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第五章 二十話 置いていかないで

「では……お話をお聞きする前に確認です。貴方のお名前は?」


 先ほどまで人を惑わせる煙が充満していたテントに、エドワードの声が響く。

 誰何の声だ。


 しかしエドワードが改めて誰何するのは、なんとも奇妙な話である。

 何故ならば、彼はすでに知っているからだ。

 ウィリアムの名前を。


 にも関わらず、もう一度名を問い直した。

 その目的とは、つまるところ、確認であった。

 彼にどの程度の理性が残っているかの。 


 理性がない方が都合がいいとはいえ、完全に奪ってしまうのも、また問題であった。 

 会話が成立しないレベルにまで酔わせてしまえば、そもそも、尋問しようがないからだ。

 理性を出来るだけ溶かしつつも、しかし、会話が交わせる程度には正気を保たせなければならない。

 その加減の難しさが、薬を用いての尋問の泣き所であった。


 薬が回りすぎていたのならば、この時点ですでに、意思の疎通は不可能だ。

 寝言よろしくの支離滅裂な言動だったり、それ以前に、言葉としての体を成していない雑音が返ってきたりする。


 適度に薬が効いているのであれば、名前程度ならば返せるはず。

 さて、今のウィリアムの効き具合は、果たして。

 エドワードは固唾を呑んで、テーブルに突っ伏す、赤毛の青年の口元を見た。


 三拍、四拍。

 たっぷりと長い間の後。

 青年の口がわずかに動いた。


「……ウィリアム・スウィンバーン」


「失礼ですが、おいくつですか?」


「に、にじゅう……二十二……」


「なるほど。それではもう一つ質問です。ここがどこだかわかりますか?」


「えっと……えっと? テント?」


「その通り。そのテントがどこに建っているのか。そして私たちは何者か。それがわかります?」


「うー……えっと? ここは、ここは? うー……」


 どうやら、そのことを思い出せないでいるらしい。

 ウィリアムは、寝起きをぐずる子供のように、ふにゃふにゃとした声をひたすら上げ続けるようになる。


 その姿を眺めて、エドワードはわずかに唇をつり上げる。


 どうにも今日は、恐ろしいくらいにツキが向いているらしい。

 エドワードはそう思った。


 今の問いかけで、ウィリアムは意識が混濁する、一歩手前ということがわかった。

 この状態の彼を介抱するのは骨が折れるだろうが、情報を引き出す分には丁度いい、絶妙な塩梅であった。


 エドワードはウィリアムの隣に椅子を持ち出して腰掛ける。

 これならいける。

 早速、尋問を始めることにした。


「ああ。いえ。わからなければいいのです。無理に思い出さなくとも。それよりも……お聞かせいただけますか?」


「なに。を?」


「貴方のことですよ。これまでの人生を是非私に」


「……?」


 ウィリアムは座っていない首を、やっとこさ、といった様子でエドワードに向けた。

 どうやら言葉を口にするのも億劫なようだ。

 いまいち焦点の合わない瞳を必死に律して、エドワードを捉えて、無言で問う。


 どうして?

 どうして、自分の過去を語らねばならないの? と。


 エドワードは努めて柔和な笑顔を作る。

 それは素面の人間からみれば、とてもくどい笑みで、不信感を抱かれてしまうこと受け合いだ。


 しかし、エドワードは知っていた。

 思考がとろけている人間から見れば、このくどい笑みが、心底安心するものなのだと。

 胸の内をすんなり語らせるための、重要な鍵の一つであることを。


「貴方の力になりたいのです。人間、誰にだって人に言えない悩みを抱えているはず。そしてそれは、往々にしてその人の過去に起因しているもの。私は貴方の悩みを和らげるために、その原因となっている事を見つけたい。そして複雑に絡みあったそれを、どうにかしてほどきたい。貴方を癒やすために。私は貴方の力になりたい」


