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第五章 二十六話 その意気やよし

 上空から見れば、それはヘビのように見えただろう。

 黒くて、とびきり長いやつ。

 動きはとてものろい。

 その上、物陰に隠れようともせずに、呑気に地面を這いずり回っているのである。


 猛禽がそれを見つけたのであれば、しめしめ、なんとチョロい獲物だ。

 そう思って、喜んで飛びかかっていくだろう。


 だが、そんな猛禽はヘビに向かっている最中、ふと気がつくのだ。

 これはおかしい。

 あまりにも巨大すぎる。

 もしかしたならば、これはヘビではないのだろうか、と。


 そうして慌てて身を翻し、ヘビと思われたなにかから距離を取るのだ。


 事実、それはヘビではなかった。

 大地の上をのたうち回るのは、足のないは虫類ではなく、二本足の人類。

 それが夥しい数に集まって、列を成し、ひたすらに西へと向かっていた。


 彼らの足取りは重い。

 まるで靴に鉛でも詰められたかのようだ。

 しかし、足取りが鈍くなるのも当然である。


 彼らの大部分は、農村で慎ましく暮らしていた、王国の臣民だ。

 戦況悪化によって、生まれ故郷を後にせざるを得なくなってしまった、非業の民。

 一様に暗い顔をして俯き、とぼとぼと歩む臣民たち。

 彼らからは、負の感情が噴水よろしくに湧き上がっていた。


 悲哀、絶望、望郷。


 様々な暗い感情が彼らからにじみ出る。

 その中でとりわけ大きなエネルギーを持っているのは、怨恨であった。

 それも人類を襲い続ける未知の化け物、邪神への恨みではない。

 疎開キャラバンに同行している、寄せ集め部隊に向けたものであった。


 当然それが八つ当たりであることは、彼ら自身、良く理解している。

 この軍人たちは、軍の、あるいは国のトップから下された決断を、ただただ伝えているだけだと。

 彼らがなにか悪さをしたから、村を失う羽目になったわけではないと。

 重々承知していた。


 だが、しかし、誰かを恨まずにして、やりすごすことも、それもまた酷な話というもの。


 自分たちは報いを受けることなんて、何一つしていないのに。

 にも関わらず、どうしてこんな目に遭わねばならないのか。

 今の彼らはまるで悲劇のヒロインになった気持ちであろう。


 それでなくとも、農家という存在は、人生と土地が直結しているのだ。

 彼らの人生そのものと言える土地を捨てることは、それこそ人生そのものを放棄することに等しい。


 強烈なストレスを覚えて然りだろう。

 それも最悪自死を選んでしまうほどに。

 あるいは発狂してしまいそうなほどに。


 だからこそ、彼らは傍に居る軍人らを恨むのだ。

 自死を、そして発狂から自らを守る方策として。


 恨まれる側となっている、軍人もそれは十分に知悉していた。

 だからこそ彼らも、村人らとは決して目を合わせようともせず、じっと前を見つめ、歩を刻んでいた。


 それ故、村人らを護衛する軍人たちの中で、辺りをキョロキョロと見渡す者が居たら、悪目立ちするのが道理。


 現に同僚から、そして村人らから遠慮なしの訝しみの視線、これを一身に集める軍人が一人居た。


 くすんだ赤毛の少年……ウィリアムがそれである。


 不審の視線を集めようとも、彼は一切気にした様子がない。

 右に左に。

 彼は頻繁に視線を首ごと振っていた。

 その様子はなにかを、いや、誰かを捜しているようであった。


 そしてどうにも捜し人は一向に見つからないらしい。

 ウィリアムは首振りをやめる気配を、少しも見せなかった。


「どうした、ウィリアム・スウィンバーン。挙動不審だぞ。なにか探し物か?」


 少年の頭上から、声が降りてくる。

 王国の王女たる、メアリーのものだ。

 蹄音伴う声であることからわかるように、ただいま彼女は騎乗の人であった。


「王女殿下。少しだけ、人捜しを」


「人捜し? アレか? まさか脱走兵でも現れたのか? 前線での脱走は、捕縛後銃殺刑だというのに……よくやるものよな」


「いえ。そうではありません。幸いにも脱走兵は、まだ、出ていないようです。私が捜しているのはアリスです。さきほどから捜しているのですが……どういうわけか、見つからなくて」


