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第六章 十四話 口頭試問が始まるよ

 雲上人らの忙しいお仕事とやらが、どうやら片付いたらしい。

 腐敗とカビを同居人にして数日経ったその日、存外朽ちかけた部屋を気に入っていたナイジェルは、名残惜しい気持ちを胸一杯にしてそこを後にした。


 扉の向こう側から一歩を踏み出しても、たわみも軋みもしないタイル張りの廊下が出迎える。

 薄い板を一枚隔てただけでこうまで情景も、そして建築そのものへの頑健さがこうまで変わるとは。

 戦争初期に一筋縄にいかない戦況を見て、建築物としての陸軍省そのものに近代化改修を施し、砲弾の直撃すら耐えうる頑丈さを得たのは伊達ではないのだろう。


(もっとも。突貫工事だったせいか、ところどころに手抜きがあるようだけどね)


 その最たるはさきほどまでナイジェルが閉じ込められた部屋だ。

 ちょっとやそっとの攻撃ではびくともしない王国陸軍省を攻め落とすのであれば、きっとあの他にも多々あろう改修から漏れてしまった部屋を狙うが上策か。


 お偉方の下へと案内する若い少尉の背を眺めながら、ナイジェルは決して口には出せない物騒な物思いに耽った。


 常は度がすぎるほどに温厚なれど、あの部屋で嫌になるまで見た文書を思い出せば、いくらナイジェルでも少しばかり攻撃的な気分にならざるをえなかった。

 あれらから読み解く限り、国の上層部、いやところどころ王室特務のにおいが嗅ぎ取れるのを鑑みるに、この国の二つ頭はゾクリュを――


「大佐。こちらです」


 物思いに意識を集中させすぎたか。

 ナイジェルは促されるまで前を行く少尉が足を止めたのに気がつかなかった。

 くるりと振り返り、士官学校で散々叩き込まれたであろう、まったく完璧な気をつけの姿勢をナイジェルに見せつけていた。


 そんな若い少尉の背には真っ黒の扉があった。 

 他の陸軍省と同じく飾り気が一切なく、けれどもしっかりと手入れが行き届いているために、ピカピカとつややかに輝いている扉だ。

 これまでの人生で陸軍省に赴いたことがなく、連れて行かれる先がわからなかったナイジェルであったけれども、扉の打ち付けられたボードを眺めてようやく案内先がどこであるのかを知った。


「……やれやれ」


 扉をくぐってしまえばこの先、きっと言えないであろう台詞をため息と一緒に吐き出した。

 件のボードには部屋名は記されてはいない。

 かわりに階級と人名が刻まれていた。

 とてもシンプルに。

 元帥、ハワード・ヴィリアーズと。

 つまりは王国陸軍の大ボスの執務室であった。


「入れ」


 ノック。

 名乗り。

 そして入室を認める声。

 スムースに音のやり取りをしたのちに、ナイジェルは汚れ一つもない真鍮のノブに手をかけた。


「ナイジェル・フィリップスです」


 案内をしてくれた少尉を見習い常のだらだらとしたそれではなく、しゃっきりと、そしてかっちりとした堅苦しい敬礼をナイジェルは入室と同時に演じてみせた。


 流石王国陸軍のトップの執務室と呼ぶべきか。

 その大きさたるや、まだゾクリュに居た頃に時折赴いていたあの屋敷のラウンジに匹敵するほどであった。


 大きさだけではない。

 カーペットを始めとする部屋を彩る品々も、一目しただけで質のいいものだとわかった。

 どういうわけか豪奢な飾りで部屋からは浮いているパーテーションを除けば、調度品たちはいずれも地味なれど細やかな造りで精緻を極め、まさに質実剛健を地で行っていた。


 ナイジェルから見て部屋の奥、窓の近くにあるやはり目立たないがいい造りをしている執務机に座す、いかにも軍人然とした四角い顔の元帥を眺めて彼は不遜にもこう思った。

 厳つい顔に似合わずとても品のいい趣味だな、と。


 もちろん口に出せば拳骨制裁どころではない感想を、ナイジェルはきっちり胸の奥にしまいながら、ハワードが目で促した通りに執務机に歩んでいった。


「ナイジェル・フィリップス。ただいま参りました」


 岩から削り出したかのような重厚さを誇る陸軍元帥に向かって、ナイジェルは敬礼した。


「ご苦労。長い間くたびれた部屋に押し込んでしまって、すまなかったな」


「いえ。お気になさらず。存外小官はあの部屋を気に入っておりましたので。書類仕事さえなければ、なお良かったのですが」


「ほう、軽口を叩ける余裕があるか」


「国憲局出身でして。良くも悪くもひどい環境には強いのですよ。ご期待に添えなくて申し訳ありませんが」


「いやいや。儂としては貴君の精神が頑健で助かった。貴君のような優秀な男を潰してしまうのは我が軍、いや、我が国にとって大きな損失だからな。よくぞあのような馬鹿げた真似に耐えてくれた」


「はあ」


 違和感。ナイジェルはそれを抱いた。

 馬鹿げた真似だって? 幽閉したことを?

