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第六章 二話 味方殺し

 芳香が鼻腔をくすぐった。

 イモか栗を蒸かしたような、香ばしい中に甘さが含まれている、言うなればこれからやってくる秋を先取りした香りだ。


 壁に絵画、床に絨毯、テーブル上に磁器の花瓶とティーセット、そして暖炉の上には竹細工やら角細工やらと工芸品。

 部屋を彩るすべての品が舶来ものだ。ついでに言えば、今は扉の隣にて待機しているアリスが淹れてくれたこのお茶も舶来の品。

 舶来、舶来、舶来――と、見栄っ張りも甚だしい一室、応接間。

 唯一の王国産の代物は、アリスが手早く作ってくれた、バターの芳香漂わせるスコーンと、まだ十分に柔らかいクロテッドクリームくらいだろうか。

 件の紅茶とスコーンの甘い香りが満つ、決して利用頻度が高くはない部屋に、俺とクロードはすでに腰を据えていた。

 テーブルを挟んで対面する形で。

 

 この部屋にやってきた目的は、先ほど庭で彼と話した通り、フィリップス大佐に降りかかった面倒事を聞くためで、ちょっとばかしシリアスなもの。


 だからだろう。

 この応接間自体の空気は、窓から差し込む、夏の燦々として開放感に満ちた陽光とは対照的に、どんよりといささか重苦しいものになっていた。


「それで、クロード? 庭での続きを聞かせて欲しいな。フィリップス大佐になにがあったの?」


 折角お茶とお茶菓子が用意されているのだから、他愛のない世間話をしたいところだけれども、その欲求をぐっと抑える。

 さっさと真面目な話を終わらせて、一息つけるような素敵なティータイムを送りたいものだ。

 だから俺は単刀直入に要求した。

 庭での話をさっさと続けよう、と。


「大佐がな。王都に召喚されたんだよ。突然な」


「ふうん、王都に、ねえ。でもそれって、改めて深刻ぶる話題なのかな? その手の辞令って、特別なものではないじゃないか」


「ええ。私も、そう思います」


 扉の方からアリスの声。

 先日、新主教の件で大佐と一悶着あった彼女だけれども、普段なにかと融通を利かせてくれたあの人に、なにがあったのかは気になるのだろう。


 はて、この話題、わざわざこの場で改まって報告すべきものなのか?

 小首を傾げ、わずかに片眉あげるアリスの仕草からは、そんな彼女の内なる声が聞こえてきそうであった。


「まあな。たしかに軍人で、しかも高級将校である以上、王都に赴くのはまったく特別なことではない。ありふれたもんだ。だがな」


 クロードは饗された白磁のティーカップに手をかけ、音も立てずに静かに喫茶。

 そうすることで、間を作ってみせた。

 つまりは、この次に彼が紡がんとする言葉たちが、真に伝えたいことなのであろう。


 クロードはふうと小さく息を吐いて、ソーサをテーブルに置いて。


「もしそれが、大佐が王都に赴いたあとに辞令が隊舎に下った、としたのならば、どう取る?」


「へ? 赴いたあと? 事後に辞令? なにそれ、ごめん。なにを言っているのか、全然わからない」


 ちらとアリスに目をやる。

 アリスも今のクロードの言に得心はいっていないのだろう。

 さっき傾げた首をもっと深く傾けてみせて、理解に及ばず、というジェスチャーを作っていた。


 だが、俺とアリスの困惑も当然だろう。

 色々と突っ込みどころはあるにせよ、だ。

 なによりも、辞令が下る前に大佐が王都に赴いた、というのであれば、なにをもって大佐は自分が王都に向かう必要があると知ったのだろうか。

 大佐がファンタジーめいた未来視能力を持っていない限りでは、そんなことは知り得ないはずだ。


 話の整合性がまったくない。

 俺もアリス同様に首を傾げるに至る。


「まあ、その反応をして当然だな。ドイル少尉からこの相談をされたとき、俺もお前らとおんなじことをしちまったもんだ。だから、ちょっと調べてみたんだよ。その辞令がどのような経緯でもって下されたのかをな。だが……」