 その言葉に、サイドサドルに腰掛けるメアリーの態度が急変した。


 ウィリアムの言葉を聞く前のメアリーは、常の姿であった。

 細事や、暗い過去なんぞ笑い飛ばしてしまえ、と、豪放磊落という言葉がぴたりとくるような、頼もしくも豪快な雰囲気を身にまとっていたというのに。


 メアリーは今や、なにやら眉をひそめていた。下唇も噛んでいた。

 これは明らかに後悔の顔付きであった。

 自責の表情であった。


 アリスの話題で、こんな悔恨の面持ちを拵えるということは、である。

 あの幼い少女の身になにかがあったのだろうか。

 それも王族であるメアリーの力が及ばぬなにかが。


 ウィリアムは急に不安になった。

 

 一体、今アリスはどこにいるのか。

 それをメアリーに問いかけようとした、まさにその時。


「アリスはな。ここには居ない。このキャラバンの構成員では、ない」


「……は?」


 機先を制される形で、王女が告げたその事実を、はじめウィリアムは上手に認識することができなかった。

 そして、しばし遅れた後に、その意味するところを理解できたとしても、彼はなぜそのようになったことが理解できなかった。

 目をまん丸にして、メアリーを眺めて、驚くことしかできなかった。


「あの娘はな。残ったままだ。あの村に。やがて前線そのものになる、あの場所に」


「……どうして? どうしてそんなことになったのですか?」


人身御供(ひとみごくう)だ」


「人身御供って……その。それは。広義の意味ででしょうか? それとも狭義のものでしょうか?」


 広義の人身御供と狭義の人身御供では、同じ言葉でも、持つ意味がまるっきり変わってくる。


 広義のそれは会話上での比喩的表現だ。

 例えば殿軍だとか、囮役だとか。

 そんな目的達成のために、さながら生け贄のように捧げられる人々のことを指して、使われるものだ。


 対して狭義の人身御供は、邪神によるもの。

 乙種、あるいは乙種になりかけとなった高成長個体は、時に人類に取引を持ちかけてくることがある。

 生け贄を捧げるのであれば、しばらく襲撃はやめてやろう――こんな風に。


 民話や神話に出てくる、人身御供譚そのままのやりとり。

 それ故人類は、奴らのそんな習性を、いつしか人身御供と呼ぶようになったのだ。


 前者であれば、運が良ければ生存が望める。

 例え彼女が、邪神をひとところに集めるためのエサだとしても、あの村に展開する予定の部隊が邪神より早く到着してくれればそうなる。


 だが、後者の意味であった場合。

 その個体を打ち倒さない限り、アリスの身の安全は――


 だからウィリアムは祈った。

 どうか。

 どうか前者の、広義の人身御供であってくれ、と。


「いいや。狭義だ。誠に残念なことに」


 だが、彼の願いは儚くも打ち砕かれる。

 苦虫を噛みつぶしたような、とても辛そうな顔をしたメアリーの言葉によって。


 なぜ。

 なんで。

 どうして。


 その手の類義語がウィリアムの頭蓋の内を暴れ回った。

 どうして彼女が、人身御供として捧げられなければならなかったのか。


 いや、そもそも。


「……どうして」


「ん?」


「どうして! どうして俺たちは! 邪神がこの村に交渉を持ちかけたことを、気がつけなかったんだ! 気がついていたのならば! その時点で脅威を排除できたというのに!」


「邪神が取引を持ちかけにやってきたのは、お前や私がここにやってくる前の出来事だったそうだ。知る由もない。なにせ村人ぐるみとなって、その事実を隠蔽していたからな」


「だったら、なおのことだ! なんで彼らは俺たちにそれを伝えなかったんだ! 伝えてくれさえすれば……その邪神を! 打ち倒してやったというのに! 軍人の責務を、喜んで果たしたというのに!」


「では聞くがな。すでにコテンパンにやられた部隊の生き残りに、邪神を倒せるだけの力があると、普通思うことができるか? きちんと戦える集団であると、思うことができるか?」


