第七章 十七話 大根演技、再び
クロードにとっても、それは本来取りたくない策であったのは間違いなかった。
そもそも屋敷を急造の要塞に変えたのは、ひとえに人員被害の抑制が目的であったからだ。
しかもこちらには殿下や子供たちという、絶対に守らねばならない人員を抱えているときた。
つまりは万一があってはならぬ状況下。
しかし、ゾクリュ守備隊からの援軍がやって来るという未来展望が実に幸いであった。
ここでじっと耐えていれば、守備隊がいずれやってくる。
彼らが到着すれば自然と挟撃が成立する。
一気に不利が有利へと傾く。
なら無理に突破するよりも、少ない人員でも戦うことができる籠城策を取った方が、より勝ち目が見えるはず。
こんな判断でもってクロードは籠城を選択したのだ。
だが事実は小説よりも奇なりと言うべきか、なんとも皮肉であったと言うべきか。
籠城がもたらす生存の可能性は、ここにきて一気に底までに転がり落ちてしまったのである。
他でもない、頼りの綱であったゾクリュ守備隊のせいで。
当初抱いていた作戦は、ものの見事にがらくたと化してしまったのだ。
やってきた守備隊は拘束砲撃の準備をしていた。
この屋敷を麓の邪神ともども始末すべく。
もっとも費用対効果の高い作戦を企図していた。
当然、砲撃をまともに受けてしまえば、例えどんな超人であろうとも生き延びることはできない。
ここに詰める人命を救うには、被害覚悟で敵陣ど真ん中を突破しなければならない。
そんな状況に俺たちは追い込まれてしまったのだ。
「さて、作戦の次第をもう一度確認しておきましょうか? 中尉殿?」
封緘にて次々と届けられる作戦の次第。
狙撃の合間を縫いながらも、それらを読み解いていったチェンバレン中尉に声をかける。
反応は、あまり芳しくはなかった。
目線を乙種と封書の間を行ったり来たりするたびに、その締まりのある顔がみるみると渋くなっていって、今やたっぷりの灰汁を飲み込んだのでは、と思わせるほど。
不謹慎であるのは百も承知だけれども、この顔を画家にスケッチさせたい気分に駆られた。
百科事典にある渋面の項目の挿絵として載せたくなるほどに、それはそれは見事な渋っ面であった。
「……しつこいようだけど。貴殿は本気でこんな作戦が上手くいくと思っているの?」
「上手くいく、ではなくて。上手くいくようにしなければならないのですよ、中尉殿。作戦の成功こそが私たちに課せられた義務であるのですから」
ぴしゃりと言い切る。
出来るか否かの問題ではなく、出来なければならない問題だと。
あんまり俺がはっきりと言い切ったせいか。
いかめしくなる一方であった中尉の顔が急に和らいだ。
とはいえそれは安心したが故のものではなさそうだ。
どちらかと言えば、呆れの色が濃いように思える。
その内心を推察するのであれば、ここまで自信満々に言い切るなんて、きっとコイツはよほどの大物か大馬鹿者のどちらかに違いない、と思っているのだろう。
まあ、安心の色が表情に見られないことから、どうにも中尉は大馬鹿者として俺を見ているようだが。
「……そうね。確認はたしかに大事。流れを諳んじられるようになっていなければ、どこかでミスをしてしまいかねないから」
「まったくです。まず前提」
言葉を一度そこで区切る。
ワンクッションを置くために、握っている撃針銃を放つ。
短く乾いた発砲音が手元で鳴り響いたのちに。
再び俺は口を開く。
「各防衛部隊は物見櫓から合図があるまで、現状を維持。弾幕でもって邪神の侵攻を妨害されたし――このフェーズは」
「ご覧の通りよ」
防衛陣を構築する兵の隅々にも、敵陣への前進後退が下知されているからだろうか。
ライフルの照準を合わせる親衛隊の皆様は、それ以前に比べると明らかにかたい面持ちとなっていた。
それはあのレナであっても、表情がかちこちに固まってしまっているほどなのだ。
辺りに横たわるのは高強度の緊張と言えよう。
けれどもその緊張は銃を用いる手に悪影響はもたらしていない。
防御壁の上から突き出す銃身の群れは、そのいずれもカタカタと震えてはいなかった。
緊張が身体に作用していない証拠だ。
