第六章 十五話 迫る海嘯
視線、そして語調。いずれも他人を責めるにおいを含んでいたというのに、その矛先たる老宰相はまったくもって意に介さず。無表情でナイジェルを眺めたまま。
故に表情のみではナイジェルが披瀝する推論、これが的を射ているか否かが判断しにくかった。
だがコンスタットはソファから立ち上がる気配もない。ナイジェルの話を聞くポーズを保ち続けてもいる。
となれば、まるっきり的外れなことを言っていないのであろう。
ナイジェルは確かな手応えを感じていた。
「大佐。たしかにスウィンバーンの処遇は不可解がついてまわるものだ。鉄道で王都と一直線につながっているゾクリュに軟禁、というのはあまりに理に適っていないからな。だがしかし、貴官の意見はいささか突飛ではないのかね?」
「ええ。かなりのトンデモ論だというのは理解しています。ですが……ただいまあのゾクリュの屋敷に住まう人々。彼らが自身の意思によるものではなく、他者の意思によって誘導されたものであったのは間違いないと断言できます」
「その根拠は?」
自らのオフィスであるからだろう。
ナイジェルの隣に座すハワードはコンスタットに断りを一つも入れず、ごくごく自然な動きで懐から取り出したホーンパイプに火を落として続きを促した。
「まず最初に転がり込んだアンジェリカ・ジェファーソンです。彼女は人身御供によって邪神に執着され、邪神を誘引する存在になっておりました。事実として邪神はゾクリュに出現しました。元帥もご存じでしょう?」
「うむ。だが、あれはシキユウの守備隊が事実を隠蔽したために起きた事件だろう。たまたま王女殿下の目に、かの少女が留まらなければ他の街……で?」
なにかにはたと気がついたのか。
ハワードは咥えたパイプに伸ばす手を止めて、そのまま思案顔になった。
「大佐。殿下はあの少女の存在をいかにして知った? なにをきっかけに知り得た?」
「表向きにはシキユウ行幸の際に目にたまたま留まった、ということになっています。しかしそれは王室のイメージアップがためのカバーストーリーであり――」
「殿下が少女の存在を知ったのは行幸の前であった、というわけだな? むしろ存在を知らされたから向かった、と見るべきかな? 王室特務からもたらされた情報によって」
「はい。その通りです」
ハワードは大きく鼻息を吐いた。
腕も組む。
けれども眉間に皺はない。
その顔には怒りは見られない。
むしろある種の関心すら抱いているようであった。
国王の右腕として知られているとはいえ、本来王家の忠実な臣下である宰相が王族たるメアリーすら利用したことに。
「次にヘッセニア・アルッフテルです。彼女の母が産みだした生体兵器を始末するために、アルッフテルは各地を放浪していたのですが……いえ。これに関しては口よりも、書面で確認した方がいいでしょう」
ナイジェルはレッドコートの内側から四つ折りにされた紙束を取り出し、ハワードの目の前に静かに置いた。
きっとかの部屋からこっそり持ちだしたものだろう。
まだ若い大佐の顔付き、音吐はとてもシリアスなもの。
にも関わらず元帥に差し出されたそれらは、ナイジェルのずぼらな性分が遺憾なく発揮されていた。
雑に胸に突っ込んだからであろう。折られた書類の四隅は潰れてしまって皺ができていた。
「……戦闘詳報か。ふむ」
ハワードは口を山形に曲げた。
当然書類をこっそりと持ち出したことに、ではない。機密書類を雑に運んできたことへの呆れである。
きっと文句の一つや二つの代わりであろう咳払いを一つしたのちに、ハワードはナイジェルが持ち込んだ戦闘詳報に目を落とした。
目が左から右へ、そして次から次へと紙をめくっていって、一通り目を通し終えたのか。
老将は紫煙を大きく吐き出した。
「なるほど。それが出現した各守備隊は、一様にゾクリュ方面へと奴を追い立てることに成功しているな。しかもどこもかしこも初遭遇から立案、実行までの速度が異様に速い。兵器の痕跡を見つけてから、半日もしない内に戦闘を開始している。これはつまり」
「ええ。小官らゾクリュ守備隊を除けば。他の守備隊は、はじめから知っていた、と見るのが適当でしょう」
件の生体兵器を認めてから対策を考えた、と見るより、生体兵器が現れると知っていたからこうまで迅速に対応できた、と見るべきだろう。
作戦立案から実行まであまりに時間が短すぎるし、極めつけには戦闘時間もほとんど一瞬で終えている。
これが一カ所の守備隊だけの話であれば、そこの隊長がよほどの出来者であったと説明もつく。
だが活動を完全停止せしめたゾクリュ以外ではすべて似たような結果を示しているのである。
