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第七章 二話 そして屋敷は硝煙に包まれる

 朝焼けすら過去になった頃合い、あたりに立ちこめるにおいはさらに物騒さを増した。

 血のにおいはますます強くなるし、しかもそれとは別のにおいも合わさったのだ。

 つんとくる刺激臭がそれである。

 そしてなんとも悲しいことに、俺たち元兵士や現役の者どもにとってその刺激臭は、あまりに普遍的なものであった。


 刺激臭の正体は硝煙のにおいだ。つまりは火薬が焼けたにおい。

 まっとうな生活を送っていればまず嗅ぐことのないにおい。

 そんなにおいがする以上、ただいまは健全な朝であるとは口が裂けても言えない。


 さらにおまけと言わんばかりに、耳をつんざく音がした。

 爆発音。

 火薬が爆ぜた。

 いや、より正確に言えば発砲音。

 誰かが銃をぶっ放した音。

 戦場に相応しい音。


 物騒な要素は音だけではない。

 門扉や屋敷を取り囲む柵は急拵えの狭間と化し、ふぞろいな間隔で銃口が屋敷の外へと突き出て、時折破壊的な大音声を上げる。

 柵の内は突貫で仕上げた防御壁が屋敷をぐるりと包囲。

 おかげで俺が手塩かけて整えた庭は滅茶苦茶になってしまったけれど、その代償によって丘の下から攻め上る邪神どもの猛攻を、いなしやすくなったのだから文句は言えまい。


 そう。

 かくの通り、俺に宛がわれた屋敷は戦場と化していた。

 一年前へと回帰していた。


「おっほう。当たった当たった。やっぱライフルは当てやすくていいねえ。それが操作が楽な撃針銃となればなおさらだ」


 屋敷へとにじり寄る獅子級、それが頭骨を貫かればたりと倒れるや否や、呵々と笑う声がした。

 野太い男の声。

 見るからに真新しい撃針銃(げきしんじゅう)を構えるギルトベルトのもの。

 さきの台詞、そして誇らしげに口角を上げるこの表情から見ても明らかなように、今し方倒した獅子級は彼が討ったのだ。


「……ずいぶんと楽しそうだ」


「あん? 馬鹿野郎、ウィリアム。心の底から楽しんでいるわけじゃねえよ」


 俺が思わず口にしてしまった、まるでスポーツに興じるかのようなギルトベルトへの感想。

 それを耳聡く聞き取ったギルトベルトは、解放したチャンバーにカートリッジをはめ込みながら否と答えた。


「忘れちまったのか、ウィリアム? 深刻ぶった顔作ったって、状況は変わりはしねえってことを。どんな顔浮かべようとも同じなら、せめて笑い顔の方が少しは気が紛れて楽だってことを」


「忘れちゃいないさ。ただブランクの割には、あんまりにも自然にそんな顔するものだからさ。もしかして本心から戦いが楽しいと思う、とんでもないウォーモンガーなのかなって思って」


「冗談言うな。戦争が好きなわけねえだろ。俺はよ。ジジイになったら故郷に帰って、ベッドの上で死ぬつもりなんだからよ。こんな異国の地で死んでたまるかってんだ」


 次から次へと丘を登り屋敷へと攻め入らんとする邪神ども。

 わずかに郷愁のにおいが嗅ぎ取れる言を紡ぎながら、ギルトベルトは引き金を引いて、その内の一体を新たに葬った。

 

