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第七章 十二話 狂気の伝染

 二発放った信号弾。

 手に負える状況ではなくなってしまった。

 このままでは突破されるおそれがある。

 だからいち早く救援を寄越してくれ――

 それらはそんな意味が込められた信号弾であった。


 けれども、である。

 待てども待てども、彼らからの返事がない。

 刻一刻と戦況が悪化していっているというのに、彼らがやってくる気配すらしない。


 やれやれ。

 頼りになる独立精鋭遊撃分隊に振られてしまったようだな、とソフィーは少しばかり気落ちした。


 これはかなり頭の痛い状況だ。

 最悪といってもいい。

 なぜなら分隊がやってこないということは、内戦作戦の破綻と同義であるから。

 


 敗色濃厚。

 絶望して然りの戦況。

 そうであるのだが、しかしソフィーの顔はなんとも不思議なことか。

 暗い絶望の影、これが欠片も見当たらなかった。


 しかしだからといって、余裕に満ち満ちた面持ちをしているわけでもない。

 天頂からの陽光に照らされているその顔は、まさしく必死の形相。

 ぎりりと歯を食いしばり、思いっきり眉間に皺を寄せ、いかにも万感の力を込めているような――そんな顔を作っていた。

 

 一見すれば憤怒の表情と取られてもおかしくはないほどに強烈な顔。

 しかし、これは怒りの形相ではない。

 必死になって戦っているからこその顔付きであった。

 ただしソフィーが争っているのは、最接近を許してしまった邪神の群れに対してではない。

 ただいまの彼女の対戦相手は――


「やだー! なんでぼくを巻き込むのさ! なんでぼくを最前線に留めようとするのさ! ぼくはこれから火薬を作り続けるっていう、とても大事な仕事があるんだ! 死にたくないー! はーなーしーてー!」


「巻き込むもなにも! ここで私たちが突破されては、元も子もないのだぞ?! いいからここで私たちに力を貸したまえ! フェリシア!」


 まだ幼さを残した少女の声が響く。

 いかめしい顔を作る新米少尉の目の前にて。

 もっと正確に述べるのであらば、度重なる訓練によって軍人の形になってしまった、ソフィーの右手から。

 どうして本来喋るはずもないソフィーの右手から少女の声が?

