第七章 三話 彼らは最善を尽くす
敵に囲まれ、丘の上でぽつん。
戦況を一言で説明すればそれであり、悲観すべき代物であった。
しかしどうだろう。
屋敷を急拵えながら要塞に仕立て上げ、実際に戦う彼らの間には悲壮感はこれっぽっちも感じ取れない。
それは状況が目まぐるしく変化するが故に、いちいち感想を抱いていられないから、とみるにはいささか趣が違った。
たしかに戦況は悪いが、しかし兵らは、少なくともすぐさま邪神どもの胃袋を終の棲家とすることはないだろう、と確信を抱いているように見えた。
事実戦端を開いてより今の今まで、丘の屋敷に籠もる側からは死傷者が一人も出ていないのだ。
人類は邪神に対し、一方的に死を贈り続けているのであった。
けれども、では楽観視してもよい戦況かと問われれば答えは否となる。
ファリク・スナイが庭の石畳を原料にして形成魔法で産み出した石造りの物見櫓から俯瞰すると、それが見事に可視化された。
屋敷に滞在していた数少ない戦力を八方角ごとに分けて防衛線を構築している人類と、それを突破せんと迫り来る邪神の群れ。
防衛線からの銃撃や魔法によって邪神の侵攻速度を遅延させているけれども、その足を完全に止めるには至っていないのがわかる。
じっくり、じわじわ。
ゆっくりと、しかし確実に邪神という暴力の波は俄拵えの城に迫る。
それはまるで満潮に向かい行く砂浜よろしくに。
本来は絶望視すべき状況なのだろう。
実際に銃を握る兵はもちろん、それらに指示を下す立場としても、脂汗をにじませて然るべきなのだろう。
だがしかし、かの物見櫓の上に立つクロード・プリムローズは違った。
戦場に吹くには腹立たしいほど爽やかな風に前髪を揺らせる、美丈夫そのものな面部には戦慄の気配、小指の先ほども感じられず。
ただただひたすらに冷厳に眼下にて繰り広げられる激戦の帰趨を、見定めているようであった。
「プ、プリムローズ大尉!」
心底焦りを抱いたことをうかがわせる声でクロードを呼びつける者が居た。
女の声だ。
声の源はクロードと同じく物見櫓の上にあった。
まだ低い位置にある太陽が眩しい東方を見つめるクロードの、背中側の戦況を見守っていたメアリー王女親衛隊の一員がそれである。
クロードはわずかに首を回し横目で親衛隊員を見た。
彼女の唇は引きつった上に細かく震えていた。
「どうした? なにがあった?」
声と表情の様子から彼女がなにが言いたいのか。
クロードはそのおおよその見当をつけたものの、努めて落ち着いた声で詳細を求めた。
それは状況誤認のリスクを避けるための方策であるのと同時に、落ち着いた声をかけることで、報告した彼女の冷静さを呼び戻す意図もあった。
「北北西の防衛線をご覧下さい! 接敵まで猶予がありません!」
クロードがその方角へと目を向けてみれば、なるほど。
その防衛線の兵らと敵との距離は、邪神の目の白黒の判別はおろか、連中の息づかいすら聞こえてきそうなほどに近かった。
その距離、大の大人二人分を横たえたほど、といったところか。
弾雨をくぐり抜けて迫る邪神はそのほとんどが獅子級。
瞬発力に長けた邪神であるが故に、ただいまの距離は安全であるとは言い難い。
下手をすれば一息に詰められる間合いだ。
たしかに慌てて然るべき状況。
だがクロードは顔色を毛ほども変えなかった。
「了解。確認した。では分隊員を送ろう。今、手が空いているのは誰であったかな?」
「現状では……ウィリアム・スウィンバーンがそうです!」
「では発煙信号で彼に伝えてくれ。北北西に急行せよ、とな。復唱の必要はなし。以上」
「はっ!」
なにも焦ることはない。淡々と処理すればいいのだ。
そう言わんばかりのクロードの態度は、しかしそれがかえって恐慌に陥りかけた親衛隊員にとってはよかったのだろう。
