第六章 七話 ゴミ箱と余計なこと
結論から先に述べてしまえば、件のソフィーの目論見は、やはり妥協案に落ち着くこととなった。
思わぬ王族の圧力に瀕したフィンチ大佐であるが、俺をこれまでのように自由に歩かせるのを、最後まで拒んだのである。
アリスや、事の次第を伝えてくれたクロードはこの結果に、少なからず不満を覚えてくれたが、当の本人である俺は失望を抱きはしなかった。
たとえ冤罪だとしても、俺は前科者であるのは違いがない。
今までの待遇が、本来ではありえないほどに甘すぎただけであったのだ。
不満を口にする権利は元来なく、それ故、この結末にとやかく言うつもりはなかった。
だが、問題がまったくもってないわけではない。
事実ただいまの俺は、ソフィーの言うところの妥協案、即ち子供たちを招くパーティで発生する、一つの問題に頭を悩ませていたのであった。
その問題とは――
「……なあ、クロード」
「なんだ?」
「……パーティってさ。どういう感じで開くの?」
「は?」
本日はまこと爽やかな晴天。
昼も十分下がって、アフタヌーンティを楽しもうか、という時分。
そんな折に、春先植えたツタが柱に絡み始め、趣が出始めてきた庭の東屋にてクロードに問う。
パーティの開き方はどうしたらいいのかを。
どうやら今の問いは、テーブル挟んで対面に座すクロードにとって、まったくの予想外であったのだろう。
彼は口はぽかんと半開き、しきりに目をしばたたかせて、驚きを顔全体で表現していた。
いわゆる呆気にとられたってやつ。
そしてどうにも覚えた喫驚は、少なからず大きかったらしい。
俺が返答を待って口を噤めども、いくら待っても、クロードの口から音は発せられず。
そのエメラルドよろしくの綺麗な目を、ただただしぱしぱさせるだけ。
どうにも言葉は引き出せそうにない。
ならば、何故俺がそのような質問をしたのか。
こいつを彼に説明した方がよさそうであった。
「いやさ。ほら、殿下のお力添えのおかげで、数十日に一回は、子供たちをここに招くことになったろう? どうやったら子供たちを楽しませるやつが開けるのかな、ってのか聞きたくて」
「……ああ。いや。その意図はわかるぞ。十分にわかるが……」
「わかるけど?」
「お前、まさかそんなことを聞くために、わざわざ俺を屋敷に呼び出したんじゃねえだろうな?」
「そんなことって、そんなことのためだけど」
「お前なあ……」
あきれ顔で癖のある金髪をかきあげた後、クロードは両腕を軽く開いて見せた。
ほれ、よく見ろ。俺の服装を――そんな声なき声を仕草に含ませて。
彼の首から下は真っ赤であった。
もちろん、怪我で服が血に染まってしまった、わけではない。
元より赤い布地を用いて拵えた上衣で、それはつまり王国陸軍の証。
陸軍所属の彼が、たった今もそいつに身をくるまれている、となれば。
「俺ぁは仕事中にも関わらず、こっそり抜け出してここにやってきたんだぞ? んなどうでもいいこと聞かれちゃあ、がっかりすんのは当たり前だろう?」
「どうでもよくはないだろう。ゲストを喜ばすのがホストの使命なれば、それを達成するために努力するのも義務だ。だから経験があるあんたに聞いているんだ」
「いやいや。お前さんだって自分んちのパーティに参加したことあるだろう? その通りにやりゃいい話じゃねえか」
「それができないから、あんたに聞いているんだ」
「なんでできねえんだよ」
「そりゃ運営のノウハウを教えられる前にアレが起きたからね」
「……あ」
少しヒートアップしかけたクロードは、にわかに面持ちを変える。
バツが悪そうに二、三回髪も掻く。
しまった、これは藪蛇な話題であったか。
彼の仕草からはそんな内なる声が聞こえてきそうだ。
藪蛇とは俺が口にしたアレというワードがそれだ。
俺が邪神によって家と家族を失った、あの事件。
人によっては一生の傷となりかねない出来事。
それを不注意にも掘り返してしまった、と思ったが故の浮かぬ顔。
言葉遣いは丁寧とは言えないけれど、クロードの他人に対する思慮深さがうかがえる一瞬であった。
もっともこの場合空回りしてしまったわけだけど。
「なに、気にはしてないよ。もし、罪悪感を覚えるのなら、是非ともやり方を教えて欲しいな」
「人の良心につけ込むたあ、なんともあくどい手段を覚えちまったもんだな」
「人生ってやつは、あくどい方がなにかと生きやすい、とようやく気付いたのさ」
「口も立つようになりやがって。ま、俺もお前の役に立ちたいのは山々だがな。実のところ、力になれそうにねえんだ」
「マジか」