 されど彼はそれに満足せず。

 間髪入れずレバーを引いて装填操作。

 マスケットとは比べものにならぬほどに速い撃針銃の次弾装填を一息に終えて、また射撃。

 やはり命中。また一つ屋敷の外に死骸を一つ拵えた。


 彼はひゅうと上機嫌な口笛を吹いた。

 今度はきっと心の底からの満足による口笛だろう。


「しっかし。お前の国の王女様は本当に最高だな」


「その割には昨日はとても迷惑そうな顔して、酒に逃げてたけど」


「まあたしかに、昨日の時点では噂に違わぬ超イカれた……もとい、破天荒なお方だと思ってはいたが。だが、こんないい武器をたんまり持ってたんだ」


 ギルトベルトは武器の存在を強調するためにわざとやっているのか。

 今度の装填はやたらと操作の音色が強かった。

 耳についた。


「おかげで絶望せずに済むし、信仰するに値するぜ」


「……不敬を承知で言うのならば。こんな武器抱え込んで酒飲みに来た方が、よっぽどイカれてると思うけどね」


 俺はちょっぴり下唇を噛んで、心のもやもやを表現した。

 その原因は、昨日に引き続き破天荒王女の名を欲しいがままに暴れてしまった殿下にあった。


 そうなのだ。

 俺は流刑に処されてしまったが故に、この屋敷には大規模な攻勢に耐えうる武装が、そもそも存在しない。

 ただいまギルトベルトが持っている撃針銃はもちろんのこと、屋敷にはレミィのものを除けば拳銃すら一つもなかったのだ。

 にも関わらず、今の屋敷ではあちらこちらから銃声が聞こえる。

 そのすべてが撃針銃によるものだ。


 どうして本来は屋敷から聞こえてはならないはずの、撃針銃の銃声がそこかしこから聞こえてしまっているのか。

 その原因は今からほんの少し前におこなった、殿下への状況報告まで遡る必要があった――


◇◇◇


 東からやってきた邪神どもに囲まれているだけでも、悩ましい事態だというのに、だ。

 なんとも不幸なことに、余計に頭が痛くなる状況が降って涌いてしまった。


 ようやく顔を出した陽光が噴水に当たって生じる、きらきらとしたしぶきが心打つ光景を背景に、腕を組み胸を張っている王女殿下が頭痛の種であった。


「何度でも言うぞ。いくら翻意を促しても無駄だぞ。私はここから退かん。屋敷には引っ込まん。万事臣下に任せきりで城にこもる王族なぞ、名折れでしかない」


 苦悩の元凶たる殿下の声が早朝の清廉な空気を振るわした。

 非常に厄介なことに殿下の表情、そして声色から鑑みると、一切譲歩する気がないようだ。

 誰がついたのかが区別できない、力ない吐息が鼓膜を震わす。

 いやもしかしたのならばそれは、親衛隊の長、ソフィー、クロード、そして俺、つまりは殿下を除いた全員が無意識にしてしまったため息のかたまりかもしれなかった。


「殿下。ご再考を」


 完全にゴリ押す態度となってしまった殿下に対して、さっぱりとした声で意見をする人が居た。

 殿下に常に付き従い、その御身を守る使命を帯びた親衛隊の長である。

 麻色の髪を耳の上あたりまでに短く切った彼女の年の頃は、俺と殿下よりも上、多分クロードと同じくらいか。

 ソフィーに負けて劣らずの鋭い目を、遠慮の欠片もなく殿下に投げかけていた。

 気の小さい者ならばそれだけですくみ上がってしまいそうな視線だが、けれども流石は破天荒王女、肝っ玉の太さは王国屈指だ。

 殿下はそんな鋭利な視線に堪えた様子を少しもみせずに、真っ正面から受け止めていた。


「屋敷への退去は我らの心からの祈り。何故なら御身の安全こそが我らが至上の望みであるからです。我らの望みをご自身で無為にする真似は、どうかお控え下さい」


「マドリーンよ。控えんぞ。私は」


 しかし親衛隊長、マドリーン・チェンバレンの陳情は殿下に響かなかったようだ。

 ぴしゃり。殿下は有無を言わさぬ歯切れの良い言葉で否と返してしまった。

 チェンバレン女史に負けないくらいの迫力のある眼力でもって。


「この丘が邪神に包囲されている以上、屋敷に籠もろうと、外に居ようとそう危険は変わるまい? 変わると言えばお前たちが倒れてしまってから私が死ぬまでの時間が、ちょっぴり伸びるか縮むか程度の些細なものだ」


「しかし稼いだ時間が御身の安全に繋がるのも否定できません。例えばそのわずかな時間の内に、ゾクリュ守備隊を筆頭とする援軍が到着し、邪神どもを一掃する可能性もありまする」


