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第六章 五話 願わくば健全なトピアリーとなれ

 いくら小屋とはいえ、だ。

 家屋を建てるのには違いはないのだから、オランジェリー作りは、正真正銘の重労働である。

 だからこそ、ありがたく思うのだ。

 鬱々だとか、すっきりしないだとか、なにかと悪く言われる王国の曇りがちな空模様を。

 直射日光がなくなってくれるから、夏場にはキツい肉体労働も、いくらか楽にさせてくれている。

 実際、暑さのピークに達しようとしている時分時の今でも、高強度の運動さえしなければ、汗ばまずに済むお日柄であった。

 のんびりと過ごすには最適な日、と言えるだろう。


 ただ、夏にしては快適な天気なれど、やはり喫茶店のテラス席でお茶や食事をするのに適当であるかと問われれば、答えは否となる。

 王国の曇り空というのは、本当に気まぐれなのだ。

 うっすら陽光が見えるくらいの薄雲でも、ぱらぱらと細雨を降らせてきたり、逆に分厚くて、絶対ににわか雨がくるだろうと思うほどのやつが、地面を一切濡らさなかったり。

 兎角、雲が出ている日、というのは、常に上空の機嫌を気にしなければならないのだ。

 これではお茶の香りや、料理の味を心から楽しめない。

 いくら過ごしやすくても、こんな日は部屋の中でお茶会や食事をするに限るのだ。


 もちろん、俺は王国で育ったから、曇り空の下でのランチへの忌避感はそれなりにある。

 だから青空食堂を厭う心、それに素直に従って、今日の昼餐はきちんと屋敷の内で摂ることにした。


 かくして俺は、食堂に居る。

 目の前のテーブルには、伝統的な王国の昼食が立ち並んでいた。

 量も種類も多くはない。

 ベーコンレタスサンドに、果物と野菜を絞ったスムージー、そしてクリスプ。

 市場に行けば、いわゆるミールディールとして販売されている面子である。


 これをわびしい昼食と取るか、ちゃんとした食事と取るかは、その人の出身地次第だろう。

 例えば――


「王国人ってさあ。食にこだわりがあるのかないのか。それがぜっんぜんわかんないよねえ。そうは思わない? あんちゃん(セニョール)


 いかにも昼食の内容に不満の声を露わにしているのがヘッセニアだ。

 彼女は魔族で、王国から見れば異邦人である。

 しかも向こうには、わりと昼食をしっかりと摂る文化があるものだから、王国式の昼食に、いまだ慣れていないようだ。


「それはどういう意味? ヘッセニア」


「だってさ。味にはとんと無頓着で、不味いもん平気で食べられるくせにさ。食事スタイルは頑として変えようとしないじゃん。夜はともかく朝と昼は、毎日似たようなもん食べてる」


「そうかい? 全然違うじゃないか。今日はベーコンレタスで昨日はローストビーフサンド。スムージーも、今日は野菜主体で緑っぽいけど、昨日は果物が主役で色はオレンジ。ほら、全然違う」


「パンに挟まっているなにかが違うだけじゃん! 絞ったなにかが違うだけじゃん! マクロに見れば同じ料理だよ! 飽きない? そんな食生活して! しかも量も少なめだし!」


「飽きもしないし、量も丁度いい。あんまり多く食べると、アフタヌーンティに響くから」


「おーう。この茶葉依存民族め。食サイクルの一環にお茶があるなんて、とても正気とは思えないな」


「はははっ。我が王国の茶葉への執着心を舐めてもらっちゃ困る。かつて茶葉の産地を巡って戦争をした国だよ? 邪神戦争中に議会で、どうやって国民と前線の兵士双方に十分な茶葉を配給できるのかを、真面目に議論した国だよ? そいつは狂気の内に入らないな」


