第五章 二十二話 大いなる慈悲
百点満点とは言えないが、目的は達成できた。
上々とも言える結果に、エドワードはひとまず満足することにした。
時刻はもう昼下がりと言うには、大分厳しくなっていた。
天頂にあった陽は、それなりに西に傾き、陽光も大分黄色が差し込んできている。
あと少しすれば、日差しが直接目に入るようになり、誰もが顔をしかめて西に向かわなければならなくなるだろう。
そんな一日の終わりが見え始めた時分、エドワードは二人の信徒を引き連れて、教会建築現場を往く。
行き先は、歩哨を立てて、人の出入りを厳しく制限している、あのテントだ。
(焦る必要はないが。しかし、急いだ方が良さそうだ)
口を閉ざして音もなく、エドワードはそう呟いた。
ウィリアムの心の奥底に封印した願望を、見事言い当てたエドワード。
その結果、彼はウィリアムの信頼を、ある程度は勝ち得ることができた。
本音を言えば、引き出す情報の正確性を担保させるためにも、他の信者たち同様、全幅の信頼を手に入れたいところではあったが、エドワードは妥協することにした。
あまりしつこく近付いて、忘我の境地に近いとは言え、不信感を抱かれてしまっては、元も子もない。
そう割り切ることにして、彼への尋問を開始したのであった。
尋問とは言うものの、治安維持機関や軍隊のように、高圧的に接するのではない。
あくまで低い腰で、そして思わず本心を打ち明けてしまうような、親しみやすさを演出してみせるのが、エドワードのそれの特徴であった。
雑談を交え、取るに足らない日常的な話題を繰り広げながら、時折核心に迫る質問をして、情報を手に入れる。
これがエドワードのやり方であった。
しかし、理性がとろけているとはいえ、流石は一流の軍人と言うべきか。
ウィリアムはエドワードが真に欲していた情報、つまり守備隊の動向に関する情報は、口を閉ざして、その一切を語ることはなかった。
であれば、尋問は失敗した、と断ずるべき結果のように思える。
だがしかし、さにあらず。
エドワードは目的は十分に達成された、と判断した。
(やはり、薬で酔わせたのがよかった。もし、素面のままで挑んだのであれば。きっと情報は少しも手に入れることはできなかったはずだ)
たしかに、ウィリアムは核心的なことを話しはしなかった。
口を閉ざし、なにも言わず、沈黙を貫いた。
これが決定的であった。
ウィリアムは核心的なこと以外の話題には、たどたどしくも受け答えをしていたのだ。
それなのに、重要な話題となると、途端にだんまりを決め込む。
そうなるまできちんと話が出来ていたのに、急に黙り込んむ理由なんて、たった一つだろう。
それが口外してはならない、重要な情報である、と彼が判断したからだ。
彼は忘我の境地に近くても、律儀に情報を漏らすまいとしたのである。
だが、思考能力が落ちたせいで、ウィリアムは過ちを犯したのである。
核心に迫る情報のみ口を閉ざしたせいで、返ってその質問の答えを、意図せず強調させてしまったのである。
沈黙は肯定を意味していた。
例え情報を必死に隠していたとしても、だ。
そうまで露骨に返事が違うのであれば、いくら隠そうとも答えは明白であった。
もし、ウィリアムが素面であったのならば、適当に嘘の答えを吐き、のらりくらりと、追及をいなしていたはずだ。
しかしアヘンで思考がとろけて、嘘を考える余裕がなくなってしまった。
それでも大事なことを漏らしてはならぬと、強く念じたせいで、わかりやすい対応をとってしまった。
守備隊が教団を怪しんでいるのか。
この訪問に彼らは関わっているのか。
強制的な捜査に踏み入ろうとしているのか――
これらの情報をウィリアムは無意識に、エドワードに受け渡してしまったのである。
その点で言えば、エドワードが対談前に、アヘンの香を焚いたこと。
これはまったくもっての良策であったのだ。
(だが、すべてが思い通り、というわけにはいかなかったのも事実)
守備隊が、教団の強制捜査も視野に入れていることは、さきの尋問で明らかになった。
だが、ウィリアムが口を閉ざして、見事に貝になりきってしまったが故に、例えばいつ守備隊が踏み入ってくるとか、突入時の規模だとか。