「でも村人を! 隣人を生け贄に差し出すよりは、よっぽど穏当でしょう! どうして軍は対策を取らないのです! 俺たちが今すぐにでも、迎撃の準備を整えれば終わる話でしょう!」


「軍としては万が一の事態を恐れているようだ。その個体が乙種であった場合、対峙したところで、撃退はおろか、逆に返り討ちの危険すらある。すでにこの方面軍は戦線後退という、大失点をしているのだ。これ以上は醜態を晒したくない、といったところだろう」


「でも! でも! 村が要請さえすれば、きっと上層部だって!」


「敗れたときが悲惨だからな。たった一人の犠牲で済んだものが、邪神の逆鱗に触れてしまったばかりに、全村民仲良く邪神の腹の中――そんな結末をたどる可能性すらあるのだ。それはあまりにも愚かなこととは言えないかね? 典型的なリスクオフの判断だ。責められるものでは、ない」


「なら殿下は! この犠牲を! あの娘が死んでしまうことを、容認するというのですか!」


「無論、私としては承服しかねる。だが……そんな個人の見解を捨て去り、大局的な視点に立ったのならば、これはもう割り切るしかあるまい。この時代には、よくあることだ、と」


「そんな……そんなこと!」


 王家に人並みに敬愛を抱いている者がこの場を見たのならば、かの者は間違いなく、ウィリアムを指差して、こう非難するだろう。


 黙れ不敬者! と。


 熱を帯びたウィリアムの今の語勢には、尊敬や謙譲の態度が、まるっきり見られないからだ。

 用いている言葉こそ最低限の丁寧さは含んでいるけれど、語勢そのものは、ほとんど怒鳴り散らしているに近いからだ。


 だが、流石に王女は器が大きいと讃えるべきか。

 ウィリアムの言葉の圧に圧倒された様子も、とさかに来てしまった様子も見せない。

 彼の叫びを真っ正面から受け止めて、丁寧に一つ一つ答えを返していった。


「認められないか。だが、これはな。アリス自身の意思でもあるらしいぞ? 決して村が供物になることを強制したわけではない」


「あの娘自身の……意思?」


「ああ。そうだ。自分の命によって、みんなを助けられるのならば。それは今まで仕事を与えてくれたみんなへの、恩返しになると考えたようだぞ。まったくもって自己犠牲に過ぎる考え方よな」


 自己犠牲。


 それはまったくもって尊いものであると、ウィリアムは、幼いころから教えられていた。

 貴族の宿命である、ノブレス・オブリージュがまさに好例だろう。

 さらにウィリアムは、彼の実家が滅んだ後に、共に旅をしていたエルフの女性から、その尊さについて、懇切丁寧に説かれていたのだ。


 人間、自己犠牲に対する憧憬は、大小が異なるだけで、誰しにもあるもの。

 ウィリアムはかような経歴を送ってきただけに、その憧れが人一倍強かった。


 だが、そんな彼であっても、だ。

 まだ十になったばかりかどうかの、小さな女の子に、それを実行されるとなると、天晴れと讃える気持ちが、わずかにでも湧き上がってくることはなかった。


 むしろ、ウィリアム本人でも驚くべきことなのだが。

 真逆の感想を抱くに至った。

 一種の嫌悪感を抱いたのだ。


「……なんだって、そんな馬鹿なことを」


 ウィリアムは素直に、自らの胸の内を表に出した。


「馬鹿なこと、か。だが、お前にそれを言う資格は果たしてあるのか? ウィリアム・スウィンバーン。並外れた力があることを理由に、過酷な任務を選んで遂行して。部隊の全員から、痛々しくて見ていられないと思われていたお前が」


