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第六章 八話 貴種流離譚

 まったくもってアリスには大感謝である。

 彼女の提案がなければ、俺はソフィーと殿下の厚意を、無駄にしてしまうところであったのだから。


 クロードと頭を悩ませ、アリスの声によって救われたあの日と同じく、今日もまた雲のない気持ちのいい空模様であった。

 日差しを遮るものはなにもない。

 にも関わらず、外に居ることがとても耐えられないほどに暑い、とはまったく思わない。

 陽光の色も白色光と呼ぶにはいささか暖色が強くて、とげとげしさが一切なくて、どこか優しげですらある。

 身体を動かせば汗は出るけれど、散歩するには汗ばまなくて済むだろう。

 もう秋はすぐそこだ。

 そう思わせるお日柄だ。


 雲がなくて、外でのんびりするのに丁度いい、となれば野点をするのにこれ以上にない日でもある、ということで。

 かくして、件のパーティは今日この日、屋敷の庭にて開かれたのであった。


 噴水近くの、素人ながら上手に整えられたとの自負のある、低くそして長さのある生け垣。

 それをバックには、真っ白で清潔なクロスが被された、これまた俺謹製の、ベット四つ分はあろうかという長いテーブルがある。

 そしてクロスの上には、ここ数日、アリスとアンジェリカが厨房に籠もりきりになって拵えてくれた、料理たちが誇らしげに居座っていた。

 サーモンやキュウリ、チキンとハムと野菜のサンドとか、マデラケーキといった定番どころもあれば、クリームをふんだんに使った、見た目からして豪華なケーキもあって、まさに至れり尽くせりといった様子だ。

 ティーアンもきちんとテーブルの上にあるし、人をもてなすのに、完璧な布陣が整った、と言っても過言ではない。


 事実テーブルを囲む、今日のゲストたる子供たちの表情はとても明るい。

 それは言うまでもなく、アリスとアンジェリカが丹精込めて用意してくれた料理たちのおかげであった。


 さて俺はと言うと、料理に舌鼓を打つ子供たちを、先日クロードに相談を持ち掛けた、あの東屋にて眺めていた。

 額には少しばかりの汗。

 つまりは、ついさっきまで身体を動かしていた、ということ。

 ではなにをしていたのか、と問われれば――


 俺は視線を噴水から、未だ完成には至っていないオランジェリーに移す。

 まだレンガ積みの壁だけが、にょっきり地面から生えているそこに、合わせて十数人の子供たちが駆け回っている。

 皆、地面の上を時に力なく、時に勢いよく転がるボールを追いながら、笑い声を空に響かせていた。


 そうだ。

 彼らはオランジェリーの壁をゴールに見立てた、ワンゴールのフットボールに興じていた。

 ただいま汗を湛える俺も、ついさっきまでどちらのチームにも属さないキーパーとして、あの輪の中に居た、というわけである。


「いやいや。フットボールはそんなに得意じゃなかった割には健闘出来たんじゃないのかな? 俺は」


 誰も居ない東屋にて、そう独りごちる。

 自分で自分を慰めるような声色でもって。


 子供たちの身のこなしは、ほとんどは年相応だった。

 だが、何人かは天性と称すべき、素晴らしいフットボールセンスを誇る子たちも居た。

 大人の身体能力を大人げなく発揮した俺は、ほとんどのシュートはなんなくいなしていた。

 だが、才ある子供たちにとっては俺はいいカモであったらしい。

 彼らのシュートを防ぐこと能わず、本気で止めにかかったというのに、あっさりとスリーゴールを許してしまっていた。


 年端のいかない子供たちにやられてしまったのは、正直とても悔しくて、ついつい俺もヒートアップ。

 下手くそだのへぼだのと煽られて、もういっそのこと強化魔法というズルを使ってしまおうか、と真剣に考えてしまうほどであった。

 と、言うか、ファリクがいいタイミングでキーパー交代を申し出てくれなければ、多分本当に使っていただろう。


「言い訳をさせてもらえば。俺が本格的にフットボールを覚えたのは、軍隊に入ってからだし。うん。それまで精々ラグビーしかやってこなかったんだし。技量がよろしくないのは当然なんだよ。うん」