 あまりに偽善的な発言。

 あまりに調子のいい発言。


 だが実は、これはエドワードご自慢の殺し文句であった。

 この時代に生きる人間というのは、百年にも及ぶ戦争のせいで、誰も彼もが心に大きな傷を負っているものなのだ。


 私は貴方の悩みを解決するための、その力になりたい――


 だからこの発言が、多くの人間の胸に刺さるのである。


 特に今は戦後となって、すべての人間が明るい方を見なければならない、といった風潮が強いのだ。

 自分の悩みを表に出してしまえば、他人の気持ちまで暗くさせてしまう。

 それは戦争の復興にとって、間違いなくマイナスなこと。

 だから我慢しなければ。


 誰かが義務にしようと言ったわけでもなく、人々が自然とそんな我慢を美徳としてしまっているのだ。


 そんな最中に、である


 いや、悩んでも当然だ。

 私に話して楽になろうではないか、と優しく語りかける人物が、目の前にひょっこり出てきたのならば。


 心に負っている傷が深ければ深いほどあっさりと転ぶもの。

 事実、エドワードはこの殺し文句で多くの人々を、自身の熱狂的な信者に変貌させてきた。

 信頼できる人間と思い込ませ、幾度となく情報も抜き出してきた。


 まして薬のせいで、理性的でなくなってしまった人間であるのならば――


「一体……どこから話せばいいのでしょうか……」


 まさに赤子の腕をひねるようなもの。

 ウィリアムもまた今、自らの過去を披瀝せんとしている。

 彼を術中に陥れることができた。


「そうですね。貴方が胸に秘めている、最古の苦悩。まずはそれをお聞かせください。話すことは辛いかもしれません。しかし、誰かに話すことで、気分はずっと晴れやかなものになるはずです」


 まずはウィリアムとの信頼関係を築くために、彼の苦悩に共感するふりをする。

 それは、守備隊の情報を手に入れるためには、たしかに回り道ではあった。


 しかし、相手はあの戦場伝説めいた分隊員なのである。

 意識がぼんやりとしてようと、こちらの下心を気取られたら終わりだ。

 だから、慎重に過ぎたところで、失うものはなにもないはずだ、とエドワードは思った。


 にわかにしじまが訪れる。

 ウィリアムが働かない頭で、必死に記憶の海をさらっているために生まれた沈黙だ。

 あるいは、胸の内を表現するのに、適当な言葉を探しているのだろうか。

 いずれにせよ、エドワードにとっては都合のいい間であった。


「……パブリックスクールに入って、初めての冬休み。七……いや、八歳だったころ」


「なんと。そんな幼いころに最古の苦悩があるとは。一体、なにが?」


「……冬休みだから。寮じゃなくて、家。家に帰った。帰った? いや、帰ろうとした。でも、できなかった」


「できなかった?」


「そう。できなかった。俺はそのとき……帰ったけれども、帰れなかった」


 薬のせいでその声色は夢見心地で、その上、いまいち要領も得ていないウィリアムの言葉。

 常の人ならば、苛立ちを覚えて、思わず先を促すほどにスロウなしゃべり方。

 けれども、エドワードは急かす真似をせずに、じっとウィリアムの言葉に耳を傾け続ける。


「馬車が家の門に着いたとき。なか、なかった。出迎えが。おかしかった。屋敷の様子も。御者と一緒に。様子を見に。そしたら……みんな、みんな。死んでいた」


「……失礼ですが……その、生き残りは?」


 その問いにウィリアムは、頬をテーブルにつけたまま、気だるげにかぶりを振った。


「か、家族も。使用人たちも。邪神に……」


「……なんと」


 いかにも絶句した風のエドワードの呟き。

 しかしそれは、まるっきりの演技であった。

 むしろ彼の本心は冷静に、幼かったウィリアムの身に降りかかった悲劇を分析する。


 まあ、珍しいことではない。

 この時代にはありふれて変わり映えのない悲劇の一つだ、と。


「御者は……驚いて。逃げ去って。でも、俺は。屋敷に残った」


「逃げなかった? どうして」


「俺が嫡子だったからだ」


 呂律がいまいち回っていなかった発言から一転、ウィリアムの言葉の輪郭が、急にくっきりとしたものになる。

 

