第七章 十八話 そこを! 退けえ!
これまで行ってきたのは、喩えるのならば雪下ろしだ。
家が潰れないように、屋根の上の雪をせっせと掻き下ろすアレ。
その総重量は重くとも、やるべき範囲は屋根の上のみと限定的。
いくら屋根が広かろうとも、それが無限に広がっているわけではない。
ひたすらに続けていれば、いずれ終わりがくる。
やり続けていれば、必ずや希望がやってくる。
そう、これまでやってきた内線作戦での援護というのは、まさに雪下ろしだった。
突出し屋敷の近くまで接近してしまった邪神の群れは、麓で蠢く連中のごく一部分。
屋根の上の雪と同じく限定的。
故に身を粉にして戦っていれば、愚かにも突き出てしまった一群は、必ずや殲滅させることができた。
だが、しかし今はどうだろうか?
これは雪下ろしだろうか?
断言する。
否、と。
これは喩えるなら、そう。
砂漠の砂をスコップでひたすらに掻き出そうとする真似――多分、これに似ていた。
坂を駆ける。
麓に向かって走る。
視界一面に覆うは邪神の壁。
右も左も上も。
撃ったり、斬ったり、殴ったり、蹴ったり。
あらゆる手段でもって倒せど倒せど。
それでも構わず次々と邪神たちは現れた。
まるで空気が邪神に置換されているのでは、と思ってしまうほどであった。
キリがない。
際限がない。
成果が目に付かない。
人を絶望させるにたる現実が、俺の前にでんと鎮座し続ける。
しかしそれでも俺は、いや、俺たちは――
「ええい! やっぱり面倒くさいですな! なんとも懐かしいですな! 軍曹! こんな状況は実に久しぶりですな!」
「同感! ファリクは大丈夫?! 絶望してない?! この敵の物量に?!」
「飽きてはきましたよ! 倒すのが! こいつらがみんな酒だったら話は別だったんですがね!」
「ならいい! じゃあ、このまま押し切ろうか! 俺が討ち漏らしたヤツの後片付け! 頼んだよ!」
「了解!」
俺もファリクも絶望なんてしてなかった。
剣と大斧。それぞれ得物を握る力をこれっぽっちも緩めない。
振るう一閃の鋭さも少しも鈍くはならない。
倒しても倒してもキリがない邪神どもを倒し続ける。
俺とファリクの背中にて音を立てて転がる、いかにも取ってつけたような屋根を持つ荷車。
ヘッセニアの魔法によって魔道具と化し、丘を下る程度なら自律移動する仕組みを持った荷車。
これが進む道を作るために。
「ファリク! 荷車は! 殿下たちの様子はどう?! 被害、受けてる?!」
「無事です! 今のところは、邪神が近づいてもいません! まあ、車に返り血がついてますが!」
「ならいい! じゃあこの際どうせだ。もっともっと車を染色してみようか! 奴らの血で! 殿下にゃお似合いだろう!」
「はっ! 不敬で訴えられても知りませんよ!」
「おあいにく様! もう裁かれた後なんでね! 俺に怖いものなんて、そうそうないんだ!」
あの荷車には殿下を始めとする、非戦闘員が乗っていた。
元々荷車は無国籍亭の面々が持ってきたものだ。
パーティの食材を載せていたヤツ。
クロードがカードで負けて引っ張る羽目になったヤツ。
そんな経緯があったからだろうか。
クロードは荷車の存在を誰よりも早く思い出し、急拵えながら屋根と壁を作って、殿下を護るための車に仕立て上げたというわけだ。
殿下を食物を運んだ車に押し込むなんて、なんと無礼なことか――
方針を告げたとき、親衛隊員からそんな無言の批判をクロードは受けてしまったのだが、流石に状況が状況なせいか。
気休め程度でも、殿下の身を守る壁が出来るのならばまだマシか。
皆がそう考えたからだろう。
誰一人としてクロードに噛みつく者は現れなかった。
敵陣を突っ切りながら後退――
これは言うまでもなく困難な行いだ。
全員が兵士ならばともかく、殿下やアンジェリカやエリーら非戦闘員を伴いながらであるのならば特に。
その非戦闘員を何としてでも護らねばならぬ、という縛りが付いたのならば、なおさらにクロードに噛みつくわけにはいかなかったのだろう。
「にしても! 案外上手くいくものですな! はじめはちょっとキツいとは思っていましたが!」
「珍しい! 随分と弱気だったんだね!」
「そりゃそうでしょう! 自分たちはともかく!」
なおも丘を駆け下りる。
襲い来る邪神を始末する。
戦士として与えられた義務を果たしつつも、ファリクはちらと後ろを眺める。
目線は殿下が座す荷車――ではなかった。
「あのルーキーたちがこうまでやってくれるとは思わなかったものですから! 出だしで一人や二人は殉職すると思っていましたから!」
俺らの後を追う親衛隊員たち。
これがファリクがちらと横目でみたものであった。