「……戦争による紅茶問題。あれ噂じゃなくて本当だったんだ」


 他の国からすれば、理解の範疇の外にあるようなのだけれども、日常生活において紅茶が欠乏してしまうのは、王国からすれば、結構深刻な問題だ。

 田舎はともかく、都市部の市井に出回る飲料水というのは、工場の影響か、そのまま飲めないほどに、においがキツいのだ。

 特に労働者層からすれば、茶葉は水のにおい消しのおともであり、それの欠乏とはすなわち、飲料水の欠乏を意味してしまう。

 誰かから茶化されようとも、いや、あれは生存に直結してしまう、かなり深刻な問題であったのだと、胸を張って言える。


 ……もっとも、議会で神妙な顔して喧々囂々していたのは、におわない清潔な水がきちんと手に入り、紅茶を嗜好品として楽しむような富裕層ばかり。

 だから実のところ、ヘッセニアの言うとおり紅茶依存症の気も、また否めないが。


「ともかく。俺たち王国の人間は一度夢中になると、それが生活の一部と化してしまうんだよ。それだけなにかにかける情熱がある人たち、って思ってほしい。君の爆薬作りみたいなものさ」


「そう言われると、なにも言い返せなくなるな。でもまあ、夢中になると、とんでもなくこだわるってのは、最近のウィリアムを見てまったくだな、って思うよ」


 今日のイモのカット担当はエリーだったせいで、クリスプが妙に薄かったり厚かったりするのだが、揚げたのはアリスだったからだろう。

 厚さが不均一にも関わらず、どれもこれも歯ごたえが嬉しいできあがりとなっていて、取り立てて気にする必要はなかった。


 そんなクリスプの分厚いやつを囓りながら、ヘッセニアは行儀悪くも頬杖をついて、うっすら陽光が透けるカーテンの外側を眺めた。

 風で膨らむおかげで、時折現れるカーテンの切れ目から、先日から着工しているオランジェリーが見えた。


「あの温室も作ろう、と思ってからそう日を置いてないのに、もうあそこまでできている。レンガ積みはもう終わったんだって?」


「うん。床から壁まで。丁度、今日の午前中にね」


「手がはやいねえ。そんな簡単に作れんなら、いつでもできたんじゃない?」


「鉄の柱の都合が難しかったんだ。ファリクが来てくれない限りじゃね」


「ふうん。で? そのファリクは?」


 カーテン越しに窓を望むのをやめて、ヘッセニアは首を右に左。食堂の隅々を見渡した。

 長く、そして純白のクロスに覆われたテーブルの近くにも。

 そして、不慣れなりに使用人の役目を果たそうと、ドアの近くで待機しているエリーのそばにも。

 この食堂のどこにも、話題となっているファリクの姿はなかった。


「昼食とは伝えたんだけど。作業に熱中しているらしくて、その場で食べたいんだってさ。今、アリスとアンジェリカがランチボックスを出前中」


「へ? 温室はひとくさりついたんじゃないの?」


「オランジェリーとは別にね。トピアリーを造ろうと思って。ほら、ファリクは故郷で造園やってただろう?」


「トピアリー?」


「木だよ。ほら、よく見ない? 馬とか鳥とか、自由な形にカットされたの」


「あー、アレね。で、どんな形のヤツを造るの?」


「さあ」


「さあ? 頼んだのはウィリアムでしょ? なんで知らないんすか? 軍曹」


「ファリクがすべてを自分に任せてくれって。お披露目するときに度肝抜いてやるって。あんまり自信満々なんで、好きなようにやらせてみたんだ」


「全部ファリクにお任せぇ?」


 そう言うや、彼女はベーコンレタスサンドを頬張る。

 表情はなにやら苦味を感じさせるものであった。

 片眉上げて、片目を細めているといった感じ。

 まさに訝しみのフルコース。

 今日のサンドの担当は、今や屋敷内料理上手ランキングで、二番目に君臨するエリーであるはずだから、その原因は味によるものではない。


「なに? ファリクに全部を任せるのが不安なの?」


「だってさあ。あのファリクだよ? クロードより生真面目な」


「生真面目だから、なにが悪いっていうんだい?」


「いや、その……トピアリーっての? いかにも遊び心が試されそうな代物じゃない。笑いのセンス壊滅的なファリクに任せていいの? あいつ真面目だからさ、下ネタは絶対受けると思って、あのレミィでさえドン引くネタ、何度も酒の席で披露してたじゃない」