 ナイジェルはしっかりとした執務机を挟んだ先の、刃のような鋭さがある目を持ったハワードをじっと見る。

 真っ直ぐ見返してくるその姿には嘘の気配、これはまったくなかった。

 心底かの次第に呆れている様子でもあった。


(ははん、なるほど。元帥のこの態度を見るに。きっと僕の拘束は陸軍省にまったく話を通してなかったんだな。そして王室特務が出しゃばったのを加味すれば)


「察しの通りだ。貴官にこの仕打ちを加えたのは、儂の頭上から下されたものだ。まあ、ここへの呼び出しもそうであるのだが」


「……なるほど。ようやく合点がいきました」


 顔色をうかがっていたのはナイジェルだけではなく、ハワードもそうであったようだ。

 ハワードはナイジェルの物思いの結論、これを顔色から速やかに読み取って口に出してみせた。

 元帥より上の立場にある者の指示、すなわちこれは宰相、国王ラインの案件であると。


 やはりか。

 陸軍元帥がしてくれた答え合わせのおかげで、ナイジェルはこの部屋に一歩足を踏み入れた直後に抱いた、もう一つの違和感の見当もつけることができた。

 もう一つの違和感は、この部屋の雰囲気からやたらと浮いているあのパーテーションだ。

 どこからあれが持ち込まれたのか、そしてその内側になにが、いや()()かが隠されているのか。

 ナイジェルはその見当すらもついてしまった。


 だからこそ苦笑いを浮かべた。

 何者かがいるのにも関わらず、馬鹿げた真似、と非難めいた台詞を選んだハワードの豪胆さに。


「元帥閣下はずいぶんと肝がお太い」


「なに。この程度で竦んでおるようならば、政界と軍の調整役など勤めることなどできん。()()()()()()()()()()()だろうよ」


()()()()()()とは。この程度の陰口に青筋を立てる小物であったのならば。数十年も王の隣に居座って辣腕を振るうことはできない、ですか」


「然りだ、はっは。いいぞ、貴官も言うではないか。その物怖じしない態度、ますます気に入った。その肝っ玉があるのならば……一切忖度せずに、自らの胸の内を真っ正面から意見できるだろう」


