第七章 十五話 考えうる限りの最悪
もう邪神との命のやりとりを十年以上も続けてきたのだ。
たしかに個体差はあれど、各種邪神がどの体勢を取れば、次に取らんとしている行動はおおよそ想像がつく。
そして行動の先読みが利くというのは、こと戦闘においてはとてつもないアドバンテージとなる。
常に敵の一歩先をゆく動きを取れば、滅多なことがおきない限り遅れをとることはない。
一対多数。
それが俺が置かれている状況だけれども絶望的ではない。
乙種が群れを成して襲いかかってくるのならばともかく、だ。
散々人類の命運がかかった作戦に従事し、飽きるほど激戦をくぐり抜けてきた身とすれば、ただの邪神が群れたところとて、さほど脅威ではない。
その上ソフィーの奇策のおかげで、俺がこの場で倒すべき邪神どもはいずれも満身創痍。
失った身体を再生させたいのか、その動きは甚だ緩慢。
おかげで今日一番で仕事がやりやすいシチュエーションとなっていた。
それ故この場で繰り広げられた戦いは、ひどくワンサイドなものとなった。
目に入る敵を時には斬り捨て、時には撃ち倒し、時には蹴り亡ぼし、時にはくびり殺し。
いずれもワンアクションにて敵を葬ってゆく。
そんなアクションを幾度も幾十にも積み重ねていくと。
あれよあれよ天敵どもの屍を量産。敵の勢いはみるみる減衰。
それでも情けをかけず、屋敷まであと一歩まで迫った邪神どもを片付けてひたすらに片付けて。
そしてついには。
「あいつで。終わり、かな?」
目に付く邪神はたった一体。
重厚な存在感を放つ二本足の戦士騎士級、こいつだけ。
彼我の距離は大人七人分の身長といったところ。
そいつはソフィーの奇策からは運良く逃れられたのか。
がちがちに固められた甲殻にはかすり傷一つもなかった。
だが残念ながら無傷で切り抜けられるのはここまでだ。
生涯最後となる傷を死と共に贈ってやろう。
一番楽に仕留めるのであれば、頭部めがけての拳銃二連射であるけれど。
残念なことに携行する拳銃はただいま空っけつ。
黒鉄の塊と成り果てている。
されどそれは問題にはならず。
飛び道具が使えなくとも剣という武器がある。
ハジキで倒せぬならヤットウで倒すのみ。
間合いを詰める。
いつもの手順で。
筋力、脚力、魔力、総動員。
次には爆発で荒れ果てた地を思いきり蹴って。
叩き付ける風の勢いを顔で感じつつ。
一陣の風になりつつ。
一息に間合いを詰める。
ただでさえ鈍重な騎士級は、この動きに対応すること能わず。
「すっ。つっ。ふっ」
息を吸う。
一瞬止める。
短く強く吐き出す。
平行して踏み込み。
屈伸運動。
下半身のみならず上半身も連動。
左腕を俊敏に動かして。
弓手に握る軍剣、その切っ先、甲殻で守られていない喉元に突き立てる。
感触。
肉を貫く。
ぬめり気と粘り気と水気に富んだ、甚だ不愉快な感触。
抱く生理的嫌悪を捨て去って。
横に倒した剣、刃の方へと力を入れる。
引き斬る。
かくして天敵の首はその中程から斬り裂かれて。
ぐらり。
首がゆらぐ、ぶらぶらとする、皮一枚で繋がる。
けれども、その甲殻がとても重くて、重すぎて。
繋がった皮では支え切れられず、ぶつりと自重でちぎれてしまう。
大きな鐘が落ちたかのような音を立てながら。
首が落ちた。
トドメを刺した。
これにておしまい。
この場で俺が討つべき敵はすべて始末した。
軍剣にこびりついた、悪臭放つ人外の血脂を振って払い落とす。
踵を返す。
次に襲来する群れはまだ坂の中腹にすら到っていないのだ。
猿人級の投擲距離からもまだ余裕がある。
背中を見せたとしても、俺を害することは叶わない。
ゆったりとした足取りで屋敷の方へ。