 さらなる自己弁護を重ねる。

 幼い頃からフットボールに親しんでおらず、今ボールを駆け追う彼らの年長者くらいの歳でようやく遊び方を知ったのだから、身体の動かし方がいまいちわからなくて当然だと。

 自尊心のためにそんな言い訳を紡いだ。


 しかしその作用はいまいちよろしくない。

 その弁護は却って己の惨めさを際立たせるだけ。

 あまりの情けなさで、意図せずため息が漏れた。


 自分の惨めさを誤魔化したくて、フットボールに興じる彼らから目を逸らした。

 別のものを見る。


 次に見たのは、まだ自然そのままの姿を保つ、トピアリーとなる予定のツゲの根元。

 そこで車座を作っている一団だ。

 中心には簡素なテーブルがあった。

 ガラスビンとシャーレ、そしてきっと魔道具であろう、先端から勢いよく火を吹き出す煙突状のなにかが、テーブルの上に乗っている。

 その傍にはいつも通りの白衣を着たヘッセニアが、なにやら子供たちに講釈中。

 テーブルの上の物品と彼女の姿があいまって、車座はさながら実験室めいた雰囲気を湛えていた。


 いや、実際のところ実験室、という表現は誤りではない。

 あそこで行われているのは、正真正銘の実験であるのだから。


 子供たちを楽しませるパーティなのに、公開実験をするのはどうかと思う。

 が、なんとこれが大ウケ。

 薬品くさくて小難しい実験に、どうして子供たちが夢中になっているのかといえば――


 丁度ヘッセニアが動いた。

 講釈を終えた彼女が綿棒でシャーレをこすり、その綿棒を魔道具が吐き出す青い炎に近づけると。

 ぱっと炎の色が変わる、派手で鮮やかなオレンジ色になる。

 それはまるで夜空に瞬く花火に似ていて、目を奪われて。

 子供たちからは、わっと歓声が上がった。


 突如様変わりした炎の色が、どこか花火めいているのは当然だ。

 何故ならただいまヘッセニアがやってみせた実験は、実際夜空に八重咲く花火と、まったく同じ原理を用いているのだから。


 炎色反応。

 あのテーブルでヘッセニアがやってみせたのは、これの実験であった。


「たしかに見た目が派手で、子供を喜ばせるのに丁度いいよね。あれは」


 特にハマる子はとことんハマっているらしい。

 周りの子供は入れ替わろうとも、頑として食いついて車座から動かず、果てにはヘッセニアの助手まで買って出る子まで現れるほどであった。


 そして案外ヘッセニアも、小さな助手が生まれたことがまんざらでもないらしい。

 魔道具の炎に照らされたどこか誇らしげな彼女の顔は、ほんのちょっぴり上気しているように見えた。


 俺とキーパーを交代してくれたファリクといい、子供たちの好反応を集めているヘッセニア、そして料理を完璧に用意してくれたアリス。

 つくづく今日は戦友たちに良く助けられている日なのだな、と改めて実感する。

 フィリップス大佐が帰ってきて、街に出られるようになったのならば、彼らに恩返しをしなくてはならないだろう。

 

 いや、慰労が必要なのは、なにも戦友たちに限った話ではない。

 アリスと一緒に今日の料理を作ってくれたアンジェリカにも必要だし、そして――


 一歩踏みだし、東屋を後にする。

 実験教室を開く、ヘッセニアの下ではなくて。

 お菓子や軽食、お茶が立ち並ぶテーブルから少し離れたところに、やはり芝生の上で車座を組む一団へと歩みを進める。

 道中にて、たくさんのアプリコットパイが乗った皿を一枚回収してから、そこへ行く。

 パイは追加で焼いたものなのだろうか。

 我は焼き立てぞ、と主張するバターの香りが皿からふわりと立ち上っていた。


 近付くと音が聞こえる。

 弦楽器の音。

 音曲だ。

 いかにも手慣れたリュートの音と、いささか幼さが残る少女の声で構成された音曲。

 つまり、それで子供たちを持てなそうとしている者が居るってことの証拠。


「――さあて、果たして計画通り! 八つ頭のドラゴンは酒精に当てられて、たちまち酩酊! 逃す阿呆はそこにいない! ご自慢の十拳剣(とつかのつるぎ)を振りかざし! スパパパーン! あっという間に、八つ首と胴は泣き別れ! 英雄は彼の地の敬意を集め、ドラゴンに捧げられそうだった娘と幸せに暮らしましたとさ!」


