第五章 十九話 奴は復讐者
新主教を拵えた、エドワード・オーエンはまさしくやり手であった。
カリスマ指導者と称してまったく不足のない能力を持っていた。
共和国陥落によって巻き起こった新興宗教ブームに上手に乗っかり、新主教の勃興をもたらしたことが、その証明と言えよう。
機を見るに敏を見事に実践した行動力と、人々が宗教的な拠り所を欲していることを読み取る嗅覚がなければ、なしえないことであった。
きっと、彼は宗教家に目覚めなくとも実業家で成功したであろう。
人々にそう思わせるのに十分な素養を、エドワードは持ち合わせていたのだ。
しかし、それ以上に彼の能力が遺憾なく発揮したのは、むしろ新興宗教ブームが終わった後だ。
明るい兆しを見せていった社会と比例するように、新興宗教が消えていった近年。
彼は新主教を潰すことなく、それどころか勢力を拡大して見せたのだ。
それを可能としたのは、ひとえに彼が世界中の宗教に精通していたからだ。
膨大な知識の中からその都度、様々な宗教から都合のいい説話や預言を引っ張りだし、世相を宗教的に解釈することで、信者たちの熱狂を勝ちとることができたのである。
さらにおまけとばかりに、エドワードは極めて口が立つ男であった。
人の心をがっちりつかんで離さない、そんな不思議な話術を会得していたのである。
実業家としても活躍しうる才覚に、宗教的知識、そして弁舌の巧みさ。
これらの能力を兼ね備えたエドワードは、なるほど、宗教指導者になるべくして生まれた、と評してもなんら問題はないだろう。
「それで? 彼はどうしましたか?」
そんな天性の指導者であるエドワードは、彼のテントに赴いてきた若者に問う。
中年にしては艶と張りにあふれた、伸びるままに任せた茶髪をかき分けながら。
その仕草はどういうわけか、男女を問わず、胸をときめかせてしまうだけの色気があった。
特に禁欲を是としている新主教内では、その刺激はとりわけ強烈なものであるらしい。
エドワードに問いかけられた若者の頬に、ほんのり紅が差したのも、無理からぬことであった。
「は、はいっ! スウィンバーン氏は、託宣者様の仰せの通りに、あのテントでお待ちいただいております!」
「お香はきちんと焚きましたね?」
「はい! これも仰せの通りに」
その返事にエドワードはにっこりと柔らかい笑顔を作った。
「そうですか。それは良いことをしましたね。新主様もお喜びです。今日のような善行を積み続けられるのならば。きっとその時、新主様が貴方に人々を導くための、神秘的なお力を授けてくれるでしょう」
「はっ、はい! ありがとうございます」
にっこりと笑みを浮かべながらの一言に、若い彼の機嫌はまさに有頂天といったところ。
普段、指導者とは縁遠い地位で修行していた彼にとって、エドワード直々の言葉というのは、それだけでも価値あるものなのだ。
それだけではない。
若い彼は断言されたのである。
教団が説くあるべき姿をとり続ければ、いずれ多くの人々を救うことができる、と。
これは信徒からすれば、外野が思う以上に価値のある言葉であった。
新世界をよりスムースに導くために必要な、神秘的な力。
新主教の信徒たちは、その力を求めて日々の厳しい修行に耐えているのである。
しかしそれでも、苦行に次ぐ苦行をこなす日々では、ときには彼らはこんな疑問を抱くものだ。
こんな自分を虐める真似をして、果たして本当に力を手に入れられるのかと。
だがしかし、新主の託宣者であるエドワードから、力の会得はそう遠くない、と言われたのならば。
これはもう、一層修行に邁進するしかない。
今までの修行が誤ったものではない、と断ぜられたのだから。
もう彼に修行への疑心は、一切なかった。
「では、私は彼の下へと赴きます。貴方は修行に戻りなさい。とても素晴らしい善行を積んだとはいえ、油断はなりませんよ。怠惰に負けて、修行をおろそかにしてしまえば、それだけで新主様は見放してしまいますから」
「はいっ! 一層の精進を致します!」