「では、なおさら私はここに居るべきだな」


「殿下」


「逆に援軍が間に合ったのならば、だ」


 眉根を寄せて目を瞑って。

 そしてうんざりとした声色で続けようとした女史の諫言を、殿下は無理矢理言葉を被せて遮った。


「そうなったのならば、敵の足並みは崩れるだろう。そのときこそ突撃を敢行し群れを突破して、この場を抜け出す好機ではないか。戦場では拙速が尊ばれるのだろう? なら、私とお前たちの距離は近ければ近いほどいいはずだ」


「突撃による離脱? 礼を失しているのは重々承知ですが、殿下。三流の吟遊詩人が紡ぐ夢物語が如き真似が、実現できるとお思いとでも?」


「それはまあ、心配ないだろう。だろう? クロード、ウィリアム?!」


 厄介事がにわかに飛来した。

 巻き込まれたくないというのに、あろうことか殿下は俺たちに話を振ってきた。


 ほれ、この堅物を説き伏せてみよ。


 女史を顎でしゃくりながらの台詞は、まったくもって俺たちにはありがたくはないものであった。


 一拍遅れてチェンバレン女史の鋭い視線も俺らに突き刺さる。

 殿下をお守りするのが臣民の義務であるのに、まさか殿下の破天荒な主張に納得しないよな? といった、いささか脅しが含まれた視線だ。


 いかにも気が強そうな女性の視線が容赦なく浴びせかけられてしまった俺たちは、当然のごとく萎縮。

 肩は塩をかけられたナメクジのようにどんどん萎んでいくし、背中はみるみる丸まってロブスターのよう。加えてなんだか胃もキリキリと痛くなってきた。


 流石はストレスと付き合い慣れているというべきか。

 慣れない身体の反応に戸惑うばかりの俺を横目に、クロードは殿下に意見をする決意を固めたようであった。


「ご期待にそぐえず恐縮ですが。チェンバレン中尉の言うところはもっともであるとしか……」


「なに? クロードまでか。お前らがここに居るのだ。どうせ邪神どもを庭に踏み入らせずに殲滅するのだから、あの門の内側に居る限りではどこにいても安全ではないか」


「口を挟むようですが、殿下」


 ストレスの強い仕事をするのはクロードの役目とはいえ、しかし俺がゾクリュに来て以降彼にはたくさんの借りがあるのだ。

 少しでも彼にかかるストレスを和らげるためにも、今度はクロードに先んじて俺が殿下に上奏する。


「私も中尉と大尉と同意見です。我らがその武力を存分に発揮するには武器が要ります。刀剣ではなく銃器が要ります。それが手元にない以上、殿下がお望みになるような成果は――」


