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第七章 十四話 ファジーな物言い

 まったくもってその場は滅茶苦茶に荒れ果ててしまっていた。

 その荒れ具合たるや、通路と化し土とハーブのカクテルとなってしまった、オランジェリー脇の花壇よりもひどかった。


 均されていた地面は空気と見事にシェイク。

 しかもそこに邪神の血肉がトッピングされてしまっているものだから、泥沼状にぬかるんでしまって足元が非常に悪くなっていた。


 ファリクが拵えたあの防御壁を、定着魔法かなにかで爆弾に変えてしまったらしい。

 ソフィーが指揮する現場の一角だけ、防御壁が綺麗さっぱりなくなっており、本来塀と格子柵によって見づらいはずの丘の麓が身を乗り出さずとも見えた。


「……花壇は耕せばそのまま使えるだろうけど。ここら一帯は土をそっくり取り替えないと使い物にならないかな。こりゃ大仕事になるぞ」


 まったくもって思い切ったものだ。

 防衛するためにはあらゆる手段が認められていたとはいえ、ここまで思い切りがいい真似をされてしまうとは思わなかった。

 そのおかげでこの現場が今の今まで陥落しなかったのだけれども、一応今後もここで住まう身としては文句を言いたい気分だ。

 欲を言うならばもうちょっと遠慮というものをして欲しかった。


「さて」


 それはさておき、小言はここまでにしよう。

 ただいまの俺は乱戦の真っ只中に突入してしまったのだ。

 助太刀をしにきた人間が敵の力量を見誤り、真っ先に脱落――

 なんて醜態は見せたくないし。


 得意の魔法で力を大きく水増しした蹴りで、頭を砕いて倒した獅子級の屍。

 邪魔になっているそいつを、とんと蹴って飛ばして、足元を確保して。


 そして強く踏み込む。

 向かう先は背中を取られていた親衛隊員と相対している猿人級。

 一呼吸をするよりも早く、あっという間に俺の間合いにまで詰めて。

 突然の乱入者に驚く親衛隊と猿人級を尻目に置きながら。

 きっとソフィーの発案で吹き飛ばした防御壁、あれと同じ制作者の軍剣を抜き放つ。

 時を同じくして跳躍も敢行。

 目も当てられないほどに醜い敵の顔と俺の身体が最接近した、すわそのとき。

 斬り上げる。

 抜き身の軍剣を。

 一閃、おぞましい天敵の顔面ど真ん中に走る。

 縦一直線に斬り抜く。

 同時に手にひどい感触。

 肉と骨を断つ感触。

 自然と顔が歪んでしまう感触。

 それらを気合いで耐えきって。

 猿人級の顔面を真っ二つに割って、敵に死を進呈した。


「えっ、えっ?」


 獅子級に背中を取られていた彼女は、今、このときにおいても自らの身になにが起きかかっていたのか、それを理解できていないようであった。

 目の前の猿人級を倒すのに夢中になり、視野狭窄に陥ってしまったらしい。

 俺が文字通りすっ飛んできたこと、戦っていた猿人級が倒れてしまったことに、狼狽しきりだ。目もキョロキョロと動く。

 やはり全体的に親衛隊の実戦経験は薄いのだなと実感した。


「背中。取られかけていたよ」


「え?」


「あと少しで獅子級にやられるところだった。後ろからがっつりやられるところだった。目の前の敵に全力を注ぐのもいいけど、後ろも気にして。うかうかしてると挟みうちにされてしまうから」