彼は天にも昇るような心地であるらしい。
エドワードの言に勢いよく頷いた彼は、うきうきと飛び跳ねるような足取りで、テントから退出。
それはそれは、とても元気よく、与えられた修行に戻っていく。
託宣者であるエドワードは、そんな彼の姿が見えなくなるまで、柔和な笑みを湛え続けた。
「……しかし。あまりに都合のいい方向に話が進んでいくものだ。悪いことではないが、それが故にプレッシャーではある。絶対に画竜点睛を欠いてはならないのだから」
一人残されたテントの中。
誰にも声が聞こえないことを確認した後に、エドワードがそう呟いた。
若い男が居なくなるや否や、宗教者たるべき穏やかな表情はどこへやら。
綺麗さっぱり消え去って。
代わりに表れたのは、感情の起伏のない冷たいものでありながら、しかしどこか、血が通ってギラついていて、野性味も感じさせるものであった。
それは言うなれば、実業家の顔であった。
状況を主観抜きで見通す冷静さと、それにまったく適った行動を大胆に取って、大成功を収めようとする野心。
この世のすべての実業家が持つべき才能が発露した表情、と換言できるだろう。
現に彼は今、その頭脳を最大にまで回転させていた。
教団の前に出現した懸案事項を、どう処理するかを。
ひたすら考えていた。
「噂の分隊員が我が教団に入ったのは望外の吉報であった。だが、しかし。まさかその情報が漏れて、もう一人の分隊員がこの場に訪れてしまうとは」
実在を疑われるほどの戦闘力を持った、独立精鋭遊撃分隊の一員を、ウチに引き込めたのは、ツキがエドワードに向いているのでは、と思わせるに十分な出来事であった。
彼が教団を用いて成さんとしていること。
大勢の狂信者を拵えてまで、実現せんとしていること。
それは即ち、社会に混乱をもたらすことであった。
もちろん、武力によってだ。
そのためには、荒事を得意とする人材が、一人でも多く必要であった。
そんな中、かの分隊の一人が入信したのだ。
百人力とはまさにこのこと。
その報を聞いたときエドワードは、自らが作り上げた偽りの神に、感謝の祈りを捧げたくなるほどの歓喜を覚えたものだ。
しかし禍福は糾える縄の如し、とはよく言ったものだ。
喜ばしい出来事の直後には、頭を悩ませる事態が教団の前に現れてしまった。
それが、この度のウィリアム・スウィンバーンの訪問である。
タイミングから見て、入信したファリク・スナイを連れ戻しに来たに違いない。
恐らく近年表出してしまった、出家信徒の家族と教団とのいざこざ。
これを知ってしまったから、ここにやってきたのだろう。
いや、それだけならば、まだいい。
都合が悪いことに、ウィリアムの背後には、どうにも守備隊の影が見え隠れしているのだ。
対応を間違えれば、守備隊がこの場に踏み入って来かねない。
そして、なんとか取り繕えても、守備隊は隙を見計らって、別の機会に襲撃をしかけてくるはずだ。
あと一歩で満願成就となるのに、このような難しい状況に、教団は追い込まれていた。
それ故、エドワードには慎重な判断が求められた。
「計画の進行具合からいって、いくつかステップを飛ばしても構わない。だが、しかし」
最近のゾクリュで起こった騒動を見る限りでは、守備隊の練度がお粗末なのは間違いない。
しかしだからといって、その長が無能であるとは考えにくかった。
紆余曲折を経つつも騒動を治めてしまう点を見るに、相当なやり手であろう。
そんな人間を相手にして、計画を前倒しにしようというのだ。
それで果たして、成功するのだろうか。
警戒して、やはりここは計画通りにじっくりと、焦らず事を進めるべきではないだろうか。
難しい判断であった。
勇んで突撃して返り討ちにあうリスクを取るか、足踏みをして、敵方に万全の準備をさせてしまう時間を与えるか。
いずれの選択を取るにせよ、情報が不足していた。
そして、なんとも好都合なことに、喉から手が出るほどに欲しい守備隊の情報。
それを知りうる人物を、たった今、手中に収めたばかりであった。