「……やれやれ。ずいぶんと急いでくれたな。心持ちゆっくりでもいいと言ったではないか。おかげで小休止が極小休止になってしまった」
本来そこにそびえるはずであった塀の跡を跨いだ頃合い、俺を出迎えるわずかに呆れの色がある声はソフィーのものだ。
ゆっくり倒してくれというリクエストを、きちんと果たしていなかったようだ。
その証拠に、もうちょっとだけ一息つくつもりであったらしい。
ライフルを構えて狙いを定める兵らの動きは、どこか遅刻してしまった人間に見られる慌ただしさがあった。
「とは言うけれどね。櫓の上の殿下を考えたら、どうしても討つ手が逸ってしまうもので。これが俺の中では一番折り合いのついたペースなわけですよ」
「ほほう。よろず余裕を絶やさぬ独立分隊と言えど、殿下相手には形無しか。これはいいことを知った。今後貴殿らに無茶苦茶を頼むときは、殿下経由で依頼するとしよう」
「それは勘弁して下さい。割と本気で。シャレにならないから、本当に」
きっとソフィーは冗談で言ったのだろうけど、こちらからすればシャレになっていない。
あのお方は、よろず物事をむやみやたらに大きくする才能に富んでいるのだ。
細事は大事に、大事は緊急事態に膨らませてしまうのだ。
そいつを押しつけられる自分の姿を想像したら……ああ、頭が痛くなってくる。
きっと今の俺の顔はとても青ざめているのだろう。
常に冷静さを崩さないソフィーの顔がにたりと珍しく意地悪そうに歪んだ。
「ん、んん! そ、それよりも防御壁は作らなかったんだね。大丈夫? 猿人級の投擲から身を守る術がなくなるけど」
「その心配は御無用よ――これから作るから」
向きがどうにも怪しくなってきたから、半ば強引に話題変えをしてみるとまさに僥倖。
ファリクと同じ形成魔法の使い手であるセナイが、実にタイミング良く現場入りした。
それを認めてソフィーは意地悪な顔付きをすぐさまいつもの真顔に更新。
どうやらフェリシアが呼んでくれたらしいセナイを握手で出迎えた。
「来てくれてありがとう。そして申し訳ない。弾丸作りの最中に呼び出してしまって」
「気にしてない、気にしてない。こっちも死にたくないからね。私にできることならなんでも手伝うわよ。それでどこの土を使えばいいの?」
「あの辺りだ。辛うじて埋没したままの、塀の基礎部が見えるか? その手前辺りにお願いしたい」
「あそこね」
ドワーフの例に漏れずやはり小柄な体躯のセナイは、ソフィーが指差した方へつかつかと歩み寄る。
そして爆発の影響で均整とは程遠い惨状となってしまった地面に跪き、二度、三度と静かにゆっくりと撫でる。
口元は小さく動く。
なるほど、なるほど、と呟いているらしい。
推察するにあれで魔力の通り具合を確かめているのだろう。
「どれくらいの時間がかかりそうか?」
この見方はどうやらソフィーにも共通するものであったらしい。
腕を組んでその様子を見守るソフィーは早速見積もりをセナイに求めた。
答えは即答に近い形でもたらされた。
セナイは土と向かい合ったまま口を開く。
「んー……紅茶をポットで蒸らす時間くらい、かな? ファリクならもっと早くできるだろうけれど、私ならそれが限界」
「そうか。よかったその程度の時間で。その時間なら貴女を十分に守り切れる」
答えはソフィーにとって満足のいくものであったらしい。
彼女は小さく笑んでセナイの答えを歓迎した。
しかし表情が和らいだのはほんの一瞬。
瞬きを一回挟むとすぐに締まりのある面持ちになって。
「さて、全隊。良く聞け。身を守る壁が欲しいなら、このセナイを死守するのだ。さもなくば、いつまでも裸のままで戦う羽目となるぞ? 良いな?」
「は、はっ!」
指揮する防衛隊に厳命した。