 ひとしきり快哉、快哉、と豪快に笑声を執務室に響かせたのちに、ハワードはやおら立ち上がった。

 そして素っ気ない足取りで件のパーテーションに歩んでいって、同じく素っ気ない手つきでパーテーションを除けて。


「宰相殿。コンスタット・ケンジット殿。フィリップス大佐が到着いたしました」


 同じく素っ気ない身振りでパーテーションの向こう側に隠されたソファ、そこに深く腰掛け、タイプされた報告書を読み込む老人に敬礼を捧げてみせた。


 真っ白な髪に、感情の一切が読み取れない仮面のような顔付き。

 王国の(まつりごと)をその一手に収める宰相にして、きっとナイジェルが王都までひっぱられてしまったそもそもの原因であろう、コンスタット・ケンジットがそこに居た。


 やや遅れてナイジェルもハワードに追従。敬礼。丁度その瞬間、礼を捧げられている宰相は書類を手にしたまま二人を一瞥した。


「ご苦労。では大佐、そこにかけたまえ」


「はっ。失礼いたします」


 促された通りにしようと思ったナイジェルなれど、腰を据えるその直前に、やや目を剥く出来事が彼の隣にて発生した。

 席を勧められていないハワードがどかりとソファに座り込んだのである。

 陸軍元帥は着席するや否や眉根を寄せて腕を組んだ。

 さきほどの隠れていない陰口といい、立派な髭を蓄えた初老の高官は、この小柄な老宰相を心から嫌っているようであった。


「失礼ですが宰相。お聞かせ願いましょうか」


 ハワードから遅れてナイジェルが着席するや、それを合図として腕を組んだままのハワードが敵意隠さぬ声色でもって話の口火を切った。


「なにゆえフィリップス大佐を。なにゆえ陸軍の将を小官に断りもなく軟禁をしたのか。あの部屋に軟禁したのか。その意図をお聞かせいただきたい」


「なに。大佐は知りたがっていたようだからな」


「なにをですかな?」


「ウィリアム・スウィンバーンの追放劇に隠された真実だ」


「……聞き間違いですかな。その口ぶりだと。あの刑執行にはなにかしらの目論見……いいや。はっきり言いましょうか。なにかの陰謀があった、としか思えぬのですが」


「その通りだ。元帥」


「つまり。探ってはならぬラインを大佐は踏んでしまった。だから始末しようとした。故に王都に閉じ込めようとした、と? 機密保護のために」


「いいや。違うな」


「と言いますと?」


「誤った情報を手に入れて、暴挙を起こされては困る。だから、それに至るやもしれぬ正確な情報の海に、叩き込んだまでだ」


「真実を彼に教えようとした、というわけですか?」


「ああ、そうだ。納得いかない、といった表情だな。まあ元帥の納得は必要ないのだが」


 コンスタットにとってはただの余談であったのか。

 元帥とのやりとりをしている最中、コンスタットは書類を手から離そうとしなかった。

 つまりハワードの話が片手間であたって適当である、と明言しているようなもの。

 もちろん話を半ば一方的に切り出したハワードが、そのことに気がついていないはずがない。

 話をやりとりしていく最中、その語句一つ一つに、いや、モーラ一つ一つにこもる嫌悪が、みるみる強くなっていったのだから。


「では大佐。優秀な君のことだ。あの部屋に用意してやった書類に目は通しているのだろう? 答えは得ているのだろう? ならばはやく述べたまえ。君の結論を。私に聞かせたまえ」


 さきほどまでのやり取りが片手間事、余談であるのならば、これからが宰相にとっての本題、ということか。

 コンスタットはようやく書類をテーブルに置いて、真っ直ぐにナイジェルを見た。


「なるほど。口頭試問がために、ここに呼び出したのですか。早速質問で申し訳ないのですが、きちんと添削はしていただけるのでしょうかね?」


「それは君の仮説の出来次第だな。話にならんのであるならば当然落第だ。私は王宮へ帰らせてもらう」


「それはなんとも手厳しい」


 肩をすくめ茶目っぽく笑ってみるも、場の空気は一向に和らぐことはなかった。

 ガラス玉のように無機質で温かみのない宰相の目は遠慮なしにナイジェルを射貫く。

 視線に感情はこもってはいないものの、彼が言わんとしていることは、きちんとナイジェルには伝わっていた。

 早く本題に移れ、と。


 やれやれ、冗談の通じない御仁だ。

 ナイジェルはちょっとばかし嫌味の意図を込めたため息を一つ吐き出した。


「では、急かされているようなので、まずは結論から」


 少し胸糞が悪くなる話かもしれませんがね、と隣でコンスタットへの怒気をみなぎらせる元帥へ向けた前置きを挟んだのち、もう一度口を開く。


「宰相。そして貴方と()()()()()()()()()()()()は。ウィリアム・スウィンバーンにもう一度銃を取らせようとしている。だからあの珍妙な刑に処したんだ」


「もう一度、銃を?」


 ハワードは訝しげな声でそう言った。


「いまだに活動を続ける邪神を一掃するために、です」


「だがしかし。そうしたいのであれば、独立精鋭遊撃分隊の解散を認めねばいい話。気の毒ではあるが、戦後でも引き続き遊撃任務にあてればいい話。彼をゾクリュに閉じ込める合理性は一切ないぞ」


「ええ。その通りです、元帥。しかしそれでは……効率がいささか悪くはないでしょうか?」


「効率?」


「網なんですよ。ウィリアム・スウィンバーンは」


「それが効率や銃を取らせることとどう繋がる?」


「竿を持って魚が釣れそうなところをウロウロするよりも。網を張った場所に魚を追い込んだ方が効率よく魚が捕れますよね? あるいは……エサを蒔いた場所に網を投げ入れれば。竿より簡単に大漁を狙えますよね?」


「……まさか」


「その通りです」


 流石の元帥と言えど肝を潰したようだ。

 目を大きく見開き呆然としていた。

 普通の精神をしているのであれば、この反応はもっともだ、とナイジェルは内心で頷いた。


「どこかに餌場を設定して。その上でなんらかの手段でもって邪神の大群を誘引して、()()()()()()()を見せつけて、()()()()()()()()。そして食事中のその隙で、ウィリアム・スウィンバーン……いや、独立精鋭遊撃分隊でもって一網打尽にするために。いつでもその時がやってきてもいいように、彼を無理やりにでもゾクリュに固定させたかったのです」


「そして。貴官の言う餌場とは。いや、エサとは」


「ええ。そうです」


 さきほどナイジェルは、胸糞が悪くなる、と前置きをした。

 それは実際にナイジェル自身も憤りを覚えたからこその前置きであった。


「ゾクリュです。ゾクリュの市民です」


 自らの得た結論に。

 ゾクリュという都市をそこに住まう生命を、消費されるべきものと扱ったことに。

 それが故に温厚なナイジェルにしては珍しく、トゲのある視線でじろりと睨んだ。


 相も変わらず仮面じみた面持ちを崩そうともしない冷血宰相を。

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