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第七章 六話 与え損ねたプレゼント

 地を蹴る。

 風を切る。

 前に進む。


 目指すそのさきには、大挙して押し寄せる人類の天敵。

 おぞましき肉色をした二足の化け物、猿人級。

 そいつを討つために突撃を敢行する。


 距離が縮まる。

 間隔が狭まる。

 間合いに入る。


 いまや天敵は必殺の間合いにある。

 着剣済みのライフル。

 きゅうと掌を絞って、その存在を確かめる。

 物騒でかたい感覚がしかと返ってくるのを認めて。


 駆ける足を止める。

 慣性。

 身体は前へと滑る。

 土煙を生みながら、猿人級へと滑り行く。

 猿人級、一息に近寄った俺を害せんと屈強な片腕大きく振り上げるも。

 されどその動作は甚だ緩慢。

 故に俺の動きを阻むには到らず。


 俺は力を、そして魔力を両の腕にたっぷり込めて。

 外力弱まり、地を滑る速度がにぶくなったのと時を同じくして。

 込めた力を一気に解放。

 銃剣により槍と化したライフルを手加減なしに一息に刺突。

 刃を寝かせて思いっきり突く。


 目指すは急所たる喉元。

 猿人級は強化魔法を用いたその一突きに対応できず。

 回避も防御も、俺の意図を阻む動きは一切なかったが故に。

 さながらパンを切り分けるナイフよろしく、手応えまったく得ずに。

 ずぶり。

 鈍色の刃は化け物の血肉をかき分けた。


 ――――??!!


 絶叫、朝っぱらの丘に響く。

 刃を喉に差し入れた猿人級から。

 気道を断ったことに起因する、喘鳴と水音を伴わせながら。


 耳障りな悲鳴。

 眉をひそめつつも刃を滑らせ、肉を、血管を、そして皮膚をも裂く。

 ぐらり。

 首が半分断たれた猿人級の頭がぶらぶらと揺れる。

 けれどもまだ両断にはいたらず。

 首の皮一枚つながった、という感じ。


 普通の生き物ならば言うまでもなく、これは致命傷。

 だが相対するのは邪神だ。

 生物とカテゴライズすることすら躊躇いたくなるような、恐るべき生命力を誇る連中。

 頭を落とさぬ限りでは、この程度の損傷では、あっという間に再生して元通りになってしまう。


 だから俺はトドメを刺すために、もう一度得意の魔法を使って。

 ぴょんと飛び上がって、中空にて回し蹴り。

 邪神の頭めがけて回し蹴り。

 筋力、遠心力、魔力。

 三つの力がたっぷりと乗ったその一撃は、ちぎれかけの頭にたしかに直撃して。

 そして未練がましく繋がっていた残る皮と肉を断って。

 素っ首はあっけなく胴と泣き別れた。


「これで終わりっ! フェナー! 突出した連中はこれで片付けた!」


「了解だ! ウィリアム! 目標前方! 接近する邪神群! 総員構え――」


 この方角の防衛線の指揮を取っているエルフの戦友、フェナーに伝える。

 ぴょんと庭を取り囲む柵を跳び越えながら、俺の仕事はもう終わりだと。

 あとは再び弾幕を形成して邪神の侵攻を遅らせるべきだと。


 去年までベテランの一兵卒であった隻眼のエルフの対応は早かった。

 俺の報告を受けるや否や、すぐさま大音声(だいおんじょう)で号令。

 それを受けて複数の銃口が坂の下よりにじり寄る、人類の天敵どもに向いて。


「ってえ!」


 再度大音声。

 直後に銃声。

 そのタイミングは俺が庭に着地したのとほぼ同じであった。

 真横に突っ走る弾雨をもろに受けて、襲いかからんと迫りくる邪神の足色はたしかに鈍くなった。


「フェナー! 高火力魔法を使って対応してくれ! 猿人級がかたまっているところにぶつけてくれ!」


「簡単なものならともかく! それだと私はアリスみたいに速射できんぞ! 一発放つまで時間がかかる! その間、射線が一つ減るのは危うくないか?!」


「まだ他の所に救援に向かう必要はなさそうだから、俺が代わりに撃つ! 猿人級を選んで潰さないとまた投擲の間合いに入られる! そうなれば、こっちは頭を下げ続けなきゃならなくなる! 距離が一気に縮まってしまう!」