なにがあっても防御壁を作るセナイを守れと。
面持ちにまったく見合った堅苦しい声色で。
それを受けて再びこの場に銃声が響きはじめた。
ばらばらと。散発的に。
一度は途切れた弾幕が蘇った。
放った銃弾はたしかに坂を登ってくる邪神に命中しているようだ。
連中の脚色がにわかに鈍る。また、人類が邪神の侵攻を押しとどめはじめた。
この状況が続くのであるならば、猿人級の投擲範囲内に入る前に防御壁が完成するはずだろう。
しばらくはここの戦力だけで善戦することは可能だろう。
ならば俺がこの場に留まる必要性はあるまい。
そろそろ俺はチェンバレン中尉のところに戻らねばならないだろう。
「じゃあ、俺はお暇するよ。なにかがあったらまた呼んで欲しい。次はもっとスムースに来れるようになると思うから」
「できれば次はないようにしたいがな。そろそろフィンチ大佐が来てもいいころだと思うのだが。来てくれたのならば決着がすぐに着くのだが……」
「もうすぐやって来るって信じよう。じゃないと心が持たないよ。では、ご健闘を」
「そちらこそな」
挨拶もそこそこに終えて、俺は坂に背を向ける。
走り出す。
急行する。
いざ、チェンバレン中尉の現場へ。
いち早く到着するために、やはり強化魔法を用いながら。
まだ美しいままの姿を保っている芝の上を駆け、場違いなほどに涼やかな音を奏で続ける噴水を超えて。
そして戦況を俯瞰するために拵えた、件の物見櫓。
その前を通過した頃合い。
「おうい! ウィリアム! しばし待て! 立ち止まれ! 近う寄れ!」
声がした。
物見櫓の上から。
気まぐれと破天荒の擬人化と呼んで差し支えない人の声が停止を求めた。
……正直に心の内を暴露してしまうのならば、俺はその声を聞かなかったことにして、そのまま駆け抜けてしまいたかった。
どうにも更なる厄介事に巻き込まれる予感しかしなかったからだ。
だが、悲しいかな。
その声の主と俺の間には絶対的な身分差がある。
その上仮に無視してしまえば声の主は物凄く不機嫌になって、さらなる無茶苦茶を要求するという嫌なおまけも付いてくるのだ。
故に俺は足を止める。
つま先をたった今、通りすがりかけた物見櫓へと向ける。
ため息を身に纏いながら重々しい足取りでもって櫓を登り切って。
そして一礼する。
声の主であるメアリー王女殿下に。
今度は一体どんな思いつきをしてしまったのか、と戦々恐々としながら。
「殿下、お呼びですか?」
「うむ。まずは槍働き、大義である。相変わらずの粉骨比類なき戦いぶりだ。実に感じ入ったぞ」
「は。有り難き幸せ。して、いかなる御用で? まさかこの論功行賞ごっこのためにお呼びになったわけでは……」
「たわけ。そんな余裕がないことくらい、私とて理解しておるわ。お前を呼んだのは他でもない。ちょっと意見を求めたくてな」
「意見、ですか?」
珍しいことに殿下は他人の意見を求めてきた。
どうせ無茶苦茶を押しつけられると悲観していただけに、こんな一種殊勝さすら感じられる態度を見せられてしまい、ちょっぴり困惑してしまった。
いくら殿下が無茶苦茶なお人であるとは言え、人間の命を左右する軍事的判断では、独断を貫く気はないようである。
「ああ、そうだ。どうにもな、戦場に妙な気配を感じるのだ」
「と、言いますと?」
「あそこだ、あそこ。ほれ、街の方を見ろ」
落ちたら一大事だ、と、信号の打ち上げと解読を任された親衛隊員の困惑の声を殿下はやはり無視。
殿下は身を乗り出し気味にさせながら一点を指し示した。
軍人のそれと比べものにならないほどに滑らかな指が示すその先。
街と屋敷を結ぶその道中の丁度半分を過ぎたかという位置に、黒カビにも似たなにかが地面にこびり付いていた。