「ツキはまだ私たちに向いている。その運を絶対に逃さないためにも……行こうか」
その人とは、ウィリアム・スウィンバーンだ。
彼を尋問するべく、エドワードはやおら立ち上がって、自らのテントを後にした。
そうだ、まだ運は新主教に向いている。
エドワードは自分に言い聞かせた。
「独立精鋭遊撃分隊と言えど、結局のところは人間だ。そして彼は想像だにしなかっただろう。におい消しとして焚いていたはずの香に。多量の薬が混ぜられていることには」
真っ正面から戦うのであれば、エドワードに勝ち目なぞ、小指の先ほどもない。
だが、なにも情報を引き出すのに、そして彼を組み敷くのに、わざわざ相手が得意なリングで戦うことはない、とエドワードは思っていた。
そして、現に彼は実行した。
彼を得意のリングから引きずり下ろす反則行為を。
たっぷりのアヘンを練り込んだ香が立ちこめるテントに、彼を誘導したのである。
人を狂わす煙をたくさん吸い込ませて、忘我の境地にウィリアムを追い込む。
これが今回彼が用いた計略であった。
さて、ここまでは自分でも怖くなるくらい順調に、事態は推移していった。
あとは煙の正体にウィリアムが気がつくか否かである。
香で隠れきれぬほどに、つんとしたにおいが、実はアヘンのものであること。
彼がそれを知らないことを、祈るばかりである。
香は燃え尽き、煙が綺麗に消え去ったタイミング。
もうテントに入っても、薬の煙でやられなくても済む頃合い。
それを見計らって、エドワードはウィリアムが居るはずのテントに踏み入った。
さて、果たして。
結果やいかに。
「――大変お持たせしてしまい、申し訳ありません」
エドワードは必死に表情を取り繕った。
何故ならば必死に努力しないと、自然と表情がだらしなくなってしまうから。
宗教者としての、あるいは指導者としての威厳を保てなくなってしまうから。
つまるところ、事態はまったくエドワードの思惑通りとなった。
「我が新主教にご興味を持たれたのも、なにかの縁。どうか、私に話していただけませんか? 貴方の過去を。貴方の胸の内を。貴方の心の傷を。お力になれるかもしれませんから」
大きなマホガニーのテーブルに、もたれかかるようにぐったりとしている男、ウィリアム・スウィンバーンにエドワードは語りかける。
ウィリアムの目は焦点があっておらず、夢か現か、その判別すらつかない様子であった。
アヘンが彼の思考を蝕んでいるのは明白であった。
その事実にエドワードはほくそ笑む。
ここまで酔っ払ってしまえば、あとはもうこっちのものだ。
理性が失われた相手から、望み通りの情報を手に入れるのは容易い。
エドワードにしてみれば、いつも通り、口先でもって他人の心をかき回すだけ。
それで目的は達成と相成る。
いや、それどころか。
(場合によってはこのまま薬漬けにして。そしてこちらに引き込むのもいいかもしれない。幸い、薬物耐性は人並みのようだ。薬物による記憶の改ざんは、十分に可能だろう)
状況が好転するかもしれなかった。
新たな、そして強大な武力を手に入れられるかもしれなかった。
このウィリアム・スウィンバーンを、なんとかしてウチ側に絡め取ることができたのならば――
(私の目的は。きっと達せられる)
薬の影響で、完全に忘我の境地にあるウィリアム。
目がまったく新主教の指導者へと向いていないことからも、彼はまだ、この場にエドワードが訪れたことを認識していないらしい。
それをいいことに、エドワードは素直に感情を表に出す。
さきほどにわかに作り直した、宗教者としての表情、これを捨て去る。
そして彼の顔に浮き出た表情は。
冷静で大胆な実業家としての顔でもなく。
怨恨が多分に混ざったとびきり暗い笑み。
なにかをひたすら恨んで、ようやく仕返しするチャンスを見出し、それに漆黒の愉悦を見出している。
そんな復讐者が見せる笑みをひたすら湛えていた。
そうだ。
この男、エドワード・オーエンの野望とは即ち、復讐であった。
復讐のために世界を荒らす気でいるのであった。




