

 それどころか――


「なにかね?」


 湛えていた笑みは引っ込めはしたものの。

 なんとも鷹揚な口ぶりで軍曹の意見具申を許す始末。


 ボリスの態度になにかを見出したのか。

 軍曹は相好をわずかに緩めた。

 いかにもなにかの手応えを摑んだ風の、明るさをにおわせる面持ちであった。


「はっ! 拘束砲撃に関して、です! 結論から申しますと、中止すべきであると小官は具申します!」


 大きく胸を張って軍曹が声高に叫んだそれは、その場の誰しもが生唾を飲み込む緊張感をもたらした。

 他の兵らは自らの任務に邁進しつつも、ちらりちらりと軍曹とボリスを盗み見た。


 いくら邪神を討ち倒すためとはいえ、人死にが伴う方法は嫌だ。

 表向きは粛々に準備を進めつつある兵たちは、例外なくそう思っているのであろう。

 だからこそ気になるのだ。

 二人の問答が。


 しかもかの屋敷にはゾクリュ守備隊の副隊長、ソフィー・ドイルが居るのだ。

 ただでさえなにかと共闘してきた、あの屋敷の面々を吹き飛ばすのに忌避を抱いているのに、身内殺しという強烈なトッピングが添えられているのだ。

 ボリスを除いたゾクリュ守備隊全員がこの砲撃をよかれと考える要素なんて、まったくもってないと断言してもいいだろう。


 幸いなことに隊長代理の態度は、恐ろしく柔らかいときた。

 これはもしかしたのならば、兵らにとっては喜ばしいどんでん返しが起きるのではないか。

 辺りに漂う空気からは、彼らのそんな期待を読み取ることができた。


「その理由を聞こうか? 軍曹?」


 無礼なり、と顔を真っ赤にして叱責しても然りなシチュエーション。

 しかしボリスの口からぬるりと零れ出た声には、怒りの色がまったくなかった。

 いや、それどころか、凪のような穏やかさすら感じ取れる。


 砲撃準備を粛々と続けていた兵らは思わず顔を見合わせた。

 そしてボリスに聞こえぬほどの、葉擦れにも等しい小さな声で口々に言い合う。


 怒らない?

 ヒステリーを起こさない?

 即座に否定しない?

 これはもしかすると、もしかするかもしれない――


 ――彼らはひそひそ、ひそひそとそう言い合った。


 兵たちが抱いた期待はますます大きなものとなったらしい。

 二人のやりとりを耳にした者の作業の手はぴたりと止まっている。

 文字通り固唾を呑んで、希望を抱いて軍曹と大佐を見守っていた。


 いや、見守る程度ならまだいい。

 酷い者となると砲撃中止を祈願してか。

 両手を組んで、神に祈る者すら居た。


「はい。ご覧になればおわかりでしょう」


 手応えを感じているのだろう。

 軍曹はいささか芝居がかった動きで身を翻す。

 そして砲口の向く先である小高い丘をふわりと右手で指した。


「屋敷の詰める者どもの奮戦をご覧下さい。彼らはかれこれ半日も戦い抜いております。そうであるのに、押されている気配がまったくありません。むしろ、押し返しているようにすら見えないでしょうか?」


「貴官の言うとおりだ。それについては私も認めよう。彼らは実によく戦ってくれている。それで?」


 ボリスは未だに癇癪を起こさず。

 軍曹が言うところを否定せず。

 雰囲気が波立つ。

 いや、実際に幾重にも重なった小声が明確に空気をざわりと揺らしていた。


 これはもしかしたらがあるぞ、と。

 空気はそう揺れていた。


「はい。勇者たちにはその健闘精神を讃えるべきです。生きて賞賛を与えるべきです。そうである以上ここは挟撃を敢行し、彼らと共に勝利を分かち合うべきと愚考します」


「――それで?」


「は?」


「それで? だから? どの様な理屈でもって拘束砲撃を中断せねばならないのか? 挟撃は拘束砲撃ほど損耗が抑えられるというのか? 貴君の言う挟撃はより安全に、確実に。勝利を収められるというのか?」