当然あれは黒カビではない。
あれは――
「おそらく待ちに待ったゾクリュ守備隊であろう。最初見たときはついに援軍が来た、と思っていたのだ。が、どういうわけかわ知らんが、あそこで動きをぴたりと止めてしまったのだ」
――殿下の言う通り、ゾクリュ守備隊であろう。
それは素直に喜ぶべき事態だ。
この状況をあとしばらく続ければ、やがて守備隊は麓付近に到着。
そうなれば屋敷と守備隊による挟撃が成立し、形成は一気にこちらの優勢となり勝利が確実になるからだ。
だが、よくよく地面に展開する守備隊を観察してみると、たしかに守備隊が見せている動きは奇妙であった。
挟撃を成立させるために急行しなければならないのに、どういうわけか。
にわかに足を止め、それどころか陣の構築を始めているように見えた。
邪神との距離も近くないのにどうして、あんな頓珍漢な位置で布陣を固めつつあるのか。
俺にもその意図がとんと読み取れなかった。
「遠すぎてなにをしているのかが見えん。それに見えたところとて、私には意図を読み取ることはできん。だがお前ならばもしかしたら……と思ってな」
味方が素人目にも奇妙な動きを見せている。
だが、殿下は素人であるが故に正常か否かの判断がつかない。
なるほど、この呼び止めは極めて妥当な判断であった、というわけか。
たしかに素人でなくとも、あの守備隊の動きは奇妙で気になるところだ。
殿下の求めもさることながら、俺自身も彼らの意図が読み取れず首を傾げざるを得ない。
だから俺は恐れ多くも殿下と肩を並べて。
魔力で視力を水増しして。
ついでに目もぐっと細めて。
文字通り道中半ばで停滞してしまった、ゾクリュ守備隊をじっくりと眺めて、その隅々を舐めるように観察して。
「嘘だろ?」
結果戦慄した。
頭から血の気が引いた。
震える舌で、もごもごとした一言を思わず口にしてしまった。
「おいおい、なんてこった。なにをしようってんだ、フィンチ大佐。ここにはあんたの部下が、そして殿下が居るだろうに……」
「むう。その面持ち、そして声色。いやはや、どうにもよからぬ兆候のようだな? ウィリアム?」
「ええ。よからぬやつです。それも一等マズいやつです」
「……お前がそんな顔をするほどに、か」
「ええ。考え得る限りの最悪が現実になりつつあります」
魔法を解除し右に立つ殿下へと目を向ける。
今の俺の表情はとても深刻なものであるらしい。
殿下の表情が、俺の顔を見るなり一気に堅苦しいものへと変貌した。
「クロードを呼び戻しましょう。急いで彼の下へと向かっても? 事態はさらに一刻を争う代物になってしまいましたから」
「許可する。しかし、お前が血相を変えるとは。一体全体、あそこに居る守備隊は、なにをしでかそうとしているのか?」
「……向いてしまっているのですよ、砲口が。邪神のみならず――」
それが不敬になり得ることは重々承知している。
だが事態は風雲急を告げ、一刻の猶予も許さぬ極めて重大なフェーズへと移行してしまったのだ。
許可が下りたのと同時に俺は、下界へと繋がる梯子へと足早に歩み寄る。
横着にも殿下への簡素な状況説明を行いながら。
殿下に対してなんて態度か。
親衛隊員の咎めの視線が遠慮なく突き刺さる。
だがしかし、それに構っている余裕はない。
弁解するつもりもない。
何故であるならば――
「――この屋敷にも向いているのです。砲口が。きっと、邪神もろともここら一帯を真っさらにするために」
――守備隊によって、邪神もろとも俺たちが吹っ飛ばされかねない。
急いで対策を考えなければ、全員この屋敷を枕として全滅しかねない。
そんな今日一番に強い全滅の危機を前にすれば。
あらゆる物事など些細なことにすぎなかったから。




