第五章 三十三話 同情されるべき男
彼は一体なにをしているのか? エドワードの行いに、俺らはそう思った。
教主は一体なにをなさっているのか? 信徒らもまた、自分たちの教主の行いに、きっとそう思っていたはずだ。
立場がまったく違う、俺らと信徒たち。
にも関わらず、思いを同じくする出来事が、目の前にて起きてしまった。
皮肉にも、俺らからすれば諸悪の根源、そして信徒らからすれば、新主の遣いとされる男によって。
嫌が応にも、人の気持ちを一つに統合してしまうその能力は、誠に遺憾ながら、エドワードは天性の宗教者、と認めざるを得なかった。
「な、なにをなさっているのです?! その銃を、お下ろしください! なぜ、そのような真似を!」
しじまを破ったのは、信徒らの方であった。
顔色は甚だ優れない。
見知った顔、それも指導者と慕っている者が、突然自殺を試みようとすれば、人間誰しも焦るもの。
彼らが見せている、面持ち、そしてこの狼狽は至極当然のものといえよう。
そして、思いとどまるように説得すること。
これもまた、当たり前のことであった。
さて、そんな自らを慕ってくれている、信徒たちの説得を受けたエドワードであるが――
それらが心に響いた様子は見せず。
右手に握ったパーカッションリボルバーを、下げようとする兆候は、一切観測することができなかった。
彼は依然として、こめかみに銃口を突きつけたままだ。
「ぶ、無礼は承知です! ですが、お答えください! どうしてそんな真似をするというのですか?! 今、貴方が死を選ぶことが! 新主様をお迎えするために、必要な行いだというのですか?!」
しかし、信徒たちも必死だ。
心に響いていないのであれば、響くまでひたすら問いかけようと決めたらしい。
めげずに言葉を投げかけ続ける。
彼ら個々人の事情は、俺の知る由ではない。
しかしその多くは、外の世界に絶望した人々であるはずなのだ。
もしかしたならば、何割かは絶望のあまり、自死すら選びかけたことだろう。
もうこの世界には居られない。死んでしまおう。
そんな極限の状況に追い込まれていた彼らを救ったのは、生の世界につなぎ止めたのは、間違いなく、あのエドワードなのだ。
死んではならない。
いつか新しい救世主がやってきて、貴方たちが報われる世がやって来るから――
エドワードはそう、彼らに語りかけたはずなのだ。
言うなれば、彼は新主教の教主であるのと同時に、絶望の淵にあった人々にとっては、命の恩人でもあるのだ。
だからこそ、信徒らは必死なのだ。
命の恩人に報いようとすること。
これもまた、人として当然の動きであるのだから。
「答えてください! やめてください! 私は! 私たちは! 貴方に死なれるのは嫌だ!」
そして信徒らの感情が極まる、むき出しになる。
嫌だ、嫌だと口ずさむようになった。
まるで、子供がだだをこねるように。
もしかしたのならば、エドワードは彼らがそうなるのを、じっと待っていたのかもしれなかった。
それまで、冷たい鋼鉄の檻にて、じっと佇んでいたエドワードに動きが見られた。
ふわりと、とても優しく、温かみのある笑顔を浮かべて、そして。
「私が引き金を引くか否か。それは、そこのお二人の動きにかかっています。もし、一歩でも動いたのならば……わかりますよね?」
じっと、俺とファリクを見ながらそう言った。
信徒らの視線は、当然エドワードのものとリンクする、追従する。
示し合わせたかのように、テントの内にある、俺とファリクを除いたすべての視線が、一斉にこちらに向けられた。
「……畜生。上手い」
ファリクから蚊が鳴くような声が、うっすらと聞こえてきた。
まったくもって、その通りだ、と俺も内心で彼の独言に同意した。
彼は信徒たちを俺たちに対する、拘束力として利用したのだ。
もし今、小揺るぎでもすれば、信徒たちは教主を殺させまいと、動きを止めるために俺たちへと殺到するだろう。
そして、この推測は誤ったものではあるまい。
事実、さきほど集めた衆目の色は、エドワードと大男を除けば、いずれも血走ったものであったからだ。
どこの誰かは知らないが、動くなよ、動いてくれるなよ。
動いたのならば、タダじゃおかないぞ――
そんなひどく物騒なもの。
実際、動こうとしたのならば、彼らは俺らを止めるための手段を選ばないだろう。
そして、俺らとしても、エドワードの死は避けなければならない。
今後の守備隊の捜査に強く影響するからだ。
万が一、さきの言葉が本気であったのならば――
ここにもう一つの拘束力が生まれてしまった。
武装した連中ならともかく、丸腰の相手との荒事はできれば避けたい。
その上エドワードの死も許してはならない。
これら二つの要素によって、俺らは動けなくなってしまった。
そんな二つの拘束力を、わずか一回の発言でエドワードは引き出して見せたのである。
あまりの話の上手さに、ただただ歯がゆい思いを抱くのみであった。
「……話すことは。許されているので?」
俺のその問いに、エドワードは鷹揚に頷いた。
「ええ。許そう。なにか、聞きたいことでも?」