 はじめエドワードは、まさかもう薬の効果が切れたのか、と肝を冷やした。

 だが、結局の所それは杞憂に終わった。

 ウィリアムはまだ上体をテーブルから引き起こせていないし、瞳の焦点もまったく合ってはいない。


 それにも関わらず、こうまではっきりと述べられるということは、きっとこの理由が、彼の人格の根幹に関わることなのだろうな、とエドワードは思った。


「兄たちが……姉たちが……戦場に行って、死んでいって……俺は残されて……いずれは家を……守らねばならなかった。本当は順序を踏んで……なるべきだった。で、でも」


「そのときに、なし崩し的に。急になってしまった。最後の生き残りに。たった一人の貴族家の当主に」


「……だから俺は……みんなを弔わなきゃいけなくて……一人で……」


「一人で? 怖くはなかったのですか? まだ邪神が傍にいるかも、とは思わなかったのですか?」


「怖くは。なかった。むしろ……」


「むしろ?」


 ウィリアムが言い淀む。

 口を噤む。

 理性が半ば溶解しつつも、それでもなお、その先の供述だけは拒んだ。


 どうやらこの先が彼の心の奥底に封印した、なにかしらのしこりなのだろう。

 彼を落とすには、きっとそのしこりが鍵を握っているのだろうと、エドワードは確信した。


 まだ、ウィリアムはそのしこりの正体を明かすまで、エドワードを信頼していない。

 ここは焦らず、じっくりとウィリアムの話を聞いて、彼との心の距離を縮めなければ。

 エドワードは改めて居住まいを正して、赤毛の青年に向き合い続けた。


「……大変だった。数が多かったから。埋める場所を見つけるのも。穴。掘るのも。だから……日を……何日もまたいでしまって……途中から蛆が涌いて……それを払うのに余計時間がかかって……だんだんと腐ってきて……でも、そんなときだった。俺は……出会った……手伝ってくれた……」


「誰に?」


「先生に」


「先生?」


 ぐったりとしながらも、ウィリアムは頷いた。


「俺に、生き方を。強かに生きる術を……教えてくれた人。魔法を……教えてくれた人。杖の使い方も……料理も。旅人。きれいな人。姉でもあり母でもあるような人……俺が……初めて見たエルフ」