「あ……申し訳ありません。助かりました」


「次は遅れを取らないように。いいね?」


 ようやく自分に迫った危機に気がついたか。

 彼女は顔を真っ青にして俺の言葉に肯んじた。

 死に繋がる隙があったのを自覚してくれたのならばそれでよい。

 次が起こる可能性はずっと低くなるだろう。

 なら俺から言うことはあまりない。

 新たな標的を定めて駆けだしてゆく親衛隊員を見送り、この現場を指揮する少尉殿の下へ向かうことにした。


 さきほどまで必死に駆けていた少尉殿は、急に憂いがなくなったためだろうか。

 目はまん丸、顔の力は抜け気味。

 あと少し力が抜けてしまえば口がぽかんと半開きになって、呆けた面持ちになってしまうだろう。

 それほどにまで気の抜けた顔となっていた。

 しかし流石は士官学校を主席で卒業した才媛か。

 一歩、二歩と近付く俺を認めて、いつものどこか生真面目でかつ不機嫌な影がついて回る、ソフィー特有の真顔を取り戻した。


「ごめん。応援に駆けつけるのが遅くなってしまった」


「いや、助かった。礼を言おう、感謝する。しかし、どのような魔法を使ったのだ?」


「どのような魔法って。そりゃ、いつもの強化魔法」


「いや、そういう意味でなくてな」


 ソフィーは二度、三度とかぶりを振った。

 爆風をやり過ごすための竪穴に身を潜めていたためか。

 勝ち気に釣り上がった目元には土汚れがこびりついていた。


「どうしてこの現場に駆けつけられたのか、という意味だ」


 分隊員が応援に駆けつけられなくなってしまっている、という情報はきちんと共有できていたようだ。

 それぞれ応援に出た先で、乙種どもがぴくりとも動かなくなってしまったおかげで、俺たちは釘付けになってしまった。

 それ故、たとえ他の現場から救援信号が上がろうとも、それに応えることのできない悔しい状況が、先ほどまで出来上がっていたのはたしかだ。


 そう。

 あくまで先ほどまで、の話。


 かなり危ない方法であるけれど、とても無理くりなやり方ではあるけれど。

 応援を可能とする術を見つけたのだ。

 いや、見つけてくれた、のだ。


「俺はなにもしてないよ。なんとかしてくれたのはクロードと殿下」


「王女殿下と、プリムローズ大尉が?」


「そう。その二人が……って、どうしたんだい? なんだかとても渋い顔をしているけど」


「いや、その。ん、んん! あー……貴殿は口は堅い方か?」


 急にソフィーの様子がおかしくなった。

 常のきりりとした表情はそのままに、まるで聞き耳を警戒するかのように、右に左にと視線を振る。

 どうにも言いたいことが、あまりおおっぴらにできるものではないようだ。


「俺は秘密を暴露して楽しむ性悪ではないよ」


「……その、あー。殿下の発想と聞いて。なんと言うか……常人では考えつかないような……その。ずいぶんと斬新な主張を貫き通したのでは、と思ってな」


 どんな言葉を使うべきか。

 どの様な言い草ならば不敬に当たらないのか。

 それを必死に考えているが故に、今の彼女の口ぶりはとてもしどろもどろ。

 言葉に王家への忠誠という極厚のフィルターにかけたせいもあって、その台詞自体もぼんやりとした印象を受ける。


 ファジー極まりない物言い。

 けれど俺は、彼女が真に言いたいことを痛いほどに理解していた。

 今の含むところだらけな台詞を、正確に翻訳するのであればきっとこのようなものになろう。


 また殿下がいつもの破天荒王女をしてしまい、とんでもないワガママを突き通したのか?――


 こんなものだろう。 


「まあ、君の懸念は半分当たっている」


「と、言うと?」


「唯一ライフルを握っていない分隊員を、つまりは見方によってはフリーになっていなくもないクロードを。チェンバレン中尉のところに派遣した。だから俺が自由になった」


「ああ、そうか。よかった、その程度か。ほっとした」


 これでもかなり思い切った判断ではある。

 しかし殿下の常から考えると、これはまだ常識の範囲内。


 ソフィーはもっとロクでもない顛末を想像していたらしい。

 いつも以上にいかめしくなっていたソフィーの顔がふわりと和らいだ。

 もっともこれを直接クロードから聞かされたとき、俺も今のソフィーと似たような感じになったものだ。

 ああ、たしかにかなり勇気のある判断だけれども無茶苦茶ではない。

 それどころか、俺たちの柔軟性が失われているこのときにおいては、悪い判断ではなかった。


 だから俺はあくまでその瞬間だけはこう思ったものだ。

 あの殿下にしてはなかなかナイスな思い付きじゃないか! と。


「しかし気になるのは、今、誰が物見櫓で大尉の指揮代行を勤めているのか、だな。順当に考えれば、チェンバレン中尉と大尉が入れ替った、というところだが」


 今、クロードの代わりに誰があの櫓の上で全体の戦況を見守っているのか。

 ソフィーが口にしたその当然の疑問に、俺は言葉を詰まらせてしまった。

 すぐさま返事をすることができず、不自然な沈黙を作ってしまった。

 クロードの代役に問題があったが故に。


 どんなことが起きたのかと一言で表現するのであれば。

 やっぱり殿下は殿下であったのだ。これにつきた。

 あんな大人しい指示で満足するお人ではなかったのだ。

 殿下が自重してくれた――俺が抱いたそんな喜びは、悲しいことにぬか喜びに終わっていたのである。


「どうした、スウィンバーン?」


 きっと今の俺は苦虫を噛みつぶした顔になっているのだろう。

 そこにとても奇妙な間が開いてしまえば、他人が訝しむのは必然。

 やはりソフィーは怪訝に眉根を寄せて、たった今見せた沈黙の意味を問うてきた。


 正直それを教えるのは気乗りがしない。

 だって驚きというか呆れというか。

 ソフィーがなんとも言えない表情をしてしまうのが目に見えているから。

 彼女が絶句してしまうのが目に見えているから。


 けれども、この沈黙の原因はクロードの代役と大きく関係する話。

 だから嫌でも教えなければなるまい。

 このあときっと見せるだろう、ソフィーのあんぐりとした顔を思い浮かべつつ、俺はとても重たい口を動かすことにした。


「……殿下です」


「は?」


「今、あの物見櫓でふんぞり返っているのは。誠に遺憾ではありますが、メアリー王女殿下でございます……」


「――はい?」


 ソフィーは限界まで大きく目を見開いて、ぴたりと硬直。

 残念なことに思い浮かべたソフィーの唖然とした表情と、たった今見せている彼女の顔はぴたりと符合していた。


 そしてソフィーは勢いよく、ぐるりと首を回して件の物見櫓を眺める。

 角度のせいで櫓の天辺の様子をうかがうことはできない。

 だからだろうか。

 今度はソフィーがさび付いた機械のようなぎこちなさでこちらへと向き直して。


 ご冗談でしょう?