「あー……」


 分隊には特有の禁則事項がいくつかあった。

 例えばヘッセニアには酒を飲ませてはならないとか、キャンプで待機しているときには、男漁りを防ぐためにレミィを一人にさせてはならないとか。

 その内の一つに、酒の席でファリクに隠し芸を求めてはならない、というのがある。

 さきのヘッセニアの言通り、欠乏したユーモアのセンスを補おうと、とてもではないが笑えない下ネタを彼は繰り出してしまうのだ。

 しかも周りはあまりのきわどい発言に凍り付いているのに、本人だけがバカウケしてしまうのだ。

 これほど盛り下がるシチュエーションはそうはあるまい。


 そんな人間にデザインからカットまで任せて本当にいいのか。

 ドキツイ下ネタトピアリーができてしまうのではないか。

 ヘッセニアの懸念とはつまりはそういうことであった。


「……まあ、大丈夫でしょ。殿下にスカウトされる前は、ちゃんと造園の仕事やってたっていうし。うん。流石にプロ意識が働いて、そう奇抜なの造らないよ。きっと。多分。恐らく」


「おい、ウィリアムどうしてこっちを見て話をしない? なんで、推量の言葉を連発する? 自信なくなってんじゃん」


「そんなことはない。彼は元プロだぞ? 流石に変なの造ったら、打ん殴られるどころじゃないのは重々承知しているはずだ。きわどいネタを、きっと理性が抑えてくれるはずなんだ。俺はファリクの理性を信じるよ」


「おーう。部下を信頼しきるその姿、まさに下士官の鑑だね。当人じゃなくて、当人の理性に信頼をおこうとしているあたりが特に」


 ヘッセニアは庭いじりには特に興味がないだけあって、ファリクがちゃんとしたのを造るか否かは、もはやどうでもいいらしい。


 いや、渋面がいつの間にやら意地の悪いニタニタに変わっているあたり、むしろファリクのユーモアが暴走するのを期待している節がある。

 きっと彼女は、ファリクが拵えたとんでもないトピアリーを前に、俺が呆然とする未来を望んでいるのだろう。

 指を差してゲラゲラ笑うために。


 この野郎。他人の不幸は蜜の味ってやつか。

 ちょっとだけイラっとして、一言二言、文句を言おうか――そんな折であった。


 食堂のドアが控え目に打ち鳴らされて。

 そしてほとんど間を置かずエリーが慌ただしく反応。

 かくしてドアは開かれて、アリスがやってきた。


 なんていいタイミングだろう。

 ファリクの仕事ぶりがどうなのか、不穏な影は見当たらないか。

 飛びつくように彼女にそいつらを聞いて――みようと思ったのだが。


「ウィリアムさん。お客様ですよ」


 にこやかな表情と声色。

 それらは彼女がご機嫌である、という要素に見えるけれど、実のところ答えは否だ。

 付き合いがそれなりにある俺にはわかる。見分けられて、聞き取ることができる。

 あの顔と声にはどことなく、演技のにおいが混じっていることを。

 実のところ彼女は今、不機嫌であることを。

 それもとてつもないくらいに。

 下手をすれば八つ当たりとして今晩の食事が、恐ろしくわびしいものになってしまうのでは、という危惧を抱いてしまうほど。


 それは同じ釜のメシを食った仲でもある、ヘッセニアも感じ取ったようだ。

 さっきまでの意地悪顔はどこへやら。

 アリスの顔をまっすぐ見ながら、口はぽかん、手に取っていたサンドを皿にぽとり。

 底の底にまで落ち込んでしまった彼女の機嫌に、呆気にとられているようであった。


 一体なにが起きたのか。

 もしかしたのならば、本当にファリクがとんでもないモノを作ってしまって、アリスの機嫌を損ねたのではないか――


 いや、それよりも。


「あ、ありがとう。アリス? お客さんというのは?」


 アリスは俺の問いかけには答えなかった。

 相も変わらずわざとらしい微笑みを湛えたまま、結局無言で、横に二歩、エリーに並ぶ形で身を引いた。


 アリスの影に隠れていた、来客が露わになって。

 ああ、なるほど。

 理解した。


 アリスが引き連れてきたその来客とやらは、彼女が不機嫌となってしまった、そもそもの原因であったようだ。

 そしてそれは向こうも同じであるらしい。


 アリスとは打って変わって、やや唇を尖らせ、眉間にしわ寄せて、見るからに不機嫌な面持ちを作っているのは。


 初対面の状況が状況であったために、アリスとほとんど犬猿の仲になってしまった。

 ゾクリュ守備隊隊長副官、ソフィー・ドイルであった。

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