彼女はあっというまに落ち着きを取り戻していた。
焦る必要はないと暗に語っただけなのに、こうまで他人に落ち着きを与える威力を誇るとは流石は歴戦の兵が故の説得力、といったところだろう。
四方八方から響く銃声、あるいは魔法と魔道具が産み出す爆発音、邪神の咆哮。
ヘッセニア・アルッフテルお手製の信号弾を親衛隊員が打ち上げた音も加わって、櫓の上は会話するにも困難な騒音に包まれた。
「おーい! クロード?! 大丈夫ー?! 聞こえてるー?!」
そんな折、なんとも間が悪いことに櫓の下から話しかける者が居たらしい。
一向に反応しないクロードを訝しんで、より一層の大声を打ち上げたのはクロードの戦友の一人、ドワーフの女性セナイであった。
「悪い! 聞き逃してたみたいだ! なにか言ったか?!」
セナイの何度目かの大声でクロードはようやく彼女に気がついたようだ。
彼も下を覗き込みながら、耳障りな戦場音曲に負けない大声を張り上げた。
「ペーパーカートリッジ作りなんだけどー! ちょっと問題起きちゃってー!」
「問題?! なにが起きた!」
「材料不足! 火薬と雷管、あと紙は足りてるんだけど! 肝心の弾頭が底をついた!」
「んだとぅ?」
口角の片端を釣り上げながら、小さな声でクロードはうめいた。
本来、士官に求められるのはうめき声そのものを上げない配慮であったけれども、今回は状況が状況だ。
なにせ弾丸が足りなくなる可能性が、ここに来て浮上したのだから。
メアリー王女が撃針銃とともに持ち込んだ弾の数は、籠城するにはいささか心許なく、気兼ねなく撃ち続けてはすぐさま払底するほどにしかなかった。
しかし幸いなことに、爆発物研究家であるヘッセニアが居たために屋敷には爆薬が豊富にあった。
それ故、弾頭さえ用意できれば十分な弾丸供給が可能なはずだ。
クロードはそう踏んで、形成魔法が使えるセナイにペーパーカートリッジを作るように依頼したのだけれども。
どうやらこの屋敷にある弾頭に変えるべき金属が、クロードの見立て以上に少なかったようだ。
これはまずい。
これでは思い描いた戦術が根本から破綻してしまう。
なんとかして新たに金属を調達しなければ。
クロードはひたすらに可能性を模索した。
「魔法で地面から金属成分を抽出するってのはどうだ?!」
「馬鹿言わないで! ファリクじゃないんだから、無理! 私の腕じゃ満足な量を手に入れるのに、半日はかかる!」
「釘はどうだ?! ウィリアムが暇潰しに大工の真似事をやってるから、たんまりと抱え込んでいると思うが!」
「釘もハンマーもノコギリもナタもカマもスキも! みーんな潰しちゃったよ! 残るは厨房のナイフとか鍋! やっても雀の涙だけど、やらないよりはマシだと思う!」
釘はおろかその他の野良道具もセナイの自由裁量によって、すでに弾頭に変えてしまったらしい。
こうして改めてクロードに調理用具の徴発を願いでるところをみるに、きっと屋敷の金属器をあらかた潰してしまったあとなのだろう。
ならば、彼女の要望は聞き入れて然りなのだけれども。
クロードは大きくかぶりを振ってセナイの要望に否と答えた。
「いや! ダメだ! 今、ムウニスとアンジェリカが糧食を作っているはずだから無理だ!」
「じゃあどうするの?! これでカンバンでいいの?!」
「それも困る! 各防衛線とウチの隊員との連携がこの戦闘の肝なんだ! それには弾の安定供給が絶対条件なんだよ! 敵との距離がウチの連中を派遣する基準に狭まるまで、各防衛線は弾幕でもって対応しなきゃならねえからな!」
「でも、ない袖は振れないよ! ご飯なんて気にしてる場合じゃない! 士気に関わるのはわかるけど、弾がないよりはマシだ!」
あれも駄目。これも駄目。
自分の意見が無理難題を押しつける強突く張りのそれだとは、クロードも重々承知している。