 明確に咎めの音色を含んだメアリーの声は、ウィリアムの心に深く突き刺さった。

 彼女のまったく言う通りであったのである。


 例えば殿軍のような、生存の望みが薄い役になればなるほど、ウィリアムはそれをやりたがっていたのだ。


 そうすれば、綺麗に、誰かの役に立って死ねるから。

 ノブレス・オブリージュも、そしてあの杖の放浪人の彼女が説いた、在り方を実践したままで死ねるから。

 ウィリアムからすれば、これ以上にないくらいの、理想の死に方であった。


 だから彼は何度も何度も無理をした。

 実際、死があと一歩の所まで詰め寄ってきたことも、何度もあった。


 けれども未だにウィリアムは健在である。

 臨死する度に、決まって彼の同僚や上司がどこからともなくやってきて、ウィリアムの命を救うために、代わりに死んでいったのである。


 それがウィリアムはたまらなく嫌だった。

 そんな訳のわからないことをするのは止めてくれ。

 自分のために命を散らすのは止めてくれ。

 これ以上誰かの命を背負うのは、たくさんだ。

 だから死なせてくれと、彼らの亡骸の前で、泣き叫んだりもした。


(でも、今ならわかる。みんな。嫌だったんだな)


 だが、今、自分が残される立場となったとき、これまで理解できなかった、彼らの気持ち、ウィリアムはこれがようやく理解できた。


 とにかく彼らは嫌だったのだ。

 自分より年下で、それも子供が自分の命を消耗品のように扱うところを見るのは。

 人間、年寄りから順に死んでいくべきだ、と信じて疑わなかったのである。


 そしてウィリアムも、アリスが自らの命を、モノとして利用せんとしていることに、猛烈な嫌悪を覚えた。

 ひたすらに嫌で嫌で仕方がなかった。


 こんな暗い御時世だけど、まだまだ彼女には希望に満ちた未来が広がっているはず。

 アリスにはそんな未来を満喫してもらわなければならないのだ。

 そうあるべきなのだ。


 子供の未来は刈り取ってはならない。

 彼女の未来を守るためにも。


 それに――


(まだ俺は。アリスにあの絵を渡せていない)


 だからウィリアムは足を止めた。


「どうした? 足を止めて」


 メアリーも手綱を引いて、馬を止めた。


 急に歩みを止めた一頭と一人。

 キャラバンの視線を独占した。


「……殿下。俺、戻ります。あの村に。アリスを。アリスを助けに戻ります」


「その意気やよし。だが、いいのか? 今からお前が、やらんとしていること。これは敵前逃亡とみなされるだろう。アリスを助け出せたとて、銃殺刑に処されてしまうぞ?」


「それでも。いい。あの娘が助かるのならば、それでも。ですが――」


「ふむ?」


「あの娘が死なれるのは嫌だと思っている人間が、あの娘を助けられるのならば、死んでもいい、と願うのは、とても自分勝手な話。ですから俺は、自分の命を守る方策が必要となりましょう」


「しからば。どうする?」


「殿下」


 ウィリアムは片膝を立てて跪く。

 そして頭をメアリーに垂れた。

 それはまるで、刀礼に挑む騎士のような姿で。

 実際、彼はそのつもりで跪いていた。


 そして彼は紡ぐ。

 誓いの、言葉を。


「不肖の身なれど、貴女様の崇高なる構想。その実現のために、わたくしめの忠誠心のすべてを、貴女様に捧げましょう。遅ればせながら貴女様のお誘い。謹んでお受けいたします」


「応。相わかった! お前の忠誠、しかと受け取った! 行ってくるがいい! ウィリアムよ! あとのことは、私が責任持ってすべてをねじ曲げておく! 絶対に救い出してこい!」


 メアリー自身も、アリスを捧げることに嫌悪を抱いていたのだろう。

 よしきた。

 よく決断した。

 喜色に満ちた笑みを浮かべながら、ウィリアムが村に戻ることを認めた。


 そして誓いへの返礼は、まさしく破天荒王女の面目躍如といったところ。

 形式張り、伝統に則った文言を一切使わず、自分の胸中をストレートに、そして威勢良く表現した。

 もし、大貴族がこの場に居合わせたのならば、あまりの典礼無視に目眩を覚えたことだろう。


 だが、ウィリアムはそんな王女の言葉遣いを好ましく思った。

 元気のいい語勢に背中が押される思いを抱きながら。


 得意の強化魔法を用いて。

 脚力を強化して。


 ウィリアム・スウィンバーンは放棄された村へと踵を返した。

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