「あるぞ」


 殿下がさきのチェンバレン中尉のときと同じく、今度は俺の言葉を遮った。

 ただ一言。

 あるぞ、と。

 ニヤつきながら。


 ……なにがあるのか。

 いや……まさか。


「……は、はい?」


「武器はあるぞ」


「……なんですと?」


 嫌な予感がする。

 猛烈に嫌な予感だ。

 確信めいた嫌な予感だ。

 それは結局殿下の意のままの未来が訪れるだろうという、いくらなんでもあんまりなやつだ。


 その思いはクロードと共通したものだろう。

 だって、現にほら。

 ちらと横を眺めてみれば、クロードの造りがいい顔から一粒、冷や汗が滲んでいるのだから。


 頼むから俺らの予感はまったくの見当違いであってくれ。

 心の底からそう願うも、しかしまこと残念なことに予感は的中してしまったようである。


 殿下がおもむろに二度手を叩く。

 すると何処より親衛隊がぞろりぞろり、俺たちが集う噴水前に集結。

 彼女たちの手には例外なく木箱があった。大きさは俺の両腕を広げたくらいか。

 それらは大きさこそ違えど見覚えのある木箱であった。


 あれはそう、レミィがここに居着く前の話だ。

 今回みたいに予告もなくふらっと屋敷に訪れた殿下が、土産と称して持ってきた新型の後装式のリボルバーが収められた箱。あれによく似ていた。


 と、なるとその中身は――


 今度は殿下が一度だけ手を打ち鳴らす。

 多分親衛隊の皆様としてはこれを俺の前で見せるのは、本意ではないだろう。

 いかにも不承不承、半ばふてくされたような表情のまま一斉に十数、数十はある箱を開けてみせると、やはりあった。


 黒鉄と磨き上げられた木が組み合わさった、言うなれば矩形に近いその凶器は。

 王国陸軍の最新装備である後装の銃、俗に撃針銃と呼ばれる代物であった。


「本当のところを言うとな。此度のゾクリュ訪問、その真の目的とはこれだったのだ。こいつらをお前にプレゼントしようと思ったのだ」


 ああ、やっぱり。

 俺はくらりと目眩を覚えた。

 このお方はまたしてもこの屋敷に、物騒な代物を持ち込んできやがった。

 またしてもロクでもない贈り物を押しつけようと企んでいた。


「しかし、いやはや。まさかいきなり活躍の場が与えられるとはなあ」


 なんとも間がいいことか。これも日頃の行いによるものか、と殿下は呵々大笑。

 それはそれは気持ちのいい大笑い。

 自らの贈り物が役に立てそうでご満悦のご様子だ。


 だがそれとは対照的に親衛隊の長であるチェンバレン中尉の顔は渋い。

 俺の隣のクロードに到っては青ざめてすらいた。

 多分俺もクロードと似たり寄ったりの顔付きだろう。


「……殿下」


「なんだ? ウィリアム?」


「その。これが例えば宰相閣下や陛下にバレたのならば。殿下。言いにくいのですが……こ、国賊扱いされてしまうのでは?」


「ま、そのときはそのときだ。そうなったらウィリアム。お前は私のために戦ってくれるよな?」


 さらりと飛び出る問題発言。

 この場に居る殿下以外の面持ちが、ほとんど同時に曇ってしまった。

 返す言葉が出てこなかった。


 本当につくづく思うが。

 このお方は生まれる時代に恵まれていたとしか言いようがない。


 もし人類同士が争う乱世に生まれていたのならば、謀反の気ありと見なされてさっさと暗殺されてしまっただろう。


 そんな確信を抱かざるを得なかった発言に、頭を痛めての沈黙。

 だがこれを自分の意思を押し通す好機とみたか。


「と、いうわけだ。私の素敵な分隊は問題なく機能できる。とならば、私はお前らから距離を取らんでも問題はないよな? それに」


 殿下の目が光るや否や、一気にまくし立てた。

 当然、大人しく要求を聞く気はない。

 まず最初にチェンバレン中尉が、翻意を促そうと口を開きかけるも、それは殿下の仕草によって遮られる。


 ほらあそこあそこ、と、どこかノーブルな所作で殿下は一点を指差す。

 指先は門へと向いていた。焦点を合わせてみると、外をうかがっていたゾクリュ守備隊員の様子がどうにも妙だった。

 肩を強ばらせ、足もガチガチに突っ張って、いかにも緊張しきった様子である。


 彼らは丘の下に来てしまった邪神どもを見張っていた。

 あんな緊張を彼らがみせる可能性とは、そう多くはあるまい。

 言うまでもなく彼らは状況悪化の兆しを認めたのである。


 そしてその証拠と言わんばかりに――


 名伏し難き咆哮、にわかに門外から響く。

 地響き、徐々に徐々にと昇り来るのを認める。

 言うまでもない。

 来たのだ。

 我らの天敵どもが。


「もうウダウダ考えている暇はないぞ。存分に戦うがいい」


 してやったり。

 そんな内なる声が聞こえそうな笑みを作った殿下は、いつの間にやら木箱から取り出した撃針銃を俺に押しつけてきた。


 できることならば、こんなもの受け取れるか、と突き返したいところだけれども、状況が状況だ。

 こんな危うい真似をしてまでここに運んできた銃を使うのは、甚だ不本意ではあるけれど。

 危機を切り抜けるためには。

 その銃を受け取り、しっかりと握りしめる以外の選択は許されていなかった。

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