しかもすべてが同じ対応策を取り、一様に撃破ではなく撃退を企図し、あまつさえ件の化け物を誘導した方角の先にはすべてゾクリュがあったのである。
ナイジェルには何者かの入れ知恵があったとしか思えなかった。
それもあの兵器をゾクリュに向かわせたいと願う者の助言だ。
「アルフッテルは地道な聞き込みとフィールドワークによって、あの兵器がゾクリュに向かっている、と突き止めたと言っています。しかし、詳報にある通り。戦闘は秘密裏に行われ、それでも目撃してしまった市民には今も箝口令が布かれています。それも国憲局の監視付きのやつです。本当なら聞き込みで情報を得られるはずがないのです。となると」
「王室特務の意図があった、というわけか。介入があったからこそなわけか。ゾクリュであの兵器とアルッフテルが出会ってしまったのは。ゾクリュで決着が着くことになったのは」
ナイジェルはハワードのうめきにも似たその言葉に肯んじた。
アンジェリカがあの屋敷に住ませようとするメアリーの思いつきに、そしてヘッセニアのようやくたどり着けた因縁の相手との邂逅。
この二つに王室特務が一枚噛んでいたのが詳らかになった今としては、ナイジェルのさきに言ったトンデモ論とやらの必然性が徐々に徐々にと高まっていく。
少なくとも他のきっかけも同じであったのでは、と疑わざるを得なくなるくらいには。
「なるほど。と、すると。”赤”の”読み手”のレミィ、ファリク・スナイも同様に王室特務の巧妙な工作によってゾクリュに流れ着いた、と見るべきなのかな? 大佐」
「はい。残念ながら。それぞれそのときに属していた団体にゾクリュを手中にした場合の利点。これを散々たき付けた形跡が見られますから。そういった意味では歌劇座事件も近しい性格を持っている、といえるでしょう」
「なるほどな。ウォールデンらの団体、そして新主教。彼奴らは邪神を利用して社会を混乱せしめようとした。スウィンバーンを網に見立てるのならば、是非ともそこに追い込みたい手合いではある。だがしかし」
ゾクリュに独立精鋭遊撃分隊の面々が集結してしまった件にうかがえる陰謀の影。
ハワードはこれに関しては、たしかに疑う余地が少なくなってしまったのを認めたらしい。
けれども、しかしと紡いだあたり、ゾクリュで発生した事件すべてが王室特務の仕業とは考えてはいなかったようだ。
「一連の事件を通してみたとき、歌劇座のものは少しばかり趣を異としとらんか? ゾクリュに集結させたい分隊員が在籍していたわけでもないし、人攫いはしていたものの邪神を直接街に放とうとしたわけではない」
「ええ。たしかに。さきの結論からつなげようとすると、やや無理が生じます。ですが、これらの事件に通底しているものがあります。いずれもウィリアム・スウィンバーンの武力によって解決しているのがそれです。もっと踏み込んでいえば」
ナイジェルは一呼吸置いた。
「子供の安全、戦友の安否、街の危機、先方がアジトを分散したせいで生じた拘束砲撃の可能性、扇動者による市民と守備隊の衝突……いずれも彼が動かざるをえない要素を含んだ事件です。そういった案件ばかりがゾクリュにどういうわけか集結してしまっています」
「なるほどな、納得した。面白い。戦闘シチュエーションを分けるのであれば。浸透への対応、野戦決戦、暴徒鎮圧、防衛戦、敵陣中への侵入……各々性格が異なるものばかり。このバラエティ豊かな状況。これはまるで」
さきのナイジェルの一呼吸に倣ったか。
今度はハワードが一拍の間を作った。
もっとも、ハワードの場合はパイプを燻らせる間でもあったのだが。
「まるで訓練ではないか。様々な状況に対応せんとする軍隊の」
「ええ、まったくもって」
「……まったく反吐がでるな。こんな策を実行する輩も。王国の平和のためにはやむを得ない犠牲だと納得しかける儂にも。そしてこんな時代にも。嫌になる」
ハワードのパイプに口をつける感覚が短くなる。
しばらくの間寄らずに済んでいた眉間にも、再び深い皺が刻まれる。
言うまでもなく苛立ちを示すジェスチャーであった。
無理もないとナイジェルは思った。
なにせこの訓練とやらは――
「宰相……貴方はゾクリュを餌場として設定しただけではない。彼を堡塁としてゾクリュに設置しただけではない。貴方は訓練を施したんだ。ウィリアム・スウィンバーンがすわそのとき、きちんと戦力として活躍できるように。訪れた平和で彼の腕がさび付かないように。我らが天敵を根絶するために。彼の平穏とゾクリュ市民の平和を奪ったんだ。そして!」
