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第七章 九話 唸る信号! 十二連発!

 信号の情報によらば乙種が現れたのはどうやら、チェンバレン中尉が陣頭指揮を執っている方角であるらしい。

 あそこは指揮権のいざこざを避けるために、親衛隊をメインにした現場であったはずだ。

 となれば。


 急がねばなるまい。

 一層二つの力(筋力と魔力)を足に込めて俺は前進、現場へと急行した。

 戦場をよく知っているレナを中尉の下に置いたとはいえ、メインの戦力が実戦経験不足な親衛隊員なのだ。


 下手をすれば乙種出現を認めて、たったそれだけで恐慌に陥り、邪神どものいいようにされかねない。

 作戦がこのまま破綻しかねない。

 ここで言う破綻とは敗北と同義であるならば。


 敗北を防ぐためにもやはり急がねばならない。

 しかもついでに言うのならば、あそこの方角には親衛隊の士気喪失以外にも敗北に繋がりかねない懸案事項を抱えているのだ。


 だから俺は駆ける。

 地を蹴る。

 前に進む。

 低空すれすれで飛び去るツバメのようなイメージで。


 折角完成間近までこぎ着けたというのに、無情にも壊されてしまったオランジェリーを抜ける。

 行き交う兵らによって、土とハーブが無残にシェイクされてしまった花壇を一息に飛び越して。

 平和の残骸を幾度も横目に通り越したその先に。


 見えた。

 現場が。

 秩序は維持。

 恐怖の色はそこまで濃くはない。


 ああ、よかった。

 最大の懸案事項は現実にはならなかったようだ。

 間に合った。

 ほっと胸をなで下ろす。


 だが、安心するのはまだ早いか。

 恐怖に支配されてはいないものの、現場は騒然としていた。

 しかも奇妙な感じに。

 言い争っている感じ。


 そんな雰囲気を察知して悟る。

 ああ、これは。

 二つ目の懸案事項が爆発しかかっているのだな、と。


 ざわざわとした現場の困惑そのものな空気。

 そんな空気を四方八方にまき散らしている問題の中心には。

 まったくもってどういうわけかは知らないが。

 ここの指揮を任されているチェンバレン中尉とレナがくんずほぐれつ、喧々囂々(けんけんごうごう)、剣呑な雰囲気にてやり合っていた。

 具体的に述べるのであれば、今にも飛び出そうとしているレナを中尉が捕まえて、必死に引き留めている感じ。


「待て! 待て! ステイ! 落ち着け、レナ・アイカ! もうすぐスウィンバーンが来る! なにも貴殿が出る必要はない!」


「ええい! 邪魔だ! 邪魔だ、従事長! どうでもいいかラ、そこをどけ! 斬ラせロ! 私にあの大物を! 斬リ殺させロ!」


「だから駄目だって! 貴殿が出しゃばっても返り討ちがいいところでしょう! 戦力が減るのは困るからステイだ! ステイ!」


「どうみても好機じゃないか! 私の愛刀でなあ! 殺レル邪神は少ないんだぞ?! 乙種とはいえ奴は猿人級! かたくない! 速くない! なラ殺レル! 斬レル! だから止めルなあ!」