 雲行きは激しく変化する。

 兵らが望まぬ方へと流れゆく。

 ボリスの口調も変わる。

 さきまでの溢れんばかりの穏やかさはいずこへ飛んでいったのか。

 ボリスの声は、いつも通り高低が安定していない、ひどく神経質そうなものとなっていた。


 そんな声色でもって、挟撃が拘束砲撃に勝る点を列挙せよと求められたのだ。

 これは明らかに軍曹の主張を却下する流れ。

 ボリスが見せた一連の変貌に、聞き耳を立てていた誰しもが生唾を飲み込んだか。

 青空の下にて、ごくりと嚥下の合唱歌が響いた。


 若い軍曹は返事に窮したか。ボリスに求められた答えを口にできなかった。

 頭では必死に言葉と理屈を組み立てているのだろう。

 幾度も口を開く素振りを見せつつも、結局言葉はでてこない。

 いや、これではボリスを説き伏せられないのか、と、自己添削によって言葉が何度も跳ね返されているようであった。


 もしかしたのならば、そんな軍曹の思考を妨げる目的があったのかもしれない。

 論を交わす時間すら無駄であるとみなしたか。

 あるいはボリスは軍曹が口を挟む余地を潰すためか。

 声を大にし、それでいて矢継ぎ早に、くどくどと語りはじめた。


「たしかに貴君の言うとおりではある。奮戦する者たちには敬意を抱かねばならぬ。報われなければならぬ。ごもっともだ。だが、しかし――」


 ここまで息継ぎなしで語り継いだためだろう。

 ボリスは一拍の休憩を挟んだのちに。

 再び口を開いた。


「敬意の送り先は、なにも生きた者である必要はあるまい? 二階級特進はなにのためにある? 死した勇者を讃えるためにあるのではないか?」


「しかし! あの丘にはドイル少尉が――」


「ドイル少尉は!」


 ボリスの問いかけに、軍曹はすぐさま反論。

 けれども、ボリスはそれを許さず。

 彼の言葉を遮った。

 自らの言葉で遮った。

 強い言葉で遮った。

 軍曹は思わず言葉を飲み込んだ。


「ドイル少尉は軍人だ。それも優秀な将校だ。部隊の損耗率、そして討伐の確実性を鑑みたとき。彼女は拘束砲撃の有用性を認めるはずだろう。ならば、こう思うはずだ」


 軍曹から反論する余地を奪うために。

 抗弁する気概を挫くために。

 王国軍随一での嫌われ者は、ここが勝負所とみたようだ。

 声の高低、甚だ不安定な口ぶりでもって。

 いつも通りになってしまった、左右非対称に歪んだ唇を器用に動かしながら、一気にたたみ掛けた。


「憎き邪神を討ち倒せるのであるならば。この身、喜んで捧げるとしよう。邪神と共に死することでゾクリュの安寧を守れるのならば、躊躇う理由はない――とな」


 ドイル少尉はすでに覚悟を決めた。

 決めたものとする、と。

 だから割り切って指示に従え、と。


 しかし勝負所と見たのは軍曹とて同じか。

 ただいまのたたみ掛けに堪えた様子はほとんど見せず、それどころかずいと一歩、さらにボリスへと詰め寄って。

 なおも反論の姿勢を露わにした。


「ですが! 情報によれば、メアリー王女殿下もあそこに! 王族もろとも吹き飛ばせと言うのですか! 我らに大逆を犯せと命令するのですか!」


 とうとう軍曹は天下の宝刀を抜き払った。

 王族を巻き込んでしまうぞ。

 そうしたら、大逆人になってしまうぞ。

 そう目上の人間を脅迫した。


 ボリスは神経質な男だ。

 こう言えばその後のトラブルを嫌って躊躇うはず。

 そんな皮算用がきっと軍曹の中にはあったのだろうが、しかし――


 若い彼のアテは外れてしまったのか。

 相対する味方殺しの名手の顔は、ストレスに、そして忌まわしげに歪むことはなかった。 むしろ余裕たっぷりな鼻笑いすら漏らす始末。

 それはすなわち――


「ああ、そうだ。私はたしかに命じた。邪神もろとも殿下を殺せ、と。しかしそれのどこに問題があるのかね? もう一度言うぞ。()()()()()のだ。()()()()()()()()()()。こう言ってもなお、不満か?」


「っ……!」


「言いたいことは以上かね?」


 ――伝家の宝刀は、ボリス・フィンチという男の前にはなまくら同然であったようだ。

 それどころか軍曹は、ボリスの逆襲を真っ正面から受けることになってしまった。


 大逆は百も承知。

 だがすべての責任は自分が引き受ける。

 裁きは自分が引き受ける。

 諸君等に累が及ばぬようにする、と。

 ボリスはそう宣言してしまった。

 それは戦果の代償として自分の首を喜んで差し出そう、と言っているのと同義であった。


 言い返す言葉がないのか。

 悔しげに下唇を噛みながら軍曹は俯いてしまった。


「そこを退きたまえ。そして与えられた任をこなしたまえ。私の生涯最後の命令を。きちんと遂行したまえ」


 いつものヒステリックな立ち振る舞いはどこへやら。

 まったくもって今のボリスは、魅力ある将校そのものであった。

 それ故にもはや真っ当にボリスを止めることなどできない。

 彼の要求通りすぐさま道を空け、その手を汚さねばならない。

 すべての責任をボリスになすりつけながら。


 しかし、完全に反論の余地を失っていようとも。

 きっと、それが軍人失格の行いと自覚していても。

 軍曹はなおもボリスの命令に刃向かう気概、これをまったく手放す気はないようだ。


「……承服しかねます」


 その証拠に。

 再び面を上げた軍曹の顔には、目には。

 さながら反抗期の少年にも似た、ぎらぎらとした反発の面持ちが露わとなっていた。

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