 声が紡ぐはどこかの英雄譚。

 リュートなる楽器といい、遙か昔の吟遊詩人を連想させる音曲。

 それを奏でていたのは、車座の中心にて椅子に腰掛け足を組んだ、赤毛の少女であった。

 今様の吟遊詩人の正体は、屋敷で働く見習い使用人にして、慰労が必要な一人でもある、エリー・ウィリアムス。

 きっと元旅人故に、時折それで路銀を稼いでいたのだろう。

 いつものポンコツ具合が信じられなくなるくらいに、なかなか軽妙なリュートの演奏であった。


 彼女のリュート演奏は、酒場で披露して見せたのならば、拍手と少なくないおひねりを授かるだろう。

 それほどの腕前であったけれど、さて、今回の聴衆、子供たちの反応は――


「なんでえい! 納得いかないぞ! その物語! 結局そいつは寝込みを襲った、超きたねえ暗殺者じゃねえか! ぜっんぜん爽やかな勇者じゃねえ!」


「そーだ、そーだ! 英雄とは程遠いじゃないか! しかもそいつ、自分の姉ちゃんを散々イジメてたロクでなしじゃないか! 全然罪を禊いでないのに、なんで英雄扱いになるんだよ! 納得いかないぞ!」


「金返せ!」


 非難囂々、ブーイングの嵐。

 どうにもエリーの演奏の巧みさよりも、物語の結末に満足がいかなかったようだ。

 特に男の子たちの反応はまったくよろしくない。

 拳をぶんぶんと振り上げて、エリーに遠慮なしの非難を浴びせるのは、例外なく少年の声であった。


「うるせえ! 今の話はなあ! とっても遠い世界の神話なんだよ! 少なくとも千年以上は語り継がれる、定番中の定番なんだよ! 文句ありゃあ、その世界の人間に文句言ってこい!」


「俺たちにそんな話を聞かせようと思ったのは姉ちゃんだろ! 企画者の責任から逃げてるんじゃねえ! 聴き手を満足させられなかったことを、ちゃんと詫びて責任を取れー!」


「金返せ!」


「ええい! 妙にマセてて実に小賢しいな! 企画責任なんて言葉、どこで覚えてきやがった! そんなもん知らないよ! 私は私が語りたい物語だけを語るんだ! 君たちは、黙って聴いてりゃあそれでいいの!」


「なんて無責任なー! なんて横暴なー!」


「金返せ!」


「はっはっはっ! 元旅人に責任なんて求める方が間違っとるわ! 社会を勉強なさい!  小童ども! あとさっきから、金返せってうるさいのは誰だ?! 私は一切金銭を要求してないじゃない!」