「だーかーらー! ステイだっての! 何度言わせるんだ! アンタはしつけに失敗したバカ犬か?!」


「私、解ラない、王国語! なぜなら、私、異邦人! だから放せえ!」


「うるせえ! 文法完璧じゃねーか皇国人! ペラペラじゃねーか王国語!」


「じゃあ私はバカ犬だ! 私に通じルようにきちんと犬語を喋レ! ワンワン!」


 殺伐とした現場なのにコメディを思わせるやりとり。

 それも中尉に取り押さえられているレナが故郷の刀剣を振り回しているから、飛びきりシュールなコメディ。


 ただいまは真剣となって戦う場面。

 しかも今日一番の困難に直面しているというのに、あまりに場違いなやりとりに頭が痛くなってきそうだ。

 多分俺のその感想は、この陣地に居座るすべての親衛隊員に共通したものだと思う。

 もっとも、彼女らは集中しなければならないのに、唐突にコメディが上演されてしまったせいか。

 何人かの頬は笑いを堪えているかのように、ぷるぷると震えていた。


 いやはや、なんとも嫌な予感というものは当たるものだ。

 ご覧の通りレナの悪癖である、斬りたがりがものの見事に発露してしまっていた。


「んぎぎぎ! 放せえ! ウィりアムが来てしまったラ、アイツのことだ! きっと――」


「きっと? なにがどうなるんだい?」


 チェンバレン中尉の拘束を振りほどけないために、苛立ちが隠せぬレナの言を遮る。

 俺の言葉を被せる。


 ぴたり。

 中空で振り回していた刀の動きが止まる。

 はくり。

 口から飛び出しかけていた叫びが噛みつぶされる。

 首根っこをつままれた猫のように大人しくなったレナは、次いで錆びだらけになった歯車機構のようにぎぎぎ。とてもぎこちない動きで首を回して俺を見た。


 一瞬の無言の間。

 そしてそののち。

 にへら。

 緊張感もへったくれもない、へつらいの笑みを浮かべた。


「あ、あラー……お早い到着で」


「うん、早く着けて心の底から良かったと思ってるよ。まだ余裕ありそうだし、特に君が突撃していなくてほっとした」


「へ、へへへ」


 どうにもさっきの”きっと”に続く言葉は悪口の類いであったようだ。

 へつらいの次はとにかく笑って誤魔化せ、とレナは極めて曖昧な笑顔を作ってよこしてきた。

 まったく、一体どんな口汚い台詞を吐き出そうとしたのか。

 間に合ったことの安堵とお行儀がいいとは言えないレナへの呆れが、ない交ぜになったため息を吐く。


「ん、んん! 間に合って何よりだ、スウィンバーン氏。ご承知の通りだが危急の秋だ」


 レナとやり合ってる最中、中尉本来の性格なのか。

 中尉は垣間見せてしまった激しい気性、これを取り繕う咳払いをしたのち、栄えある王族親衛隊員に相応しいクールな面持ちを作り直した。

 もちろんそうなってくれた方が俺の仕事がしやすくなるから大歓迎だ。


「現状はどうでしょうか? 見たところまだ少しばかりは余裕があるようですが」


「向こうの気まぐれのおかげでな」


「気まぐれ?」


「ああ。坂を見下ろしてみろ」


 万一に備えライフルを携え、そっと急拵えの狭間と化した塀の格子から坂の下を覗き込む。

 相も変わらず邪神どもは屋敷を落とそうと侵攻を続けていた。

 けれどもその速度は遅く、さきほどまで俺が居たフェナーの現場とどっとこいといったところ。

 つまりは見方によっては、押し返しているとも言えなくもないといった感じなのだ。

 一見すると危機が身近に迫っているようには思えない。


「……乙種は?」


「あそこ。姿を見せたのはいいのだが」


 日々の訓練はきちんと重ねているのだろう。

 中尉はマメとタコだらけな指で坂と麓の境目を指した。

 ひときわ獅子級が密集しているところの中心にそれは居た。

 平凡な猿人級と比すると一回り大きな身体と、背中から突き出た一対の伸縮自在な触手。

 間違いない。たしかに猿人級の乙種であった。


 力強さと手数を増やした至極単純な進化ではある。

 されど邪神随一の剛力を誇る猿人級が、そんな進化を遂げてしまったのだから生半可な小細工はその腕力によって、紙きれ当然に破られてしまう。

 他の乙種の例に漏れず極めて厄介な手合いだ。


 しかしどうしたことだろう。

 その強大な力を振り回しながら真っ直ぐ突進すれば、それだけでこちらは苦しくなるというのに。


「でも、動かない?」


「その通り」


 中尉が肯んじた。

 なるほど。実戦においてはほとんど新兵同様の親衛隊員が、奇妙に平静を保っていたのはこれが原因か。

 そしてそれは彼女らの長である中尉も認めているところなのだろう。

 中尉はいかにもバツが悪そうにため息を吐いた。


「おかげでこっちは慌てずにすんではいるけれど。しかし、それもいつまで保つことかわからない。ああやって立っているだけなのに、こちらが受けるプレッシャーはとても重い」