「……杖? 旅人? エルフ? まさか」


 辛うじて話としての体を保っているとは言え、だ。

 ウィリアムの言動は要領を得ておらず、いまいち意味をくみ取りにくい。


 しかしそれでも、エドワードはきちんと聞き取り、それどころかウィリアムの言うところの先生とやらの正体。

 それが何であるのか、あたりがついたのだ。


「杖の放浪人、ですか? エルフの風俗で言う」


 ウィリアムは首肯した。


 他の人類と異なり、エルフたちは近代的な国の概念を持っていなかった。

 エルフの社会での最大の行政区分は村であったのである。

 彼らにとって他の村というのは、まったくの異国と言って差し支えなかった。


 村々を統括して管理する権力が存在しなかった故に、エルフの村というのは、兎角、境相論(さかいそうろん)が発生しがちであった。


 無論、文明的な生活を送りたいと願うならば、本来は争いは避けるべき事態。

 だから彼らはとあるシステムを拵え、境相論の抑制を試みたのだ。


 それが、杖の放浪人である。


 いずれの村にも属さないエルフを作りだし、死のその時を迎えるまで延々と、杖を携えながら村々を回らせるのだ。

 そして放浪人は、滞在した村に境相論の兆しがあれば、新たに境界を設定し、相論を調停させなければならない。


 放浪させることがそのまま、彼の者の客観性を担保することとなるのだ。

 物の善悪をはかるのに、これほどの適任者はいないだろう。


 だから、村々は例え納得のいかない裁定であろうと、それを受け入れざるを得なかったのだ。


 言うなれば、放浪判官。

 そんな存在を産み出すことによって、エルフはエルフ社会の平穏を手に入れたのであった。


「……まさか着いていったのですか? その放浪人に。許されたのですか? 同行を」


 ウィリアムの瞼が一度ゆっくりと閉ざされる。

 瞬きにしてはかなり遅い、意思が伴った動き。

 それは即ち、問いかけへの肯定を表していた。


 その答えにエドワードは少なからず驚きを覚えた。

 昔から、エルフというのは、特に他の人類との交流を好まない傾向にあるからだ。

 戦争によって四人類の宥和が進んだとはいえ、その傾向は未だ健在。

 今でも他の人類の国で生活するエルフは多くはなく、エルフ社会からすれば、むしろ変わり者扱いされているのだ。


 ましてや、杖の放浪人はエルフ社会独特なもので、なおかつ重要な役を担っているのだ。

 エルフ社会に深くかかわっているというだけで、どうしても、放浪人に対するイメージは保守的なものになりがち。

 だから、子供とはいえ他の人類の同行を許すなど、エドワードは考えもつかなかったのである。


「……楽しかった。先生との旅は。今……戦争中だと……忘れるくらいに。でも……でも……」


 先生とやらの話をしているウィリアムの表情は、とても柔らかなもの。

 いかにも楽しい記憶を思い出しているのに、相応しいもの。

 けれども、それは途中で悲痛なものに変わった。


 その表情の変化で、なにが起きたのか。

 うっすらながらエドワードは悟った。


「長くは続かなかった?」


「旅に着いていって……三年経ったそのときに……病気だった……儚くなってしまった……また、置いていかれてしまった……寂しかった……嫌だった」


 アヘンで意識はふわふわとしているはずなのに、ウィリアムが見せた悲嘆の表情は、強いものであった。

 置いていかれた、と口ずさんだときが、特に強い悲しみを覚えていたようだ。


 置いていかれた――


 このワードがもしかしたならば、ウィリアムを理解するにあたって、重要なものかもしれない。

 エドワードは心のメモに、今の彼の発言と表情を強く刻み込んだ。


「……でも、先生は……大切なことを教えてくれた。先生は……病に冒されようとも……ずっと。放浪人であろうと……した。さ、裁定。下し続けた。命を削りながら。そして…………死の……床で……ゆ、遺言を」


「なにを? 良ければ、私にお聞かせいただけます?」


「己が使命を……果たしなさい、と。たとえそれが悲劇的であろうと……でも、その使命を果たすことで……誰かが幸せになるのならば……躊躇っちゃ、ダメ……って」


「……自己犠牲を躊躇うな。そう教えられたのですね」


「……そう。だから……俺は考えた……森の中で。朽ちていく先生の体の隣で……俺の使命はなんだろうか、と。考えて……いっぱい。たくさん考えて……ある言葉を思い出した」


「どんな言葉なんです?」


「ノブレス・オブリージュ」


 また、はっきりとした発声。

 さきとまるっきり同じく。

 目は薬でとろけながらも、そう言い切った。


「俺は貴族で……臣民を……誰かの命を救うために……喜んで死ななければならなかったんだって……そこで悟った。だから……俺は……軍隊に入った……そこなら……誰かのために……」


 また、彼の言葉が途切れる。

 しかし、今度は話したくない、という意思は感じられなかった。

 迷いが見られた。

 言うべきか、言わずにいるべきか。

 そのどちらかを取るのかを。


 ()()()()()()()

 ()()()()()()()、のではなくて。

 ()()()()()()()()()()()()


 言葉をそのまま飲み込むのであれば、ウィリアムも先生が行ってしまった場所に、着いていきたかった、と見るべきだろう。


 先生に説かれた自己犠牲の尊さ。

 そして自らの出自。

 そこに置いていかれた、と考えたウィリアムの心中を加味すれば。


 なるほど。

 ある程度はウィリアムの心中を推し量ることができる。


「……貴方は」


 エドワードは努めて優しい声色でウィリアムに語りかける。

 ここが肝要だ。

 エドワードは気を引き締め直した。


 ここで、ウィリアムが言おうか言わないか悩んでいたことを、エドワードが口にすれば。

 この人は自分の心の内をしっかりと理解してくれる人だ。

 信頼に足る人だ、という評価を勝ち得ることができるだろうから。


 エドワードは慎重に推測を重ねて。

 言葉を選んで。

 そして口にする。

 彼の胸の奥底にずっと巣くっていたはずの、とある願望を。


「つまり貴方は。ずっとずっと。死にたかったのですね?」


 希死願望。

 もう誰かに、大切な人に先立たれるのは嫌だから。

 寂しくて悲しくてたまらないから。

 だったら、誰かを、沢山の誰かを救って死のう。

 ウィリアム・スウィンバーンはそう願ったはずだ、とエドワードは結論を下した。


 さて、その推論の見当や、如何に。


 ちらとエドワードは相変わらずマホガニー板にうつ伏せる、ウィリアムを見た。


 とろんとアヘンでとろけた瞳は。

 とても満足そうな光を湛えていた。


 二拍経っても。

 三拍経っても。


 ウィリアムから訂正を求める声は、ついに上がることはなかった。

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