 いかにも頭痛を堪えているようなしかめっ面で、そう不言に救いを求めて来るも。

 とても遺憾なことだけれども、俺はそれにかぶりを振って否と答えるしかなかった。


「クロード曰く。王族ほど兵の士気を鼓舞する存在はこの世にないだろう。この櫓に居座るのに私ほど相応しい人間はいないだろう、と言って聞き入れてくれなかったらしい」


「プリムローズ大尉……もう少し抵抗して、妥協を引き出してくれなかったものか……」


「すんなりと話が通じる相手ならば、戦中クロードは胃薬のソムリエになるはずがなかったわけで。戦後も胃痛の後遺症に悩まされなかったわけで」


「階級が上の方にこう言うのは不適当だと思うが……大尉の境遇は同情するより他ないな……」

 

 ソフィーは憐憫の表情をにわかにたたえる。

 焦点がどこにも合っていない遠い目をする。

 種族主義者事件の前にゾクリュに電撃行幸をやらかしたことと、昨夜の殿下節。

 この手の破天荒に春夏秋冬振り回されてきたのであるならば、胃を病んでも仕方がないと納得したようだ。


「と、いうわけで。俺は早めにこの現場を片付けて、さっさとチェンバレン中尉のとこに戻らないとダメなのです。まごまごしていると、ぶっとんだ命令がやってくるかもしれないのです」


「……微力ながら、私も全力を尽くそう」


 邪神との戦いはいつだって真剣にやらねば、足元を掬われる危険なもの。

 なのに余計な憂患を抱えてしまえば、そっちに気が行ってしまいかねない。

 大きな隙を産みかねない。

 これ以上にっちもさっちも行かない戦況を産み出すのはご免だ。


 早めにここの問題を片付けるに限るだろう。

 俺とソフィーの間にはそんな共通認識が生まれた。

 もちろん俺としては、俺の仕事がやりやすくなるから彼女の協力姿勢は、とても助かるものであった。


「助かる。だったら今すぐ兵を下げて、陣地を再構築してくれないかな? もし、余裕があるならセナイを呼んでもう一度壁を作った方がいい」


「了解。兵を下げよう。しかしその間、貴殿はどうするのだ?」


「当然、決まってるさ。再構築するだけの時間を稼ぐ」


「と、すると。プリムローズ大尉が当初描いた青写真通りにする、ということだな?」


「その通り」


 俺は肯んじる。

 一度は機能不全に陥りかけた内線作戦、これをもう一度機能させてみようと、誓ってみせる。

 接近してしまった邪神の群れと戦う兵士たち、その役割をそっくりそのまま一人で背負ってみようと表明する。


「近づきすぎてしまったあの邪神の群れを。目にも止まらぬ勢いで平らげること。それが俺に与えられた使命さ」


「心強い。では私は陣の再構築を始めるとしよう。兵らに鞭を打って大急ぎでやるとしよう」


「頼んだよ、少尉殿」


「ああ、そうだ軍曹。たしかに急ぐ必要はあるが、あんまり手早く片付けてしまうのも考えものだぞ? 兵らがとる分の小休止が消滅してしまうからな」


「了解。気持ち遅めにやりはするけれど、寝坊は勘弁してよね? 残業は悪しき文化だからさ」


「はっ。言ってくれる。私はフィリップス大佐とは違ってぴかぴかの優等生だ。寝坊で遅刻なんぞしたことがない」


「それは素晴らしい」


 鼻笑いと共に漏れ出た俺の台詞は、心からのものであった。

 ここ最近ゾクリュでなにかと物騒な事件が頻発したけれど、図らずもソフィー・ドイルという一将校にとってはいい成長の機会となったらしい。


 アンジェリカを追って騎士級がゾクリュにやってきたときは、あんなにガチガチに緊張していたというのに、である。

 今のソフィーは上官を揶揄した軽口を叩けるまでの余裕を持っている。


 もう誰も彼女を新米少尉と鼻で笑うことはできないだろう。

 もうソフィーは一人前の将校だ。

 それもとびきり優秀な。


 そんな優秀な若い芽をここで潰してしまうのはとても勿体ないこと。

 だから俺は一層の気合いを入れて。

 魔法で強化した第一歩を踏み出す。


「後退! 後退だ、後退! 再び陣を築く! 再び弾幕を構築する! ウィリアム・スウィンバーンに肉弾戦を任せ、全員後退せよ!」


 ソフィーの大音声を受けて、再び庭へと戻る兵らとすれ違いながら。

 俺は彼らが食べ残した獲物を狩るべく軍剣を握りなおした。

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