その手の詳細な情報が、手に入らなかったのである。
手に入れられたのは、大雑把な情報だけ。
ないよりは相当マシであるが、欲を言えば、もう少し細やかなものが欲しかったところであった。
それだけではない。
ウィリアムを教団に取り込み、戦力として活用すること。
これもまた、諦めざるを得なくなってしまった。
ウィリアムは社会に害をなそうとすることへの嫌悪感。
これが強烈であったのである。
エドワードがいくら勧誘しても、彼は首を縦に振ることは、決してなかった。
そんなことはしてはならない、と。
自分の欲望のために誰かを傷つけること。
これはノブレス・オブリージュから外れたものであると。
ウィリアムはひたすらに拒み続けたのだ。
(期待外れであったのは事実だが……しかし)
たとえ戦力にならなくとも、彼には使い道がまだあった。
そのためにエドワードは歩む。
信徒にウィリアムを引き摺らせながら。
あの大柄な信徒が見張りをしている、大きなテントへ。
「さて、二人ともお疲れ様でした。ここで十分です。あとは……彼に任せてください」
そして一行はたどり着いた。
件のテントに。
見張りをしている彼に、ウィリアムを預けるといい。
到着するや、エドワードはウィリアムに肩を貸していた二人へ、ねぎらいの言葉と共に、そう促した。
「はい。それではお願いします」
かくして二人は動き出す。
エドワードの出した指示にも、そしてどうしてウィリアムがぐったりとしているのか。
それらに関して、まったく疑問を抱いていないようであった。
二人は見張りの男の前に歩み寄って、ウィリアムを差し出す。
見張りは見上げるような大男なだけはある。
ウィリアムが小柄なのもあるが、ぐったりとしている彼をひょいと持ち上げ、軽々肩に担いで見せた。
「では、二人とも。修行に戻ってください。全力であたってくださいね。新主様が降臨する日は近いのです。新主様のお手伝いをするために、一秒でも早く、力を付けなければなりません。貴方たちなら出来ると、私は信じていますよ」
「はい! 精進します!」
エドワードの激励は、二人の心の奥深くまで染みこんだようだ。
感激に体を震わせながら、二人は元気よく返答。
とても軽い足取りで自らの持ち場へと戻っていった。
「……よし。行こうか」
「ああ」
二人の姿が見えなくなったのを認めて、エドワードは巨体の彼を促した。
その態度は指導者然とした、取り繕ったものではない。
対する男の方も、恭しさとは無縁な態度。
極めてぶっきらぼうなものであった。
とてもではないが、教団の指導者にあたる態度とは思えない。
エドワードにせよ、男にせよ、まるで古くからの友人と接するような、そんな気安い態度であった。
事実この二人は知己であった。
それも知り合った経緯は、新主教とはまったく無縁であるのだ。
と、すれば、なるほど。
二人の友人のような言葉のやり取り、というのはぴしゃりと正鵠を射ていたと言えよう。
旧友二人は、テントの内へ踏み入る。
殺風景なテントであった。
さきほどウィリアムを酔わせたそれのように、家具の類いはない。
テーブルも椅子も、そして工具や修行道具をしまうための、木箱すら見当たらない。
中には、本当になにもなかった。
ただ一つの物を除いては。
「……しかし、ロングフェロー商会というものは、本当に便利なものだな。まさかこんな物まで取りそろえているとは、思わなかった」
感心したエドワードの声色は、その物を見ての感想だ。
それは無骨で冷たい鈍色。
鉄格子が等間隔ではめ込まれた、がっちりとした鋼鉄の筐体。
それは、そう、檻。
巨大な檻だ。
大の男を二人積み重ねられるほどの高さと、人間を数人は収容できるほどの床面積を誇る、そんな檻。
それがこのテントに置かれた唯一の物であった。
「こんなものが商会のラインナップに入っているのは、エドワード。きっとハドリー・ロングフェローが自分でも使う機会があったから、だろう。自分がパトロンとなっていた種族主義団体にコイツを渡して。そして多様人以外の人類を捕まえさせていたのだろう。あるいは――」