その数は門前で集結したころから少しも変わってはいない。
一人も欠けることなくきちんと役割を果たしていた。
「流石は先任といったところですかな! いい塩梅のフォローによって、連中でもなんとか出来る程度の討ち漏らししか生んでいない!」
「それはファリクもそうだよ! 俺が倒せなかった邪神どもを討ってくれている! いい働きだ! 感謝する!」
「へへっ! それは軍曹が随分と数を減らしてくれているからです! だからこそ、自分がよく働けるのです!」
先頭は俺が走り、その次にファリク、親衛隊、荷車と続き、最後尾にはクロードとソフィーら守備隊員。
これが荷車の護衛体勢であった。
まずは俺が邪神の海を切り開き、倒し損ねた個体をファリクが狩る。
俺とファリクの二重のフィルターから漏れた連中を親衛隊が片付け、荷車の安全を確保する――
この狙いは今のところ十全に機能していた。
なにか起こるのならば、親衛隊のところではないか、という危惧はたしかにあった。
しかしありがたいことに、今のところ危惧は危惧のままに終わっていた。
懸念が現実になっていないのは、レミィのおかげだろう。
中に殿下が居る荷車の箱。
その一面にある雑に開けられた銃眼から、レミィはずっと銃を放っていた。
ファリクが倒し損ねた邪神の多くは、彼女が始末しており、親衛隊が戦うのは稀となっていた。
そしてこの状況は、最後尾でも似たり寄ったりだ。
レミィ同様荷車に乗りながらも、魔法と魔道具でアリスとヘッセニアが戦闘に参加しているのだ。
二人のおかげで、後背に着かんとする邪神どものほとんどは、近付く前に消し炭と化していた。
おかげでクロードやソフィーらは、時たまアリスたちの大火力を切り抜けたボロボロの邪神を取り囲んで畳むという、比較的楽なお仕事に恵まれていた。
かくして荷車は今も無傷で走る。
怖いくらいに上々な戦況を築き上げているから。
「思いの外、上手く進んでいる! これはすんなりと! この危機を脱せられるかもしれませんな!」
「そういくと有り難いけれど! まだまだ懸念すべきことがある!」
事があまりにも上々に進んでいるせいか。
ファリクの口からいささか楽観に過ぎる台詞が飛び出し、俺はそれをやんわりと窘めた。
大丈夫だとは思うけれど油断はするな、と、注意する。
そうだ。今の俺たちが抱える懸念は、なにも親衛隊の練度不足だけではないのだ。
「と、言いますと?!」
「忘れたのかい! 乙種だよ乙種! やつらのおかげで。やつらが停滞してしまったおかげで! いっとき俺たちは危機に陥ったじゃないか!」
もし沈黙していた乙種が動いてしまい、俺たちが進む先に現れてしまったのならば。
通せんぼをしてきたのであれば。
そのときは嫌が応でも立ち止まらなければならない。
いくら俺たちでも片手間で倒せられないから、少しだけ腰を据えて戦う羽目となる。
それは一瞬でも速く、そして一歩でも丘から距離を取りたい俺たちにとっては最悪の事態だ。
まごまごしている内に、ゾクリュ守備隊の砲弾が俺たちを消し飛ばしかねない。
だから万一乙種が目の前に来てしまう可能性を心に秘め、緊張感を絶やすな、
と、ファリクに伝えようとした頃合い。
俺の舌は、言うと決めた言葉とはまったく別のモノを紡いでしまった。
進行方向から見て左に立ち並ぶ低木群。
こいつをばきぼきとへし折り、踏み折りながらのっそりと現れた大きな影。
人間ではない。
サイズがあまりにも大きい。
そして影には腕が四つもある。
正体は明白。
猿人級乙種。
なんてこった。
内心で、そして実際にも舌を打つ。
懸念が現実となってしまった。
「ストップ! ストップ! ヘッセニア! 車を止めて!」
舌打ちの後。
荷車をコントロールできるヘッセニアに対して、俺は大音声。
半ば必死になりつつもストップを告げた。
荷車は、ヘッセニアはすぐさま反応。
急な動作であったせいか。
それまでがらがらと回っていた車輪はにわかに停止、ロック。
慣性。
車輪は動かずとも車は動く。
急制動のせいで。
少しばかり車が滑った。
突然の停止に、屋根と壁の中はそれなりに悲惨なことになっているのだろう。
がりがりと斜面を削りながら滑る荷車の中からは、アンジェリカと殿下の悲鳴が聞こえてきた。
「なに! ウィリアム! なにがあったの?!」
「見ればわかるだろう! 俺の目の前を見れば! とうとう厄介なやつらが! 動いてしまったんだ!」
殿下らと同じく箱の中からヘッセニアの声。
状況説明を求める声。
けれども悠長に説明している暇はない。
俺の返事はほとんど怒鳴り声に近かった。
そして情けないことに、その返事はほとんど八つ当たりでもあった。
しかしイライラしても当然だろう?!