 なまじ子供たちと歳が近いせいか。

 エリーは子供たちのブーイングを上手にいなすことができず、青筋たてて応戦してしまっっていた。

 腰掛けていた簡素な椅子に片足乗せて、抗議する男の子たちに負けない勢いで、ぶんぶんとリュートを振り回す。


 誤って手を滑らしたら、勢いよくリュートが吹っ飛び、壊れるのは必至なほど。

 むろん、その勢いで子供たちに当たれば怪我は免れない。

 いつものエリーの仕事っぷりから考えるに、まったくないとは言えない未来であるから、この辺りで、目の前で起こるちょっとした諍いを止めなければ。


「はいはい。喧嘩はやめること」


「ぐえっ」


 左手でパイの大皿を持ちつつ、右手でエリーの首根っこを引っ掴む。

 魔力を右手に流して、そのままエリーを椅子から下ろす。

 親猫に運ばれる子猫よろしくの姿勢でエリーを宙に持ち上げた。


「ほら、テーブルからアプリコットパイを持ってきたから。皆甘いの食べて、ちょっと落ち着きなさい」


 そしてそのまま、さっきまでエリーが踏み台にしていた椅子に皿を置く。

 滅多に食べられぬ甘味、それが目の前に現れたからか。

 それとも、すでにパイを口にしてその美味さを知っているからか。

 車座は一瞬にして崩れ、子供たちはわっと、椅子の周りに殺到。

 思い思いにパイを引っ掴んでいった。


「ちょ、ちょっとウィリアム……今のは、今のはやめて……首がしまって、死ぬかと思ったから……」


「うん、それについては謝る。でもそのせいで、少しは落ち着いたでしょ?」


「むう」


 頭に上ろうとしている血を物理的に遮断したこともあってか。

 地面に下ろした後、少しの間咳き込んでいたエリーは、落ち着きを取り戻していた。

 もっとも襟が首に食い込んでしまったのを抗議する、恨めしげな視線を遠慮なく俺にぶつけていたが。


「んで? 大ブーイングをもらった物語はどんなやつだったの?」


「貴種流離譚」


「き、きしゅ……りゅ?」


「そ。貴種流離譚(きしゅりゅうりたん)。高い身分にある人がね、なんらかの理由によって追い出され……そして追われた先々で活躍していくっていう、その手の物語ね」


「ああ、昔話でよくあるお話ね。でも、貴種流離譚なんて言葉、はじめて聞いたな」


「それはそうよ。だってさっきの話が継承されていた世界の、そこの民俗学者が唱えた言説だからね」


「遠い世界? 東の帝国とか、皇国とか?」


「うーん。近からず遠からずってところかな。でもまあ、半分正解みたいなものかもね」


 エリーの答え方は、はっきりとしたものではなかった。

 目線も遠い空を眺めていて、ぼんやりとした様子。

 詳しく話そうとする意思が感じられなかった。

 旅先で知った話なのだろうけど、もしかしたらそれを知った経緯を思い出したくないのかもしれない。

 俺はどこの神話なのか、という追及をやめることにした。


「昔話の定型にしては、ずいぶんと評判悪かったね。暴動一歩手前って感じだ」


「ま、今話したヤツはちょーっと性格に難があったからねえ。マザコンにしてシスコン、そして暴れん坊で利かん坊なヤツなの」


「そりゃまたずいぶんと主人公に向いてない」


「でしょ? それで散々好き勝手やって暴れて。結果として姉を引きこもりにさせて、世界崩壊の危機を招いて。だから追い出されたのだけれども……追われた途端に、改心した描写もないのに、なあんにも前触れもなく、急に英雄みたいな真似をするんだもん。カタルシスもあったもんじゃないよ」


「ず、ずいぶんと辛口だね。そんな主人公だと思っていたのに、彼らに披露したのかい?」


「まあね。ここで披露してこその話だと思ったから」


 貴種流離譚の質問以降、エリーの目はぼんやりと空を捉えていたのだけれども、ここにきて、その紅い目は真っ直ぐ俺を捉えた。

 いつものヘッセニアにも似た、どこかお気楽さを感じ取れる目付きではない。

 とても真剣なものだ。

 重要な道徳を生徒たちに説く教師のような、そんな感じ。


「ねえ。気付いてる? 今の貴方の境遇ってね。まさしくその手の話に似ているってことに」


「まさか。いくらなんでも俺はそこまで性格は悪くないよ」


「さっきの話じゃないよ。私が言いたいのはね。貴方の人生は貴種流離譚そのものだ、ってこと」


 エリーはかぶりを振った。


「貴方は貴い生まれで。悲劇によって零落して、それでも自らの力で名を立てて……でもその途中で

……」


 エリーの面持ちが急に変化する。

 さっきまで、とても堅苦しさを感じるほどに真面目な面持ちだったのに、彼女はにわかに顔を横に向けて目を背けて。

 そしてさっと顔を青くした。


 元々感情に素直でコロコロ表情を変える娘だ。

 でもそれにしたって、今の変わり方は急すぎた。

 横一線に結んだ唇を、わずかに内に巻き込んでいるところを見るに、今にも泣き出しそうにも見える。


「エリー?」

 

「……大丈夫」


 なにがあったのか。

 それを聞こうとするその前に、エリーは大丈夫だと答えてみせた。

 だが、言葉とは裏腹に幼さが残る彼女の顔には、いまだに暗い表情が居座っていた。


「こうして貴方は二度目の零落を迎えているけれど。でも、この地でまた武勇を作り続けている。大丈夫。近い内に貴方は。落ちぶれとは程遠い人生を送れるようになるから」


「そうだと、いいんだけどね」


「そうなる。断言するよ。だって貴方が幸せを得るための。その最後の障害たる、八岐大蛇(やまたのおろち)は――」


 まだ、エリーは暗い。

 どうしてこうまで、今のエリーは落ち込んだ風なのだろうか。

 なんの感情によって、ここまでいつもの彼女らしくない、とても重たい顔を見せているのか。


「もうすでに貴方の近くに居るのだから。深い悔恨の中で、首を差し出す準備をしながら、ね」


 晴れ空、目に染みる青い芝、時折やってくる柔らかい風、子供たちの歓呼の声――

 それら明るい音に包まれているというのに、エリーの顔色は一向に良くならなくて。


 そして聞いたこともない単語(ヤマタノオロチ)を織り交ぜた、煙に巻くような物言いも相まって。

 エリーをそうさせてしまっている感情の正体を、俺はつかみ取ることができなかった。

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