「ああ、マジさ。なにせ俺は当主っつっても滅多に家に居ねえし、家の社交はご隠居に任せちまってるからなあ。士官学校に入学してからは特に。それによくよく考えてみれば……今回は親亡き子供たちを招待すんだろ?」
「そういう話になっているみたいだね」
「ってことはパーティはパーティでも、いわゆる、チャリティーティってわけだ。ならば、なおさら門外漢だよ、俺は。その手の運営はお袋の範疇だしなあ」
「あー……言われてみると、そうか」
余裕のある中産以上の階級で度々行われる、特別なお茶会にチャリティーティというものがある。
なんらかの理由で家と職を失ってしまった人々に、サンドやケーキ、クッキー、そしてお茶等を振る舞う、慈善が目的のお茶会
だ。
たしかにこのたび開こうとするものと性格を共有している。
このチャリティーティの企画と準備をする仕事というのは、慣習的にその家の奥さんに宛がわれるもの。
それ故、クロードもどうやって素晴らしいチャリティーティを開いたらいいのか、そのノウハウがまったくないらしい。
「ちなみに。一から企画して成功したことのあるパーティってある?」
「あるにはあるが。それは参考にもならんぞ。まったくもって子供向けではない」
「なんでもいいから教えてくれないかな? こっちで改善して、なんとか子供向けにしてみせるから」
「……生存記念の宴」
「あっ。あー……それは」
両の腕を組んで、クロードは唇の片端をつり上げる。眉に皺を寄せながら。
たしかにクロードの言うとおり、それはどうやっても子供向けに改造しようがない。
戦闘に勝利した軍隊で、暇ができれば必ず決行するのが、さきのクロードの言ったパーティである。
いや、あれはパーティなんて洒落たものではない。
キャンプから近いパブに厳つい顔をした男女が大挙して押し寄せ、ひたすら酒とつまみをかっ喰らう乱痴気騒ぎ、と称した方がその実態に近い。
気の利いたゲームなんてない。
やることといえば、戦闘スコアの競い合いだ。
晴れて競い合いを経て選ばれた上位数名に、兵ども全員が押し寄せて、代わる代わる酒を飲ませて酔い潰す、という退廃的な遊びをするのが精々か。
思い出せば、あれはあれでとても楽しかった。
だが、いささか……いやずいぶんと大人、それもダメな感じの大人がやる遊び方であるのは、否定のしようがない事実であって。
「いくらビールでもさ。子供にラウンドさせるのは……マズい、かな?」
「ああ。マズい。絶対にマズい」
子供に向かない遊びであるのは間違いがなかった。
しばし互いに顔を見合わせて、特に示し合わせたわけでもなく同時にため息。
失望の意が多分に含まれたやつだ。
いい歳をした元貴族と現役当主。
その二人がこうして顔を合わせているというのに、ある意味貴族の代名詞ともいえるパーティをロクに開けない情けなさが失望の原因だ。
「……もういっそのことさ。子供版のそれ、やっちゃおうか? フットボールや鬼ごっこをやって、一番の子を決めてさ。それでもう飲めない、食べられなくなるくらいにジュースとお菓子を食べさせるんだ」
「それ、下手すりゃパブでやってたのより退廃的じゃねえか? 民話や神話で、神様がぶち切れて天罰くだすヤツだぞ」
「そうだよねえ」
またしても顔を見合わせる。
そしてその後もさきほどとまったく同じ。おそろいのタイミングでため息。
まったく、どうにも手詰まりなような気がしてならない。
ソフィーと殿下の厚意で、街の散策に変わる気晴らしを用意してもらったはいいが、それを素晴らしいものにする工夫ができそうにない。
芝の青臭さがふわりと風に乗って鼻腔をくすぐる。
平穏で平和な香り。抱く悩みも、たちまち霧散してしまうはずの空気に包まれているというのに。
俺とクロードという無能二人は、テーブルに肘をついて、大して役に立たない空っぽの頭を抱える。
傍から見ればそれは、当然異様な光景であったに違いない。
現に――
「ウ、ウィリアムさん? クロードさん? なにを……してらっしゃるのですか?」
エリーが厨房でお茶っ葉を盛大にぶちまけたおかげで、しばし東屋から姿を消していたアリスの言葉。
それには明確にたじろいだ音が含まれ、その証拠に今の彼女の顔は、かなり引きつった笑みを貼り付けていた。
「いやね。どうやって子供たちをもてなしたらいいのか。どうやったらパーティを開いたらいいのか。それがわからなくて」
そして俺はアリスにこうなってしまった経緯を説明した。
これっぽっちも役に立たない俺たちへの自虐を交えながら。