そしてそれを受けてのセナイの大声が苛立ちげになるのも織り込みずみだ。
言い分はセナイの方に理がある。
内線作戦の真似事を企図している以上、防衛線の後退は許してはならない。
ましてや弾切れは絶対に起こしてはならない事態なのだ。
けれども、ゾクリュ守備隊が現場に到着するまで士気を保たなければならないのも事実。
そして厄介なことに、食事がもたらす士気高揚の威力はまったくもって馬鹿にならないときた。
あちらが立てばこちらが立たず。
さて、どうしようかね。クロードは鼻息を漏らした。
そしてどこかに解決策は落ちてはいないか、と藁にすがる気持ちで眼下の庭を見回してみると。
クロードはまさに天啓を得た。
にやりと不敵な笑みを浮かべた。
まったくもって偶然であるが、彼は解決の糸口を見いだすことに成功したからだ。
「……じゃあ、こうしよう! あのオランジェリーの骨組みを使おう! ずいぶんな量を確保できるはずだ!」
「いいの?! あれ潰しちゃって! ウィリアムがもうすぐ完成だって、超ウキウキしてたじゃない!」
「構わん! やれ! どうせ奴にゃあ時間がたっぷりあるんだ! ここであれが完成しちゃあ、今後の暇潰しがなくなってウィリアムが困っちまうじゃねえか!」
「わお! なんて戦友思い! 美しい友情に涙が出るわ!」
「鉄骨を取り出すためなら、いかなる手段も認める! さあ、やっちまいな!」
「了解! そら、ガラスをぶち破れー! レンガを崩せー! 打ち壊しだあー! ひゃっはー!」
敵に包囲されているという悪夢もいいところの状況。
そしてそれから生き延びるための方策が目の前で潰えかけたこと。
この二つで覚えてしまったストレスを破壊活動で発散すると決めたのか。
セナイは喜色満面となって、完成あと一歩までこぎ着けたオランジェリーへと駆けだしていった。
しばらくすれば彼女の笑い声とともに、ガラスの散華する音色が響くはずだ。
そのときはウィリアムがショックを受けた顔を作ることになろう。
「やれやれ、これでなんとかなるだろう」
親衛隊員に聞かれないようにクロードはこっそりと独りごちた。
取りあえずこれで、無様な結末を回避する体勢は整った、と見るべきだろう。
と、なればこの屋敷の面々に求められることはたった一つになる。
ゾクリュ守備隊が後詰めにくるまで現状を維持し続けること。これだけだ。
後詰めさえやってくれば一気に戦況が上向くはず。
殿下も親衛隊もソフィーたちも、そして戦友たちが誰一人死なずにすんでこの戦闘を切り抜けられるはずだ。
「だからマジで頼むぜ……フィンチ大佐よう。こっちが夢であろうと、あっちが夢であろうと、なんであろうと。もう二度とウチの隊員を死なせるわけにゃあいかねえんだよ」
だからこそクロードは祈るような声色を絞り出す。
そう、今の彼らは最善を尽くしたところで最高の結果が得られるとは保証されていないのだ。
もし、ゾクリュ守備隊がクロードらを見捨てる選択をしたのならば――
そうなったのならば、犠牲を覚悟であの邪神の群れに突撃しなければならない。
親衛隊やソフィーらはもちろん戦友や、場合によっては分隊員ですら明日の暁を拝めなくなってしまうかもしれない。
夢か現か、いまだに答えは得ていないけれど、クロードの脳裏には自分とウィリアムを残して分隊が全滅してしまう光景が強烈に焼き付いているのだ。
もうクロードはその光景を夢でも見たくないのだ。
なのに自分の力の及ばぬところで、その再見が決まってしまうだなんて――
「――そんなの。絶対に嫌だ」
強い意志の下の呟きは、どうやら反対側を見張る親衛隊員に聞かれてしまったらしい。
いかにも怪訝そうな視線で盗み見ようとする気配を、クロードは背中でしっかりと感じていた。