まごまごしていると砲弾が飛んでくるというのに!
ここまでずっと動かず静観を選んでいたというのに!
なんだってこのタイミングでコイツらは動き始めるんだ!
その上俺たちが失ってしまったのは、時間だけではない。
平常心と余裕を失い始める兆候すらみせた。
現に、ほら。
ファリクの後ろに居る親衛隊員たちの顔から、どんどんと血の気が失せていった。
もしかしたら、このまま目論見通りに逃げおおせてしまえるかもしれない。
そんな希望を抱きかけていたというのに!
コイツのせいで。
コイツのせいで!
本当に。
本当に!
「間が悪い! なんで今になって動く!」
あまりにタイミングの悪い乙種の登場に俺は奥歯を強く噛みしめた。
不自然なことに、乙種は先刻同様に自ら攻め立てようとしない。
立ち止まって俺を、いや、殿下たちが乗っている荷車をじろりと睨んでいるだけ。
どう見ても俺が、ヤツの間合いに入ってしまっているというのに。
なにもアクションを起こさず、突っ立っているだけ。
乙種が動こうとしない。
それはある意味でチャンス。
強大な敵戦力が動いていないのだから。
しかし、今の状況は同時に面倒でもあった。
なにせ今の俺はヤツの間合いの内。
いくら沈黙を貫いていても、俺がなんらかのアクションをとれば、たちまち戦闘に発展するだろう。
すなわち俺はこの場で半ば釘付けにされてしまっている、ということ。
戦力が一つ働かなくなってしまった、ということ。
しかし邪神は俺たちに忖度はしてくれない。
むしろ好機とばかりにわらわらと俺たちへ、そして件の車に殺到せんとする始末。
そうであるならば。
ここは頼れる仲間に存分に甘えるべきか。
「ファリク!」
「はっ!」
「ちょっとの間! 他の邪神をお願いできる?!」
「水くさい! お願いなんぞしなくとも! この程度のこと、やってやりますよ!」
「助かる! レミィ!」
「応! なにか?!」
「頼める?! 俺の分までやってくれる?!」
「愚問! 言われずとも! お前はさっさと殺ってしまえ! そいつを!」
「二人とも! ありがとう!」
やはり最後に頼れるのは戦友だ。
二人は快く引き受けてくれた。
けれどもファリクとレミィに余計な負担をかけてしまうのは事実。
その上拘束砲撃というタイムリミットもある。
そうであるのならば――
「悪いけど、時間はかけられないんだ! 一瞬でも速くこの丘から逃げ出さないといけないんだ! だから――」
――全身全霊でもって叩き潰さねば。
どういう意図があるのかは解らないが。
たとえ乙種自身に俺を害そうとする意思がなかったとしても。
俺たちが進む道を。
生きる道の前に。
ずんと立ち止まっている以上。
排除する敵でしかない。
足に腕に、いや全身に。
魔力を込める。
筋力を強化する。
そして強化を終えるや否や、俺は一気に間合いを詰めて。
「そこを! 退けえ! 猿人級!」
立ち塞がる障壁を排除するための一閃。
半ば奇襲気味のその初撃。
しかしまこと残念であるけれど。
柄から肉を断つ手応えはなかった。