弾も間断なく吐き出し続けている。
引き金を絞るに躊躇う要素がないことの証明。
故に前提となるフェーズは、少なくともこの現場においては恙なく達成されている、と見ていいだろう。
よし、よろしい。素晴らしい。
俺は小さく頷いた。
「では、次の段階の確認と行きましょう。今、この状況を維持しつつ、信号を待ち。さあ、ついに信号が打ち上がったときは?」
「この現場を放棄する。正面の門へと急行、全防衛隊と合流。突撃陣形を組織する。そして、現場を放棄するその際――」
中尉は一度そこで台詞を噛みつぶす。
ちらと目が動く。
麓の乙種から背後へと。
そこに突っ立つ大きな酒樽へと。
昨日無国籍亭の連中が持ち込んできた酒樽。
空っぽになったばかりの酒樽。
しかしそれはただの酒樽ではなかった。
「――あの樽を。火薬を満載したあの樽を。アルッフテル氏がそのものを爆弾に変えたあの樽を。この坂へと転がし落とす。迫る邪神どもを一度に吹き飛ばす」
さきほど噛みつぶしたであろう台詞。
中尉はそれを吐き直した。
その通りだ。
俺はしっかりと頷いて、暗に続きを求めた。
中尉は俺の無言の要求に応えた。
「その後は狂気に身を任せるのみ。殿下を取り囲むような布陣でもって、一気に坂を駆け下りる。その道中邪魔しに来る邪神を葬りながら、ね。でもしかし、まあ」
一句一句紡ぐ度に中尉の顔に、そして声色にみるみる呆れが増していった。
なにに呆れているのか。
それは言うまでもなく、どうにもヤケクソ感が否めないクロードの指示に対してであった。
「こう言ってはマズイのでしょうけど、作戦にもなっていない作戦ね。足並み合わせて一気に逃げよう。やろうとしていることはこれなのだから」
「正味な話、もっと知恵の効いた策がお望みでしたか?」
「否定できないわ。だって、タダのゴリ押しじゃない。無理に押し通るだけじゃない」
「まあ同感ではあります」
チェンバレン中尉はこの作戦がよほどお気に召さないようだ。
はじめは作戦に対する直接的な批判は口にしていなかったけれど、中尉の言葉のオブラートがどんどんと溶けていっているらしい。
口にする言葉のトゲが先鋭化する一方であった。
このままではクロードが、丁寧な言葉遣いでもってボロクソ言われるのだろうなあ。
そんな予想に俺は苦笑いを浮かべつつも、少しでも中尉に気持ちよく戦ってもらうためにも、ここは一つクロードの肩を持つことにした。
「けれども」
「けれども?」
「けれども案外、単純な方がすんなりといくものなのです。なんにも考えず強引に力を振り回してれば、なんとかなったりするものです」
「まったくエレガントではない言い草。本当にその身を貴族の末席に置いていたの?」
「なにぶんロクでもない根無し草に拾われたものでねえ。悩んだらすっぱり考えるのをやめて、力押しをすればいいと教えられたもので。それでも性根が暗いせいなのでしょう。良く悩んでしまいますが」
「……そう」
にわかに中尉の顔に苦いものが走った。
なにかに忌んでの渋面ではない。
きっとこれは、後悔によるもの。
殿下がこの屋敷に行幸しようと言い出した時点で、中尉はある程度ここに住まう者の経歴は調べているのか。
俺が根無し草に教わった、と口にした瞬間、中尉はしまったと言わんばかりに顔を歪めたのだ。
ああ、私は他人のトラウマに触れてしまった。
実家がなくなってしまった記憶を掘り起こしてしまった。
人が触れたくないと願っているものに、無意識に触れてしまった。
中尉の表情の変化の理由はきっとこれらであろう。
(……しまった。迂闊だったな、俺)
対する俺の顔も、きっと気まずいものに変貌しているだろう。
鏡を見なくてもそれはわかった。
だって、心も同様に気まずかったから。
しまった! やらかした! と悔いてしまっているから。
だってそうではないか。
彼女が気持ちよく作戦に従事してもらうために、クロードへの擁護を開始したというのに。
たしかに作戦への不満は少しは小さくなっただろうけど。
代わりに人の古傷をえぐってしまったかも、という後悔のせいで中尉のテンションは大きく下がってしまったではないか。