 その答えは簡単。

 彼女の右手が、この現場にやってきた灰色髪の少女の首根っこを引っ掴んでいるから。


 できたての弾丸と共に情報(分隊がここに来ない理由)を告げに来た、魔族の少女フェリシア。

 彼女を力尽くで引き留めようと努力しているが故に、ソフィーはかの如く必死な顔を作っているのであった。


「いやだー! 嫌なもんは嫌なんだよう! やっぱり軍人は悪魔だ! こーんな幼い少女をとっても危ない最前線に置こうとするなんて! 鬼畜の所業だー!」


「ええい! 往生せんか! ほら、そこのお前! この少女を取り押さえるのを手伝ってくれ! 貴重な戦力だ! 逃がすわけにはいかない!」


「は、はっ。了解しました! ドイル少尉!」


 逼迫した現状なのに、とても奇妙なやり取りを始めてしまった高位の軍人に呆気を取られ、ライフルを構えるのも忘れていた親衛隊員。

 やや気が抜けているところに、迫力満点のソフィーの要求が飛んできてしまったのだ。

 その命令がひどく場違いなものであるのは、火を見るよりも明らかなのに。

 取り押さえることを求められた親衛隊員は、ほとんど反射的に身体が動いてしまったらしい。

 踏み出した第一歩には迷いの気配が毛ほどもなかった。


「拘束! 開始!」


「わっ! ちょ、ちょっとそれは駄目だって! いてて! 関節が! 関節が逆向きに!」


 しかも、彼女はどうやら体術に秀でていたようだ。

 あっという間にフェリシアの右手を引っ掴むや否や、瞬く間に自らの腋に持っていって、じわじわと少女の肘に体重をかけ始めた。

 こうなってしまえば、捕まった人間にできることは、肘が破壊されることを覚悟で大暴れするか、痛くないように大人しくするしかない。

 ちなみにフェリシアは後者を選んだようだ。

 それまでじたばた暴れていたのに、関節を決められるのを境として急に大人しくなった。


「んぎぎ……放せー! 罪もない一般市民を暴力で取り押さえるなんてー! お前らそれでも市民を守るために存在する軍人の端くれかー!」


「しょ、少尉! 捕まえました!」


「ああ、ご苦労。心から感謝する」


 ただし身体は大人しくなっても、心はそう簡単に折れてなるものかと決意したらしい。

 その身は首筋をつままれた猫のように大人しくなろうとも、フェリシアは金切り声でもってぎゃあぎゃあと抗議。


 けれども少女を拘束した当事者たちは意に介さず。

 まるでフェリシアの声をなかったかのように振る舞い、抗議への反応は少しも見せることはなかった。


 そんな軍人二人の様子が気に入らないのか。

 フェリシアのキンキン声はますます音量が上がっていった。


「こ、こらー! ぼくを無視するなー! っていうか邪神の群れが近付いてやばいんでしょ?! に、逃げなきゃやばいじゃん! ほら、はーなーしーてー!」


 齢はソフィーよりもいささか下で幼さが残っているフェリシアだけれども、これでもあの戦争を生き抜いてきた歴戦の(つわもの)だ。

 こと戦闘経験においてはソフィーよりも豊富――なのだけれども、本人の気性がどうにも臆病であるようだ。

 とにかく戦場を嫌っており、口を開けば逃げようだとか、戦いたくないとわめく始末。


 フェリシアの声色は真に深刻ぶっていて、心の底からこの現場から逃げ出したいのだと、嫌が応にも悟らせてしまうもの。

 本当にこの少女は昨年まで人類の明日のために命を賭けて戦ってきたのか。

 ソフィーは今までのフェリシアの態度を見て、どうにもそれが信じられなくなってきた。


 それどころか心からのフェリシアの叫びのせいで、なんだか自分がいたいけな少女を虐める小悪党になった気分にすらなった。


 これは要求通りに解放した方が精神衛生上よろしいのでは?

 思わず抱いてしまった悩みを振り払って、ソフィーはフェリシアをその気にさせるために説得をし始めることにした。


「逃げるとしてどこに逃げるというのだ? 君が伝えてくれたプリムローズ大尉の伝言をもう一度思い出してみろ? 残念ながらスウィンバーンたちは動けないのだぞ? このままではどう頑張っても、この庭で仲良く討ち死にが関の山だ」


「それは……そうだけどさあ――」


「ならば、だ」


 反論の暇を与えさせぬ。

 フェリシアが見せた次の句を紡ぐ気配をソフィーは言葉で被せることで遮った。


「生き残るために、状況を打破するために協力を願いたい。なに、君もかつては少女兵としてあの戦争を戦い抜いてきたのだろう? 歴戦の兵士なのだろう? 自らが主人公である英雄譚が一つ増えるのだぞ? 誇るがいい」


「嫌だよ! ぼくは戦いなんて大っ嫌いだ!」


 どうやらフェリシアの自尊心をくすぐって応援を取り付けるアプローチは、見事に失敗に終えたようだ。

 フェリシアはソフィーの要求を拒絶した。


「ぼくは死にたくないから嫌々戦ってきたんだ! だーれが、名を上げるために命を賭けて戦うっていうんだ! そんなのウォーモンガーに任せればいい! だから! はーなーせー!」


 ソフィーはフェリシアがどのような経緯でもって、あの戦争に兵士として参戦したのかを知らない。

 だが、こうまで頑なに最前線を嫌がるあたり、ロクでもない顛末があったに違いない。

 本当に致し方がなく銃を取って生きる道を選んだのだろう。

 