「了解! 頼んだぞ! ウィリアム!」


 そう言ってフェナーは弾薬ポーチを俺に投げて寄越した。

 ずっしりとした手応え。

 ありがたい。さっきの戦闘で手持ちの弾はあらかた撃ってしまった。

 フェナーが寄越したこいつのおかげで、しばらくは弾切れを心配しなくてもいいだろう。


 弾切れという憂慮が遠ざかったことによる安心感のおかげか。

 今日一番のスムースな給弾操作を終えて、狙いを定めて。

 一瞬息を止め、トリガーを引く。

 爆発音。

 衝撃。

 眉間に命中。

 どさり。

 崩れる邪神。

 脳を破壊し、一体間引くことに成功。


 けれどもその結果に満足してはならない。

 まだまだ討つべき邪神はごまんといる。

 さしたる感動も抱かず、再びの装填動作。

 完了。

 発砲。

 命中。

 また装填。

 何度も繰り返す。


「……すごい」


 隣から聞こえる感嘆の声。

 共に防御壁に隠れてこの方面の防衛線を構築している、殿下の親衛隊の声。

 隣から銃声は聞こえない。

 ということは。


「よそ見しない! 前向いて、撃ち続けて!」


 よそ見して手を休めてしまっている、ということ。

 軽く叱責。

 隣の彼女から慌てて銃を構え直す気配がした。

 やや間をおいて発砲音。

 しかし当たらず。

 次いで聞こえるのはたどたどしいことこの上ない、鉄が噛んでは動く音。

 装填に手間取る音。

 彼女の練度が低いのを示す音。

 それは今の俺たちにとって、大きな懸案事項であった。


 クロードが打ち出した内線作戦にも似た戦術は、いまのところ決定的な破綻は迎えてはいない。

 兵数が少ないのにも関わらず、麓の地面が見えなくなるほどの邪神と戦えていると見るべき状況だ。

 それはひいき目抜きでも俺たちはよくやっている、とみるべきだろう。


 だがしかし、今後の戦況を楽観視していいわけではない。

 それがさきに挙げた親衛隊の練度が低いという懸案事項である。

 正直彼女たちの装填操作の手つきは怪しいし、命中率だっていまいちで、辛うじて戦力になっている、といった感じ。

 いまのところは、俺の戦友たちと度重なる騒動で現場慣れしてしまったゾクリュ守備隊のカバーでなんとかなっている。

 だが今後疲れが無視できない局面になったのならば、たちまちそのカバーは行き届かなくなり、低練度な彼女らが綻びとなって防衛戦を突破されかねない。


 と、なれば長期戦を回避し、短期で敵を撃滅すべきだろう。

 しかしこちらの手数が少ないからそれはできない。

 文字通りの絵空事。

 ゾクリュ守備隊の本隊が到着すれば短期で片がつけられるのだろうが、しかしそれでも俺たちが能動的に動いてどうこうできる話ではない。


 だから認めなければならないだろう。

 ゆっくりと、けれども確実に俺たちは追い込まれつつあるのを。


(これはちょっと考えないと駄目かもしれないな。防衛線が破られたときの動きを)


 なおも弾を邪神に当てつつ俺はひっそりと思案した。

 最悪の事態でできること、いや、やらなくてはいけないことを考えた。


(……くそっ。優先順位を決めなきゃいけないか)