「先日このゾクリュでやらかした種族主義団体のように、邪神を捕まえておくための牢、かい?」
「そうだ。だが、もっとも。彼らは模倣者だ。この檻を邪神を捕らえるために使い始めた、その本家本元は――」
「ああ」
エドワードはわずかに口角を上げる。
「私たち新主教だ」
二人は檻をじっと見る。
いや、正確には檻の中を見た。
鋼鉄の床に寝そべる影があった。
人影ではない。
獣の影。
大きな、大きな、影。
虎や獅子に似た影。
しかしそれはあくまで近似でしかなかった。
敢えて言えばの比喩でしかなかった。
檻の中で寝そべるのは化け物であった。
つい一年前まで徒党を組んで、人類と敵対していた。
邪神。
獅子級。
彼らはそれを手中に収めていた。
それも先日街に邪神を放った、あの種族主義団体よりも、ずっとずっと前から。
何故、彼ら新主教が邪神を捕らえているのか。
それは、エドワードが目指す復讐の戦力として用いるためでもある。
だが、エドワードはそれ以外の使い道も見出していたのだ。
「さて、儀式といこうか」
儀式。
それが邪神の新たな使い道であった。
いくらデタラメの教義で拵えた新主によって、無理矢理に信徒らに生きる希望を与えていると言え、だ。
それでも現実の絶望に耐えきれず、新主教を信仰してもなお、死を望む人間も少なくはない。
新主教を立ち上げた直後は、その対策にエドワードも苦慮したものだ。
しかし、自死を選ぶ人々を少なくすることは出来たけれど、ゼロにすることはできなかった。
そこでエドワードは悟ったのだ。
この手の人々というのは、いくら説得しようと、励まそうとも最終的には死を選んでしまう、と。
彼らは社会から落伍してしまったが故に、苦悩し、絶望し。
そして最後には世界を呪って命を絶ってしまうのだ。
幸福になれなかった自分を責め、幸福になることを許さなかった世界に呪詛を吐きながら、彼らは死んでいくのだ。
いくら自らの野望のための手駒たちとは言え、エドワードとて人の情は残っている。
そんな不幸な理由で自死してしまうのは、あまりにもやるせなかった。
なによりも、そんな不幸な死の理由も、ただいまを幸福に生きている者たちからすれば、取るに足らない理由、と見なされてしまうのだ。
それどころか、口がさがない連中は、不幸から脱する努力をしなかった愚か者、と手厳しく非難すらする。
その死に意味すらないと吐き捨てる、大馬鹿者すら存在しているのだ
だからこそ、エドワードは死を選んでしまった人々に、心から同情しているのだ。
彼らは好きで不幸になったわけでもないのに。
不幸から脱出する努力を怠ったわけでもないのに。
たまたま運が良かっただけの者から、その死すらも蔑ろにされ続ける。
こんな悲しいことがあってはならないと、エドワードは思っていた。
だから彼は作ったのだ。
その死でもって、そんな幸運な者たちに、そして世界に一矢報いることの出来る仕組みを。
彼らの世界への呪詛を、叶えるための方法を。
その身を邪神に食らわせ、力を蓄えさせて、世界を滅茶苦茶に荒らすための礎とならんと説くことで。
彼らの死に意味を持たせることに成功した。
つまりこれは、復讐のための人身御供也、と。
その死を、その無念を利用することに成功したのだ。
「さて、ウィリアムさん。今から私は、貴方を救済したいと思います。これ以上、貴方がこの悲しみに満ちた世界で、苦しまなくても済むように。救済を与えます」
大男の肩でいまだぐったりとしている、ウィリアムにエドワードは声をかける。
尋問を行ったときと同じく、柔らかい声で。
大男に対するものとは打って変わって、宗教者らしい口ぶりで。
「死を。死の救済を。今、この時に」
まるで褒美を与えるかのような、話し方でそう告げた。
貴方の最後の使い道は、邪神の餌になることだ、と。
彼は世界への復讐は望んではいない。
邪神の血肉となり、世界を荒らすことは、きっと不本意であろう。
でも、たしかに彼は心の底では死を望んでいて。
そして、望み通りの死を与えるのであれば。
エドワードは、この処置が大いなる慈悲そのものであろう、と確信していた。