心に抱くもやもやの種類が変わっただけで、結局中尉が気持ちよく戦ってくれるためのコンディション。
これを整えることに失敗してしまったではないか。
それもなにもかも、明るくない過去を俺が不用意に語ってしまったからだ。
まったく、このウィリアム・スウィンバーンめ。いい加減に自覚しろ。
お前の過去は決して酒場やジョークの場で使っていいほどに、軽くはないことに。
かくして俺と中尉の間には、俺の不用意な発言によって緊張感とは別種の沈黙が横たわっていた。
言うまでもなくそれは、ひどく居心地の悪い沈黙であった。
「……おっ」
そんな痛々しい沈黙を振り払ってくれる、都合の良い救世主がにわかに現れた。
空に出現した。
耳をつんざく音と共に。
破裂音。
信号弾。
物見櫓から。
意味することはすなわち。
その時、来たれり、ということ。
ぴりりと兵らに一層強い緊張が走った。
されど俺はさにあらず。
むしろ絶好の機会と捉える始末。
この俺が不用意に作ってしまった、気まずい空気を払うにぴったりであったから。
空気を一変させるためにも。
ついでに兵らに走った緊張を緩和するためにも。
俺はいつぞややってみせた大根演技を再び解禁することにした
「さて、大きな花火を披露するために。夜空に衆目を集めるための空砲が鳴らされましたね」
「ええ。鳴ってしまった。やれやれ、手筈通りにいきましょう。全隊、傾注!」
程度の差はあれ、空気を変えたいと思っていたのは中尉も同じであったのか。
部下全員に指示を与えるにしても、なお、過分な声量をお披露目して辺りの注目を集めた。
中尉はこの場の視線を一身に集めたのを確認したのちに――
「これより本隊は通達通り門前へと急行する! 酒樽爆弾の炸裂を合図にして、一心不乱に駆け抜けろ! 復唱の必要なし! 以上!」
――身振り手振り、大げさに熱弁。
件の作戦を部下たちに通達した。
そして中尉が集めていた視線は、次には俺に殺到した。
進発の号令代わりでもある、ヘッセニア謹製の酒樽爆弾を扱うのは、俺の役目となっていたからだ。
さて、今だ。今こそだ。
なにも緊張しすぎることはない、余裕を持った方がいい。
それを示すために。
より一層のクサイ演技を、この場でしてみせなければ。
「さてさて邪神の皆々様方。大変お持たせいたしました」
精一杯格好つけた台詞を紡ぐ。
魔法で強化した筋肉でもって、ひょいと今や爆弾と化した酒樽を肩に担ぎながら。
一歩、二歩。
歩を刻む。
土製の防御壁へと歩み寄る。
そして壁際にたどり着いて。
ほんのちょっぴり背伸びしながら、坂の下を覗き込んで。
攻め上がる邪神を睨んで。
小さく、けれども深い呼吸を一つして。
「我が戦友が丹精込めて拵えた、会心の出来の大花火。その光と熱と圧を――」
羞恥心を殺し、なおも芝居ががった口調を維持。
平行して、担いだ酒樽を両手に持ち替えて。
ゆっくり、けれども力を目一杯蓄えながら。
横に持った樽を頭上まで持ち上げて――
「――是非々々とも間近で。感じ候え」
――そして一息に投擲。
たっぷり魔力で強化した腕力でもって。
酒樽は、楽々壁を越え、柵を越え。
がつんと地面をえぐりながら落下して、一度、二度と跳ねて、坂を転がって。
一回転、二回転、三回転。
一回転毎にみるみる速さが増していき、ごろごろと音を立てながら邪神目掛けて疾駆して。
群れの先陣を切っていた、獅子級に激突。
轢過。
その二拍くらい後に。
ぴかり。
まばゆい光り。
まるで陽が堕天してしまったのでは、と思わせるほどの。
ほんの一瞬遅れて音がきた。
地鳴りよろしくに低くも、けれども圧は十分に伴った音が。
「――っけえ!」
半ば爆音にかき消された中尉の号令。
けれども極限まで集中を研ぎ澄ました兵らに聞き落とす道理はなく。
そして音に怯む理由もなく。
一瞬の時間の無駄すら省きたかったのか。
きちんとその効果を観測する素振りを見せず。
臓物と脊椎を直に揺さぶられるような大爆音を合図に。
まさに脱兎の如く。
チェンバレン中尉が指揮していた部隊は、素晴らしいスタートダッシュを決めることに成功した。