それは俺としては、ちょっとしたジョークのつもりであったのだけれども、アリスの笑いのツボには入らなかったようだ。
アリスは引きつっていて、ギリギリ笑顔と形容できる表情をなんとか保ち続けていた。
愛想笑いを作ろうと努力をしているのだろう。
「さ、流石にあのノリを子供たちに提供するのはダメかと」
「だよねえ。それは俺たちもわかってるんだけど。でも代替が見つからなくて。アリス。妙案、ある?」
「そうですね……」
アリスは白く綺麗な指を、血色の良い唇に持っていく。
思案するジェスチャーをとる。
考えはすぐにまとまったらしい。
指が口元に留まっていた時間は、そう長くはなかった。
「ラウンドはダメですけれども、でもゲームを催すのはいいと思いますよ。幸いこのお庭は広いので、子供を遊ばせるのには困りませんし」
「それだけでもいいのかな? やっぱり折角ここに来てくれたのだから、お腹いっぱいにして帰したいのだけれども」
「でしたら、ベースはチャリティーティではなくて。ウェディングティにしてはどうでしょう? そうすればお料理の量は困りませんし、残ってもお土産として持たせることができます」
結婚披露宴とお茶会を兼ねたのがウェディングティである。
たかがお茶会と侮るなかれ。
そのときテーブルに並ぶ料理の品数は、なんと十六品以上。
お茶会と名を冠しているだけで、その実は豪華なパーティと言えた。
たしかにアリスの言う通り、お持てなしの料理はウェディングティのそれを採用し、あとは好きに庭で遊ばせておく、という形を採用すればすべてが丸く収まろう。
だが、アリス案も問題がないわけではない。
いや正確には、問題の本質は変わっておらず、何一つとて解決できていない、と言えた。
つまり、だ。
「それは良案だ。でも、問題は……チャリティーにせよウェディングにせよ、肝心な俺がどうやって企画したらいいのかがわからないことだけど」
ウェディングティで人を持てなす場合、どの料理を作ったらいいのか。
そして必要な材料がなにであるのか。
それがまったくもってわからないのだ。
チャリティーティ同様、どの様にしてその場をセッティングするのか、それが皆目見当がつかなかった。
だがその杞憂、気にすることなかれ、と言わんばかりの自信たっぷりな視線を送る者が居た。
それは他でもない、さきの作りかけの愛想笑いから一転、いつも通りの綺麗な笑みを湛えるアリスであった。
「大丈夫です。私がわかりますから」
「アリスが?」
「ええ。チャリティーの方は王家で頻繁に開催してましたし。もう一つの方も王族のそれでお手伝いした経験もあります」
「それは助かるな。なら任せていい? アリス?」
「はい。どうぞお任せ下さい。腕によりをかけてみましょう」
アリスは自信たっぷりに頷いた。
「ごめん。じゃあ、お願い。手伝えることがあるならなんでも言って。その通りにするから」
「ええ。そのときはお願いしますね」
「一件落着、ってやつだな。すまねえな、役に立てねえで」
「いやいや。こっちも忙しい中呼んじゃってごめん、クロード。よし、方針が決まったのならば、っと」
どんなものを作るのかはわからないけれども。
お菓子を作るのであれば、甘い果物は一つでも多い方がいいだろう。
アリスはそのときが来たら、手伝いをしてくれと言ってくれたけど。
善は急げと言うし、手伝いもその例外にあらず、なはずだ。
俺は白塗りの椅子からやおら立ち上がる。
よしっ、と少しだけ勇ましい声を伴いながら。
「どうした? ウィリアム。立ち上がるのにずいぶんと気合い入れちまって」
これまでずっと、俺が動く気配がなかったからか。
少しだけクロードは目を丸くしてそう言った。
「早速手伝おうと思って。多分丘のどっかには……なんのかはわからないけれど、ベリーが生えてるはずだからさ。お菓子のアクセントにでもと」
俺がそう言うや否や。
二人の顔色がみるみると変わっていった。
なぜだか悪い方に、つまりは青ざめていった。
「やめろ! ここを集団食中毒の現場にするつもりか! 子供たちの胃は、お前みたくゴミ箱めいてないんだ!」
「やめてください! 子供たちが食あたりをおこしてしまいます! お願いですから、余計なことはせずにじっとしていてください!」
「ゴ、ゴミ箱……余計なこと……」
慌てふためいた風な叫びが二人分、真っ正面から飛んできた。
特にアリスの方からそんな声がすっ飛んでくるとは俺は思いもよらなくて。
ゴミ箱だの余計なことだのと、散々な評価をいただいてしまったことに、俺の心は。
けっして少なくないダメージを受けてしまった。