「でも隙だらけに見えます。排除は案外容易なのでは? 狙撃はどうでしょう。この距離なら十分有効射程です」


「それは当然試みた。しかし……いや、論より証拠。見てなさい」


 俺の提案を受けて、中尉はすぐさま行動に移した。

 それまでストラップで肩にかけていたライフルを時を移さず構えて、狙いを定めて、鋭い視線で猿人級を射貫いて。

 そののちに、ためらい一切なく中尉は引き金を引いた。

 発砲音。

 間をおかずに邪神の頭は爆ぜた。

 命中。

 お見事。

 ただし。

 頭が吹っ飛んだのは討ちたい猿人級ではなくて、それを取り囲むように群がる獅子級であった。


 俺は口をあんぐり、唖然としてしまった。

 目の前のそれは信じられないことであったからだ。

 発砲音が鳴り響くや否や、猿人級目指して突き進む弾丸の軌道上に獅子級が飛び出してきたのだ。

 猿人級の眼前で、頭蓋が吹っ飛んだのだ。

 当たるはずだった弾丸が、獅子級の死によってなかったことにされてしまったのだ。


 邪神のこの行い。

 これはどう見ても――


「……身代わり? 邪神が? 獅子級が?」


「なるほど。かの分隊員がその反応か。なら、あの行動はノーマルなものではない、ということね」


「だかラ、私が何度も言っただロう? あリゃ普通じゃないって。あとあと厄介になリそうだかラ、さっさと殺っちまった方が絶対いいって」


 苦虫を噛みつぶしたかのような中尉の反応に、レナがトゲのある声で食いついた。ついでに中尉に注ぐ視線も険があった。

 この様子だとレナは、俺が来る前に中尉とあの獅子級どもへの対応を巡って、ずいぶんとやり合ったようだ。

 発言を鑑みるに二人の対立は積極策と消極策を巡る攻防、といったところか。


 レナは消極策を取っている現状に満足しておらず、いまも攻勢に転じようと暗に主張している。

 けれど、中尉の方は今はレナの意見をまるっきり無視することにしたようだ。

 年上の親衛隊長は撃ったばかりのライフルを下ろして、真っ直ぐな視線を俺だけに寄越してきた。


「状況は以上。悔しいことに、今の私たちではあの乙種を排除する手立てがない。これが続いても、すぐにここを突破されることはないけれど、それは奴の気分次第。おまけにああやって立っているだけで、部下たちは神経をすり減らしていくというジリ貧。なにかいい方法はない?」


「だかラ! 私はずっとずっと主張していル! 突撃だ! 銃剣突撃だ! 抜刀突撃だ! 膠着したラ、とリあえず突撃すればなんとかなル!」


「この兵数で突撃したら、間違いなく返り討ちでしょ……相変わらずの突撃脳だね、レナは」


「なんと! ウィりアムまでそう言うか! お前は私の味方じゃないのか! お前だって困ったラすぐに単身突撃してたくせに!」


「あー……うん。それを言われると返す言葉もない」


 安易なレナの主張を却下すると、思いのほか鋭い答えが返ってきた。

 おかげで俺はやや口ごもってしまった。

 まったくもって仰る通りであった。

 戦中、状況がどうにもならなくなったら取りあえず突撃してきた過去があるだけに、返す言葉がまったくなくて、曖昧に返事をするしかなくなってしまった。


 傍らに居る親衛隊長は生来頭の回転が速い人物であるのか。

 今のやり取りから、俺の単身突撃をもってしても状況打開が厳しいことを、目ざとく読み取ったようだ。

 中尉は失望の意がこもった皺を眉間に刻んだ。


「貴殿が単身で突撃しても難しいのか? この状況は」


「普通の邪神ならともかく乙種ですから、鎧袖一触(がいしゅういっしょく)、とはいきません。伸すまで時間がかかるでしょう。その間、貴女の部下は俺への流れ弾を恐れるでしょうから……弾幕が薄くなってしまう可能性があります。そうすると――」