その対象であるウィリアムらのみならずゾクリュ市民にも大きな危機に晒していたのだから。
万一どこかの段階でウィリアムが敗北してしまえば、一年ぶりの都市壊滅の報が王国中に駆け回ることになっただろうから。
だからこそナイジェルは珍しく声を荒げて、人をじろりと睨んだのである。
きっと、そんな指示を王室特務に下したであろう目の前の老宰相を。
罵声に近い問い詰め。
鋭い視線。
それら二つを遠慮なく浴びせかけられようとも、コンスタットは相も変わらず無表情のまま。
そんな姿にますますナイジェルは業腹となり、ぎりりと歯を食いしばる。
丁寧さとは程遠い手つきで懐から新たな書類を取り出すや、総白髪の老人の前へと叩き付けた。
やはりがさつに折られ対角がきちんと合わさっていない紙束は、さきほどハワードに渡した戦闘詳報ではない。
「エリー・ウィリアムス! 流浪しその先々で邪神に出くわす少女を貴方らは見つけた! 目を付けた! そんな少女をゾクリュに置いた!」
王室特務が丹念に調べていた、身元不明な自称旅人の少女エリー・ウィリアムズの調査書であった。
行く先々、しかもかつての陥落地でならばともかく、一度も落とされていない土地でも邪神と遭遇してきた少女。
理由や原理はとんと理解できないが、しかし邪神を誘引する能力を持った存在と王室特務から認定された少女。
ウィリアムが残った邪神を根絶やしにするための網であるならば、エリーはそこに追い込むための船であり。
それを期待された少女がゾクリュに置かれたのであるならば。
「ならば! 近い内にそれはやってくる! 貴方たちが望んだ通りに! 王国に残る邪神がゾクリュへと殺到する! 次から次へと! 海嘯さながらに!」
計画は最終段階に入ったということ。
あとはゾクリュに次から次へと邪神が襲いかかってくるのを待つだけということ。
ナイジェルの部下たちである守備隊員が、いや、その彼らが守るべきゾクリュの市民たちに一年前さながらの危機が迫っているということ。
よろず気のないナイジェルなれど、彼が軍人の道を選んだのは同僚たちとまったく同じ熱い思いがあったが故。
それすなわち、王国臣民の安寧を守るため、というもの。
だからこそナイジェルは眼前の王国政治の場に巣食う、この魍魎が許せなかったのだ。こうまでして噛みつくのだ。
さて、自分の半分も生きていない若造に吠えられた年老いた宰相であるが、ここにきてようやくぴくりともしなかった面持ちに動きが見られた。
その動きはとても小さなものであった。
唇の両端がほんのちょっぴり釣り上がって、猛禽のくちばしを連想させるかぎ鼻から律動的に息が漏れて、肩もわずかに揺れた。
微笑だ。
あのコンスタットが微笑して。
それを湛えたまま宰相は口を開いた。
「素晴らしい。ああ、本当に。素晴らしいよ、大佐」
部屋に響くは起伏に乏しく平坦で、それ故感情の揺れを感じさせない声、ではなかった。
高低差、それがわずかに感じさせるただいまの声色は、どこか満足げ。
否定する色は今のコンスタットにはどこにも見られない。
それはつまり若い大佐の推測が正解か、あるいは大筋では適当であると認めたに等しい。
だからナイジェルは余計にむかっ腹が立った。
自分より地位も年嵩もずっと上な人間しか居ないこの場であるけれど。
ナイジェルは力一杯テーブルを打っ叩いて憤りを表現した。
その勢いで机上の書類が小さく跳ねた。
「貴方は! 貴方たちは! 臣民の命をなんだ――!」
「だが、惜しい。少しだけ詰めが甘い。大佐。逆だよ逆」
臣民の命をなんだと思っているんだ!
ナイジェルが叫ぼうとしたそれは、珍しく喰い気味に被せにきたコンスタットの言で打ち消された。
(逆? 逆だって?)
なにが逆で、どの部分の詰めが甘かったのか。
それを推測する材料を見つけるにはあまりにもコンスタットの言葉は短すぎた。
ナイジェルはちらと隣のハワードを見る。
髭をたっぷり蓄えた陸軍元帥は片目を細めて、いかにも怪訝な顔付きを作っていた。
ナイジェル同様ただいまの宰相の台詞で、彼がなにを言わんとしているのか、それを掴めなかったようだ。
なにが逆か、どこの詰めが甘いのか?
それを問いかける二人分の視線が、鶏がらよろしくに痩せっぽっちな老人を貫く。
不言の要求ははたしてコンスタットに届いたのか。
いまだ唇を歪めて微笑みを湛えている彼は、すうと深く息を吸ったのちにこう言った。
「見事だ、大佐。合格点を授けよう。然らば私は君の努力を認め、一切を詳らかにしようではないか。君の推測と真実の相違、それを明らかにしていこうではないか」
かくしてナイジェルが提出した課題の評価が始まった。