 この屋敷に詰めるみんなの命を救いたいけれども、絶対に死なせてはならない人間を選別する必要性が出てきてしまった。

 殿下とアンジェリカら非戦闘員。彼女たちは絶対に死なせてはならない。戦闘員は命を賭けてでも彼女たちを守らねばならない。


 奥歯を噛みしめる。

 悔しさが故に。

 今の思考はすなわち命の選別だ。

 死んでもいい人間と死んではならない人間を選ぶということだ。


 感情は絶対にそんなことは間違っている、と大声で叫ぶ。

 けれども俺の理性は不承不承にそいつを宥めなければならなかった。


 殿下を死なせてしまったのに、兵らが生き残ってしまったのならば。

 それは王族を守り切れなかった責を兵らが負わなければならない、ということ。

 折角生き残ったのに、下手をすれば物理的に首が飛びかねない境遇に身を落とされるということ。

 それはまさしく無駄死にだ。


 ならば、である。

 無駄死にを抑えるためには、命をただの数とみなして計算しなくてはなるまい。

 それに強烈な嫌悪を抱くも、結果的により多くの兵らの命を救うためならば。

 たとえ兵らの命が失われようとも、なにがなんでも殿下をお守りしなければならなかった。


 しかしどうにか苦い思いを腹の底までに飲み込んだ、というのにである。

 大変間が悪いことに、いきなりその前提が崩れるやもしれぬ、重大なインシデントが発生してしまった。


「ひゃっはー! 喜べ臣民ども! 下賜の時間だ! 弾丸補給の時間だああああ!」


「ぶっ!」


 空高く響くはノーブルなお声。

 こんな鉄火場にはあまりに不釣り合いなはきはきとした声。

 ファリクが作ってくれた物見櫓で聞こえるべき声。


 どういうわけかそれが最前線で聞こえてしまったが故に。

 俺は思わず吹き出してしまい、当てるべき一発を無様に外してしまった。


 破天荒王女め。

 危ないから櫓でじっとしていてくれ、と言ったのに。

 なんだって弾薬補充の手伝いなんかしやがっているのだ。

 どうして弾薬ポーチを満載した手押し車を、がらがらと押して来やがったのか。

 理解に苦しむ。

 目眩すら覚える。


「殿下! なんだってこんなところに! なんだって鉄火場の真ん前中の真ん前に! 頼みますからあの櫓で待機してください!」


「なにおう! 私の臣民が! 部下が命をかけて戦っておるのだぞ! 王族として上司として、その危機を共有せねば格好がつかないではないか!」


「格好といっても! みな、殿下を気にして存分に武を振るうことができませんよ! 護衛対象は大人しくしていて下さい!」


「気になって武が震えぬだとう? だったらあやつらはどうだというのだ?!」


 殿下の声が向いていたのは俺の隣であった。

 つまりは殿下の言うあやつってのは、さっきのたどたどしい手つきの親衛隊員。


 殿下がわざわざ言及した、ということはその手つきがいくらかマシになった、ということなのだろう。

 ちらと俺は彼女を横目に見て――そして思わず、綺麗に二度見してしまった。


 さっきまではチャンバーを開くにも一苦労していた彼女が、である。

 なんと今では信じられないことに、ベテランの兵卒のそれと変わらぬ淀みない手つきで、弾を込めて銃を構えて。

 そしてさっきはあらぬ所にすっ飛んでいった弾丸も、きちんと的にまっしぐら。

 それは見事に次々と邪神を屠っていった。


「ビシバシ戦っておるではないか! ガンガン当てているではないか! 奮闘比類なき働きを見せているではないか!」


 親衛隊員がみせたあまりに急激すぎる進化。

 そいつに呆気にとられてしまって、俺はなおざりに弾を放ってしまっていた。

 精度がよくない射撃を幾度か繰り返してしまっていた。


 斜眼でちらちらと件の隊員の顔を見る。

 顔色は青を通り越して白。

 殿下が急に最前線にやってきてしまった緊張によって、頭から血がすっかりと引いてしまったようである。


 だが、それが却って彼女にとってはプラスに働いたらしい。

 興奮のあまり頭に血が上り、そのために生じたうわつきが、血の気が引いたことによりなくなったようである。

 殿下の暴挙が図らずも利益を生んだのであった。


 そしてこういうときの殿下の視力というのは、とてつもなく良くなる傾向にあった。

 親衛隊員が緊張によって却って冷静になったのを認めて、にたり。

 とても憎たらしいしたり顔を浮かべていた。


「ははっ! ほれ、私が来たことで、現場に好影響を及ぼしたではないか!」


「好影響は好影響でも! これはやけくそって言うんですよ!」