 それはノブレス・オブリージュに基づいて士官学校の門戸を叩いた、生真面目なソフィーにとっては理解しがたい主張であった。

 なにせあの戦争は人類の命運をかけた戦争であったのだ。

 敗北とはすなわち人類の滅亡。

 そうであるからこそ、戦場に立つ者は、積極的に最前線で戦わねばならない。

 人類の明日がその双肩にかかっている以上、敵に背中を見せてしまいそうな臆病は断じて許してはならぬ。


 そうだ。

 かつてのソフィーはそう心から信じていた。


 士官学校に居たころのソフィーなら、眼前の少女に兵士の心得とやらを、くどくどと注入しただろう。

 けれども、今は違った。

 

「私もだ」


「うん?」


「私はかつて、戦場に一種のロマンを求めていたクチだ。だがしかし、今は胸を張って言える」


 たしかにあの戦争は人類の命運がかかっており、状況がそうせざるをえなくなってしまったのならば、兵士は喜んで命を捨てなければならなかった。


 それはたしかに事実だ。

 実際王国貴族は後世のために、すすんで国家の礎となってきた。

 でも同時にそれはあくまでただの綺麗な建前でもある。


 士官学校を卒業し、図らずも混乱の現場を知ってしまった今のソフィーなら言える。

 いくら綺麗事を口で並べようとも。

 いくら決意を美文でもって装飾しようとも。


 心は、生存欲求はこう叫ぶのだ。

 死にたくないと。

 こんなひどい場所からは逃げ出したい、と。


 ソフィーは思い出す。

 騎士級の乙種が街に現れたときのことを。

 その時に抱いた濃密な死の恐怖を。

 実際に見た戦場の感想を。


 そこには軍記物語のようなロマンは一切なくて。

 あったのはひたすらに混乱、混乱、混乱。

 襲い来る制御不能な理不尽の数々と。

 ちっとも思い通りにならない現実たち――


 だからこそ。

 今のソフィーには断言できた。


「戦場はクソだ。こんなものさっさと世界から消し去ってしまった方がいい」


 ――戦場はクソであると。

 自分自身もこんなところに長くは居たくはないと。

 将校ではあるけれど、実際の所フェリシアと同じく戦争は嫌で嫌で仕方がないと。


 ソフィーの心の底に固まっていた、模範的な将校らしからぬ生への感情。

 それをを包み隠さずフェリシアへと表明した。


 それを受けてフェリシアは。

 目をまん丸にしていた。

 驚きをあらわにしていた。


「だからフェリシア。私に協力して欲しい。この場にこびりついたクソを綺麗さっぱり流しさりたいのだ」


 兵ならともかくだ。

 戦場は嫌だ、怖い、こんなものなくなってしまえ。

 こんな物言いが軍隊という組織に洗脳された将校の口から出てくるとは、フェリシアはつゆほども思っていなかったのだろう。


 魔族の少女はぽかんと口を開けて、呆けた表情を露わにするも。

 二拍、三拍。

 わずかな間を置いたのちに見せた面持ちは、唇の片端を歪めたもので。

 どこか悔しげに見えるものであった。


 そして肘を決められたままのフェリシアがまとう空気にも、にわかに変化が訪れる。

 それは少女が眼前の新米少尉に向ける雰囲気であった。

 ずっと拒絶一辺倒で取り尽くしまのなかった空気が急に霧散。

 畜生。まったく。仕方がない。

 いささかソフィーへの親近感を覚えてしまったのか。

 嫌々であるのは変わりがないけれど。

 なにやら急に協力的なにおいを漂わせはじめたのであった。


「……ずいぶんと潔癖症」


「ああ、そうさ。なにせ私は貴族だからな。汚いのは嫌いなんだ」


「その割にはずいぶんと口ぶりに品がなかったけれど」


「職業病だ。軍人だからな。軍人の口が悪いのは、君とて十分に理解できているだろう?」


 たしかにその通り。軍人はどいつもこいつも口が悪かった。