「彼らと同じことです。どうして、こんな真似を? 貴方は俺たちの隙を突けたんだ。どうして逃げずに、そんなところに行って。あまつさえ、自らの頭に銃を突きつける真似を?」
「理解が及ばないかね?」
「ええ。まったくもって」
「なにがなんでも、完遂させたいからだよ。復讐を」
「復讐……」
心に引っかかりを覚えたワードをオウム返しする。
きっと表情もそれ相応に、うろんなものになっていたのだろう。
「腑に落ちない、といった感じかな。その顔は」
軽く笑声をもらしながら、依然、銃を突きつけたままのエドワードが、ご丁寧にも俺の表情への感想を述べた。
俺は肯んじて、その感想が正しいことを認める。
「わからないのです。貴方は社会的に見れば、成功を収めている人間だ。悪事を犯して、発覚して。そしてすべてを失うリスクが、あまりにも大きすぎる。貴方がなにに復讐心を抱いているのかは、見当もつかないけれども。その暗い心を封印して日々を過ごした方が、より良い人生を送れるはず。なのに」
「リスクや不都合を承知で、馬鹿げた道を突き進むこと。これが理解できないのかね」
「ええ。その通り。とても理性的とは思えません」
「ふむ。なるほど。君は、君の人生において、一度たりとも暗い復讐心を抱いたことがないのだね。今の会話でそれがわかったよ。まったくもって、羨ましい」
「なぜ、それを断言出来るのですか?」
「この心境を一度でも抱いたことがある人間ならば。復讐を理性的だのなんだのと評するのは、口が裂けても言わないからだ。いや、言えないからだ」
さきほどの笑声混じりの感想とは打って変わって、感情のにおいが感じられない、淡々とした口調でエドワードは言った。
なにかの感情を必死に隠していて、それが故に、淡々となってしまっているような、そんな感じだ。
「この気持ちはね、理性の範疇の外にある、恐ろしいほどの熱量を持つ激情なのだよ。理性なんて足かせは、一瞬にして融解してしまうほどのね」
「実際的で、それでいて極めて理性的に見える貴方でさえ、抑えきれないほどの激情、ですか。一体、貴方は。なにをそこまで恨んでいるというのか」
「今のこの世界、だよ」
「……世界、だって?」
片眉を上げる。
くどいほどに、努めて怪訝な顔を作り上げる。
エドワードのその答えは、俺からすれば、まったく理解が及ばなかった。
ファリクも新主教に入信はしたものの、俺と同じ気分なのだろう。
すぐ隣で、首を傾げる気配がした。
たしかに、今の世の中には問題は山積みである。
復興、孤児、格差、社会保障……不安を上げ連ねていけば、遙か天高くまで届いてしまうのではないか、と思うほどに。
だが、それでも断言できることがある。
それは、例えただいまが困難に満ちあふれ、幸福な世界とは言い難くとも、だ。
一年前までの、いつ滅亡するかもしれぬ恐怖に怯えていた日々よりは、ずっとマシであるということだ。
世界に差し込んでいる希望の光。
これが徐々に徐々にと強くなっているのが、今の世界の姿。
一体これを恨む要素が、どこにあるのだろうか。
俺にはまったくもって見当がつかなかった。
「理解できないか。まあ、当然か。特に貴方のように、生まれ自体は恵まれていた人間には。私のように恵まれもせず、望まれもしなかった出生の人間の心境など」
そんな俺を見るのは、苛立ちを覚えるのか。
エドワードは、ついさっきまでの淡々さはどこへやら、不機嫌を丸出しにして吐き捨てる。
お前のような人間に、自分の気持ちを想像することすらできまい、と。
すぐにその手に握る拳銃の銃口が、こちらに向かってくるのではないか? と思わせるほどの、敵意の視線を添えて。
されど、そのような視線に射貫かれた俺は、恐怖を覚えず。
銃をこちらに向けてくれた方が、対処しやすくなるからだ。
むしろこの膠着が解決するのに都合がよくなるから、という期待感が、恐怖を覚えなかった一つの理由でもあった。
だが、それ以上に、彼の視線に無反応であった原因と言えば――
(望まれなかった出生……? もしかして)
――さきのエドワードの発言によって、彼の生い立ちに、ある程度のあたりをつけてしまったことが大きかった。
もしかしたのならば、このエドワードという男。
彼はひどく悲劇的な経歴を、ここまで隠してきたのかもしれない。
彼は本当は同情されるべき存在なのかもしれない。
そんな可能性に思い至って、彼の剣呑な視線に対するリアクションを、とることができなくなってしまったのだ
「恵まれも、望まれもしなかった、出生?」
「ああ。そうだ。私は――」
だが、ファリクはピンとこなかったらしい。
首を傾げたまま、ほとんどオウム返しに、エドワードの言葉を口に出した。
そしてどうやらエドワードも、もはや自身の生まれを隠す必要はなし、と決断したのか。
低く重く、それでいて良く通る声で、自らの出自を表明してみせた。
「兵役逃れの子供たち、だ」
と。
その言葉は、やはりと評すべきもので。
そして俺は知ってしまうことになってしまった。
この新主教を用いてこそこそと悪だくみをしていた、エドワード・オーエンという男が。
真に同情されるべき存在である、と。