「呵々。やけくそだろうがなんだろうが、奮闘してくれればそれでよい! 結果良ければすべていいのだ!」


 豪快に笑いながら、無茶苦茶なお言葉をつらつらと述べるメアリー王女殿下。

 破天荒王女の本領を遺憾なく発揮しているその振る舞いに、俺の唇の端は不随意にぴくりぴくりと震えた。

 言うまでもなくそれは、殿下の愚かなほどに思い切りのいい行動に対するストレスによるものであった。 


「よし! これでここの分は配り終えたな! では私は次の現場へゆくぞ! 健闘を祈る!」


「こちらとしては! 御身が心配なので、やっぱり大人しくして欲しいのですが!」


「馬鹿言うでない!」


 きっと言っても聞いてくれないと思っていた諫言に、殿下は意外なテンションで答えた。

 いつもの子供っぽい癇癪声ではなくて、それとは真逆に子供を叱責するような声。

 シリアスな怒声。

 まるでこの行動はただの思いつきでやっているわけではない、と言いたげな叫び。

 きちんとした理由があると言わんばかりのうなり。


「お前らの後ろにあるあの屋敷ではな! お前たちを支えるために必死に働いている子供も居るというのだぞ?! なのに私だけが働かずに守られたままでいるなんて! また私たち大人が子供たちに平穏というプレゼントを与え損ねているというのに! 大人が黙ったままでいられるか!」


 殿下のその叫びにあたりはしんとした。

 実際に静かになったわけではない。

 相も変わらず間断なく発砲音はあちこちから上がっているし、前方からは弾が当たった邪神が崩れ落ちる音も聞こえる。

 つまり俺が感じた森閑(しんかん)は精神的なものということ。


 平穏というプレゼントを与え損ねた――


 音がにわかに消え去った、と錯覚してしまったのはこの一声が原因であった。


 そうだ、俺たちの背中には屋敷がある。屋敷ではアンジェリカが今も働き続けている。


 彼女は孤児だ。戦災孤児だ。俺たち大人がもっと早く戦争を終わらせていたのならば、不幸を味わうはずがなかった子供たちの内の一人だ。

 そんな境遇だからこそ、これからの人生では幸せな日々を送らせてやりたい、いや、送らせなければならない。

 そいつが俺たちに課せられた義務だというのに、今の状況は平穏とも幸せとも程遠い、血生臭い戦場そのもの。

 戦争から一年しか経っていないというのに、俺たちはもう義務の不履行をやらかしてしまったのだ。


 これだけでもとんでもなく恥だというのに、だ。

 その件のアンジェリカは今も糧食を作るために、あの屋敷の中で動き回っている。

 恐怖で動けなくなっても当然なのに、糧食を作るために働いてくれている。


 そんな中、もし俺がただただ守られたままでいろ、と言われたのならば――


「……わかりました。ご随意に。しかし猿人級の流れ弾にはご注意を」


 ――居ても立ってもいられなくなるのは火を見るよりも明らかだ。

 恐ろしく居心地が悪くなるはずだ。

 幼いアリスが人身御供にされる、と聞いたときのようになるはずだ。


 だから今回俺は折れた。

 じっとしているとは言わずに。

 せめて気をつけながら動いてくれ、と言うだけに留めた。 


「うむ! お前たちも頼んだぞ!」


 勇ましい声色の一言を残して殿下は去りゆく。

 がらがらとやかましい手押し車を伴いながら、次の現場へと向かう。


 意外にもさきのやり取りを聞いていたはずの親衛隊からの諫言はなかった。

 それはきっと彼女らも俺と同じ思いを抱いたためだろう。


「……プレゼント失敗、か。まったくその通りだ」


 独り言つ。

 ライフルの狙いを定めながら。

 もう一度思い返す。

 さきの殿下の台詞を。


 平穏というプレゼントを与え損ねた――


 そして眼前の、波濤となって押し寄せる邪神の群れを見て。

 大きく舌を打ったのちに、引き金を引いた。


 ああ、そうだ。

 まったくもってそうだ。

 俺たちは子供たちを今も昔もロクに守れていない。 


 明るい未来を、笑顔を奪ってしまった、とんでもない大人たち。

 それが俺たちであるということを、改めて実感してしまった。


 そうだ。

 だからこそ。


「ここで踏ん張んないとな」


 ここで踏ん張って、ゾクリュ守備隊が救援としてやってくるまで。

 子供の、アンジェリカに訪れるはずの明日を守るために。

 せめてもの罪滅ぼしのためにここを死守しなくては。

 後ろ向きにならずにひたすらに戦わなければ。


 撃針銃のボルトを操作しながら俺は強くそう思った。

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