 にわかにクロード、口を山形に曲げて、いかにも渋い顔を拵える。腕も組む。

 その表情と仕草だけで、調査の結果がうかがい知れた。


「調べることができなかったわけだ。なんらかの理由で」


 クロードは渋っ面のまま肯んじた。


「大佐に下された辞令の記録がな、遡ることができなくなっちまってたんだ。”王命により検閲不可”。記録にはそう押印された表紙が一枚あるだけさ」


「なんだって?」


 息を呑む気配がした。

 きっとそれは、扉の傍で侍るアリスのもの。

 あるいは、俺の無意識によるものか。

 だが、いずれにせよ、クロードが告げたその事実は、人を絶句させるのに十分な威力を誇っていた。


 王命によって検閲不可。

 この文句が使われる場合というのは。

 いや、このスタンプを押す連中といえば――


「つまり。王室特務が。なんらかの形で大佐と接触して。大佐を王都へと連れて行った、ってことか」


「多分な。しかも事後辞令が下る、ってあたりを見るとだ。特務は直接ゾクリュに赴いて、大佐を連行した可能性も否定できん。通常ならばまずは王都に召喚して、やってきた対象に接触をするはずだからな」


「……なんか中途半端だね。仕事が」


「まったくだ。さして情報に強くないはずの俺が、こうして足跡を見つけられるくれえだからな」


 そもそも王室特務が丁寧な仕事、つまり王都に呼んだ後に接触をしていれば、だ。

 事後辞令なんていうトンチキな真似をせずに済んだだろうし、ソフィーが怪しんでクロードに話をもちかける、なんて事態も招かなかったはずだ。

 常は動いたことすら察知されず、半ば存在自体が伝説めいたものになっているほどに、足跡を完全に消して仕事をする連中だというのに。

 こと今回に至っては、あまりにもやり方が雑で、簡単に動いた形跡が掴めるのだ。


「なにか意味があるのかな? そんな風に大雑把に動いたことに」


 俺には大佐を連れて行く以外にも、なにか理由があった、としか思えなかった。

 そしてそれはクロードも認めるところなのだろう。

 重苦しいため息を吐きながら、これまた頭に重りが詰まっているのでは、と思わせるほどに緩慢な動きで頷いた。


「むしろ王室特務が動いたことを、知らしめる必要があったのかもしれん。フィリップス大佐の奇妙な召喚を訝しんで調べる者に、警告する意図があったのかもな。これ以上深入りするのは危険だぞ、と」


「でもそれって矛盾してない? 結論ありきの推論になってない? きちんとした辞令さえ下していれば、誰も怪しんで調べないわけなんだから。そっちの方が特務が介入したにおいを残さないし」


「それを言っちゃあ、そうなんだがよ。でも、無理くりそう考えねえでもしねえと、納得いかねえだろう? 実際のところどうであれ、だ。あれだけ隠密性の高かった連中が、わざとらしく足跡残しているんだ。一種の不気味さすら感じられねえか?」


「足跡残したのは、特務の罠の可能性もある、ってこと?」


「わざわざ人払いを頼んだのは、そういうことだ」


 クロードはそれまで組んでいた腕をようやくほどく。

 そしてレッドコートの懐をなにやらごそごそと物色、シガーカッターと葉巻を取り出した。

 その動きを見たアリスはすぐさま反応し、やはりこれもまた舶来ものの、東洋庭園の染め付けが美しい、磁器の灰皿を、クロードに差しだした。


「どうぞ」


「おっとすまない。てか、吸っても大丈夫か?」


「今更のお気遣いありがとう。別にいいよ。ラウンジでレミィも水タバコ、ぱかぱかやってるし。それに一息つきたい気分だろう?」


「ん。それじゃあ、お言葉に甘えるとするぜ」


 実のところ俺も一息つきたい気分であった。

 今日は魔法ではなくシガーマッチを用いて、じりじりと葉巻のフット部を炙るクロードを尻目に、俺はアリス特性のスコーンに手を伸ばす。


 二つに割って、クロテッドクリームとストロベリージャムをたっぷり付けて、ぱくり。

 麦とイチゴの甘みと、クリームのコクが見事に調和した、妙味が口の中にやってくる。

 シリアスな話題故に、どこか重苦しくなった心持ちが、ほんの少しだけ軽くなった気がした。


 軽食に葉巻。

 各々の舌の好みに合致した嗜好品で、しばしのブレイクタイム。

 清閑、応接間に訪れる。

 その間に、ここまでの話題を思い返して――


「つまり、だ」


 静けさを破る俺の声。

 それは、ここまでの統括をこれより口にするための声。

 開演開始のブザーにも似た。

 