「乙種は倒せても他の邪神に突破を許される、ね。本末転倒もいいところ」


「いっそ奴が普通の邪神と同じく突撃してくれたのならば、まだ対処が楽だったのですが……野戦であんな風に待ちぼうけなんてケースははじめてです。一体、なにを考えている?」


 突撃自体は可能だ。

 そしてその突撃によって、あの猿人級乙種を葬ることだって難しくはない。


 ただし、親衛隊員の弾幕を維持しながら、となると答えは途端に変わってくる。

 飛んでくる流れ弾を、乙種との戦闘を片手間に躱すのは流石に骨であるからだ。

 親衛隊の連中だって、フレンドリィファイアが起こりやすい状況での発砲は嫌で嫌で仕方がないだろう。


 たとえ無理に発砲を命じたとしても、である。

 狙いをよく定めすぎて邪神撃退のペースが著しく落ちるか、俺に絶対に当たらないように、地面や空を目掛けて引き金を絞る者が続出するのが目に見えている。


 常の襲撃と同じく、他の邪神と一緒くたとなって接近してくれたのならば。

 一時の弾幕停止と時を同じくして、俺が出撃し乙種を牽制しつつその他を殲滅、そののちに乙種撃破、弾幕再形成という流れが実現できたのに――


 ああ、なんてままならないのか。

 久しぶりに味わう戦場特有の苦味を耐えるために、俺はそっと下唇を噛んだ。


「……と、以上の理由から、残念ながら俺では打開が難しいですね。人を代えましょう。ヘッセニアかアリスに。彼女たちなら、あそこに固まる獅子級ごと乙種を消し炭にできるはずですから」


「よしわかった。だけど、代わりが来るまでここに居てくれない? 乙種が控えているのに、貴殿ら分隊員が居ないのは士気が大きく下がる」


「もちろんです。櫓への信号弾は私が上げます。ですから信号弾を――」


 猿人級を相手にするのは大得意だからここに呼ばれたのだが、状況それ自体がどうにも俺との相性が悪い。

 だから面での超火力を持つヘッセニアかアリスに来てもらうべく、発煙信号に手を伸ばした、そのときであった。


 打ち上げようとした信号弾が産み出す破裂音、それがここではないあちらこちらから次々と聞こえてきたのは。

 手に持った信号弾から目線を剥がして、眼球を右に左にへと振る。

 音の出所を見るためにぎょろぎょろと動かす。


「……これは」


 結果、信号は四カ所から上がったのがわかった。

 なにかが他の現場で発生したことを知らせる発煙信号。

 意見具申をしようと思っていた俺たちからすれば、それだけでも間が悪いというのに、である。

 よりにもよって、四カ所から上がった信号の内容。

 これが俺たちにとって、あまりにも都合が悪すぎるものであった。


 音が立て続けに十二回も鳴ったのである。

 つまりそれぞれ三連発。

 これが意味することは。


「……乙種出現の報? これは……」


「……急がないと」


 力なく紡いだ中尉の言に答えるかのように、俺はぽそりと呟く。

 その間も俺は信号弾射出の準備を急ぐ。

 はやくこいつを撃って、全体指揮をしているクロードに状況を知らせねば。


 そうでないと大変なことになる。

 はやくしないと取り返しのつかないことになってしまう。


 今の信号はこの屋敷に四体の乙種が向かってきているのを示している。

 しかもそれぞれ方角に出現。

 そして俺とクロードを除いて動かせる分隊員は四人。

 つまり、まごまごしている内に分隊員が他の現場に到着し、戦闘を開始してしまったのならば――


 分隊員が固定されてしまう、移動が制限されてしまう。

 それはこの現状を打開する手立てが失われてしまうのと同義だ。

 この現場が作戦の、俺たちの敗北へと繋がる綻びとなりかねない。


 それを防ぐためにも。

 急ごう。

 急ぐ。

 急げ。


 いち早く人員の交代を具申するために。

 俺はひたすらに弾を打ち上げる手の動きを速めた。

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