 そんな返事代わりなのだろう。

 フェリシアは小さく鼻笑いを漏らした。


 いまのフェリシアには抵抗する気配がまったくない。

 もう彼女を拘束する必要はないだろう。

 きっと逃げないだろうから。

 ソフィーは親衛隊員に目配せ。

 一度の頷きののちに親衛隊員はフェリシアの細い腕を放す。

 ソフィーの目論見通り。

 やはりフェリシアは逃げようとしなかった。


「それで? ぼくはなにをやればいいの?」


「定着魔法。使えるだろう?」


「腕に期待しないで欲しいけれどね。ヘッちゃんよりずっとずっと下手っぴだから。で、どいつに魔法を?」


「あれだ。あれを爆弾に変えてもらいたい」


 訓練によって節くれ立ってしまったソフィーの右の人差し指。

 それが指すモノを見てフェリシアは――


 またしても口をあんぐりあけた。

 唖然とした。

 そして次いでソフィーを見た。

 こいつ、本気で言っているのか?

 本当に素面なのか?

 そう語っている目でもって。


「……正気?」


「ああ、狂気だ。だが使わぬ手はないだろう?」


 フェリシアをあんぐりさせた、ソフィーの提案。

 ソフィーの人差し指が示す先にあるモノ。

 それは邪神の猛攻(特に猿人級の投石)から身を守るはずの防御壁であった。


 防具を武器に転用することはそう珍しいことではない。

 盾で()ん殴れば鈍器にもなり得るように、先例はきちんとある。

 けれどもそれらの先例は、いずれも可逆的なものだ。

 盾で打ん殴った後でも、歪みは見られようとも本来の用途は十分にこなせる。

 けれどもこの場合はどう見ても不可逆な転用。

 一度使えば粉々になって、二度と防御壁としての機能は果たせまい。


 武具と施設が著しく制限されているのに、可能な限り人員と施設の損耗を最小限にして困難を切り抜けるべきなのに。

 そうあるべきなのに、こんな使い道を堂々と提案するなんて、こいつ本気か。

 フェリシアがソフィーに向ける視線とは、きっとこのようなものだろうか。


 だがしかし、ソフィーは少女の視線の解釈を堂々と違えていた。


「なあに、威力については心配しなくてもいい。あれだけの質量が吹き飛ぶんだ。いくら非常識に頑丈な宿敵どもとて、間近に受ければ無事ではすまんだろう」


「……なんてこった。こいつ、思ってたよりも狂ってるぞ」


「はっはっはっ。それは褒め言葉だ。私はかの分隊を見て学んだのだ」


 ソフィーは少女の視線を爆弾の威力不足を心配するものと解釈した。

 そしてさきのフェリシアの嘆きを見るに、その解釈は誤っていたのは言うまでもない。


 その上、二人の言葉のやり取りの齟齬は修正される様子がなかった。

 汝は狂人なり――恐らく心からの罵倒を、ちょっとしたブラックジョークと受け取ったソフィーは、呵々と豪快に笑い飛ばして。


 そして表明した。

 ああ、そうとも正気を失っているとも、と。

 喜んで狂気に片足を突っ込んだのだ、と。

 何故であるならば――


「我ら人類が、あのおぞましき天敵を倒すためには。ひとつまみの狂気が必要だ。そうは思わないか?」


「くそ。手遅れだ。よりにもよって学んだ対象が飛びきり狂ってるやつらなんて……」


 きっと聞こえないように小さく吐き捨てたフェリシアの呟き。

 ソフィーはそれをきっちり聞いてしまっているけれど、折角覚悟を決めて戦ってもらうことになったのだ。


 下手なことを言ってへそを曲げて、フェリシアにやっぱりやめた。逃げる。と言われたら困るから。

 最近になってずる賢さを覚えたソフィーは、敢えてそれを聞かなかったことにした。

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