「なにが起こっているかはわからないけれど。どうにも、王室特務絡みのいざこざが、すぐ近くで起きているから注意しろってこと? また雲上人らの思惑に巻き込まれないように」


「ああ、そうだ。これからは……そうだな。少なくともフィリップス大佐が戻ってくるまで、守備隊と距離を置いた方がいいぜ――ってのが()()()だな」


 話がひとくさりついたというのに、クロードの顔からまったく力が抜けていない。

 好みの葉巻も呑んでいるというのに、ずっと眉間に皺が寄ったまま。

 シリアス継続中。


 そして一点目、とわざわざしっかりと言及したということは、間違いなく懸案事項が二点以上あるということ。

 どうやら、ゾクリュに王室特務の影がちらちら見えている以外に、警戒すべきことがあるようであった。


「まだ、なにかあるの?」


「ああ。フィリップス大佐が王都に連れて行かれている間に、ゾクリュ守備隊の隊長代理として着任する人物についてだ」


 そう告げたクロードの渋っ面は、ますます色濃いものとなる。

 山形に曲げた唇の角度は、ますます鋭いものになるし、眉間の皺も寄せすぎて、そろそろ彼の細い左右の眉が、一本繋がりになりそうなほど。

 どうにも、話の深刻さ具合でいえば、この二点目の方が重そうであった。


「……相当、無能な人が着任するのでしょうか?」


 いかにも気乗りがしていないクロードの顔を読み取ったアリスの辛辣な言。

 彼女はその人物が、クロードがげんなりするほどに、使えない人物であるのか、という推測を立てたようだ。


 だが、どうにもそれは的を外したものであるらしい。

 渋面そのままに、クロードはふるふると静かにかぶりを振った。


「逆だ。優秀なことには違えねえ。あの戦争で前線に赴いて、きっちり武功を立てているしな。だが」


 どうにも彼の顔色がよろしくないのは、その人物の能力とは別のところにあるらしい。

 急に言い淀んだところを見ると、恐らくその人となりか。

 それも同然か。

 代理とはいえ守備隊の隊長に就任する人物であるのだから、その階級は間違いなくクロードよりは上。

 階級章の星の数が絶対(分隊は殿下が殿下だったので例外だったが)である現役の軍人であるからこそ、階級が上の者への陰口は躊躇われるのだろう。

 能力に対してではなく、その人格を言及する場合は特に。


「だが、あんまりにも評判が悪いんだよ。その人格と二つ名が」


 クロードは何拍も間をおいて、なんとか人格と二つ名が評判が悪い、と言葉を絞り出した。

 だが、これでもまだ抽象的な説明だ。

 なにが問題で難色甚だしい顔付きとなったのか、これがまったく見えてこない。


「どんなやつなの? その評判の悪い二つ名ってのは」


 だから俺は問い質す。

 人格はともかくとして、問題のある二つ名とはいかに、と。


 しかしその二つ名とやらは、彼の者の人格に直結するものなのか。

 クロードは素直に答えようとしなかった。

 言葉を発しようとはしなかった。

 ただただ葉巻をくゆらせるだけ。天井を仰ぎながら。

 彼が手にする葉巻の灰がどんどんと尖っていく。まるで鉛筆のように。彼がゆったりと葉巻を楽しめていない証拠であった。


「クロード」


 クロードの名前を呼んで促す。

 新たにやってくるゾクリュ守備隊の長。

 彼の者を象徴していると語っても過言でもない、二つ名を詳らかにしてくれと。


 やがて観念したのか。

 彼の顔が見えなくなるほどの紫煙を、ため息とともに口から吐き出した。


 わかった、わかった。今から話そう。


 両の手を上げて、降参のそれにも似たジェスチャーをクロードは作って。


「……わかったよ。言うよ。此度着任する隊長代理の御仁。その二つ名はな」


 そして、今度は紫煙を伴わないため息をもう一度吐いたあと。


「――味方殺し、っていうんだ」


 渋々ながら、ひどく重たい、さながら鉛でできたような台詞を産み落とした。

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